最前線の子育て論byはやし浩司(101〜200)


(101〜200)
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最前線の子育て論byはやし浩司(101)

【近況・あれこれ】

●子どもを笑わせる

 昨日は、どのクラスも、子どもたちを笑わせるだけ、笑わせてやった。おもしろかった。子ども
というのは、そういうもの。一度、笑いグセがつくと、私が咳をしただけでも、ゲラゲラ笑う。

 この「笑う」という行為には、不思議な力がある。未知の力といってもよい。私は、この30年
以上の幼児教育の中で、それを繰りかえし、繰りかえし、実感している。

 「なおす」という言葉は使えないが、ゲラゲラと、腹をかかえて笑わせるだけでも、たいていの
情緒障害はなおってしまう。子どもたちも笑うことにより、心を開くから、それだけ学習効果も、
高い。が、それだけではない。

 笑うことにより、前向きな姿勢が生まれてくる。私はこの方法で、子どもを勉強好きにし、また
勉強嫌いの子どもを、なおしている。

 (「なおす」という言葉を、私は、親の前では使ったことがない。「直す」「治す」の二つの意味
がある。念のため!)

 昨日も、D君という、勉強が苦手な子ども(小1男児)がいた。数か月前に、BW教室(私の教
室)にやってきたが、とくに引き算が、苦手だった。引き算というだけで、拒否反応を示してい
た。

 で、子どもというのは、一度、そうなると、その心を溶かすのは、容易ではない。が、昨日は、
本当に笑わせた。参観にきていた母親ですら、ゲラゲラと笑い、居場所がなくなって、外へ出て
行ったほどである。

 そのあとのことである。私がサラリと、引き算の問題を出すと、そのD君が、それを喜んでして
いるではないか!

 私は、これには驚いた。つまり「笑う」という行為には、そういう効果もある。つまりかたまった
心を溶かす。

 『笑えば、伸びる』……それが、私の教育の「柱」になっている。しかしそれができるのも、私と
親たちの間に、太いパイプができているからに、ほかならない。つまり信頼関係がある。(ふつ
うの学校だったら、それだけでクビが飛ぶようなジョークを言いあっているぞ!)

 私は、過去30年以上、教室を公開している。いつも、親たちに見てもらっている。そういう前
提があるから、こうした笑いが許される。

 子どもというのは、引っ張っては、ダメ。押しても、ダメ。子ども自身がもつ力を、子ども自身
が前向きに伸ばすように、指導する。すべては、そこから始まり、そこで終わる。


●これも時代?

 息子たちの学生生活は、私たちの学生生活と、質的に、大きくちがう。時代が変ったのだか
ら、それは当然。それはわかる。しかしそういう息子たちの学生生活をみていると、「では、わ
たしの学生生活は何だったのか?」と、そこまで考えさせられる。

 たとえば今、三男が、たまたま家に帰ってきている。しかし一日中、のんびりとしていること
は、めったにない。つぎからつぎへと、友だちに会いにいく。そしてたいていそのまま、一、二
日、帰ってこない。

 そして昨日は、関西方面へ行くと言い残して、旅行に行ってしまった。私の家まで、彼の友人
が、迎えにきてくれた。

 行動力と行動半径、そのものが、ちがう。それに豊かになった。私が学生だったころには、金
沢から新潟まで遊びにいくだけでも、たいへんだった。とくに私は毎月、下宿代しか送ってもら
えなかった。生活費や、遊興費は、自分で稼がねばならなかった。だから旅行など、めったに
したことがなかった。

 貧弱と言えば、貧弱だが、しかし、時代が変っただけで、こうまで質的に、学生生活までも
が、変るものなのか。三男の交遊関係をみていると、私のそれよりも、10倍、あるいは、それ
以上に広い。

 私がワイフに、「あいつは、少しは、親の苦労がわかっているのかね?」と聞くと、「わかって
いるわよ」とは、言う。しかし本当のところは、どうか?

 私などは、毎月の下宿代を送ってもらうだけで、母に、ああでもない、こうでもないと、恩着せ
がましいことを言われた。うるさいほど、言われた。最後には、「大学を出してやった」「お前に
は、ずいぶんと金を使った」と、言われた。だから私は、息子たちには、そういうことを言ったこ
とがない。

 そう、親にも二種類ある。

 自分がいやな思いをしたから、子どもたちには、同じ思いをさせたくないと考える親。もうひと
つは、自分がいやな思いをした分だけ、それを今度は、自分の子どもに求める親。

 私は前者のタイプの親だと思う。しかし今になってみると、ふと、心のどこかで、「それでよか
ったのか?」と思うことがある。いつか恩師のT教授は、こう言った。「林君の考え方は、現実的
ではない」と。自分の老後のことを考えると、そういう迷いが、起きないわけではない。

 しかし私は、自分の息子たちが、幸福そうなら、それでよい。私は、息子たちに、不要な心配
はかけたくない。めんどうは、さらに、かけたくない。子どもたちは子どもたちで、自分の人生
を、まっとうすればよい。私は私で、自分の老後は、自分で考える。すでに老人ホームへ入るこ
とも、具体的に考え始めている。


●日本、大ピンチ!

 ブッシュ大統領の旗色が、ぐんと悪くなってきた。それにかわって、今度の中間選挙では、民
主党のケリー上院議員が、大統領になりそうな気配になってきた。そのケリー氏だが、この前
(2月末)、対立候補のエドワーズ氏との討論会の席で、こう答えている。

「そのときの国際情勢を総合的に考えて判断する」と。

「日本が、危険な状態になったら(=K国に攻撃されたら)、どうするか?」という質問に対して、
である。

 ブッシュ大統領は大統領になったとき、こう答えていた。「日本などの同盟国が攻撃された
ら、ただちにアメリカは、報復攻撃をする」と。

 このブッシュ大統領の言葉と比較してみるとわかるが、ケリー氏は、「日本など、アメリカ人の
血を流してまで、守らない」と言っているに等しい。ケリー氏は、「アメリカ軍の配置も考える(=
日本からアメリカ軍の撤退も考える)」とも、言っている。アメリカとしては、当然の意見である。

 たとえば今の今、ハイチで政変が起きている(3月2日)。アメリカは、アメリカ軍を派遣した
が、日本は、何もしない。何もしようとしない。そういう日本を、どうしてアメリカが守らなければ
ならないのか。

 一方、日本と韓国の間には、大きなすきま風が吹き始めている。もともと反米親北をかかげ
て大統領の座についたノ政権だから、当然といえば、当然。ノ大統領は、将来的には、K国と、
共和制国家の樹立をもくろんでいるとさえ言われている。

 そうなれば、アメリカ軍は、韓国から撤退する。同時に、韓国は、中国の経済圏に編入され
る。もともと朝鮮族と呼ばれる民族は、中国とのかかわりが、きわめて深い。

 そうなったとき、では、この日本は、どうしたらよいのか。どうなるのか。

 日本のすぐ横に、強大な軍事国家ができることになる。しかも日本に対する敵意は、ふつうで
はない。K国は、かねてより、「日本という国は、この世に存在してはいけない国だ」などと、繰
りかえし、主張している。何かの、ちょっとしたきっかけで、大戦争になる可能性は、きわめて
高い。

 そうなったとき、日本は、日本人は、「私たちは平和を守ります」などと、のんきなことを言って
おれるだろうか。

 国際政治は、どこまでも現実的でなければならない。どこまでも、どこまでも、現実的でなけ
ればならない。観念論や理想論では、子どもたちの未来は、守れないということ。それだけは、
はっきりと肝に銘じて、今の国際情勢を考えなければならない。

 では、どうするか?

 日本が今、第一に考えなければならないのは、韓国や中国との、関係修復である。そのため
にも、K首相のY神社参詣はもちろんのこと、軍国主義を容認するような発言は、極力、ひかえ
てほしい。日本人は、「そんなことをするのは、日本人の勝手」と、思うかもしれないが、韓国や
中国の人にとっては、そうではない。そうでないということを、日本人は、しっかりと認識しなけ
ればならない。

 つぎにアメリカとの同盟関係である。

 今の日本には、友と呼べるのは、アメリカだけ。そればかりか、K国の核開発を、止められる
のは、アメリカしかいない。中国やロシアではない。アメリカである。K国の高官は、アメリカの
高官に対して、「核兵器開発は、日本に対してのもの。(アメリカではない)」と、はっきりと明言
している。

 日本人は、こうした現実を、はたして本当に認識しているのだろうか。

 ただ幸いなことに、今のK国は、満足に戦争もできないほどまでに、疲弊しきっている。食糧
もなければ、エネルギーもない。今年に入ってから、K国北部では、20日間も、停電したままだ
ったという(朝鮮日報)。

 おまけに、経済は破綻状態。当然、人心も乱れ、世相も混乱している。日本としては、そうい
う形で、K国を、自然死させるのが、一番望ましい。それもできるだけ早く。それもできるだけ短
期間に。長引けば長引くほど、K国の国民そのものが、苦しむ。

 韓国は、K国の暴発を極度に心配しているようだが、もうそろそろ、K国は、その暴発する力
さえ、なくす。私たち日本人は、それをじっと、待つしかない。苦しい戦いだが、すでに戦争は、
始まっている。

【追記】
 
 平和主義には、二種類ある。「いざとなったら戦争も辞さない」という平和主義。もう一つは、
「殺されても、文句は言いません」という平和主義。ただ戦争するのがいやだからと言って、逃
げてまわるのは、平和主義でも何でもない。そういうのは、ただの卑怯(ひきょう)という。


●正直

 京都府にある、A農産F農場(養鶏場)で、鳥インフルエンザが発生した。同時に、大量のニ
ワトリが、死んだ。

 その農場では、そのときすでに数千羽のニワトリが、不審な死に方をしていたにもかかわら
ず、それをあえて無視して、ニワトリを出荷しつづけたという※。そのため、その二週間後に
は、鳥インフルエンザウィルスは、ほぼ西日本全域に広がってしまった(3月2日朝刊※)。

 当の責任者は、「まさか鳥インフルエンザだとは思わなかった」「静かに眠るように死んでいっ
たので、おかしいなとは思っていたが……」などと、テレビの報道記者に答えている。

 しかし同じころ、つまりその養鶏場で、ニワトリが不審な死に方をしていたころ、私の地元の
小学校でも、鳥インフルエンザの話は、子どもたちでさえ知っていた。学校で飼っていたニワト
リが死んだだけで、学校は、そのニワトリを、保険所へ届けていた。いわんや、養鶏場のプロ
が、そんなことを知らぬはずはない。「おかしいな?」ではすまされない話なのである。

 ……という話を、書くのがここでの目的ではない。

 人間の正直さは、どこまで期待できるかという問題である。朝食をとりながら、ワイフと、それ
について話しあった。

私「もしぼくだったら、正直に届け出ただろうか?」
ワ「いつ?」
私「最初にニワトリが死に始め、鳥インフルエンザにかかっているかもしれないと思ったときだ」
ワ「むずかしいところね」と。

 新聞の報道によれば、「通報の遅れが、被害を拡大させた」(Y新聞)ということらしい。そして
農水省の次官も、「(通報が遅れたのが)残念でならない」とコメントを出している。さらに京都
府の知事は、「被害について、県のほうで補償することになっているが、しかし(補償するのは)
考えざるをえない」と述べている。

 「不正直もはなはだしい」ということになるが、本当に、そうか?

 はっきり言えば、日本人は、子どものころから、そういう訓練を受けていない。アメリカの親な
どは、子どもに、「正直でありなさい(Be honest.)」と、日常的によく言う。しかしこの日本で
は、そうでない。むしろ「ずるいことをしてでも、うまく、すり抜けたほうが勝ち」というような教え
方をする。そのさえたるものが、受験競争である。

 それはさておき、今でも『正直者は、バカをみる』という格言が、この日本では、堂々とまかり
とおっている。『ウソも方便』という言葉さえある。「人を法に導くためには、ウソも許される」と。
どこかの宗教団体の長ですらも、「ウソも100ぺんつけば、本当になる」などと言っている。

 これらのことからもわかるように、世界的にみても、日本人ほど、不誠実な民族は、そうはい
ない。ほかにも、たとえば、日本人独特の、「本音(ほんね)と建て前論」がある。

 つまり口で言っていること(=建て前)と、腹の中(=本音)は、ちがう。またそういう本音と建
て前を、日本人は、うまく使い分ける。だから反対に、アメリカ人やオーストラリア人と接したり
すると、「どうしてこの人たちは、こうまで、ものごとにストレートなのだろう」と思う。

 つまりそう「思う」部分だけ、日本人は、正直でないということになる。

 誤解がないように言っておくが、「建て前」とういうのは、「ウソ」ということ。とくに政治の世界
には、この種のウソが多い。

 本音は「銀行救済」なのだが、建て前は、「預金者保護」。本音は「官僚政治の是正」なのだ
が、建て前は、「構造改革」などなど。言葉のマジックをうまく使いながら、たくみに国民をだま
す。

 が、その原因を掘りさげていくと、戦後の日本の金権体質がある。もともと金儲けの原点は、
「だましあい」である。とくに商人の世界では、そうである。そういう「だましあい」が、集合して、
金権体質になった。(……というのは、少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、大きくみれ
ば、そういうことになる。)

 というのも、この話になると、私より古い世代の人は、みなこう言う。「戦前の日本人のほう
が、まだ正直でしたよ」と。「正直というより、「純朴」だった? どちらにせよ、まだ温もりを感じ
た。

 私が子どものころは、相手をだますにしても、どこかで手加減をした。が、今は、それがな
い。だますときは、徹底的に、相手をだます。それこそ、相手を、丸裸にするまでだます。

 つまり「マネー」万能主義の中で、日本人は、その「心」を見失ったというのだ。

 いろいろ意見はあるだろが、もしあなたなら、どうしただろうか。飼育していたニワトリが何千
羽も死んだ。行政側に報告すれば、処分される。鳥インフルエンザではないかという疑いはあ
る。しかしはっきりしているわけではない。今なら、売り逃げられる。うまく売り逃げれば、損失
をかなりカバーできる。そんなとき、あなたなら、どうしただろうか。

 正直に、行政側に報告しただろうか。それとも、だまってごまかしただろうか。

 こうした一連の心理状態は、交差点で赤信号になったときに似ている。左右の車はまだ動き
出していない。しかし今なら、走りぬけることができる、と。それともあなたは、交差点で、信号
を、しっかりと守っているというのだろうか。

 もしそうなら、あなたは多分、F農場のような立場におかれても、行政側に報告したかもしれ
ない。報告するとはかぎらないが、報告する可能性は高い。

しかし赤信号でも、「走れるうちは走れ」と、その信号を無視するようなら、あなたは100%、行
政側に報告などしないだろう。あなたは、もともとそういう人だ。

つまりこれが、私が前から言っている、『一事が万事論』である。

 日々の行いが月となり、月々の行いが年となる。そしてその年が重なって、その人の人格と
なる。そしてそれが集合されて、民族性になり、さらに人間性になる。

 その日々の行いは、「今」というこの瞬間の過ごし方で決まる。

私「ぼくなら、F農場の責任者のように、だまっていたかもしれない。もともと、そんな正直な人
間ではない」
ワ「でも、やはり正直に報告すべきよ」
私「わかっている。だからぼくは、できるだけ、そういう状況に、自分を追いこまないようにして
いる」と。

 おかしな話だが、私は、道路を自転車で走っているときも、サイフらしきもの(あくまでも、…
…らしきもの)が落ちていても、拾わないで、そのまま走り去ることにしている。拾うことにより、
そのあと迷う自分がこわいからだ。正直に交番へ届ければ、それですむことかもしれない。
が、それもめんどうなことだ。

 だからそのまま見て見ぬフリをして、走り去る。「あれは、ただのゴミだった」と。

 だから私は、F農場の責任者を、それほど責める気にはなれない。責める側に立って、さも
善人ぶるのは簡単なことだが、私には、それができない。「とんだ災難だったなあ」「かわいそう
に……」と、同情するのが、精一杯。

それが私の本音ということになる。
(040302)(はやし浩司 正直)

※……「同農場は2月20日から鶏の大量死が始まっていたのに、府に届けず、25、26日に
は生きた鶏計約1万5000羽を兵庫県の食肉加工会社処理場に出荷、感染の拡大につなが
り、強い批判を浴びていた」(中日新聞)

「当初、行政側が把握していた情報は、結果的にどれも誤りでした。実際にはA農産の養鶏場
から大量死が発覚した後の、先月25日と26日に、あわせておよそ1万羽の生きたニワトリが
兵庫県八千代町の鳥肉加工業者「AB」に出荷されていました。
 
 「AB」で加工された1万羽は、京都、兵庫、島根など14の業者に出荷され、ほとんどは返品
されたり、業者が廃棄しましたが、少なくとも150キロの肉がスーパーや飲食店などに、卸され
ていました」(TBS inews)と。

●『金によってもたらされた忠実さは、金によって裏切られる』(セネカ「アガメムノン」)

【追記】

 正直に対する、国民の意識は、国によって、かなりちがう。オーストラリアでは、親は、いつも
子どもに向かって、「正直でいなさい」と言っている。うるさいほど、それを言っている。

 しかしこの日本で、私は、親が子どもにそう言っているのを、聞いたことがない。「あと片づけ
しなさい」とか、「静かにしなさい」というのは、よく聞くが……。

 これは「誠実さ」に対する感覚が、国によってちがうためと考えてよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(102)

子どもの希望

 98年から99年にかけて、日本青年研究所が、興味ある調査をしている。「将来、就(つ)き
たい職業」についてだが、国によって、かなり、ちがうようだ。

★日本の中学生
    公務員
    アルバイト(フリーター)
    スポーツ選手
    芸能人(タレント)

★日本の高校生
    公務員
    専門技術者  
    (以前は人気のあった、医師、弁護士、教授などは、1割以下)

★アメリカの中高校生
    スポーツ選手
    医師
    商店などの経営者 
    会社の管理者
    芸術家
    弁護士などの法律家

★中国の中学生
    弁護士や裁判官
    マスコミ人
    先端的技術者
    医師
    学者

★中国の高校生
    会社経営者
    会社管理者
    弁護士

★韓国の中学生
    教師
    芸能人
    芸術家

★韓国の高校生
    先端的技術者
    教師
    マスコミ 

 調査をした、日本青少年研究所は、「全般的に見ると、日本は、人並みの平凡な仕事を選び
たい傾向が強く、中国は経営者、管理者、専門技術者になりたいという、ホワイトカラー志向が
強い。韓国は特技系の仕事に関心がある。米国では特技や専門技術系の職業に人気があ
り、普通のサラリーマンになる願望が最も弱い」と、コメントをつけている。

この不況もあって、この日本では、公務員志望の若者がふえている。しかも今、どんな公務員
試験でも、競争率が、10倍とか、20倍とかいうのは、ザラ。さらに公務員試験を受けるための
予備校まである。そういう予備校へ、現役の大学生や、卒業生が通っている。

 今では、地方の公務員ですら、民間の大企業の社員並みの給料を手にしている。もちろん退
職金も、年金も、満額支給される。さらに退職後の天下り先も、ほぼ100%、確保されている。

 知人の一人は満55歳で、自衛隊を退職したあと、民間の警備会社に天下り。そこに5年間
勤めたあと、さらにその下請け会社の保安管理会社に天下りをしている。ごくふつうの自衛官
ですら、今、日本の社会の中では、そこまで保護されている。(だからといって、その人個人を
責めているのではない。誤解のないように!)
 
もちろん、仕事は楽。H市の市役所で働いている友人(○○課課長)は、こう言った。「市役所
の職員など、今の半分でもいいよ。三分の一でも、いいかなあ」と。

 これが今の公務員たちの、偽らざる実感ではないのか。

 こういう現実を見せつけられると、つい私も、自分の息子たちに言いたくなる。「お前も、公務
員の道をめざせ」と。

 本来なら、公務員の数を減らして、身軽な行政をめざさねばならない。しかしこの日本では、
今の今ですら、公務員、準公務員の数は、ふえつづけている。数がふえるだけならまだしも、
公務員の数がふえるということは、それだけ日本人が、公務員たちによって管理されることを
意味する。自由が奪われることを意味する。

 恐らく、国民が、公務員たちによって、ここまで管理されている国は、この日本をおいて、ほ
かにないだろう。ほとんどの日本人は、日本は民主主義国家だと思っている。しかし本当に、
そうか。あるいは、今のままで、本当によいのか。日本は、だいじょうぶなのか。

あなたが公務員であっても、あるいは公務員でなくても、そういうことには関係なく、今一度、
「本当に、これでいいのか」と、改めて考えなおしてみてほしい。
(040302)(はやし浩司 将来の職業 職業意識 アメリカの高校生 公務員志望)

【付記】
ついでに同じく、その調査結果によれば、「アメリカと中国の、中高校生の、ほぼ全員の子ども
が、将来の目標を『すでにはっきり決めている』、あるいは『考えたことがある』と答えた。日本
と韓国では2割が『考えたことがない』と答えている」という。

 アメリカや中国の子どもは、目的をもって勉強している。しかし日本や韓国の子どもには、そ
れがないということ。

 日本では、大半の子どもたちは今、大学へ進学するについても、「入れる大学の、入れる学
部」という視点で、大学を選択している。いくら親や教師が、「目標をもて」と、ハッパをかけて
も、子どもたちは、こう言う。「どうせ、なれないから……」と。

 学校以外に道はなく、学校を離れて道はない……という現状のほうが、おかしいのである。

 人生には、無数の道がある。幸福になるにも、無数の道がある。子どもの世界も、同じ。そう
いう道を用意するのも、私たち、おとなの役目ではないだろうか。

 現在の日本の学校教育制度は、子どもを管理し、単一化した子どもを育てるには、たいへん
便利で、能率よくできている。しかし今、それはあちこちで、金属疲労を起こし始めている。現
状にそぐわなくなってきている。明治や大正時代、さらには軍国主義時代なら、いざ知らず、今
は、もうそういう時代ではない。

 それにもう一つ重要なことは、何も、勉強というテーマは、子ども時代だけのものではないと
いうこと。仮に学生時代、勉強しなくても、おとなになってから、あるいは晩年になってから勉強
するということも、重要なことである。

 私たちはともすれば、「子どもは勉強」、あるいは「勉強するのは子ども」と片づけることによっ
て、心のどこかで「おとなは、しなくてもいい」と思ってしまう。

 たとえば子どもに向かって、「勉強しなさい!」と怒鳴る親は多いが、自分に向って、「勉強し
なさい!」と怒鳴る親は少ない。こうした身勝手さが生まれるのも、日本の教育制度の欠陥で
ある。

 つまりこの日本では、もともと、「学歴」が、それまでの身分制度の代用品として使われるよう
になった。「勉強して知性」をみがくという、本来の目的が、「勉強して、いい身分を手に入れる」
という目的にすりかわってしまった。

 だから親たちは、こう言う。「私は、もう終わりましたから」と。私が、「お母さん、あなたたちも
勉強しないといけませんよ」と言ったときのことである。

 さあ、あなたも、勉強しよう。

 勉強するのは、私たちの特権なのだ。新しい世界を知ることは、私たちの特権なのだ。なの
に、どうして今、あなたは、それをためらっているのか?

【付記2】

 江戸時代から明治時代にかわった。そのとき、時の為政者たちは、「維新」という言葉を使っ
た。「革命」という意味だが、しかし実際には、「頭」のすげかえにすぎなかった。

 幕府から朝廷(天皇)への、「頭」のすげかえである。

 こうして日本に、再び、奈良時代からつづいた官僚政治が、復活した。

 で、最大の問題は、江戸時代の身分制度を、どうやって、合法的かつ合理的に、明治時代に
温存するかであった。ときの明治政府としては、こうした構造的混乱は、極力避けたかったに
ちがいない。

 そこで「学歴によって、差別する」という方式をもちだした。

 当時の大卒者は、「学校出」と呼ばれ、特別扱いされた。しかし一般庶民にとっては、教科書
や本すら、満足に購入することができなかった。だから結局、大学まで出られるのは、士族や
華族、一部の豪族にかぎられた。明治時代の終わりでさえ、東京帝国大学の学生のうち、約7
5〜80%が、士族、華族の師弟であったという記録が残っている。

 で、こうした「学校出」が、たとえば自治省へ入省し、やがて、全国の知事となって、派遣され
ていった。選挙らしいものはあったが、それは飾りにすぎなかった。

 今の今でも、こうした「流れ」は、何も変わっていない。変っていないことは、実は、あなた自身
が、一番、よく知っている。たとえばこの静岡県では、知事も、副知事も、浜松市の市長も、そ
して国会議員の大半も、みな、元中央官僚である。(だから、それがまちがっていると言ってい
るのではない。誤解のないように!)

 ただ、日本が本当に民主主義国家かというと、そうではないということ。あるいは大半の日本
人は、民主主義というものが、本当のところ、どういうものかさえ知らないのではないかと思う。

 つまり「意識」が、そこまで高まっていない? 私もこの国に住んで、56年になるが、つくづく
と、そう思う。

++++++++++++++++++++++
つぎの原稿は、1997年に、私が中日新聞に
発表した原稿です。
大きな反響を呼んだ原稿の一つです。

若いころ(?)書いた原稿なので、かなり過激
ですが、しかし本質は、今も変わっていないと
思います。
++++++++++++++++++++++

●日本の学歴制度

インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。どこかの国のカルト信仰を笑
う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、自分の姿が
見えない。

 少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制度
をおいた。

 最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。

 明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それがわ
かる。そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別した。

 当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。学校出の教師の給料が、15〜30円、県令
(今の県知事)の給料が250円(明治10年)。

 1円50銭もあれば、一世帯が、まあまあの生活ができたという。そして今に見る、学歴制度
ができたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。

 たとえて言うなら、文部省が総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学校が、
末寺ということになる。

 こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。教育はだれの目にも必要だったし、学
校がそれを支えてきた。

 しかし妄信するのはいけない。どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。日本の
学歴制度は、明らかに行き過ぎている。

 学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。そうでない人は、何かにつけ
て、損をする。

 この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。親たちは日常の
生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を強いる。

 もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係なく、
職員を採用してみることだ。

 過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっちもい
かないところまで、きている。

 東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後閉鎖
論まで、公然と議論されるようになっている。それだけ公教育の荒廃が進んでいるということに
なる。

 しかし問題は、このことでもない。

 学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。今の、この時
点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子どもたちが、苦し
み、そして傷ついていることか。そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多くのおとなたちが、今
も、ひきずっていることか。それを忘れてはいけない。

 ある中学生は、こう言った。

 「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。

 これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。ウソだと思うなら、あなたの、あ
るいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。

 子どもたちの心は、そこまで病んでいる。
(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省)

++++++++++++++++++++++++

●教えずして教える

 教育には教えようとして教える部分と、教えずして教える部分の二つがある。

たとえばアメリカ人の子どもでも、日本の幼稚園へ通うようになると、「私」と言うとき、自分の鼻
先を指さす。(ふつうアメリカ人は親指で、自分の胸をさす。)

そこで調べてみると、小学生の全員は、自分の鼻先をさす。年長児の大半も、自分の鼻先をさ
す。しかし年中児になると、それが乱れる。つまりこの部分については、子どもは年中児から年
長児にかけて、いつの間にか、教えられなくても教えられてしまうことになる。

 これが教えずして教える部分の一つの例だが、こうした部分は無数にある。よく誤解される
が、教えようとして教える部分より、実は、教えずして教える部分のほうが、はるかに多い。ど
れくらいの割合かと言われれば、一対一〇〇、あるいは一対一〇〇〇、さらにはもっと多いか
しれない。

私たちは子どもの教育を考えるとき、教えようとして教える部分に夢中になり、この教えずして
教えてしまう部分、あまりにも無関心すぎるのではないのか。あるいは子どもというのは、「教え
ることで、どうにでもなる」と、錯覚しているのではないのか。しかしむしろ子どもの教育にとって
重要なのは、この「教えずして教える」部分である。

 たとえばこの日本で教育を受けていると、ひとにぎりのエリートを生み出す一方で、大半の子
どもたちは、いわゆる「もの言わぬ従順な民」へと育てあげられる。だれが育てるというのでも
ない。受験競争という人間選別を経る過程で、勝ち残った子どもは、必要以上にエリート意識
をもち、そうでない子どもは、自らに「ダメ人間」のレッテルをはっていく。

先日も中学生たちに、「君たちも、Mさん(宇宙飛行士)が言っているように、宇宙飛行士にな
るという夢をもったらどうか」と言ったときのこと。全員(一〇人)がこう言った。「どうせ、なれな
いもんね」と。「夢をもて」と教えても、他方で子どもたちは別のところで、別のことを学んでしま
う。

 さてあなたは今、子どもに何を教えているだろうか。あるいは何を教えていないだろうか。そし
て子どもは、あなたから何を教えられて学び、教えられなくても何を学んでいるだろうか。それ
を少しだけここで考えてみてほしい。
(はやし浩司 もの言わぬ 従順な民) 
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日本人と民主主義

●騒音

 日本人ほど、騒音に無頓着な民族はいない? 私が住むこの地域は、一応、第二種住宅地
域ということになっているが、早朝から深夜まで、その騒音が絶えない……。

 まず朝、五時五五分、きっちりとその時刻に、裏の隣人が、雨戸を開ける。ふつうの開け方
ではない。いっせいに、勢いよく、ガラガラ、ガラガラと開ける。ここに住むようになってから、二
五年間、私たち夫婦は、春夏秋冬、一度、その音で目をさまされる。

 少し時間がたつと、このところ、隣の空き地が、下水道工事の集結場になっていて、工事の
男たちがやってきて、あれこれ作業を始める。

昨日は、あの削岩機で、バリバリと何かを削っていた。ものすごい音だった。窓をしめても、家
中のカベがガタガタ揺れる感じだった。で、そのころになると、前の隣人が、趣味の宝石の研
磨を始める。歯科医院で歯を削られるような音だ。しかもその研摩を、プレハブの小屋の中で
するから、ちょうど全体として、ギターの箱のような共鳴作用を引き起こす。ものすごい音だ。そ
の騒音がガリガリ、ガリガリと、終日、断続的につづく。

 もちろん道路を走る車の騒音も聞こえる。五〇メートルくらい離れたところが、大通りになって
いて、そこをひっきりなしに、車が走る。ふつうの車はそれほど気にならないが、暴走族が乗る
ような改造車だと、それこそバスンバスンと腹に響くような低周波振動が響いてくる。

そうそう道路をはさんで西隣のアパートに、最近一人の学生が入ったらしい。その友人らしき
男が、ときおり、その種の車でやってくる。これもけっこう、うるさい。

 が、それだけではない。断続的に、物干し竿売りや、ワラビ餅売りがやってくる。これがスピ
ーカーの音量を最大限にして、あの声を流す。ほかに粗大ゴミ回収業者、オートバイ回収業者
など。もっともこれは日中の一時期だから、そのときをやり過ごせば、何とかなる。

 私は部屋にこもって、こうして文書を書くのが仕事(?)のようになっているから、こうした騒音
は、つらい。いやいや、最近は、夜中だって、騒音(?)が消えることはない。数軒前の隣人の
飼い犬がこのところ、急にボケだして、一晩中、グニャーグニャーと、おかしなうめき声をあげ
ている。

それがちょうどさかりのついた雄ネコのような声に聞こえる。私の家はともかくも、近所の人た
ちは、さぞかし眠られない毎日を過ごしていることだろう。

●騒音の精神的ルーツ

 そこで私は考える。こうした日本人独特の無頓さは、いったいどこから生まれるのか、と。公
共精神ということになると、少なくとも、このあたりの人たちは、自分のテリトリーの範囲のこと
は大切にするが、しかし一歩、その範囲を離れると、何もしない。

たとえば私がここに住むようになって、この二五年間、近所の空き地のゴミ拾いをしているの
は、私だけ。このあたりは元公務員の人たちが、優雅な年金生活をしている。しかしそういう人
たちがゴミ拾いしているのを、私は見たことがない。そういう意味では、みんな、自分勝手。こ
の勝手さは、いったいどこからくるのか?

 アメリカやオーストラリアと比較するのもヤボなことだが、欧米では、その地域の景観すら、地
域住民がたがいに守りあっている。その地域全体の家の形のみならず、屋根や家の色まで統
一しているところも少なくない。

自分の家だけ芝生を伸び放題にしておくことなど、言語道断。オーストラリアでも、そうだ。ある
日、友人がこう言った。

「(土地の値段は安いので)、いくらでも土地は買えるが、しかし管理がたいへんだから、適当
な広さがあればいい」と。

自治体ぐるみで看板の設置を規制しているところも多い。あるいは看板の色を規制していると
ころも多い。先日、アメリカから帰ってきた二男ですら、クモの巣のように空をおおう電線を見
て、こうこぼした。「アメリカでは考えられない」と。いわんや、騒音をや! 基本的なところで、
考え方がまったく違う。

 日本人に公共心がないのは、日本の社会制度にもよる。明治以来、あるいはそれ以前か
ら、「教育」と言えば、「もの言わぬ従順な民づくり」が、基本になっている。

日本は奈良時代の昔から、現在にいたるまで、カンペキな官僚主義国家である。今の今でも、
日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。ウソだと思うなら、一度、外国に住ん
でみることだ。日本でいう民主主義は、彼らがいう民主主義とは、まったく異質なものであるこ
とがわかる。

この日本では、「国あっての民」と考える。国民(この「国民」という漢字すら、それを表している
が……)、は、国の道具でしかない。

一方、欧米では、フランス革命以来、「民あっての国」と考える。この違いは大きい。たとえばこ
んなことがある。

 南オーストラリア州にある友人の家へ遊びに行ったときのこと。ボーダータウンという小さな
田舎町だが、その町を案内しながら、友人がいちいちこう説明してくれた。

「ヒロシ、あの道路整備に、税金を一二〇〇万ドル使った。しかし経済効果は、七〇〇〇万ド
ルしかない。税金のムダづかいだ。いいか、ヒロシ、それだけの税金を使うなら、穀物倉庫を
作り変えたほうがいい。経済効果は、二倍以上になる」と。

こうした会話を、私はこの日本で聞いたことがない。いや、反対に、あってもなくてもよいような
高速道路ばかりつくり、一方、住民は、「作ってもらった」「作ってもらった」と喜ぶ。こうした日本
人の意識が、一八〇度ひっくりかえるためには、この日本では、まだ五〇年はかかる。あるい
はもっとかかる。

●そろそろ意識を変えるべきとき?

 さて騒音の話。かく言う私も、こうした騒音に耐えて、二五年になる。あるいは子どものころか
ら、「生活」というのは、そういうものだと思い込まされている。しかし、もうそろそろ、日本人も
意識を変えるべきときにきているのではないか。

 「社会は私たちがつくるのだ」「国は私たちがつくるのだ」という意識である。もうひとつ、つい
でに言わせてもらうなら、「教育は私たちがつくるのだ」という意識もある。

何でもかんでも、一方的に国から与えられるだけというのでは、あまりにもさみしいのではない
か。あまりにも受け身すぎるのではないか。日本人が周辺の騒音に無頓着なのも、そのひとつ
ということになる。教科書も制度も、中身も。そんな国は、民主主義国家ではない。またそんな
国では、民主主義など、育たない。ちがうだろうか?
(040303)(はやし浩司 日本人の意識 騒音意識 民主主義)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(103)

【近況・あれこれ】

●アメリカ人の子ども観

 国民性のちがいなのか? アメリカでは、「恥ずかしがり屋」の子どもを、問題児ととらえる。
英語では、「ナーバス(nervous)」「シャイ(shy)」という。

 「日本では、恥ずかしがるのは、美徳(virtue)だ」と話すと、そのアメリカ人の先生(小学校)
は、かなり驚いていた。国がちがうと、子どもの見方も、大きくちがうようだ。

 そのためか、アメリカでは、ワーワーと自己主張する子どもほど、(できのよい子ども)ととらえ
る。反対に、静かで、謙遜する子どもを、(できの悪い子ども)ととらえる。

 もちろん教育にも、大きな影響を与えている。

 アメリカでは、いつも先生が生徒に、「どう思う?」「それはすばらしい」と言って、授業を進め
る。日本では、「わかったか?」「ではつぎ!」と言って、授業を進める。

 「教育」と言っても、中身は、まるでちがう。そういうことも考えて、子どもの教育を考える。(も
ちろんそれぞれに、一長一短があるが……。)


●右は妹、左はぼく!

 母親は、男児の育児にとまどう?

 ある母親からだが、こんな相談があった。

 小学五年生の男の子だが、「いまだに、私のおっぱいに、さわりたがります」と。

 妹は、4歳。

 そこで母親は、「右が妹、左がお兄ちゃん」と決めているそうだ。私はその相談を受けたとき、
その母親の胸を、まじまじと見てしまった。

 「どうして?」と聞いたら、何を勘違いしたのか、その母親は、左の胸を前に突きだしながら、
こう言った。「左のほうが、ほら、少し大きいでしょう!」と。

 そのあたりの年齢になると、母親も、やや羞恥心をなくすようだ。胸の豊満な母親だったの
で、ハハハと笑いながら、内心では、その子ども(兄)が、うらやましく思った。そしてこう思っ
た。

 「私だって、男だぞ!」と。

 もうこの年齢になると、私を「男」と見てくれる母親はいない。自分でも、それがよくわかる。ま
あ、あきらめるか! 

私は56歳。ヤング・オールド・マンだ! 略して、YOM。(私がつくった、新語)

【YOMの特徴】

 老人にもなりきれず、しかし青春にも決別できない、中途半端な年代層。ときどき、老人にな
った自分を知り、ときどき、それに反抗してみる。

 ちょうど中間反抗期の子どもの心理的変化に似ている。ときどき、おとなぶってみたり、反対
に幼児がえりを起こしてみる。どっちつかずの不安定な年齢。

 YOMについては、あとで、もう少し、掘りさげて考えてみることにする。おもしろそうなテーマ
だ。


●改心

 ふと、今、思い出した。

 昔、子どものころ見た、チャンパラ映画の中で、「改心」という言葉がよく使われたのを、思い
出した。

 とんでもない極悪人が、あるとき、ふとしたことがきっかけで、心を入れかえ、それ以後は、別
人のように、善人になったりすることをいう。

 子どもながらに、「心というのは、そういうものかなあ」と思ったことがある。

 しかしそれからほぼ、半世紀。私は、そういうふうに、改心した人を見たことがない。人間の
心というのは、いわば体にしみついた「シミ」のようなもので、そう簡単には、変えられない。

何らかの方法で、ごまかすことはできても、それは化粧のようなもの。しかし、化粧は、化粧。
何らかのきっかけで、すぐボロが出る。もしそんなことが簡単にできるなら、精神科の医師など
いらないということになる。

 私だって、「心の質」は、それほど、よくない。もともと小ズルイ男で、小心者。(私とつきあう人
は、そういう意味で、用心したほうがよい。ホント!)

 そういう私が、かろうじて「私」なのは、私には、ドン底経験があるからだ。

 幼稚園講師になって、すべてをなくしたと感じたとき、私は死ぬことさえ、考えた。毎晩、「浩
司、死んではダメだ」と、自分に言って聞かせた。

 そのときのこと。私は、人間は、ドン底を経験すると、二種類に分かれることを学んだ。その
まま悪人になっていく人間と、善人になっていく人間である。私はあのドン底経験のあと、自分
でもおかしいと思うほど、まじめになった。

 タバコもやめたが、女遊びもやめた。ウソをつくのも、約束を破るのも、ごまかすのもやめ
た。何もかもやめた。やめて、ただひたすら、まじめ(?)に生きるようになった。

 そんな私だが、しかし、では、私の質が変ったかというと、そういうことはない。ただごまかして
いるだけ。自分でも、それがよくわかる。ふと油断すると、もともとの私が、すぐ顔を出す。

 今は、そういう私と戦っているだけ。押さえこんでいるだけ。だから、やはり、「改心」などとい
うことは、ないと思う。

チャンパラ映画の中では、よく使われたテーマだが、ああいうことは、ありえない。それが、この
半世紀を生きて私が知った、結論である。


●T社のレポーターのレベルは、この程度?

 T者のインターネットnewsを見ていて、思わず笑ってしまった。

 何でも中国沿岸部の水位が、一年前とくらべて、平均で、60ミリ前後上昇しているという。上
海沿岸では、66ミリ前後も、上昇しているという。

 それはそうだろう。しかしそのあとの報道が、「?」。

 インターネットニュース(テレビで報道されたものと同じ)では、1960年代に撮影された写真
と、現在の様子を比較しながら、レポーターがこう言っていた。

 「60年代にとられた写真では、この建物のこの窓は、歩道を歩く人の、はるか頭の上にあり
ました。しかし今は、頭の下にあります。これを見ると、上海の地盤沈下を、実感することがで
きます」と。

 バカめ!

 窓の位置がさがったように見えるのは、それだけ、上に上にと、道路を塗りかためたため。こ
んなことは、道路工事の経験がある人なら、だれでも知っている常識。

 ふつう道路の舗装工事をするときは、旧面を削り、その上に、新しい舗装工事をする。それ
をしないと、道路だけが、どんどんと高くなってしまう。ちなみに、ローマのコロセウムの前の通
りの道は、ローマ時代よりも、3メートルも高いという。しかしそれは地盤沈下や海面上昇によ
るものではなく、道路を上に上にと、塗りかためたからにほかならない。

 映像で見ても、60年代の歩道と、現在の歩道は、どうもちがうような感じがする。(同じ歩道
なら、そうした比較をしても、意味があるが……。)

 それに地下水のくみあげによる地盤沈下は、全体として起こるもの。建物だけが、極端に沈
下するということは、ありえない。建物だけが沈むということもないわけではないが、そのとき
は、その前に建物が傾いたり、壁が割れたりする。

 T社のインターネットnewsはいつも見ているニュースだが、私は、これには笑った。(失礼!)

 それにしても、1年で、60ミリとは! 6センチである。このまま進めば、50年で、3メート
ル! 中国の平野部の大半が、水没することになる。

 今、予想より、はるかに早いピッチで、地球の温暖化が進んでいるようだ。ゾーッ!
(しかし中国の調査報告も、あまりアテにならないし……。失礼!)


●解約できなア〜い!

 どこでどう申しこんだのか知らないが、G社のコマーシャル・マガジンが、頻繁に届く。コマー
シャルをクリックすると、ポイントがたまるというマガジンである。

 それがうるさい。そこで購読の解約!
 
手続きに従って、そのG社のトップページへ。が、どこにも解約コーナーがない! マガジンを
よく読むと、(トップページ)→(サービス)→(購読)→(解約)へ進んでくれとある。

 で、やっとのことで、そのページにたどりつくと、IDと、パスワードの入力を求められる。しかし
そんなもの、登録した覚えはない?

 そこでまず仮のIDを発行してもらう。つぎにまた、元の画面にもどって、今度は、そのIDを打
ちこんだあと、パスワードを発行してもらう。この手間が、たいへん。

 で、やっとのことで、解約ページに。が、ここでも、「これから先、いっさい、サービスを受けら
れなくなります」「今まで稼いだポイントが、ゼロになります」「今後2か月は、再登録ができなく
なります」という警告文。無視してクリックすると、さらに、「あなただけに特典があります。どうか
もう一度、解約の考えなおしをお願いします」と。

 ……今、この手のマガジンが、ふえている。会社名も、まぎらわしい。G社というのも、よく見
ると、検索エンジンの「GG社」をまねた名前であることがわかる。

そう言えば、前にもひっかかった。その会社の名前は、「松下K産業」。私はてっきり「パナソニ
ック社の松下産業」だと思っていた。(当時は、パナソニック社のパソコンをメインに使ってい
た。)

 その「松下K社」のときも、最終的には、その会社まで電話して、購読を解約してもらった。

 みなさんも、くれぐれも、お気をつけください。ちなみに、私のマガジンは、どれも、末尾のアド
レスをクリックして、みなさんのEメールアドレスを、入力すれば解約できることになっています。
どうか、ご安心ください。


●都会の中の、田舎人

 都会に住んでいるから、都会的なものの考え方をするようになるというのは、ウソ。幻想。

 都会に住んでいる人でも、田舎の人以上に、田舎の人はいくらでもいる。都会に住んでいて
も、世間的なメンツや見栄にこだわり、過去の風習や、封建時代の亡霊にこだわっている人
は、いくらでもいる。

 意外と、よく見られるのは、転勤に転勤を重ねてきたサラリーマンの人たち。

このタイプの人たちは、その都会に同化する前に、つまり転勤で同化できない分だけ、田舎に
自分のルーツ(根)をおく。そのため、かえって田舎的なものの考え方を、心の中で、増幅させ
てしまう。

 さみしい孤独な都会生活が、かえってその人をして、そうさせるとも考えられる。

 反対に、田舎に住んでいても、都会的な人は、いくらでもいる。私の知人の中には、その村の
水利問題にからんで、行政訴訟を起こしている女性もいる。「おいしい飲み水を、子どもたちに
残したい」というのが、その理由である。

 が、その女性のばあい、本当の敵は、トンネル工事をしている行政(村)ではない。彼女の夫
や、近所の人たちである。そういう人たちが、つまりは、(ことなかれ主義)から、その女性の行
動に、ブレーキをかけている。都会的といえば、そういう女性の生きザマのほうが、よほど、都
会的である。

 要するに、どこに住んでいようが、それは生きザマの問題ということ。それを決めるのは、環
境ではなく、その人自身がもつ問題意識ということになる。


●風習

 日本には、まだ、おかしな風習が、あちこちにはびこっている。姉がこんなことを言った。

 「去年の秋に、大阪に住む、義理のいとこの息子の結婚式に行ってきた」と。

「義理のいとこの息子の結婚式!」 ……私が驚いていると、「うちは、本家スジだから、出なけ
ればいけないのね」とも。

 「本家スジ!」 今でも、そういう言葉を使う人がいる。決して少なくない。その人にとって本家
にあたる家筋のことを、「本家スジ」という。

私「江戸時代でもないでしょう?」
姉「そうは、いかないのよ。このあたりでは……」
私「姉さんも、たいへんだね」
姉「親戚の少ない人だったから……」と。

 昔は、「家あっての個人」ということになっていた。その人の身分は、その「家」で決まった。そ
れはわかる。しかしそうした風習を、何も疑うことなく、繰りかえすことは、本当に正しいことなの
か。必要なことなのか。

 姉は「頭数(あたまかず)をそろえるために、出るのよ」と言っていたが、そういうのを、見栄と
いう。しかし、そんなところで見栄を張って、どうするのか?

 ……と言うのも、ヤボなこと。「私はカルトとは無縁」と思っている人でも、カルト的風習に、ど
っぷりとつかっている人は、いくらでもいる。そうしたカルト的風習は、こうした冠婚葬祭に、とく
に色濃く現れる。

 要は、無視するか。さもなければ、妥協するか。その二つに一つである。しかしいつかだれか
が、こうした風習にブレーキをかけないと、それはいつまでもつづくことになる。

 そのあと、私とワイフは、こんな会話をした。

私「ぼくらは、気にしないね」
ワ「大切なのは、本人。本人の幸福よ。こちら側の親戚が、たったひとりでも、私は構わない
わ」
私「ぼくも、構わない。それで相手が、ぼくらのことをおかしく思うようなら、思わせておけばい
い。あくまでも本人どうしの問題だからね」と。

 いつだったか、二男がアメリカから帰国したとき、地元の中学校で、講演会に、講師として、
招かれたことがある。そのとき、二男は、穴のあいたTシャツに、よれよれのズボンをはいて行
った。

 私が、「もう少し、マシな服を着ていけよ」と声をかけると、「ぼくは、ありのままの自分で行く
よ」と。そういう二男の姿を見たとき、私は、父親として、率直に言って、うれしかった。二男は、
私をはるかに超えた、(おとな)に成長していた。
 
 いろいろな考え方がある。それもわかる。しかし日本人に、何が欠けているかといえば、自分
で考えて、自分で行動する力ではないだろうか。私は姉との会話の中で、そんなことを感じた。

【補足】

 家族には家族としての機能がある。助けあい、認めあい、励ましあい、教えあい、守りあうと
いう役割である。しかしその家族は、同時に、個人の自立を、はばむことがある(心理学者の
レイン、クーパーほか)。

 最近では、(近代的自我)という言葉が使われる。未来志向型の個人の確立をいう。その近
代的自我の確立に、ときとして、家族は、足かせになるという(レイン、クーパー)。

 こうした親戚づきあいというのは、一見温もりのある社会だが、その弊害も、また大きい。つ
まりは、そうした依存型社会にどっぷりと、つかることにより、たがいの自我の確立を、監視し、
干渉し、かつ押さえこんでしまう。言うまでもなく、この日本では、親戚というのが、その個人に
とっては、巨大な家族として、機能する。

 この問題は、大きな問題なので、テーマとして、別のところで考えてみたい。
(040304)(はやし浩司 近代的自我)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(104)
 
【家族論】

●家族の限界

 家族には、家族としての機能がある。助けあい、認めあい、励ましあい、教えあい、守りあうと
いう役割である。

しかしその家族は、同時に、個人の自立を、はばむことがある(心理学者のレイン、クーパー
ほか)。

最近では、(近代的自我)という言葉が使われる。未来志向型の個人の確立をいう。その近代
的自我の確立に、ときとして、家族は、足かせになるという(レイン、クーパー)。

 そのレインやクーパーは、人間には、二つの志向性があるという。(個人志向)と(共同体志
向)である。

 (個人志向)というのは、「だれにもじゃまされず、自分の道を進みたい」という、志向性をい
う。

 (共同体志向)というのは、どこかの共同体に属し、その共同体とともに、運命を共有したいと
いう、志向性をいう。日本では、家族。さらには、親戚、近所づきあいが、その共同体ということ
になる。

 私やあなたという、一人の人間をみたばあい、こうした志向性が、混在しているのがわかる。
人に干渉されるのを嫌う反面、他人には、干渉しようとする。その反対に、無視されるのを嫌う
反面、他人の行動を、無視しようとする。

●孤独論

 こうした心理的反応の根幹にあるのが、「孤独」である。

 個人志向が強ければ、人は、孤独を感ずる。だから共同体とかかわりをもとうとする。反面、
共同体志向が強ければ、孤独はいやされるが、あれこれ干渉されて、それをうるさく感ずる。

 こうした孤独感は、どこからくるのか?

 それは恐らく、人間が魚であった時代から、始まっているのではないか? ……というのも、
かなり飛躍した考え方に見えるかもしれないが、魚の群れを見ていたとき、私は、そう思ったこ
とがある。

 あの魚は、たいてい、群れをつくって行動する。つまり「群れ」をつくることで、自分たちの安全
性を確保する。だからそれぞれの魚にとって、群れをはずれて行動することなど、考えられな
い。その(群れ意識)の根底にあったのが、(群れからはずれる恐怖)、つまり孤独ということに
なる。その(恐怖感)が、(孤独)のもつ恐怖感の原点になった?

 もちろん人間と魚はちがう。しかしその人間は、遠い昔、魚から、進化した。現に、胎児は、
母親の胎内で、一度は、魚に似た形になる。人間の心の中に、(魚的意識)が残っていたとこ
ろで、何も、おかしくはない。

 もっとつきつめていくと、知的動物としての人間は、(個人志向)を求める。しかし原始的動物
としての人間は、(共同体志向)を求める。このハザマで、人間は、右往左往する。さらにつき
つめていくと、知的動物としての、自我の確立を、レインやクーパーのいう、(近代的自我)の確
立と呼んでもよいのではないか。

 ただ、ここで一つ、大きな問題にぶつかる。

●家族意識

 欧米と日本とでは、「家族」に対する意識が、かなりちがう。さらに欧米と日本とでは、「親戚」
「近所」に対する意識が、かなりちがう。また欧米と言っても、広い。また日本といっても、都会
と田舎では、まるで別世界のように、ちがう。

 だからいっしょくたにして考えることはできない。が、レインやクーパーは、「家族が、近代的
自我の確立に障害になる」と言ったが、この日本では、その家族に、親戚や近所を含めてもよ
いのでは。

 実際、農村部に住んでみると、息苦しいまでの重圧感を覚えることがある。人間関係が、た
がいにクモ巣のようにからんでいて、たがいにたがいを、密接に、かつ濃密に干渉しあってい
る。話は、少し、それるが、こんな例がある。

 私の友人が、岐阜県のS町のはずれに、小さな酒屋を開いた。それまで都会に住んでいた
が、田舎暮らしにあこがれ、そこに家族ともども、移住した。

 が、一年たっても、ほとんど客はこなかった。ときどき街道を通る人が、買い物をする程度だ
った。値段を安くし、さらにおまけまでつけたが、それでもダメだった。

 一年もたったころ、やっと、その理由がわかった。

 そのS町には、もう一軒、酒屋があった。昔からの酒屋で、その酒屋は、その村の有力者が
経営していた。つまりほかの村人たちは、その有力者に遠慮して、友人の酒屋では買い物をし
なかった。

 この例で、友人がもった意識、つまり(都会から脱出して、田舎暮らしをしてみたい)という意
識が、ここでいう(近代的自我)ということになる。しかしその(近代的自我)をはばんだのが、村
という共同体のもつ、(共同体意識)ということになる。

 村の人たちは、自分たちの(共同体志向)を優先させるため、その友人の(近代的自我)を、
はばんだということになる。

 こうした現象は、家族の中でも、起こりえる。それが冒頭に書いた、「近代的自我の確立に、
ときとして、家族は、足かせになる」という意味である。

 つまり私たちは、子どもを育てながら、「育てる」ことばかりを考えるあまり、私たちという親
が、子どもの自我の確立を、はばむことがあるということ。過干渉もそうだが、ほかに、過関
心、過保護、溺愛、過剰期待などもある。

●親自身の問題

 しかしそれ以上に、深刻に考えなければならないのは、親自身が、自我の確立ができていな
いばあいである。そういう親に向かって、「子どもの自我を尊重しなさい」と言っても、ムダであ
る。そもそもそれを理解するだけの、「下地」ができていない。

 はからずも、私は、最近、こんな経験をした。

 姉との電話の中で、姉が、「頭数をそろえるために、義理のいとこの息子の結婚式にかりだ
された」と言ったときのこと。私は、「どうしてそんなムダなことをするのか?」と、思わず言って
しまった。

 しかしその義理のいとこ氏にとっては、それが彼の価値観であり、その価値観は、さらに奥深
い、彼自身のカルト的信仰と結びついている。だからそういう義理のいとこ氏に向って、「ムダ
ですよ」と言っても、意味がない。親が親だから、今度は、その先の義理のいとこの息子氏に
向って、「見栄を張るのは、やめなさい」と言っても、さらに意味がない。

 意識というのは、そういうもの。もっとわかりやすく言えば、子どもの自立論を説く前に、親自
身が、自立していなければならないということ。もっとわかりやすく言えば、近代的自我の確立
ができていない親に向かって、「あなたの子どもの自我を確立させましょう」と言っても、ムダ。
まったくの、ムダ。

 そもそも日本人というのは、慣れあい社会の中で、相互に依存しながら、生きている。もちろ
んすべてが悪いばかりではない。そういった慣れあいが、独特の温もりをつくっているのも事
実。

 しかしその一方で、そうした慣れあい社会が、レインやクーパーのいう、(近代的自我)の確
立をはばんでいるのも事実である。それがよいのか悪いのか。あとは、それぞれの人が判断
すればよいということになる。

●止められない「流れ」

 ただ、これだけは言える。

 今、日本は、そして日本人は、国際化の波にもまれながら、レインやクーパーの言う、(金内
的自我)の確立をめざして、一歩、前に踏み出そうとしている。そしてその流れは、若い人たち
から始まり、もうその流れを変えることはできないということ。

 私の二男は、こう言った。「パパ、ぼくは、ありのままのぼくで行くよ。それをみんなに見てもら
うよ」と。

 二男が出身校の、地元の中学校での講演会で、講師として招かれたときのことである。二男
は穴のあいたTシャツに、ヨレヨレのジーパン姿だった。見るに見かねて、私が「もう少し、マシ
な服を着ていけ。人前に立つのだから……」と言ったときのことだった。

 これからは、こういう若者がふえてくる。もっともっと、ふえてくる。そういう流れは、もう、私や
あなたに、止めることはできない。
(040304)(はやし浩司 近代的自我 レイン クーパー 家族論 個人志向 共同体志向 
孤独 孤独論 孤独の原点 原R)

【異論・反論】

 この私の意見に対して、ある人(女性、50歳くらい)に話すと、その女性は、こう言った。

 「群れと、共同体とは、ちがうのでないかしら?」「都会には、人がたくさんいるけど、孤独を感
ずる人は、感ずるのでは?」と。

 ナルホド! 鋭い! 忘れていた!

発達心理学の世界でも、「群れ」と、「共同体」は、分けて考える。「群れ」には、相互意識がな
い。「共同体」は、人間の、複雑にからみあった相互意識が、ある。

 私は、この原稿を書きながら、「魚の群れ(=相互意識がない)」と、「共同体(=相互意識)」
を、混同している。これは致命的なミスである。

 しかし「孤独感」の原点といえば、「孤独にまつわる恐怖感」をいう。そしてその「恐怖感」は、
人間が魚だった時代から、もっていたのではないかという点については、まちがいないと思う。

 この原稿の中にも書いたように、人間も、母親の胎内の中では、一度は、魚だった。つまり
「群れ」から離れるということは、そのまま「死」を意味した。つまり、それが孤独から感ずる、恐
怖感の原点であるように思う。

 なお、子どもの世界では、「群れ」と「共同体」は、分けて考える。ただ子どもどうしが集まって
いるのは、「共同体」とは言わない。だから子どもを、群れの中に入れただけでは、集団教育に
は、ならない。これについては、また別のところで考えてみたい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(105)

【雑感・あれこれ】

●きわどい話

 幼児を教えていると、ときとして、きわどい話が出てくる。親たちが参観していなければ、それ
ほど気にすることもないのだが、しかし私の教室は、例外なく、公開している。

 昔、年中児のクラスで、「君の、一番好きなものは、何ですか?」と聞いたときのこと。S君(彼
の名前は、忘れない)が、勢いよく手をあげながら、こう言った。「オンナ!」と。

 私は、自分の耳を疑った。だからもう一度、聞いた。「何だってエ?」と。するとS君は、臆面
(おくめん)もなく、また、「オンナ!」と。

 多分、父親が、口グセのようにそう言っていたのではないか。S君は、それをまねた?

 あるいは、こんなことも。

 一人の女の子(年中児)が、勝手にペラペラと、となりの子に話し始めた。

 「昨日の夜、パパとママが、裸で、レスリングしてた」と。

 そういう話になったら、すかさず私はストップをかける。

 私自身の失敗もある。

 カタカナを、書いて、どちらのカタカナが多いか、それを子どもたちに当てさせる。たとえば
「ア」と「イ」を、それぞれ、4個、5個と書いて、「どちらが多いかな?」と。

 で、順にやっていくと、あるとき、「チ」と「ツ」になった。とたん、子どもたちが、「チ」「ツ」「チ」
「ツ」と言い出した。

 こういう言葉には、本当に冷や汗をかく。

 ほかに似たような話だが、「リスが、クリを食べました」というような話には、一瞬、ドキッとす
る。カードを何枚か見せて、話作りをするようなときである。反対に読めば、「クリ」と「リス」にな
る。

 さらに英語を教えているとき、「6」を、「セックス」と読む子どもがいる。そこで私は、息をたくさ
ん吐き出して、「シィークス」と教えるのだが、息をたくさん出させると、日本人のばあい、どうし
ても、「セックス」になってしまう。

 こういうのは、本当に困る。

 まあ、そういうときは、とぼけてレッスンを進めるにかぎる。参観に来ているのは、圧倒的に
母親が多い。

 最近でも、こんなことがあった。小学六年生の男の子が、教室へ来て、いきなり、「先生、今
度、フランスのコンドームが、なくなるんだってねえ」と。

 ギョッとしていると、どうやら、その男の子は、「コンコルド」のことを、「コンドーム」と、まちがえ
ていることがわかった。

私「あのね、あれは、コンコルドって言うんだよ」
子「コンコルドかあ……ハハハ」と。

 
●YOM(Young Old Men)

 老人にもなりきれず、その手前で、どこか不完全燃焼のまま。さりとて、もう青春時代は、は
るか、かなた。

 そういう世代を、YOM世代(若き老人世代)という。つまり私の年代層の人たちをいう。

 このYOMの特徴をあげれば、キリがない。子育てという面においては、子どもたちが巣立ち
をした状態。まだお金はかかるが、親子の接触は、ほとんど、ない。

 人生は、完成期にきているはずなのに、その実感は、あまりない。何かをやり残したようでい
て、それでいて、まだ何かできるのではという期待も捨てきれない。

 体力的には、今までごまかしてきた持病が、どんと吹きだしてくる。無理ができない。疲れも
ぬけない。体力に、自信がもてない。そういう状態になる。先日も、大学の同窓会に出てみた
が、三人に一人が、がんなどの大病を経験していたのには、驚いた。

 性的には、まだまだと思っていても、若いときのように、「いつも」というわけにはいかない。そ
のタイミングをつかむのがむずかしい。そのタイミングをはずすと、とたんに性的な興味を失
う。

 仕事は、職種にもよるのだろうが、無理ができない分だけ、下向きになる。とくに私のような
自営業は、そうだ。だから何かと、落ちこみやすくなる。この年齢というのは、うつ病になりやす
い。私も、その予備軍の一人?

 さてさてそのYOM世代。その一方で、若い人たちを見ると、「これではいけない」と思う。「もう
少し、がんばってやろうか」という気持ちも、そこから生まれる。ただ、かわいそうなのは、上
(親)に取られ、下(子ども)に取られるという、まさに「両取られ」の世代であること。

 私の年代というのは、親に貢ぐのが当たり前だった。しかし子どもたちは、私という親には、
貢がない。今では、結婚式の費用から、新居の費用まで、親が出す時代である。

 我ながら、YOM世代は、本当にかわいそうな世代だと思う。ホント!

 加えて、夫婦関係も、おかしくなる。もっとも私の世代になると、夫婦も、つぎのようなパターン
に分かれる。

(1)円満夫婦
(2)仮面夫婦
(3)家庭内別居夫婦
(4)離婚寸前夫婦
(5)妥協夫婦
(6)あきらめ夫婦
(7)友だち夫婦、など。

 それまでの結婚生活の総決算が、この時期、どんとやってくる。そのまま離婚してしまう人
も、少なくない。それもたいていは、妻のほうから、離婚の請求があるという。(私もあぶな
い?)

 ある妻(55歳)は、夫(60歳)にこう叫んだという。「私の人生は何だったのよ。私の人生を、
返して!」と。妻に対して権威主義的で、仕事一筋だった夫ほど、あぶないらしい。

 では、どうしたらよいのか。どうすべきなのか。

 YOMの研究は、今、始まったばかり。何しろ、この「YMO」という言葉は、私が考えた。(こん
なことを、自慢するほうも、どうかしているが……。)これから先、じっくりと、腰を落ちつけて、考
えてみたい。


●QUIZ

【Q1】

 A子さんと、B子さんは、同じお母さんから、同じ日に生まれた。今年の3月1日に、二人とも、
満6歳になる。それにA子さんと、B子さんは、顔がそっくりである。他人が見ても、区別が、つ
かない。しかし私が、お母さんに、「双子(ふたご)ですか?」と聞くと、お母さんは、笑いながら、
こう言った。「いいえ、双子ではありません」と。A子さんと、B子さんは、双子ではないという。こ
んなことがあるのだろうか。

【Q2】

 A君とB君は、兄弟である。A君の名前は、サトシ。10歳。B君の名前も、サトシ。5歳。ところ
が、である。私が母親に、「どうして、二人とも、同じ名前なのですか?」と聞くと、母親は、こう
言った。「????????」と。

 母親は、何と言ったのだろうか。

(Q1、生徒たちから、聞いた問題。Q2は、オーストラリアの友人から、聞いた問題。)

************
この答は、この少し先に
書いておきます。
************

こうした問題は、一定の固定観念にしばられると、何がなんだか、わけがわからなくなってしま
う。頭をぐんと、やわらかくして、考えなければならない。

 Q1の問題は、最初、子どもたちから聞かれたとき、私は、「生まれた年がちがうのだろう」
「お父さんがちがうのだろう」「年齢がちがうのだろう」と、聞いた。が、子どもたちは、そのつ
ど、「ちがわないよ」と答えた。

 で、ますますわからなくなってしまった。「同じお母さんから生まれたの?」と聞くと、「うん、そう
だよ」と。しかし、双子ではないという。どう考えたらよいのか?

 (Q2)の問題は、オーストラリアの友人から、聞いた話をもとに、私が、作った。

 何でも、その家には三人の息子がいるという。三人とも、しかし「エドワード」という名前だとい
う。

 そこである人が、「不便ではありませんか」と聞くと、その母親は、こう言った。

 「いいえ、便利です。『エドワード、助けて』と言うと、三人が、みな、いっしょに助けてくれます」
と。

 そこでその人が、「では、三人を、別々に呼ぶときはどうするのですか」と聞くと、その母親
は、こう言ったという。

 「父親が、みな、ちがいますから、セカンド・ネームで呼びます。長男が、エドワード・ランダ
ン、二男が、エドワード・ウィルソン、三男が、エドワード・ジャクソンです。ですから長男だけを
呼びたいときは、『ランダン、こっちへ来て』と言います」と。

 ここまで書いたら、Q1の答が、わかってしまうが……。


●3月31日号

 この原稿は、マガジンの3月31日号に掲載する予定です。昨日、3月29日号の配信予約を
すませたところです。ちょうど、約1か月先まで、原稿の配信予約をすませたことになります。

 何となく、本格的になってきたぞ、という感じです。

 そこで読者の方に、お願い。

XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

(1)どうか、こういうマガジンの興味をもってくださいそうな方に、このマガジンのことを話してい
ただけませんか?

(2)現在、有料マガジンをまぐまぐ社のほうから、発行しています。月額の料金は、200円で
す。もしよろしかったら、どうか、そちらで、マガジンをご購読ください。まぐまぐプレミア版のほう
では、そのつど、HTML版(写真つき、カラー版)を、提供しています。

(3)BW教室の生徒さんを募集しています。4月からの新年中児、新年長児のみなさんに来て
いただければ、うれしいです。新小1〜3の方も、ご希望であれば、お声をかけてください。

(4)賛助会への協力をお願いしています。マガシンの運営費として、協力していただけるような
ら、よろしくお願いします。子育て相談など、何かと便宜をはからせていただきます。

XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX

 こうしたみなさんのご協力を得て、マガジンを発行しています。よろしくご理解の上、ご協力く
ださいますよう、お願い申しあげます。

 で、まぐまぐプレミア版を発行して、一か月(本当は、一週間)になります。やっと、落ちついて
きたといったふうです。つまり以前のリズムにもどった感じです。「有料」ということで、最初は、
かなり緊張しましたが、私にとっては、よい経験になりました。

 今しばらくは、Eマガのほうも、同じように発行していくつもりでいますが、5月ごろから、Eマガ
のほうは、簡略版にさせていただければと思います。(あくまでも予定です。そのときの精神的
負担をみながら、考えさせてください。)

 BIGLOBE社の(メルマガ)のほうは、3月から、ときどき(随時)発行ということにさせていた
だいています。もし末永く読んでくださるということであれば、まぐまぐプレミア版の購読を、お願
いします。こちらのほうは、最優先で、発行していきます。

 以上、お願いすることばかりですみません。これからも、今までどおりに、マガジンを発行して
いくつもりです。分量が多すぎるという苦情は、よくいただきますが、そのうち私も元気がなくな
れば、減ってくるものと、思います。今しばらく、がまんをお願いします。

 そういえば、今朝(3月5日)、あの長嶋茂雄元ジャイアンツ監督(ミスター・ジャイアンツ)が脳
卒中で倒れたというニュースが飛びこんできました。私が子どものころ、私にとっては、あこが
れのヒーローであっただけに、ショックでした。ああいう人には、いつまでもがんばってほしいと
願っています。

 みなさんも、どうか、お体を大切に。


●ピグマリオン効果

 昔、キプロス島に、ピグマリオンという若い王子がいた。その王子は、彫刻家で、やがて一人
の美しい女性像を彫りあげる。

 が、ピグマリオンは、その像のあまりの美しさに、心を奪われ、やがてその像に恋をするよう
になる。

 その熱心さにほだされ、天から見ていた神が、その像に命を吹きこむ。やがてピグマリオン
と、その人間となった女性は結婚し、子どもをもうける。

 何ごとも、熱心に思い願えば、やがてかなうということを、この物語は教えているが、それか
ら、『ピグマリオン効果』という言葉が生まれた。

 子どもの世界でも、『子どもは信ずれば伸びる』という大鉄則がある。「あなたはすばらしい
子」と親が、心底思っていると、その子どもは、必ず、すばらしい子どもになる。

 ただし本心でそう思うこと。ウソではいけない。ウソだと、それがバレたとき、その子どもはか
えってキズつき、自ら伸びる芽をつんでしまう。

 こういうことは、教育の現場では、よくある。

 初対面のとき、「この子は、むずかしそうな子だな」と思うと、その子どもは、やがて伸び悩
む。それだけではない。長い時間をかけて、私を嫌うようになる。

 反対に、「この子は、いい子だな」と思うと、その子どもは、やがて伸び始める。表情も、明るく
なる。

 だから私は初対面のときから、「この子は、いい子だ」と、自分に言って聞かせるようにしてい
る。それは子どものためというより、自分の職場を楽しくするためでもある。

 そういうふうに思って子どもに接していると、一年後、二年後には、たいへん伸びやかで、明
るい子どもになる。

●受験指導

 受験指導の一番いやなことは、生徒との間に、豊かな人間関係が、できないこと。子ども自
身も、求めて来ているからではないからだ。

 たとえば英語を教える。そのとき、子どもは英語の楽しみを味わう前に、「テストの点は何点
だった?」と、親に言われる。それはたとえて言うなら、旅をしながら、その旅の風景を楽しむ
前に、進んだ距離を問われるようなものである。

 よく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入るというのは、目的でも何でもない。「入って
どうする」という部分がないまま、子どもたちは、受験競争へとかりたてられていく。

 しかもその高校や、大学は、「入れる高校」「入れる大学」「入れる学部」という視点で、選んで
いく。もともと目的がないから、大学へ入っても、勉強しない。そんな珍現象が、この日本で起
きている。

 どうして日本の親たちは、こんなことがわからないのかと思うときがある(失礼!)。

 目的というのは、自分の志向性にそったゴールをいう。子どもの志向性を知り、その志向性
をうまく伸ばしていく。それが教育である。

 今でも、勉強しかしない。勉強しかできない。よい点数を取ることだけが趣味になっているよう
な、どこか「?」な受験生は、いくらでもいる。もちろんこういう受験生ほど、今の受験体制の中
では、有利。もちろん大半は、すばらしい受験生たちである。しかし全部が全部、そうだという
わけではない。

 こうした受験生が悪いとは思わないが、しかし本当にそのままでよいとは、だれも思っていな
い。つまりそういった疑問と戦うのも、受験指導の一つになっている。

 一部の人が、エリート意識をもつのは、その人の勝手だが、しかしその人がエリート意識をふ
りかざせばかざすほど、そうでない人たちが、不必要に、小さくならなければならない。

 エリート意識をもっている人も、学歴コンプレックスをもっている人も、一度、自分の心の中
を、しっかりとのぞいてみてほしい。「あなたは幻想に溺れていないか」、あるいは「幻想にだま
されていないか」と。


●コンプレックス

 日本で、「コンプレックス」というと、「劣等感」のことと思う人が多い。しかし英語では、劣等感
というのは、正確には、「inferior complex(劣等性コンプレックス)」という。

 もともと「コンプレックス」というのは、「自分では、どうにも抑制できない心的反応」(心理学辞
典)のことをいう。

 マザーコンプレックス、エディプス・コンプレックス、カイン・コンプレックス、ロリータ・コンプレッ
クスなどが、よく知られている。

 よく誤解されるので、ここで改めて、念を押しておきたい。

++++++++++++++++++++++

【Q1の答】

 A子さんと、B子さんは、三つ子のうちの二人であった。だから「双子(ふたご)」ではない。(論
理的には、四つ子でも、五つ子でもよい。)


【Q2の答】

 母親は、サトシという名前の子どもを連れて、サトシという名前の子どもをもった男性と再婚し
た。

 ほかにもいろいろ考えられる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

最前線の子育て論byはやし浩司(106)

●カナダにお住まいの、Kさんからのメール

 カナダに住んでいる、Kさん(女性、32歳)から、こんなメールをもらった。いろいろと考えさせ
られるメールだった。今夜は、このメールをテーマに、いろいろ考えてみたい。

 Kさんは、10年ほど前、日本へ旅行にやってきた、カナダ人の男性と結婚。現在、夫とともに
モントリオール校外に住んでいる。現在、娘さんが、二人(上が7歳、下が4歳)いる。

 Kさんの夫は、日本でいう老人ホームのようなところで、介護士をしている。

【Kさんからのメール】++++++++++++++

 いろいろご心配をおかけしました。
 母は、くも膜下出血でした。応急処置が、よかったのか、一命をとりとめました。
 ありがとうございました。

 母が倒れたと聞いた、その2日後に、飛行機のチケットが取れましたので、藤枝のほうへ、
(カナダから)、帰ってきました。
夫の仕事のこともありましたから、二人の娘も連れてきました。

しかし病院へかけつけてみると、父と姉が、はげしく言い争っていました。
病院の治療費、保険、それに父の借金のことなどが、原因のようでした。
で、その日は、父とはあまり話をしないで、家にもどりました。

翌日、朝、姉から電話がありました。
そしていきなり、「父さんは、K子(=Kさんのこと)に、一目会わせたら、母さんは死んでもいい
と言っている。私も楽にさせてあげたい」と。

 私は、この言葉に驚きました。それが四年ぶりにあった、姉の言う言葉でしょうか。
 実の娘が、「死んでもいい」と、言うのです。

 で、そのあともたいへんでした。病院のほうから、「二週間後に、治療費の、43万円を払って
ほしい」と言われました。「そんなお金は、ない」と私が言うと、姉が、「あんたは、今まで親のめ
んどうをみてこなかったから、それくらい払うべき」と言うのです。

 モントリオールにいる夫に電話すると、夫も、驚いていました。
 「日本では、そんなにお金がかかるのか」と、です。

 結局、母の治療費の大部分は、保険でカバーされることがわかりました。

 で、こうしてバタバタしている間に、一週間が過ぎてしまいました。二人の娘のうち、下の子の
花粉症がひどくなったので、一度、カナダへ帰ることにしました。

 で、帰るとき、姉の嫁ぎ先(栃木県のF町)へ、姉にあいさつに行きました。
 そこでのことです。

 姉の義理の父親が、私の顔を見るやいなや、こう言いました。

 「この親不孝者。親が、死ぬかもしれないというときに、お前は、病院を離れて、家で寝てい
たというじゃないか。

 お前は、だれに育ててもらったと思っているのか。そういうときは、お前は、死んでもかまわな
いから、命がけで、母親の看病をすべきだ。

 カナダで、のうのうと暮らしている自分が、恥ずかしくないのか!」と。

 私は、その言葉を聞いて、涙がポロポロと出てきました。

 今も、母は、藤枝市のF中央病院で、呼吸器をとりつけたまま、昏睡状態です。脳にたまった
血は、うまく取れたのですが、意識は、まだもどりません。

 カナダを離れることもできませんし、さりとて、日本へ戻っても、することがありません。
 父も、私とは、口をききたくないようです。今の夫と結婚するについても、母は、納得してくれ
ましたが、父は、猛反対でした。

 一度、「お前は、親を捨てた」「オレも、お前を捨てた」と言われたこともあります。

 私たちの家族は、そんな家族です。

こんなこと書いても、何ら、問題は解決しませんが、気が楽になりました。
 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

+++++++++++++【以上、Kさんからのメール】

 このメールの内容を、車の中でワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

 「それじゃ、子どもは、まるで、親のモノあつかいね」と。

 そう、私も、そう思う。たしかに私も、三人の息子を、育てたが、「育ててやった」という意識
は、ほとんど、ない。むしろ、人生を楽しませてもらった。感謝しこそすれ、息子たちに、私に感
謝しろと思ったことはない。

 まったく「ない」とは言わないが、しかしそれを口にしたら、おしまい。……と思っている。

 私とワイフは、息子たちを、望んで産んだ。しかし産んだ以上は、育てるのは、親の義務では
ないのか。どこまでいっても、親の義務。私はワイフに、こう言った。

 「栃木の義理の父親ね、卑怯だと思う。そういうふうに、自分の実娘でもない人向って、『親不
孝者!』と怒鳴るのは、おかしい。いえね、そういうふうに、怒鳴りながら、自分では、正論を言
っているつもりなんだろうね。

 そしてね、そういう言葉の裏で、嫁、つまりKさんの姉に、『お前は、オレには、そういうことを
するなよ』って、言っているんだよ。昔風の親が、よく使う手だよ。

 ぼくの知っている女性(75歳くらい)は、いつも、息子や娘たちに、いつもこう言っているよ。

 『Aさんとこの息子は、偉いもんじゃ。今度、母親を、沖縄へ連れていってやったそうだ』『Bさ
んとこの息子は、ひどいもんじゃ。親のめんどうをみるのがいやで、親を、老人ホームへ追い
やったそうだ』と。

 つまりそういう間接的な言い方をしてね、『お前も、ワシを、温泉へ連れて行け』『お前は、ワ
シを老人ホームへ入れるな』と言っているんだね。

 卑怯な言い方だよ」と。

ワ「Kさんという娘さん自身の、幸福は、どうなるのかしら」
私「いろいろな考え方があると思うけど、ぼくが、その親なら、娘のKさんに、こう言うだろうね。
『カナダから、わざわざ来なくてもいい。来られるときに来ればいい。心配するな』と」
ワ「私も、そうよ。……でも、日本では、親の死に目に会わない子どもは、親不孝者ということに
なっているでしょう」

私「ぼくは、かまわないよ。死ぬとき、お前だけがいてさえくれればね。ほかの人たちは、うるさ
いだけ」
ワ「私もかまわないわ。でも、できたら、息子たちにだけは会いたいわ」
私「だから、今のうちに、うんと会っておけばいい。どうせ死ぬときは、わからないよ」

ワ「そうよ。わからないわよ。その栃木の義理の父親ね、いやな人ね。自分の娘でもない、嫁
の妹に、そんなふうに言うなんて!」
私「きっと、権威主義的な人なんだよ。何も考えず、過去を繰りかえしているだけ。ノーブレイン
の人だよ。今でも、そういう人は、多いよ」
ワ「まだまだ、日本人も、後進国的ね」

私「そうだよ。世界的に見ると、日本人のしていることは、アフリカの原住民のしていることと、
そうはちがわないよ。少なくとも、世界の人は、日本人をそういう目で見ている。それがわから
ないところが、日本人の悲劇だね」
ワ「でも、Kさん、その言葉でキズついたと思うわ」
私「かわいそうだね。ぼくなら、『何も心配しなくてもいい。お母さんの心は、もう安らかだよ。葬
式ということになってもたいへんだから、日本へはこなくてもいいよ。こちらで、しっかりとしてお
くから』と言ってあげるよ」

ワ「私も、そう思うわ。カナダからだと、20時間は、かかるしね」
私「たいへんだよ。大切なのは、今、生きている人が、心穏やかに、安らかに生活することだ。
死んでいく人は、そういう人の幸福を、じゃましてはいけない」
ワ「たとえ、親でも?」
私「そうだよ。ぼくは、子どもに心配をかけたくない。負担もかけたくない。最後の最後までね…
…」

ワ「でも、あなたの葬式は、どうするの?」
私「だれも、来なくても、かまわない。本当に、かまわない。お前だけがいればね。静かに、だ
れにも知られずに、死にたい。通夜(つや)もいらない。あんな儀式、ムダだと思う。葬式なん
て、もっとムダだと思う。大切なことは、それまで、『今』を懸命に生きることだよ」
ワ「私が先に、死んだら……?」

私「ぼくが、ひとりで葬式をしてあげるよ。それとも、みんなに来てほしいかい?」
ワ「そうね、息子たちだけは、来られたら来てほしいわ」
私「わかった。一応、声はかけてみるよ。あとの判断は、息子たちに任せればいい」
ワ「そうね。無理を強いないでね。S(アメリカに住む二男)は、遠いし。いつかヒマなとき、来てく
れればいいわ」
私「そういうふうに言っておくよ」と。

 話をもとに戻すが、子どもは、決して、親のモノではない。

 どうして日本人よ、そんな簡単なことがわからないのか。子どもといっても、一人の人格をもっ
た人間だ。決して、モノと、見てはいけない。

 いつか日本人の意識が変って、親が、子どもを一人の人間としてみるときがきたら、この日
本も、やっと一人前の国になる。私たちが今、親としてすべきことは、そういう日本をめざして、
一歩でも、二歩でも、前に向って歩くこと。

【Kさんへ】

 今度、日本へ来て、大きなカルチャーショックを受けられたみたいですね。
 でもね、振り向かなくてもいいですよ。栃木の義理の父親の言っていることのほうが、おかし
いのです。まちがっているのです。

 そういうノーブレインな人がいるかぎり、日本は、よくなりません。日本は、まだ、あの江戸時
代という、封建時代の亡霊を、色濃く、引きずっているのです。

 過去の因習をもちだす人は、何も考えない、ノーブレインな人という意味です。「過去が正し
い」という前提でものを言うから、話になりません。一見、正論に見えますが、正論でも何でもな
いのです。ただの亡霊です。

 そういう亡霊とは、私のような人間が戦います。あなたはあなたで、前向きに生きていけばい
いのです。

 今どき、「親孝行」だの、「親不孝」だの、そんなこと言っているほうが、おかしいのです。それ
とも、そんな単語が、英語やフランス語にありますか? 

 だいたい「孝行論」を説くのは、子どもをもった、おとなたちです。おかしいですね。自分の子
どもに向かって、「自分を大切にしろ」と教えるのですから……。

 もちろん子どもが、自分で考えて、そうするなら、話は別です。しかしね、Kさん、親子というの
は、ひとつのワクにすぎません。親子といえども、そこは純然たる、一対一の人間関係です。

 もともと強い立場にいる親が、もともと弱い立場にいる子どもに向かって、「産んでやった」
「育ててやった」と、恩を着せるほうが、おかしいのです。日本人は、いつになったら、そのおか
しさに気づくのでしょうか。

 あなたはじゅうぶん、娘として、義務を果たしました。今は、お母さんは、意識がないので、何
とも言いませんが、きっと、私と同じことを考えていると思いますよ。

 「もう苦しまなくてもいいのよ」って、そう言っていると思いますよ。

 だからKさん、勇気を出して、前に進んでください。応援します。

 栃木のお父さんね、あんな人は、無視しなさい。化石のような人ですから。それからお姉さん
の件ですが、あまり気にしないように。お母さんが倒れて、きっと気が動転していたのだと思い
ます。

 仮に関係がおかしくなっても、しかたないでしょう。イギリスの格言にも、『二人の人に、いい顔
はできない』というのがありますね。

 しかたないことです。人生を長く生きれば生きるほど、味方になる人もいれば、敵になる人も
いるのです。私は、あなたの味方になります。ですから、こんなちっぽけな島国のことなど気に
せず、二人の娘さんを、カナダ人として、たくましく育てることだけを考えてください。

 どうか、がんばってください。またメールをください。
(040305)(はやし浩司 家族論 原S)

【付記】

 自分の子どもを育てながら、「私は、子どもの犠牲になっている」と感ずる、親は、少なくな
い。

 理由は、いろいろある。望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。古い
因習を引きずっていることもある。昔は、子どもを、家の財産と考えた。

 日本の親がよく口にする、「産んでやった」「育ててやった」という言葉は、そういうところから
生まれる。

 で、さらにそれが進むと、「大学を出してやった」という言葉にもなる。

 たしかに今、子どもを大学へ送ると、かなりの負担が、親にのしかかってくる。そのため、ほと
んどの家庭では、まさに爪に灯をともすようにして、家計を切りつめ、子どもの学費を送る。

 そのとき、親子関係が、それなりに円満なものであれば、親も、苦労を喜びにかえることがで
きる。しかしそうでないときに、そうでない。

 中には、親のメンツのために、子どもを大学へ送るケースもある。こういうとき子どもは子ども
で、「(親がうるさいから)、大学へ行ってやる」などと言う。

 実際、そういうケースを、私は、知っている。

 アメリカなどでは、この点、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならな
いほど、少ない。奨学金を得るか、さもなければ、自ら借金をしながら、大学へ通う。

 そういうシステムが、完成している。

 で、Kさんのケースでは、Kさんの父親は、Kさんに向って、「親を捨てた」と言う。カナダ人と
結婚して、カナダに住むようになったことを、「捨てた」と。

 しかし、今、そういう時代ではない。「日本だ」「カナダだ」と言っているほうがおかしい。もっと
もKさんの父親が言っている「捨てた」という意味は、「親のめんどうをみる範囲から、離れた」
という意味と考えてよい。「自分のめんどうをみてくれない。だから捨てた」と。

 子ども自身の幸福を考えたら、絶対に出てこない言葉である。だいたい、これほど島国的な
言葉も、ない。またそんなことを言われたら、一番、キズつくのは、Kさん自身である。

 人間というのは、もともと孤独な存在だ。しかしその人間は、結婚し、子どもをもうけることで、
その孤独を忘れることができる。

 しかし孤独が消えるわけではない。「忘れることができる」だけ。やがて子どもたちが巣立つこ
ろ、再び、その孤独が、そこに見えるようになる。そのとき、その孤独に、しっかりと耐えるの
も、まさに親の役目ということになる。

 決して、子どもが、その孤独をもたらすのではない。子どもに向かって、「お前は、親を捨て
た」という暴言を吐く親は、その事実に気がついていない。

 そう、昔、まだ息子たちが小さかったころのこと。仕事の帰りに町で、おもちゃを買って帰るの
が、私の日課になっていた。

 そんなとき、自転車のカゴの中で揺れるおもちゃの箱を見ながら、どれほど、家路を急いだこ
とか。

 家へ帰ると、息子たちがみな、「パパ、お帰り!」と、飛びついてきた。

 私は、息子たちのおかげで、自分の人生を、本当に楽しむことができた。教えられたことも多
い。教えたことよりも、教えられたことのほうが、多いのでは……?

 今、その子育てを、ほとんど終えたが、そういう自分の過去を振りかえってみて、私は、息子
たちのために、犠牲になったという思いは、ミジンもない。

 むしろ、息子たちのおかげで、生きることに張りあいが生まれた。生きがいも生まれた。もし
息子たちがいなかったら、私は、こうまでがんばらなかっただろうと思う。その生きる原動力さ
え、私は息子たちからもらった。

 現に今。私は56歳。体力的にも、限界に近づきつつある。しかし三男が大学を卒業するま
で、まだ三年もある。その三年について、「どんなことをしてでも、あと三年はがんばるぞ」という
思いで、ふんばっている。毎日、健康を維持するために、運動にでかけるのも、そのためだ。

 そういう力も、結局は、息子たちが、くれた。もし私とワイフだけなら、きっと今ごろは、何をす
るでもなし、しないでもなし。そこらの年金生活者と同じような、意味のない人生を繰りかえして
いるだろうと思う。

 こう書きながらも、この日本には、Kさんの姉の、その義理の父親(栃木の父親)のような人も
いる。Kさんの父親のような人すら、いる。また、それなりにうまくいっている親子も、少なくな
い。(それが悪いと言っているのではない。誤解のないように!)

 それは事実だし、そういう人たちの意識を変えることは、容易ではない。あるいは不可能かも
しれない。

 が、今、この日本は、大きく変わろうとしている。フランス革命のような派手な革命ではない
が、しかし今、それに匹敵するような、意識革命が、日本人の心の奥で、深く静かに、進行して
いる。

 こうした流れを、『サイレント革命』と呼んでいる人もいる。日本人の意識が、あらゆる面で、
大きく変わりつつある。

 家族の意識、夫婦の意識、親子の意識、結婚の意識、親戚の意識、「家」に対する意識、職
業意識などなど。すべてが、変りつつある。

 もうこの流れを止めることは、だれにもできない。

 さあ、あなたも、あなたの子どもに、こう言ってみよう。

 「私は、あなたの友だちよ。いっしょに、人生を楽しみましょう!」と。

 たったそれだけのことが、あなたの中に巣くっている、古い意識を、こなごなに破壊する。そし
てあなたの意識が、ちょうどドミノ倒しのドミノのように、日本の中に残っている封建時代の亡霊
たちを、こなごなに破壊する。

 話がどこかバラバラになってしまったが、犠牲心があるということ自体、あなたの子育ては、
どこかおかしいということになる。その「おかしさ」に、できるだけ、早く気づくこと。それはあなた
の子どものためというよりは、あなた自身の、豊かな老後のためである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(107)

●ふと、昔のことを……

だれかが、記憶の向こうで、私の名前を呼んだ。
「声」というのは、おもしろいものだ。
いくら記憶でも、その人の声とわかる。
それだけ、しっかりと脳に、きざまれているためか。

「浩司!」「浩司!」と。
姉か。私の名前を呼んだのは、姉か。

私は、子どものときから、暖かい家庭に、飢えていた。
父がそこにいて、母がそこにいて、家族がそこにいて、
みんなが、笑って、コタツにでも入って、どこか楽しそうに、
話しあう、そんな暖かい家庭に、飢えていた。

しかし私の家には、私の居場所すら、なかった。
一応、私の部屋は、あてがわれていたが、二方を大通りに面した、
冬は、寒く、夏は、暑い、そんな部屋だった。
落ちつかなかった。何をしても、落ちつかなかった。

それでも、当時としては、まだよいほうだったのかもしれない。
南隣のOさんの家は、六畳二間と、土間しかなかった。
そんな家に、両親と、三人の子どもが住んでいた。

道をはさんだ、Iさんの家は、六畳ていどの小さな店と、
その奥に一間しかないような家だった。
そんな家に、祖父と、両親と、一人息子の四人が住んでいた。

だから私たちは、みんな、真っ暗になるまで、近くの寺や、
道路で遊んだ。公園や、山の中で遊んだ。毎日が、そうだった。

缶けり、ぞうり隠し、ゴム跳び、鬼ごっこ、隠れんぼ、
パンコ、コマ回し、人生ゲーム、ワンバウンドテニス、
紙鉄砲、模型作り、野球版ゲーム、ワンバウンド野球などなど。

親は親で、私たちのことなど、かまっていなかった。
喧嘩をしてケガをしようが、またケガをさせようが、
そんなことは、すべて、私たち、子どもの問題だった。

小遣いは、一日、五円がよいところ。五〇銭というコインも、
まだ使われていた。たしか画用紙が一枚、その五〇銭だった。
私は五〇銭をもらうと、その画用紙を買い、絵を描いたり、
そのあと、今度は、切ったりつないだりして、何かを作って遊んだ。

しかし私の心は、いつも、モヤがかかったように、ふさいでいた。
夕方になると、ほとんど毎日、言いようのない不安感に襲われた。
そう、その夕方になると、父が、近くの酒屋で、酒を飲んだ。
私は、それがいやだった。いやで、いやで、たまらなかった。

ふだんは、つまり酒を飲んでいない父は、静かで、ひょうきんな父だった。
しかし、ひとたびアルコールが、入ると、人が変わった。
本当に変った。顔つきも、様子も、歩き方も、そしてしゃべり方も、
すべて変った。変って、怒鳴ったり、家の中のものを、こわしたりした。

いつかその父の顔が、夏の日の夕日を浴びて、真っ赤だったのを覚えている。
酒を飲んだ顔だったかもしれない。だから私はいつごろからか、
夕日が、こわくなった。あの赤い夕日を見ると、今でも、
あのときの父の顔と重なり、背筋がこおる。体がちぢむ。

とっくに忘れてよいはずなのに、どうして今になって、
あのころの私が、これほどまでに鮮明に思い出されるのか。
どうしてこの年齢になっても、夕日が、嫌いなのか。こわいのか。

今日も、小学一年生の生徒たちの顔を見ながら、私は、
自分のその時代を思い浮かべていた。そして「この子たちは、
私のあの時代の中に生きているのだな」と思った。
が、その瞬間、そこに遠い、遠い、時の流れを感じた。

「君たちは、家に帰るのが楽しいか?」と聞くと、みな、
「うん、そうだよ」と笑った。屈託なく、笑った。
「お父さんと、お母さんは、仲がいいか?」と聞くと、みな、
「ラブラブだよ」「仲がいいよ」と、笑った。

目の前にいるこの私は、いまだに重い過去をひきずっているというのに、
この明るさは、いったいどこからくるのか。
「今の子どもたちは、いいなあ」と思ってみたり、その一方で、
「私の子ども時代は、いったい、何だったのかなあ」と思ってみたりする。

時代が、時代だったのか?
私たちは、いつも、おなかをすかしていた。
食べるものはあったが、どれも、私の空腹感を満たさなかった。
大根の煮付けや、ひじき、イモ、豆腐……。そんなものばかりだった。

おかしなことだが、私は、学校の給食が、大好きだった。
学校では、ミルクを飲めた。スープも飲めた。
パンや大学イモを食べることができた。
これらは、家では、絶対に食べることができないものばかりだった。

私にとっては、あの時代が、すべてが暗いトンネルの、
その向こうの世界のように見える。
しかし今、この青い空の下に、そのころの私が、ここにいる。
だからもう一度、小学一年生たちに聞いてみる。

「君たちは、いつか、先生のような、おじいさんになるのかな?」と。
すると、先ほどよりも、さらに大きな声で笑いながら、こう言った。
「ぼくたちは、おじいさんには、ならないよ」と。

子どもたちにしてみれば、彼らの老後など、遠くの、遠くの、
そのまた遠くの、暗闇の中の世界なのだ。
トンネルのこちら側と、むこう側に立って、
私と、子どもたちが、たがいに顔を合わせながら、笑っている。

「先生が子どものころはね、どこの家も、
ボットン便所だったんだよ」と言うと、「何、それ?」と。
「先生が子どものころはね、みんなね、
ゴム靴だったんだよ」と言うと、「何、それ?」と。

で、さらに、「みんなは、いいなあ。やさしいパパと、ママがいるから……」と、
声をかけると、「ううん。ママは鬼ママだよ」と。一人がそう言うと、
みながこれまたつられて笑った。「うちのママも、鬼ママだよ」と。

年をとればとるほど、そのトンネルは長くなる。どんどん長くなる。
今、そのトンネルの向こう側を、懸命にのぞきながら、
私の子ども時代を、今の子どもたちを見ながら、さぐる。

また、だれかが私の名前を呼んだ。
「浩司!」「浩司!」と。
今度も聞き覚えのある声だった。顔も見える。
祖父だ。茶色い着物を着た、祖父だ。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(108)

●予算案、衆議院を通過

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以下、時事評論的で、あまりおもしろくないので、興味の
ない方は、とばしてください。すみません。

私の性格としては、こういう文章が得意で、書くのが好き
なのです。

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 04年度の国家予算案が、衆議院を通過した。

 それによると……という話では、よくわからない。
 そこで、わかりやすく説明すると、こういうことになる。

 たとえて言うなら、今の日本の国家経済は、年収が420万円の人が、借金に借金を重ねて、
820万円の生活を維持しているようなもの。(税収42兆円。一般合計82兆円)

 で、そのたまりにたまった借金が、8130万円。(来年度で、810兆円)つまり年収の、約20
倍! 

(実際には、地方財政、公団、公社の借金もある。あの旧国鉄債務だけでも、プラス20兆円も
ある。特殊法人の負債額だけでも、255兆円(00年)。これらを合計すると、軽く1000兆円を
超える。つまり一家にたとえると、1億円以上の借金ということになる。ゾーッ。1億円の借金だ
ぞ!)

 老人(年金受給者)をかかえているため、420万円のうち、半額以上が、その老人の生活費
のために使っている。しかたないので、今年も、1620万円(国債発行額は、162兆円)の借
金。

 年収420万円の人が、その2倍もかかる生活をつづけ、毎年、1620万円も借金をしたら、
どうなるか? 少し、家計簿をつけたことのある人なら、わかるはず。それにしても、8130万
円とは! そんな借金、どうすればいいのだ!

 ……実は、これが日本の現状である。

 が、オヤジも、同居老人も、仕事はしない。かろうじてがんばっているのは、民間会社に勤め
る、息子夫婦。少しは貯金もたまったようだ。オヤジも、同居老人も、それをアテにして、道楽
ざんまいの生活。今年も、庭や、玄関先を美しくするために、お金をかけることにした。その
額、320万円!

 あああ……という思いで、今日は、「日本の官僚主義」について、考えてみたい。

 念のため申しあげるなら、こうしたムダな生活のツケは、すべて、つぎの世代の子どもたち
が、払うことになる。

わかっていますか? 全国の、お父さん、お母さん!

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 月末のある日の、午後。郵便局で、立ったまま並んで待っていると、五、六人の老人たちが、
それぞれが、100万円近い、札束を、手づかみで、袋に入れてもって帰る。

 年金受給者たちである。しかもその額からして、みな、元公務員の人たち。ごくありふれた光
景かもしれないが、この世相のなかで見ると、どこか異様な感じがする。

 現在、現役の公務員(国家公務員と地方公務員)だけで、この日本には、450万人もいる。
が、実際には、これだけではない。

国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、公
社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。

これらの職員の数だけでも、「日本人のうち7〜8人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。
が、これですべてではない。

この日本にはさらに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施設、社
団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、市町村の
「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、1800団体近くも
ある。

 もうめちゃめちゃな数といってよい。しかも驚いていけないのは、この「数」は、今の今も、肥
大化している。まさに日本が、官僚主義国家といわれるゆえんは、こんなところにある。

 以前、こんな原稿を書いた。一部、重複するが、許してほしい。

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●日本は官僚主義国家

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。学生時代、私が学んだオーストラリ
アの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。「君主(天皇)官僚主義国
家」となっているのもあった。

日本は奈良時代の昔から、天皇を頂点にいだく官僚主義国家。その図式は、二一世紀になっ
た今も、何も変わっていない。首相も、野党第一党の党首も、みな、元中央官僚。

全国四七の都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九の県では副知
事も元中央官僚。七〜九の県では副知事も元中央官僚(〇〇年)。さらに国会議員や大都市
の市長の多くも、元中央官僚(筆者、調査)。

たとえばこの静岡県でも、知事も副知事も、みんな元中央官僚。浜松市の市長も、元中央官
僚。この地域選出の国会議員のほとんども元中央官僚。「長」は、中央から、ありがたくいただ
き、その長に仕えるというのが、このあたりでも政治の構図になっている。(だからといって、そ
れがまちがっているというのではない。誤解のないように!)

その結果、どうなった? 

 今、浜松市の北では、第二東名の道路工事が、急ピッチで進んでいる。その工事がもっとも
進んでいるのが、この静岡県。しかも距離は各県の中ではもっとも長い(静岡県は、太平洋岸
に沿って細長い県)。

実に豪華な高速道路で、素人の私が見ただけでもすぐわかるほど、金がかかっている。現存
の東名高速道路とは、格段の差がある。もう少し具体的にデータを見てみよう。

 この第二東名は、バブル経済の最盛期に計画された。そのためか、コストは、一キロあた
り、236億円。通常の一般高速道(過去五年)の5・1倍のコストがかかっている。一キロあたり
236億円ということは、一メートルあたり2300万円。総工費11兆円。国の年間税収が約42
兆円(04年)程度だから、何とこの道だけで、その四分の一も使うことになる。

片側三車線の左右、六車線。何もかも豪華づくめの高速道路だが、現存の東名高速道路にし
ても、使用量は、減るか、横ばい状態(02年)。つまり今の東名高速道路だけで、じゅうぶんと
いうこと。

国交省高速国道課の官僚たちは、「ムダではない」(読売新聞)と居なおっているそうだが、こ
れをムダと言わずして、何という。何でもないよりはあったほうがマシ。それはわかるが、そん
な論理で、こういうぜいたくなものばかり作っていて、どうする?

静岡県のI知事は、高速道路の工事凍結が検討されたとき(02年)、イの一番に東京へでか
け、先頭に立って凍結反対論をぶちあげていたが、そうでもしなければ、自分の立場がないか
らだ。

 みなさん、もう少し、冷静になろう! 自分の利益や立場ではなく、日本全体のことを考えよ
う。私とて、こうしてI知事を批判すれば、県や市関係の仕事が回ってこなくなる。損になること
はあっても、得になることは何もない。またこうして批判したからといって、一円の利益にもなら
ない。

 あの浜松市の駅前に立つ、Aタワーにしても、総工費が2000億円とも3000億円とも言わ
れている。複雑な経理のカラクリがあるので、いったいいくらの税金が使われたのか、また使
われなかったのか、一般庶民には、知る由もない。

が、できあがってみると、市民がかろうじて使うのは、地下の大中の二つのホールだけ。あの
程度のホールなら、400億円でじゅうぶんと教えてくれた建築家がいた。事実、同じころ、東京
の国立劇場は、その400億円で新築されている。豪華で問題になった、東京都庁ビルは、た
ったの1700億円!

浜松市は、「黒字になった」と、さかんに宣伝しているが、土地代、建設費、人件費のほとんど
をゼロで計算しているから、話にならない。が、それでムダな工事が終わるわけではない。そ
の上、今度は、静岡空港!

 これから先、人口がどんどん減少する中、いわゆる「箱物」ばかりをつくっていたら、その維
持費と人件費だけで、日本は破産してしまう。このままいけば、2100年には、日本の人口は、
今の三分の一から四分の一の、3000〜4000万人になるという。

日本中の労働者すべてが、公務員、もしくは準公務員になっても、まだ数が足りない。よく政府
は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、これはウソ。まっ
たくのウソ!

国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、公
社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数だけで
も、「日本人のうち7〜8人に1人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、これですべてではな
い。

この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施設、社
団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、市町村の
「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、1800団体近くも
ある。

 ちなみに、今の今、公務員(国家、地方公務員)だけでも、450万人もいる! 450万人だ
ぞ!

 今、公務員の人も、準公務員の人も、私のこうした意見に怒るのではなく、少しだけ冷静に考
えてみてほしい。「自分だけは違う」とか、「私一人くらい」とあなたは考えているかもしれない
が、そういう考えが、積もりに積もって、日本の社会をがんじがらめにし、硬直化させ、そして日
本の未来を暗くしている。

この大恐慌下で、今、なぜあなたたちだけが、安穏な生活ができるか、それを少しだけ考えて
みてほしい。もちろんあなたという個人に責任があるわけではない。責任を追及しているのでも
ない。

が、日本がかかえる借金は、1000兆円を超えた。国家税収がここにも書いたように、たった
の42兆円(04年)。国家税収の25倍以上! あなたたちの優雅な生活は、その借金の上に
成り立っている! 

 元公務員の人たちも、そうだ。毎年、「年金の支払いなどのため、一般会計の半額以上が、
特別会計(借金)に組み入れられている」(読売新聞)という事実を、あなたがたは、いったい、
どう考えているのか。わかりやすく言えば、あなたがたが手にする、月額30万円前後の年金
の半額以上は、国が借金に借金を重ねて、払っているということ。

 こういう私の意見に対して、メールで、こう反論してきた人がいた。「公共事業の70%は、人
件費だ。だから公共事業はムダではない」と。

 どうしてこういうオメデタイ人がいるのか。やらなくてもよいような公共事業を一方でやり、その
ために労働者を雇っておきながら、逆に、「70%は人件費だから、ムダではない」と。

これはたとえていうなら、毎日5回、自分の子どもに、やらなくてもよいような庭掃除をさせ、そ
のつどアルバイト料を払うようなものだ。しかも借金までして! それともあなたは、こう言うとで
もいうのだろうか。「アルバイト料の70%は、人件費だ。だからムダではない!」と。

 日本が真の民主主義国家になるのは、いつのことやら? 尾崎豊の言葉を借りるなら、「しく
まれた自由」(「卒業」)の中で、それを自由と錯覚しているだけ? 政府の愚民化政策の中で、
それなりにバカなことをしている自由はいくらでもある。またバカなことをしている間は、一応の
自由は保障される。

巨人軍のM選手が、都内を凱旋(がいせん)パレードし、それに拍手喝さいするような自由は
ある。人間国宝の歌舞伎役者が、若い女性と恋愛し、チンチンをフォーカスされても、平気でい
られるような自由はある(02年)。しかし日本の自由は、そこまで。その程度。しかしそんなの
は、真の自由とは言わない。絶対に言わない。

 少し頭が熱くなってきたから、この話は、ここでやめる。しかし日本が真の民主主義国家にな
るためには、結局は、私たち一人ひとりが、その意識にめざめるしかない。そしてそれぞれの
地域から、まずできることから改革を始める。政治家がするのではない。役人がするのではな
い。私たち一人ひとりが、始める。道は遠いが、それしかない。

●官僚政治に、もっと鋭い批判の目を向けよう!
●ムダなことにお金を使わず、子どもの養育費、学費の負担を、もっと軽くしよう!

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●公務員志望が、ナンバーワン

 02年度の冬のボーナスの結果が、出た。それによると、民間企業は、昨年度より、全体に4
〜5%の下落。しかしこの大恐慌下にあっても、公務員のボーナスだけは、反対にふえつづけ
ている。全体に3〜4%の増加!

 数年前、財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが東京、ソウル、ニューヨーク、
パリの中学二年生と高校二年生、計約3700人を対象に実施。その結果、希望する職業は、
日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、韓国は医
師や先端技術者が多かった。

人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が61・5%と最も多く、米国は「地位と名誉」
(40・6%)、フランスは「円満な家庭」(32・4%)ということがわかった(〇〇年七月)。

 それぞれの公務員の人に、責任があるわけではない。またそういう人の、責任を追及してい
るわけでもない。ただしかし、このままでよいかということ。こうまで日本で、公務員や準公務員
がふえ、またこうまでこうした人たちが優遇されると、日本の社会そのものが、活力をなくしてし
まう。もちろん経済力も落ちる。そのことは、旧ソ連を見ればわかる。今の北朝鮮をみればわ
かる。

元公務員の人たちも、そうだ。毎年、「年金の支払いなどのため、一般会計の半額以上が、特
別会計(借金)に組み入れられている」(読売新聞)という事実を、あなたがたは、いったい、ど
う考えているのか。わかりやすく言えば、あなたがたが手にする、月額30万円前後の年金の
半額以上は、国が借金に借金を重ねて、払っているということ。
 
お金は天から降ってくるものではない。地からわいてくるものでもない。しかしこの日本では、そ
んなわかりきったことすら、わからなくなってきている? H市の市役所に勤めるE氏(四五歳)
は、はからずもこう言った。「デフレになったおかげで、私ら、生活が楽になりました」と。

●知事も市長も、国会議員も、元官僚

 本来なら、政治によって、日本の流れを変えなければならないが、その政治そのものが、官
僚の思うがままに、動かされている。

総理大臣以下、野党の党首すら、元中央官僚。全国四七の都道府県のうち、27〜9の府県
の知事は、元中央官僚。7〜9の県では副知事も元中央官僚。7〜9の県では副知事も元中
央官僚(〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中央官僚。明治の昔から、全
国の津々浦々まで、官僚が日本を支配するという構図そのものが、すでにできあがっている。
こういう国で、構造改革、つまり官僚体制の是正を期待するほうが、おかしい。

その結果、国の借金だけでも813兆円(国の税収は42兆円)(04年)。そのほか、特殊法人
の負債額だけでも255兆円(〇〇年)。「日本は新しいタイプの社会主義国家」と言う学者もい
る。が、だ。さらに驚くべきことは、こういう日本にあっても、公務員や準公務員、さらに官僚体
制にぶらさがる団体の職員数は、減るどころか、今の今も肥大し続けている!

●日本はこれでよいのか?

 この国がこれから先、どうなるか、そんな程度のことなら、中学生や高校生でもわかる。日本
は、やがて行きつくところまで、行く。が、こうなってしまったのは、結局は、日本人が、そのつ
ど、「考える」ということを放棄してしまったからではないのか。その責任は、政府にあるのでは
ない。官僚にあるのでもない。私たち自身にある。

もう一五年も前になるだろうか。明日は国政選挙の日というとき、一人の子ども(小五男児)
が、こう言った。「明日は、浜名湖で、パパとウィンドサーフィンをする」と。私が「お父さんは、選
挙には行かないのか?」と聞くと、「あんなの行かないって、言っている」と。こういう無関心が、
積もりに積もって、今の日本をつくった。

 選挙のたびに、低投票率が問題になるが、その低投票率をもっとも喜んでいるのは、皮肉な
ことに、官僚たちではないのか。国民の政治意識が薄くなればなるほど、好き勝手なことがで
きる。

 また私のようなものが、こんなことを訴えても、何にもならない。彼らにしてみれば、その立場
にない私の意見など、腹から出るガスのようなものだ。その立場にある人でも、この日本では、
反官僚主義をかかげたら、それだけで、排斥されてしまう。仕事すら回ってこない。

あるいはこれだけ公務員や準公務員が多くなると、あなたの家族の中にも、一人や二人は、
必ずそういう人がいる。あるいはあなた自身がそうかもしれない。そういう現実があるから、内
心ではおかしいと思っていても、だれも反旗をひるがえすことができない。へたに騒げば、自分
で自分のクビをしめることになる。

 公務員が、人気業種ナンバーワンというのは、そういう意味でも、実に悲しむべき、現象と考
えてよい。あなたもこの問題を、一度、じっくりと考えてみてほしい。

【追記】

すこし前、K県A高校の校長が、「フリーター撲滅論」を唱えた。「フリーターというのは、まともな
仕事ではない」と。「撲滅」というのは、「たたきつぶす」という意味である。私はこの言葉に、猛
烈に反発した。

その校長が言うところの、「まともな仕事」というのは、どういう仕事のことを言うのか。仕事にま
ともな仕事も、まともでない仕事も、ない。

私は幼稚園講師になったとき、さんざんこの言葉を浴びせかけられた。母にも言われた。叔父
にも言われた。高校時代の担任にも言われた。その言葉で、私はどれほど自信をなくし、キズ
ついたことか。具体的には、30歳をすぎるまで、自分の職業を隠した。

しかし社会的なきびしさという点では、自分で選んだ道とはいえ、その校長とは、比較にならな
い。そういうきびしさが、日本を下から支えているのだ。決して、こういう校長が、日本を下から
支えているのではない。それがわからなければ、一度でよいから、この大不況下で、職業安定
所を出入りする元サラリーマンの気持ちになって考えてみることだ。

それともリストラにあった人は、「まともな人間ではない」とでも、言うのだろうか?


++++++++++++++++++++++

●公務員国家

 子どもをリーダーにするために……と書いて、ハタと困ってしまった。親たちがそれを望んで
いないケースも多い。いろいろな調査結果をみても、最近の親たちは、「子どもたちに就(つ)い
てほしい仕事」として、「公務員」を選んでいるのがわかる。理由は、「安定」と「楽」。

 しかし「教育」というのは、「個人」の立場と、「全体」の立場の二つで考えなければならない。
全体というのは、現時点では、「国」ということになる。国の未来を考えるなら、「競争」と「きびし
さ」がないと発展しない。つまり今までの日本がここまで発展できたのは、その競争ときびしさ
があったからである。またこれから先、日本の未来が暗いのは、その競争ときびしさが、どこか
へ消えてしまったからである。

たとえば今、アジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまった。2015年を境に、日本と中
国の立場は逆転するだろうと言われている。今の今、かろうじて日本が今の日本の立場を守
ることができるのは、日本全体が、いわば世界のサラ金的な役割をしているからにほかならな
い。

 そういう世界情勢も一方でにらみながら、教育を考えなければならない。もっとはっきり言え
ば、仮にこれ以上、(すでに限界を超えて肥大化しているが……)、公務員がふえて、そういう
人たちが、権利の王国に安住するようになったら、日本は、おしまいということ。

国家公務員、地方公務員の数だけで、450万人前後と言われている。が、それだけではな
い。電気ガス事業団体、公団、公社、さらにはこうした人たちの天下り先機関まで含めると、日
本人の労働者のうち、7〜8人に一人が、公務員もしくは、準公務員と言われている。

 それぞれの人には、もちろん責任はない。しかし公務員というのは、本来的にリーダーシップ
をもちにくい職種の人たちである。それはわかる。また組織上、そういうリーダーシップをもて
ばもつほど、集団からは敬遠されるしくみになっている?

 こうした現状を打破するには、二つの方法がある。一つは、思い切って公務員の数を減ら
す。もう一つは、公務員の世界にも、競争ときびしさの原理を導入する。あるいは二つを、同時
進行させる。

公務員になったから、死ぬまで安泰という制度のほうが、おかしい。少なくとも、日本を取り巻く
世界の国々は、そういう常識では動いていない。
(040306)(はやし浩司 公務員 準公務員 原S)

【後記】

 こういう意見を述べると、「林は、共産党員か」と言う人もいる。しかし私はここで、はっきりと
明言しておく。

 私は、共産党員でも、何でもない。「おかしいことは、おかしい」と言う、ただの常識人である。

 それに私が信奉するのは、共産主義ではない。民主主義である。むしろ今の日本の社会
は、「新しいタイプの社会主義国家」と評する学者がいる。これだけ公務員社会が肥大化してく
ると、それもまちがっていない。私は、その「新しいタイプの社会主義国家」にすら、反対してい
るのである。

 どうか、誤解のないように。

 それに同じ公務員でも、学校の先生たちは、まったく別。忙しさという点だけでも、一般公務
員とは、比較にならない。

今、全国の自治体では、教員だけは、約20%アップの給料体系をとっている。しかしそれで
も、足りないのではないのかというのが、私の実感である。

++++++++++++++++++++++++

もう一つ、ショッキングな事実を、掲載しておきます。

+++++++++++++++++++++++++

日本の教育を考える     

●遅れた教育改革

 少し、古い資料で恐縮だが、二〇〇二年一月の段階で、東証外国部に上場している外国企
業は、たったの三六社。この数はピーク時の約三分の一(九〇年は一二五社)。

さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤
退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、コスト高
の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用しない国だか
ら、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)による
情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。

日本が世界を相手に仕事をしようとすれば。今どき英語など常識なのだ。しかしその実力はア
ジアの中でも、あの北朝鮮とビリ二を争うしまつ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TO
EFL・国際英語検定試験で、日本人の成績は、一六五か国中一五〇位・九九年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や理
科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。今では分
数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題で、正
解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそうだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、一〇〇〇近い
分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本に
は数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない。(退職教授でも、たったの一
人だけ。)

ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。

「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たいへん
お粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の参観日
(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まるでプロレスの授業で
した」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立高校
の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを言った。

いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。すると別の教師
が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのがいる」と。そこで私が
「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「みんな、自動車の教習本を読んで
いる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう一五年以上も前のこと。日本では
大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。
「ぼくたちには考えられない」と。

大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり何だかんだといっても、「受験」
が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はも
ちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。

確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、
「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査
よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌクと
生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比ではない。護
送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、二〇年先、三〇年先を見越して、「形」を作らね
ばならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに一〇年
以上も前から、小学三年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市にある、ほとんど
のグラマースクールでは、中学一年で、中国語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語
の中から、一科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、コンピ
ュータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護
の科目もある。もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必
須科目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減して
いるという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教えてくれた。

「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを閉鎖した学校もあ
ります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っているのだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。もっと
はっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方に任
す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの中央に居座る文部官僚たちが、日本の教育を支配するほう
がおかしい。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、
それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をのさば
っている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良な会社
人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会社のために
命を落とせ」という教育に置きかわった。

企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、これからはそういう時代ではない。日本が
国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのような教育観は、
もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(六五歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日
本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、
ムダ、と。

しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、外国旅
行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送るのはムダ」
と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかりとし
た日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校で
は、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、四歳児から
子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立大学で講師をしてい
る知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、教育の目
標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べている。「(教
育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること」(長野県経営者協会会合の
席)と。

オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたちは学校が
終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語を教える必要は
ない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文法
学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者になる
には、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。

もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。こう
いう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとかわいそ
うだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分
の意思を相手に正確に伝えるか、だ。

それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかりにこだわっているから、子どもたちはま
すます英語嫌いになる。ちなみに中学一年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と
答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なものな
のか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切なものな
のか。

仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのか。こうした教
育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生活を営む上で必要
な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほしい。「な
ぜ中学一年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないの
か」と、それを説明してほしい。

その説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。現
に今、中学生の五六・五%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなければいけ
ないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーション・「第三回学習基本調
査」二〇〇一年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こ
ういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。

早くから英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子
どもがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。
早くから教える必要はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生がやる気をなくし
てしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから家庭教育まで押しつけられ
て、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。

ある教師(小学五年担任、女性)はこう言った。「授業中だけが、体を休める場所です」と。「子
どもの生きるの、死ぬのという問題をかかえて、何が教材研究ですか」とはき捨てた教師もい
た。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそれができ
る環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で
考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。教師は
学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたないという制度が
徹底している。

教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えない。だからたとえば親がその教師
と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。するとしばらくすると、教師のほうから親
に電話がかかってくる。こういう方法がよいのか悪いのかについては、議論が分かれるところ
だが、しかし実際には、そういう国のほうが多いことも忘れてはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(109)

●受験シーズン

 今日は、国公立大学前期の合格発表の日(3月6日)。午後12時。ラジオのニュースは、そ
のことばかり。

 「S県の、K県立大学では、合格に喜ぶ受験生たちが、たがいに胴上げをして祝っています」
と。

 ついでレポーターが、合格した受験生にマイクを向けたらしい。

レポーター「だれに、報告しましたか?」
合格した受験生「両親に、電話をしました。それと、部活の顧問の先生です」
レ「喜んでくれましたか?」
受「みんな喜んでくれました。電話をしている間に、涙が出てきました」と。

 私は、そのニュースを聞きながら、K君のことを、心配した。東北にあるT国立大学を受験し
たはずである。

私「K君は、どうだったのだろう?」
ワイフ「合格したかしら?」
私「あの大学は、むずかしいから……」と。

 K君は、幼稚園の年中児のときから、私の教室へ来てくれた。そしてつい数か月前の、昨年
の11月まで、通ってくれた。

 途中、父親が胃がんで倒れ、そのまま他界。それから5、6年。父親がわりとは言わないが、
私は、その何百分の一かの思いをもって、週一回の家庭教師をつづけてきた。

 月謝は、14年前の月謝の半額。率直に言えば、1万円だった。

 本当は、ただでもよかったが、そうすれば、かえってK君やK君の母親が、負担に感じてしま
う。だから1万円だけ、もらった。学生のアルバイトでも、3〜5万円が相場である。医学部の学
生だと、7〜10万円が相場である。

ワ「K君は、心のやさしい子だったわね」
私「そう、ああいう子どもが成功しないようでは、この世はおしまいだよ」
ワ「本当に、そうね」と。

 が、その日、数時間待ったが、K君からは、何も連絡はなかった。何度も、留守番電話をの
ぞいてみたが、伝言も入っていなかった。

 そんなとき、書斎にいると、ワイフから、「○○町のAさんから、電話!」と。

 電話口に出ると、Aさん(A子さんの母親)が、興奮したおももちで、「先生、うちの娘が、AA大
学に合格しましたア!」と。

 Aさんというは、やはり幼稚園の年中児のときから、中学三年生まで教えた生徒である。頭の
中で、Aさんのことを懸命に思い出しながら、「よかったですね」と。喜んでみせるものの、どこ
か気分が晴れない。

 私は、もともとそんな器用な人間ではない。一応、その場をとりつくろうのはうまいが、しかし
心の中身まで、変えることはできない。やはりK君のことが気になる。

 夕方になって、青い空が色を失い始めたころ、昼のニュースを思い出していた。そして、ふ
と、こう思った。

 「あのラジオの受験生は、部活の顧問の先生に報告したという。そしてその顧問の先生は、
その子どもの合格発表を、喜んだという。しかしそれは本当だろうか」と。

 とくに思い入れの深かった子どもは別として、10人の受験生のうち、5人が合格して、5人が
不合格だったら、その先生は、どんな気分になるのだろうか。先生にもよるのだろうが、私の
ばあい、不合格になった子どものほうが、合格した子どもよりも、何倍も、気になる。

 合格した子どもと、不合格になった子どもが、半々のときは、喜びと落胆が半々になるという
わけではない。いや、そういうことはありえない。9人合格しても、1人不合格になれば、喜び
は、帳消しになる。

 合格した子どもの電話を受け取って、喜んでみせる。が、その直後、今度は、不合格になっ
た子どもの電話を受け取って、悲しんでみせる。そんな器用なこと、できるのだろうか。

 夜になっても、K君からは電話がなかった。私もワイフも、そのことについては話さなかった。
どこか気分がふさいだままだった。

 そんな私から、みなさんへ、一言。

 私のような仕事をしているものが、本当にうれしいのは、子どもの合格ではない。本当にうれ
しいのは、不合格になった子どもが、電話をしてきて、「先生、だめでした」と言ってくれること。

 不合格になったのがうれしいのではない。不合格になっても、それを乗りこえて、「がんばりま
す」と言ってくれるのが、うれしい。

 私の幼児クラスの生徒たちも、毎年一月に、地元のS小学校の入学試験を受ける。私自身
は、入試の結果については、いっさい、関知しないようにしている。が、それでも、合否の情報
は、否応なしに、耳に入ってくる。

 私がいくら、「BW(=私の教室)は、受験塾ではありません」と言っても、その段階で、教室を
去っていく人は、何割かいる。合格したので、去っていく人。不合格だったので、去っていく人。
しかしそういう人の中で、不合格になっても、来てくれる人がいる。

 私は、そういう生徒をみると、本当にうれしい。どういうわけか、うれしい。私の指導方針を本
当に理解してくれる人というのは、そういう人をいう。だから、うれしい。

 そういうとき、私は、心の中で、こう叫ぶ。「あなたが来るというなら、いつまでも、どんなことが
あっても、教えてあげるからね」と。

 K君も、そういう子どもだった。みんなが受験塾へ移るときも、彼だけは、残ってくれた。また
K君は、高校入試では、地元でもナンバーワンと言われているS高校の受験にも失敗してい
る。それでも来てくれた。

 だから私は、最後の最後まで教えた。たった一人の生徒だったが、教えた。それが私のやり
方だった。

 夜、九時になった。電話はなかった。

 だから、私から、電話をしてみることにした。私のほうから、こういうことで電話するのは、この
10年で、はじめてのことだった。

 最初、電話には、K君の母親が出た。

母「大学は、東北大学をやめて、東工大にしました。で、結果発表は、10日なんです。今のと
ころ、慶応と、東京理科の両方に受かっています」と。

 つぎにK君が出た。

私「センター(試験)では、何点取ったのか?」
K「900点満点中、748点、取れました」
私「エーッ、すごいじゃないか。よくがんばったね」
K「うん」と。

 センター試験で、700点取れば、国公立大学の医学部にさえ進学できる。K君は、748点だ
という。

私「東工大は、心配ないね」
K「うん」と。

 よほど自信があるのか、声は明るかった。

 私は、ほっとした。うれしかった。本当に、うれしかった。何と言っても、私が14年間、教えた
子どもである。それも最後まで私の教室に残ってくれた。

 私はいつもそのK君を教えながら、「高校生を教えるのは、K君が最後だ」と、心に言い聞か
せていた。そう、K君が、その最後の生徒になった。これで私は、高校生の指導から、心置きな
く、引退できる。

 3月6日。今日は、国公立大学入試の合格発表の日。今、時刻は、9時20分になったとこ
ろ。やっと、心の霧が晴れた。
(040306)(はやし浩司 最後の高校生 久保田君 大学入試 原E)

【高校生を教えるとき】 

 K君は、私にとって、最後の高校生になった。

 その高校生を教えるときの、最大のコツは、「教えないこと」。
 本人のやりたいように、やらせ、あとは、暖かく無視すること。もちろん質問をしてきたとき
は、別である。そのときは、教える。しかし、暖かく無視するのが、一番、よい。理由がある。

 週1回、2時間程度、家庭教師をしたくらいでは、絶対に、成績は、伸びない。大切なのは、
教えることではなく、勉強グセをつけること。

 よく予備校のコマーシャルか何かで、講師が、ガンガンと、がなって指導している風景が紹介
される。

 しかし高校生のばあい、そういう指導で、効果があるのは、低いレベルの学生と考えてよい。
K君のように、トップクラスをねらうときは、大切なのは、「勉強グセ」。教える側は、ただ静か
に、それを見守る。

 あとは、方向性だけは、つけてあげる。参考書の選び方や、勉強方法など。そう、教えるの
は、「方法」であって、「中身」ではない。

 本人は、そういう教え方を、不安に思ったりするかもしれない。そういうときは、受験指導では
なく、今度は、人間的な指導をする。人生論や、哲学や心理学の話をする。それをするから、
「指導」という。

 要するに、安心感を与えるということか。K君も、勉強というよりは、どこか息抜きにきていた
ようなところがある。とくに高校三年生になってからは、そうだった。

 年末に近づいたとき、私は、K君に、こう言った。

 「もう、時間がもったいないと思ったら、来なくていいよ。自分で判断するんだよ」と。

 しかしK君は、最後まで来てくれた。そしてこれはあとからK君のお母さんから聞いた話だが、
K君は、「毎晩、かわいそうなくらい勉強しました」とのこと。つまり自分でそうするように、子ども
を誘導していく。

 が、実際、高校生を教えるのは、決して、楽ではない。まさに体力と知力の勝負。このところ、
その限界を強く感ずる。だから、私は、K君を最後に、高校生の指導からは、手を引くことにし
た。

 もしみなさんの中で、家庭教師にせよ、何であるにせよ、高校生を指導することがあったら、
ここに書いたことを、思い出してみてほしい。きっと、役にたつと思う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(110)

【近況・あれこれ】

●ゴミの中に咲く花

 ワイフとドライブしているときのこと。

 少し複雑な、六つ角(五本の道が、複雑に、三叉路と四つ角をつくっているところ)へ、さしか
かった。私たちは、進入してくる車のために、かなり手前に車をとめた。

 するとそこへ右のほうから、車がやってきて、その車も、かなり手前で、車を止めた。やはり
進入してくる車のためである。

 ふだんだと、その六つ角は、ギリギリまで車を寄せあうところである。そしてそのたびに、不愉
快な思いをするところである。ときに、進入してくる車と、「どけ!」「お前こそ、どけ!」と、喧嘩
になることもある。

 また手前に車を止めると、うしろからクラクションを鳴らされることもある。「前につめろ」という
合図である。あるいはさらにそういう止め方をすると、右方向からつぎつぎと車がやってきて、
自分たちの車は、大通りへ出られないこともある。

 しかし私たちは、いつも、かなり手前に、車をとめる。するとたいてい、右側からきた車が、そ
こへ割りこんでくる。しかし、昨日は、ちがった。右側の車も、かなり手前に止めた。

「珍しいね」と私が言うと、ワイフもそれに気づいたのか、「そうね」と。

 で、やがて信号が、青になった。車が一斉に、動き出した。そのときのこと。私たちが遠慮が
ちに車を走らせると、右側の車も、どこか遠慮がちに、こちらの動きをうかがっているといった
ふうだった。

 で、そういうふうに、たがいに遠慮がちに車を走らせながら、私たちの車が先になって、大通
りへ出た。

「ああいう、いいドライバーもいるんだね」と私。
「本当に、いいドライバーね。この浜松では、珍しいわね」とワイフ。

 この浜松では、ここ数年、本当に、ドライバーのマナーが悪くなった。信号が黄色になって、
車を止める人は、まず、いない。赤になっても止めない。さらに隣の信号が、青になっても、止
めない。

 そのため、交差点は、あぶなくてしかたない。横断歩道でも、青になったから……と、自転車
で走りかけると、その前を、猛スピードで、車が走りぬけたりする。

 そういうとき、そういうドライバーを見ると、うれしくなる。車の中で、私が、「ゴミの山の中で、
小さな花を見たようだ」と話すと、ワイフは、「少しおおげさじゃあない」と。

 しかし、私は、そう感じた。


●日本語の不思議

私は、「草」と「臭い」は、関係があると思う。「草の臭いがするから」「臭い」。つまり「臭い」の「ク
サ」は、「草」からきている、と。

 もともと日本語があったところへ、あとから中国語(漢字)がやってきた。こういう例は、少なく
ない。

 「カミ」というときは、「紙」「神」「髪」「上」など、いろいろに意味する。しかし全体としてみると、
上にあるものを、「カミ」という。「紙」にしても、昔は、高価なものであったらしい。あるいは祭事
のときに、使われたのかもしれない。

 ほかにもこうした例はある。

 「車で、来る」など。「車」の「クル」は、「来る」から派生したとも考えられる。(どこか苦しいが
……。)

 「木を切る」も、そうだ。「木」の「キ」と、「切る」の「キ」も、どこかつながっている。「木を切る」
から、「木る」となり、それに、漢字の「切」をつけた。

 もともと日本語というのは、そういう意味で、単純な言語である。こういう例は、世界を歩いて
みると、よくある。

昔、タイの学生が、「タイの大学では、理科は、英語で勉強している」という話を聞いたことがあ
る。「どうして?」と聞くと、「タイには、そういう専門用語が、まだないから」と。

 語彙(ごい)の数が、不足しているというわけである。

 で、単純ということは、未完成ということにもなる。「私は東京へ行く」でも、「行くのよ、私、東
京へ」と言うこともできる。「東京へさ、行く、私」と言うこともできる。語法など、あってないような
もの。

 つまりそれだけ、いいかげん。あいまい。

 で、今という時点においても、日本語が、どんどんと変化しているのがわかる。最近では、文
の終わりに、「シー」をつける子どもが多い。

 「ぼくは、行きます」というのを、このあたりの子どもは、「ぼく、行くシー」という。おかしな日本
語だが、みなが使うようになると、そのおかしさが消える。つまり日本語は、今の今も、進化中
ということになる。(あるいは退化中?)

 しかしこれだけはげしく変化すると、私ですら、ついていけなくなる。「きちんとした日本語で、
話せ」と言うと、「先生の言っていること、おかしいシー」と。

 とくに乱れているのが、インターネットの世界。(正確には、携帯電話の世界というべきか。)

「オイラのHPへの訪問ありがとうございます^^
人間ドックって体大丈夫なんですかぁ??^^;
ご家族のためにも健康でいてくださいね^^
でわまたのご訪問お待ちしていま〜す」と。

 無断で、あるサイトのBBSから拾ってみた。しかしまだこれなどは、よいほうなのかもしれな
い。意味がわかる。

 ところで私の書いている文体を、みなさんは、どう思うだろうか。古臭いと思うだろうか。多
分、そうだろう。私も若いころ、50代、60代の人が書いた文章を、読むことができなかった。
恐らく、みなさんも、そういう印象をもっているかもしれない。

 つまり日本語は、それくらいハ早いスピードで、変化しているということ。こんな例は、ほかに
は、ないのではないかと思う。つまりそれだけ、日本語は、原始的ということ。少なくとも、まだ
言語として完成されていない。

 最初に私があげた、同音異義の言葉が多いというのも、その理由の一つと考えてよい。


●自己効力感

 自己効力感……わかりやすく言えば、達成感のこと。「ヤッター」「できたあ!」という思いが、
子どもを伸ばす、原動力となる。

 つまり子どもは、まわりの環境に対して、変化を与えることの喜びを感ずる。いいかえると、
子どもは、いつも、何らかの形で、周囲に、働きかけようとする。これをW・H・ホワイトという学
者は、『コンピテンス』と呼んだ。わかりやすく言うと、「環境に対する交渉能力」ということにな
る。

 この能力をじょうずに育てることが、子どもをやる気のある子どもにするコツ、ということにな
る。

 といっても、むずかしいことではない。

 『求めてきたときが、与えどき』と覚えておくだけでよい。

 たとえば乳児であれば、おっぱいを求めてきたら、すかさず、ていねいに答えてあげる。さら
に大きくなって。何か新しいことができるようになったら、「よくできたわね」とほめてあげる。

 こういう環境の側からの反応を見ながら、子どもは、達成感を覚える。この達成感が、自己
効力感となり、その子どもを伸ばす。

 好奇心の旺盛な子どもは、こうして生まれるが、好奇心のあるなしは、子どもの行動を、少し
観察すれば、わかる。

 たとえばそっと、ひとり遊びをさせてみてほしい。そのとき、自分のまわりから、つぎつぎと新
しい遊びを発見したりしていくようであれば、好奇心の旺盛な子どもということになる。そうでな
い子どもは、遊びも単一化され、固定化される。ひとり遊びをさせると、「退屈ウ〜」「おうちへ
帰ろうウ〜」とか言って、ぐずりだす。

 もちろん過干渉、過関心などによって、親の趣向をおしつけてはいけない。子どもは子どもで
あって、あなたとは、別の人格をもった人間である。

 そういう一歩退いた見方が、子どもを伸ばす。


●子育て論と健康論

 子育て論は、どこか健康論に似ている。

 子育てがうまくいっている人には、子育て論は、必要ない。日々の子育てが、自然な形で、で
きていく。

 同じように、健康な人に、健康論は、必要ない。日々の健康が、自然な形で、できていく。

 子育て論にせよ、健康論にせよ、それが必要になるのは、何か、問題が起きたとき。が、問
題がなければ、必要ない。

 そこで子育て論にせよ、健康論にせよ、どうすれば、必要がなくなるか。実は、それについて
話すのが、究極の子育て論であり、健康論ということになる。

 たとえばざっとみても、難解な(私が説くような)子育て論など、まったく知らないような人でも、
実にじょうずに子育てをしている人がいる。

 一方、頭の中に、子育て論がいっぱい入っているはずなのに、子育てで失敗している人もい
る。

 それはたとえて言うなら、健康論に似ている。

日々に、とくに気をつかっているふうでもないのに、健康な人がいる。しかし健康に気をつかい
ながら、毎週のように、あちこちの病院に通っている人もいる。

 こうしたちがいは、どこから生まれるか?

 それを知るためには、「原点」にもどればよい。

 野に遊ぶ鳥や動物たちは、だれに教わるわけでもないのに、じょうずに子育てをする。もちろ
ん健康である。

 同じように人間も、過去数十万年の間、そのほとんどの期間、子育て論も、健康論も、必要
なしに生きてきた。つまり私たちの内部に潜む、「原点」にもどればよい。

 ただ今は、社会や、親や子どもたちを包む環境が、あまりにも複雑になりすぎてしまった。つ
まりその「複雑になりすぎた」分だけ、子育て論が、複雑になってしまった。しかし健康論の原
点が一つであるように、子育て論の原点も、一つである。

 むずかしいことではない。自然体にもどればよい。親も、子どもも、自然体にもどればよい。
あるがままの状態の中で、あるがままの子どもを認め、あるがままに子育てをする。無理をし
てはいけない。へたにがんばってはいけない。それこそ、「トビをワシにする」ようなことはして
はいけない。

 あとは自然の成りゆきにまかす。

 健康だって、そうだ。不自然な生活をするから、病気になる。本来、体を動かすべきときに、
動かさないから、病気になる。鍛えるべきときに、鍛えないから、病気になる。すべきことをしな
いから、病気になる。あるいは、愚かな人は、タバコを吸ったりして、自ら病気になっていく。

 このところ、「子育てって、もっと簡単なはずなのに」と思うことが多くなった。いろいろな親か
ら、相談を受けるたびに、そう思うようになった。極端な例だが、たとえばある母親が、「どうす
れば、もっと勉強ができるようになるでしょうか?」という相談をしてきたとする。

 そういうとき私は、ふと、「あきらめて、今の状態で満足しなさい」と言いそうになる。しかし考
えてみれば、これにまさる正論はない。その正論をねじまげようとするから、話が、おかしくな
る。複雑になる。

 私の健康を維持するために、私には、むずかしい医学論など、必要ない。私は今日も、自分
の健康を心のどこかで確認しながら、日課としての運動をこなせばよい。だからよけいに、こう
思う。

子育て論は、どこか健康論に似ている、と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(111)

●子どもをからかう

(1)丸を、5個かいた、カードを見せる。うち一個は、指で隠す。「いくつありますか?」と聞く。す
ると子どもたちは、「4個!」と答える。

(2)「残念でした」と言って、指をとる。「丸は、5個でした」と。子どもたちは、「ずるい!」と言っ
て騒ぐ。

(3)今度は、丸を6個かいたカードを見せる。うち2個を指で隠す。そのとき、ほんの少しだけ、
隠した丸が見えるようにする。今度は、子どもたちは、「5個!」と答える。見えている丸が、4
個。それに1個、加えて、5個ということになる。(2)と同じように、「残念でした、丸は6個でし
た」と言う。たいていこの段階で、子どもたちは、興奮状態になる。

(4)つぎに丸を4個かいた、カードを見せる。中央部を大きく、指で隠したフリをする。今度は、
何も隠していない。が、子どもは、すなおに、「4個」とは言わない。「また隠しているんでしょう」
とか、「5個かな、6個かな」と言う。

(5)そこで私は、指をはずして、「4個でした」と言う。

(6)さらに、今度は、すみのほうに、小さな丸をかいたカードをあげる。指先で軽く隠す。丸は、
小さな丸も含めて、5個。が、子どもたちは、疑い深そうにカードをながめながら、「4個かな…
…?」と答える。

こうして、レッスンをつづけていく。子どもたちは、ますます興奮状態になっていく。

……といっても、何も、私は、子どもをからかっているのではない。思考力を刺激する、一つの
方法として、ここに例をあげてみた。

 まず一枚のカードを見せる。この情報は、目を通して、網膜に反映される。その反映された情
報は、視床下部を中継して、後頭葉にある視覚野に入る。

 その後頭葉の視覚野に入った情報は、一度、ここで、二次、三次の処理がなされて、必要な
情報だけが、よりわけられる。

 「カード全体」から、「丸」だけを抽出するわけである。

 そしてそこで処理された情報は、二手に分かれて、大脳の連合野に送られる。

 一つは、頭頂葉連合野。ここでは、位置関係などを判断するとされる。

 もう一つは、側頭連合野。ここでは、モノの判別をするとされる。

 こうして目でとらえられた情報は、大脳の中を瞬時にかけめぐり、丸の数を判断する。4個の
丸を見た子どもは、「4個!」と答える。

 実際には、こうした処理は、脳の中で、瞬時になされる。しかしこれはあくまでも情報の処理
でしかない。

 そこで私は、指をはずして、「5個だ」と教える。するとここで子どもは、その意外性に驚く。「ま
さか先生が、だますはずはない」という先入観は、ここで破壊される。

 ここで重要なことは、固定回路の破壊である。人間は、一定の行動パターンで動いていると、
その行動パターンに支配される。

 決して悪いばかりではない。こうしたパターンがあるから、人間の行動は、スムーズに流れ
る。が、その行動、および思考パターンが、子どものものの考え方を、固定化する。

 で、つぎに今度は、二個丸を隠したカードを見せる。

 すると子どもたちは、すでに学習しているため、今度は、見えている丸に、1を加えて、「5個」
と答える。

 が、隠れていたのは、2個。だから私は、「残念でした。6個でした」と言う。

 同じようなパターンで、子どもは、それまでの学習した経験を、この段階で、再び、破壊する。

 こうして新しい神経回路が、脳の中に形成されていく。人間の大脳の中には、約100億の神
経細胞があるといわれている。その神経細胞そのもの数は、生まれてから死ぬまで、ほとんど
変らないとされている。

 しかし一個の神経細胞からは、約10万個のシナプスが伸びている。このシナプスが複雑に
からんで、思考回路を決定する。つまりこうした刺激を与えることで、子どもの脳の中で、つぎ
つぎと新しいシナプスがからんでいく。

 で、100億x10万というと、DNAの遺伝情報の数を超えることになる。つまり脳の神経細胞
の働きは、遺伝情報の外にあるということになる。(ちなみに、人間のDNA情報は、10の9か
ら10乗と言われている。)

こうしてつぎつぎと、脳に刺激を与え、神経回路の発達を促していく。そしてそのつど、子どもは
学習し、その上にさらに新たな学習を重ねていく。

 最後に、何でもないカード。つまり「5個の丸をかいたカード」を見せても、子どもたちは、あれ
これ考えて、答えなくなる。つまりそれが「思考する」ということになる。

 大切なことは、情報の量ではなく、思考する力である。そしていかにして、子どもの思考力を
養うかということ。ここに書いた、カードによる刺激法は、私が考えた。こういう方法で、一度、
子どもの思考力を養ってみるとよい。コツは、つぎつぎと、固定回路を破壊していく。子どもの
側からみて、「アレッ!」と思う意外性を大切にする。

 こうしたレッスンがうまくいくと、子どもたちは興奮状態になるが、そのあと、子どもの頭にさわ
ってみるとよい。手でその熱さを感ずるほど、熱くなっているのがわかる。
(040307)(はやし浩司 シナプス 思考回路 思考プロセス 神経回路 視覚野)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(112)

【近況・あれこれ】

●今朝の悪夢

 朝、起きてみると、タンスの引き出しが、一様に、引き出されていた。空き巣である。

 別の部屋を見ると、ものが、散乱していた。あちこちを物色したらしい。

 で、金庫のある部屋に行ってみると、金庫は無事だった。しかしよく見ると、扉がこわされてい
た。

 心臓がドキドキして、そこで目が覚めた。

 夢だった。……いやな夢だった。時計を見ると、朝、5時。起きる時刻だった。が、そのままフ
トンの中で、あれこれ考えた。

 まず思い出したのが、D氏のこと。D氏は、それまで住んでいた市内の土地を手放した。当時
の価格で、1億5000万円で売れた。ちょうどバブル経済がはじける、その直前だった。

 が、そのお金を、現金のまま、金庫にしまっておいた。すぐそのお金で、別の土地を買うつも
りだった。

 そのD氏が、空き巣にやられた。1億5000万円を、そっくりそのまま、もっていかれた。

 私は、その話を、D氏自身から、数か月後に聞いた。そのときですら、D氏は、元気がなかっ
た。私は、「エーッ、本当ですか?」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。

 空き巣というのは、そういうもの。

 私自身は、空き巣に入られたことはない。しかしこうして夢の中で、模擬体験をしてみると、そ
の不快感が、よくわかる。いや、不快感などというものではない。不快感をとおりこした、絶望
感。それに近い。

 適切な言葉がない。

 心臓のドキドキは、消えなかった。自分で、「ただの夢ではないか」と、何度も言って聞かせ
た。しかし心臓は、相変わらず、ドキドキしていた。

 またD氏のことを、考えた。「さぞかし、悔しかっただろう」と思った。もともとは、D氏の父親の
土地だったという。考えようによっては、そのD氏の父親が、一生かかって稼いだ財産を、一日
にして失ったことになる。

 D氏の父親は、市内のビルの一角で、不動産屋を営んでいた。アパートの賃貸だけを専門に
する不動産屋で、まじめで、実直な人だった。私も一度、世話になったことがある。

 その空き巣について……。

 先日も昼のワイドショーか何かで、空き巣の特集番組を流していた。こういうご時世だから、
空き巣が急増しているという。例によって、例のごとく、実に軽薄そうな司会者と、同じくらい軽
薄そうなコメンテイターたちが、おもしろおかしく、空き巣について語っていた。

 ときどき、突然しおらしい顔をして、もっともらしいことを言っていたが、私の胸には響かなか
った。

 そう言えば、5、6年前に、近所に、連続して空き巣が入ったことがある。私の家の前の2軒
が入られ、私の家をとんで、裏の1軒が入られたという。

 警察がやってきて、「お宅は、だいじょうぶでしたか?」と。

 そのときは、空き巣にも無視されたかと、心のどこかで、何か悔しさのようなものを感じた。多
分、私の家に空き巣が入らなかったのは、イヌが2匹、放し飼いにしてあったからではないか。
うち1匹は、カンの強い犬で、かすかな物音でも、ワンワンと吠える。

 ともかくも、無事でよかった。

 フトンから出るとき、パソコン雑誌のソフトが気になった。

 今度、C社から、人の動きを感知して、記録する、パソコンカメラが売りに出された。定価は、
カメラとソフトつきで、8500円という。私も以前、同じような製品を考えたことがある。今では、
どこの家にもパソコンがゴロゴロしている。使わないで、放置してあるパソコンもある。そういう
のをうまく使えば、防犯にも利用できる、と。

 今度、長期間、家をあけるときは、それをつけておこう。空き巣に対しては、守りの姿勢だけ
は、勝てない。こちらから攻めることも大切。

 バッチリと顔をとって、インターネットで流してやる。相手が名誉毀損で訴えてきたら、そのま
ま刑事告発すればよい。

 そこまで考えたとき、やっと、心臓のドキドキが消えた。

 さあ、今朝も起きて、原稿を書くぞ……と思って書いたのが、この原稿。

 みなさん、おはようございます。はやし浩司は、今朝も、悪夢で、目が覚めた。
(040308)


●三男の引っ越し荷物

 三男の引っ越し荷物が、届いた。その量の多さを見て、驚いた。

 部屋は、八畳一間だったはず。しかしダンボール箱で、30箱近くもあった。それに机とかコタ
ツとか、冷蔵庫に洗濯機。電子レンジもあった。ゾーッ。

 「どこにこんなたくさんあったのか!」と、しばし荷物の山を見て、ボウゼン!

私「あれほど、捨ててくるか、友だちにあげてこい言ったのに……」
ワイフ「ホント!」と。

 こういうときワイフは、がまん強い。黙々と、あと片づけを始めた。が、肝心の三男様は、今日
は旅行とか。家にいない。何ということだ!

 少し手伝ったが、私はやめた。「明日、E(三男のこと)が、帰ってきたら、自分でさせればい
い」と。そして書斎にもどって、腹いせまじりに、この原稿を書く。

 それにしても、量が多い。「今どきの大学生は、こんなものか」と思ってみるが、それにして
も、多い。私が学生のときは、コタツと本だけ。それだけであちこちを移動した。

 それにしても、モノが多い。多すぎる。日本中に、モノがあふれかえっているといった、感じ。
しかしこういうのを、本当に、豊かな国というのだろうか。改めて、しばし、自分の机のまわりを
ながめてみる。

 この部屋だけで、パソコンが、5台。プリンターが、2台。スキャナーが2台。書類と本の山。そ
れにパソコンソフトのパッケージなどなど。

 この部屋の分だけでも、引っ越しとなったら、ダンボール箱に、10箱くらいになるのかも。あ
るいは、もっとなるかも? コタツや、机、本箱もある。「必要だから買う」という、単純な行動を
繰りかえしていたら、こうなってしまった。

 大切なことは、不便を当たりまえとし、その不便さの中で、工夫(くふう)しながら、生きること
だ。でないと、すぐ、私たちの生活は、モノの山の中に埋もれてしまう。


●メール

 一部のまじめな方には、不愉快な思いをさせているかもしれない。しかし私あてのメールに
は、住所と名前を書いてもらうことにしている。そして、住所、名前のない方からのメールには、
返事を書かないことにしている。

今までも、住所と名前を書いてくれるようにお願いしてきたが、今後は、さらに徹底したい。

 実際、住所とか名前のわからない人からのメールほど、不気味なものもない(失礼!)。相手
の方の年齢は、おろか、性別すらも、わからない。そうした思いは、こうしたメールをもらった人
なら、だれにでもわかるはず。(多分?)

 で、いただいた質問に答える段階になると、どう答えてよいのか、わからなくなる。年配の方
なら、それなりに。あるいは20代の若い方なら、それなりに答えなければならない。

 しかし、こういうふうに、ホームページや、Eメールアドレスを公開しているものにとっては、そ
うとばかりは言っておれない。それぞれの人が、それぞれに思い悩んで、メールをくれる。返事
を書かないですますと、かえってあと味が悪い。しかし……。

 数日前も、あった。私のホームページを読んだ人からのものだった。

「自我って、何?
 自分さがしって、英語で何ていうの?
 子育てって、どう考えたらいいのよ。
 ホームページ見たけど、多すぎて、読めないよ」と。

 内容は、本当にこれだけ。今風といえば、今風。文面からすると、女性で、しかも若い方だと
わかる。しかし子どもをもっておられるのかどうか、わからない。わからないまま、返事を書く。

「メール、ありがとうございました。
 返事が遅れたことを、おわび申しあげます。
 いろいろ雑用が多くて、失礼しました。

 ご質問の件ですが、「自我」というのは、
 (私は私)という、人格の核のようなものを
 いいます。

 その人のつかみどころのようなものです。
 人は、いつも、自分のしたいことに従って、
 行動しますね。その原動力となる、(自分)を
 (自我)といいます。

 この自我の発達が遅れると、ナヨナヨとした
 性格になり、ものの考え方そのものが、
 軟弱になったりします。

 (自分さがし)というのは、自分であって自分で
 ない部分を知ることをいいます。

 私たちの行動の大半は、その自分であって、
 自分でない部分によって、コントロール
 されています。

 まず、それに気づくこと。そしていつ、どのような
 形で、そういう自分ができたかを知ること。
 それが(自分さがし)です。

 子育てについては、私のホームページ、
 またマガジンで、そのつど、報告しています。
 今後も、どうか、参考にしていただければ、
 うれしいです。

 ホームページの閲覧、ありがとうございます。
 これからも、よろしくお願いします」と。

 送信ボタンを、クリック。

 しかしそのあと、「あれでよかったのかな?」とか、「わかってもらえたのかな?」と、いろいろ
考える。あるいは、心のどこかで、ふと、「どうして私がこうしたメールに、返事を書かねばなら
ないのか」とも、思う。

 で、やはり、今後は、このようにした。住所(簡単な住所でよい)と、名前のない人からの相
談、質問には、原則として、返事は書かない、と。私としては、本当につらいところだが、心を鬼
にして、そうすることにした。

 どうか、お許しの上、ご協力のほどを、お願いします。


●スケジュール

 自分が時間でしばられるのは、いやなくせに、その一方で、そのスケジュールをたてないと、
行動できない。いったい、この矛盾を、どう考えたらよいのか。

 「今日は、11時に風呂に入って、12時ごろ、銀行に行くから」と、今朝も、起きて、ワイフに、
そう言った。

 つまりそういうふうに、自分の行動に区切りを入れないと、ダラダラと時間だけが流れてしま
う。緊張感も生まれない。

 人間というのはおかしなもので、「さあ、時間はたっぷりあるぞ。何か原稿を書け」と言われる
と、とたん、ものが書けなくなってしまう。しかし、「あと2時間しかないぞ。さあ、どうする」と言わ
れると、とたんに、スラスラと文章が、頭の中から出てくる。

 しかしこれは、私だけの現象か?

 昔、幼稚園バスの運転手がこう言った。「私らは、きちんとスケジュールを決めてもらわない
と、仕事ができない」と。同じころ、ガソリンスタンドを経営している男は、こう言った。「時間単
位のスケジュールを決められたら、息苦しくて、気が狂ってしまう」と。

 人は、人それぞれで、生活の中で、その人につくられていく。

 私も、そうで、今の私も、結局は、自分の仕事の中で、つくられた「私」にすぎない。

 そしてこのこと、つまりこうした私がかかえる矛盾は、人生という、大きな流れの中にも、あ
る。

 人生の中では、「時間」が、「年齢」になる。

 「〜〜歳までには、こうしよう」「〜〜歳になったら、こうしよう」と考える。本当のそうするかどう
かは別にして、たとえば「65歳になったら、老人ホームへ入ろう」とか、「70歳になったら、世
界を一周しよう」とか、そういうふうに、考える。

 もっとも、それは、順調にいったらの話で、その前に、いろいろあるかもしれない。交通事故、
重い病気などなど。もともと自由というのは、そういうふうにして自分の体をしばっている、ヒモ
やクサリを解き放つことをいう。が、しかしそういうヒモやクサリが、向こうから、勝手にからんで
くることがある。

 そういうふうに考えていくと、本当のところ、人生のスケジュールを決めるのは、「年齢」ではな
い、「健康」だ。「頭の能力」だ。……ということがわかってくる。

 私の身のまわりにも、頭がボケてしまって、使いものにならなくなってしまった人が、たくさん
いる。それなりに、平和に暮らしてはいるが、私からみれば、死んだも同然。人間は、考えるか
ら、人間なのだ。

 私も、もうすぐその(死んだも同然)の人間になるかもしれない。それまでの勝負。私は、どこ
まで生きられるか。どこまで深く、生きられるか。この緊張感があるから、今日も、こうして原稿
を書く。……書ける。

 それにしても、最近私が書く原稿は、どれも駄作ばかり。鋭さが、どんどんと消えていくのが
気になる。


●ぼんやりと見る

 ぼんやりとまわりの様子を見る。

 そのとき、無数のものが、ばくぜんと、目の中に飛びこんでくる。

 目の網膜でとらえられた映像は、一度視床下部(ししょうかぶ)を経由して、脳のうしろにあ
る、大脳の後頭葉(こうとうよう)の視覚野(しかくや)に送られる。

 (網膜)→(視床下部、外側膝状体)→(大脳後頭葉、視覚野)

 しかしこの段階では、すべての情報がばくぜんと、脳の中のモニターに映されることになる。
カーテンも、机も、カメラも、印刷用紙も……。

 そこで私は、その映像の中から、必要な情報だけを選びださなければならない。

 たとえば私は、ここで、パソコンのモニターだけを見たいとする。しかもその中でも、文字だけ
を見たいとする。

 そこで視覚野に映った映像は、いろいろに加工される。これを大脳生理学の分野では、二次
加工、三次加工と呼ぶらしい。

 (視覚野の映像)→(二次加工)→(三次加工)

 そのあと、こうして加工された映像は、主に二つのルートを通って、大脳の各部に送られる。

 (加工された映像)→頭頂葉連合野(1)
          →側頭連合野(2)

(1)の頭頂葉連合野へ送られた映像は、空間的な処理がなされるという。たとえば脳の中で
も、この部分にダメージを受けると、自分の位置関係がわからなくなるという。

(2)の側頭連合野に送られた映像は、ものを認知するための処理がなされるという。この部分
が、ダメージを受けると、形がわからなくなるという。人の顔も区別できなくなることもあるとい
う。

こうして目から入った情報は、瞬時のうちに脳の中をかけめぐり、処理され、判断される。

 私はこうしてぼんやりと、カーテンごしに、外を見ている。何でもない行為だが、その裏で、無
数の情報処理がなされていることになる。

 こうした処理を直接頭の中で見ることはできないが、しかし想像することはできる。

 「あっ、今、後頭部に信号が送られたぞ」「二次加工されているぞ」「側頭連合野で判断されて
いるぞ」と。

 もちろんこれは私の勝手な想像によるものだが、それが結構、楽しい。

【追記】

 私たちが「そこ」に見ているものは、実際に、そこにあるものを見ているのではない。たとえて
言うなら、大脳後頭葉の視覚野というのは、モニター画面のようなもの。つまり私たちは脳の中
に映し出された、総天然色(?)の映像を見ているだけということ。

 もっとわかりやすく言えば、テレビを見ているようなもの。まさに光と影がおりなす、幻想の世
界を見ているにすぎないということになる。

 そう考えていくと、少し、不思議な気分になる。

  

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●究極の食事法 


 オーストラリアの友人が、新しいジョークを作って、送ってくれた。

  ...for those of you who watch what you eat, here's the final word on 
  nutrition and health. It's a relief to know the truth after all those
 conflicting medical studies:
(食事に注意を払っている人に、究極の食事法が、ある。医学的問題に
かかわっている人には、この事実を知ることは、とてもよいことだ。)


  1. The Japanese eat very little fat and suffer fewer heart attacks
  than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(日本人は、脂肪をほとんどとらないし、そしてアメリカ人、オース
トラリア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が少ない。)


  2. The Mexicans eat a lot of fat and also suffer fewer heart attacks 
than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(メキシコ人は、たくさんの脂肪をとるが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  3. The Japanese drink very little red wine and suffer fewer heart
attacks than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(日本人は、ほとんどワインを飲まないが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  4. The Italians drink large amounts of red wine and also suffer fewer 
  heart attacks than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(イタリア人は、大量の赤ワインを飲むが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  5. The Germans drink a lot of beer and eat lots of sausages and fats 
  and suffer fewer heart attacks than the Americans, Australians, 
British, or Canadians.
(ドイツ人は、たくさんのビールを飲み、たくさんのソーセージと脂肪を
とるが、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナダ人より、
心筋梗塞になる人が、少ない。)


  6. Ukrainians drink a lot of vodka, eat a lot of perogies, cabbage 
rolls and suffer fewer heart attacks than the Americans, Australians, 
British, or Canadians.
(ウクライナ人は、たくさんのウォッカと、たくさんのペロシチ巻きを
たくさん食べるが、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナ
ダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  CONCLUSION: Eat and drink what you like. Speaking English is 
apparently what kills you.
(結論:好きなだけ、飲んで食べろ。英語を話すことが、心筋梗塞の原因
ということが、これで証明された。)

+++++++++++++++++++

お返しに、私も、ジョークを考えた。
こういうケースでは、つまり友人が
何かジョークを言ったら、それに答
えて、何か有益な知識を、返すのが
この世界の礼儀になっている。

+++++++++++++++++++

日本では、鼻先から、唇までの長さが、ペニスの長さということに
なっている。古くは、中国の医学書にも、そう書いてある。
(The length between the bottom of the nose and the edge of the upper
lip shows the length of dick, as has been written in Chinese Medical
book.)

つまりこの部分が、長い人は、ペニスも長いということになる。
このことから転じて、スケベな心境になることを、この日本では、
『鼻の下を長くする』という。
(This means those who has longer length between them has a longer
dick. And we say, therefore, in Japan, "he has a longer length under the
nose", which means that he is horny.)

しかし英語では、ペニスを「角(つの)」にたとえる。
スケベを意味する、「H(エッチ)」は、「ホーニィ」、つまり「角
のようになった(ペニス)」という意味から、きている。
(In English, however, the dick is often imitated as a horn and therefore
English people would often say, "he is horny", or he is sexually excited.)

いろいろな説があるが、これは、「H(エッチ)」という言葉が
日本でも使われ出したころ、私が、アメリカ人の男性に直接聞いて
確かめたことである。
(And then we say, "he or she is H, which means he or she is a sex maniac.")

で、どちらが科学的かというと、やはりアジア人のほうに、軍配
があがる。
(But which is more scientifically logical? Or Chinese medical is much
more logical.)

人間には、九つの穴(女性は、十)がある
(We have 9 holes in our body. Ladies have 10. Count them when you feel free.)

これらの穴の大きさは、比例しているという。つまり女性器の
性能(まさに「性」能)は、その穴の大きさで決まる。もちろん
小さければ、小さいほど、よい。先ほど、不慮の交通事故で
なくなった、ダイアナ王妃のようでは困る。(日本語で、「ダイアナ」
は、「大きな穴」を意味する。念のため。)
(Those who have bigger holes have bigger holes and small holes, small
holes. Those who have big nose-holes have bigger 10 holes.
For example the ex-Princess of England, Ms. Dyana had bigger nose-holes.
This means she had big holes. As a matter of fact "Dyana means
in Japanese, Dai=big ana=holes.

そこで元来、鼻先から、唇までの長さが短い白人の男性と、
元来、鼻の穴の大きな白人の女性が、結婚したらどうなるか。
(Then what happens in case when the white man who has a shorter
length between the nose and lip marry to a woman who has big nose-holes?)

【結論】つまり、それが白人社会では、離婚率が高いという理由である。
Conclusion…(This is the reason why more couples get divorced in western world.)

+++++++++++++++


●ある母親の嘆き

 ワイフの友人が、ワイフに、こんな話をした。

 ある母親の子ども(女子中学生)が、万引きをして、補導された。よくある話である。とくに大
きな事件ではなかった。その母親を、Xさんとしておく。

 しかしそのあと、その母親は、軽い風邪をひいていたこともあったが、そのまま、寝こんでしま
った。娘の万引き事件が、よほどこたえたらしい。

 しかしその母親が寝こんでしまったのには、理由がある。

 自分の娘が、その万引きをして、補導されたところを、たまたま、同じ学校の生徒たちに見ら
れてしまったこと。が、本当の理由は、それではなかった。

 その少し前、こんな事件があった。

 その母親には、宿命のライバルというか、娘が小学生のときから、対立関係にある母親がい
た。そのライバルの母親を、Yさんとしておく。

 そのYさんの娘が、万引きをして、やはり補導された。で、それを知ったXさんは、このときぞ
とばかり、その事件を、みなに、言いふらした。「あのYさんの娘さんが、万引きをした」と。

 そのことは、Yさんの耳に入るところとなった。が、万引きしたのは、事実だし、またXさんの言
い方がたくみであったこともあり、Yさんは、何ら、抗議できなかった。Xさんは、こういう言い方
をした。

 「かわいそうですねエ〜。本当に。Xさんがかわいそうです。本当にかわいそうです。私もXさ
んの身になると、つらいです。本当に、つらいです。あんないい子が、万引きするなんてエ…
…!」と。

 いかにもYさんに同情しているかのような言い方をして、その話を、みなに広めた。

 で、そういとき、今度は、Xさんの娘が万引きをして、報道された! しかもそれを同じ学校の
生徒たちに見られてしまった!

 他人の不幸を笑ったものは、同じ立場に立たされたとき、今度は、その何倍も苦しむ。Xさん
の立場は、そういう立場だった。

 そこで教訓。

 絶対に、自分の子どもを、競争馬にしてはいけない。自分の子どもの、できがよいことを他人
に誇ったり、他人の子どもについて、できの悪いことを、笑ってはいけない。そういうことをすれ
ばするほど、いつか、自分で、自分のクビをしめることになる。

 ワイフの友人は、こう言った。「Xさんは、かわいそうなくらい、落ちこんでいました。しかしそれ
だけではありません。親子関係まで、おかしくなったそうです」と。

 どうして親子関係までおかしくなったか? その理由など、ここに改めて書くまでもない。


●火をつける子ども

 それに最初に気づいたのは、親戚の叔母だった。たまたまその家に遊びに来ていて、気づい
た。

 のれんの下が、少し、焦げていた。つぎに、となりの家との間に、コンクリートの壁があった
が、その壁の一部が、黒く、こげていた。そのあたりに、CDのゆがんだ燃えカスが残ってい
た。

 そこで母親が、息子(小4)の引き出しを調べると、何とそこには、ライターが、7、8個もあっ
たという。

 こういうケースでは、子どもを叱っても意味はない。強く叱れば叱るほど、子どもの心は、ます
ますゆがむ。というのも、「火をつける」という行為は、危険認識を超えているという点で、精神
そのものが、かなり病んでいるとみてよい。はっきり言えば、心の病気。

 同じようなレベルの行為に、自殺、自殺未遂、自傷行為、動物虐待などがある。病的な窃盗
グセなども、これに含まれる。威圧的な家庭環境の中で、慢性的な欲求不満がつづくと、子ど
もでも、心が、かなりゆがむ。

 しかしこういうケースに遭遇すると、親は、まず強く叱ったり、はげしく説教したりして、それを
なおそうとする。

 しかしそういう行為は、かえって、逆効果。それは肺炎か何かで、熱を出して寝ている子ども
に、水をかけるような行為といってもよい。(ますます子どもの心はゆがむ)→(ますます親が、
それを叱る)→(ますます子どもの心はゆがむ)の悪循環の中で、やがて子どもの症状は、行
きつくところまで、行く。

 そこで、こういう状態になったら、あるいはそういう症状を子どもが見せたら、「すべてをあきら
める」。あるがままを認め、受け入れる。この段階で、たとえば、まだ子どもの勉強や、受験に
こだわっていたりすると、それこそ、取りかえしのつかない状態になる。それともあなたは、肺
炎で熱を出して苦しんでいる子どもをたたき起こして、勉強をさせるとでも言うのだろうか。

 心の病気は、外から見えにくい分だけ、安易に考えやすい。しかし病気は、病気。その上、心
の病気は、なおるのに、半年単位の時間がかかる。半年でも、短いほうである。仮に小学校の
高学年児で、このような症状を示したら、なおるまで(?)に、数年、あるいはそれ以上、かか
る。

 数年前も、神社に放火した中学生がいた。つかまえてみると、余罪が、ぞくぞくと出てきた。そ
の子どもは、「むしゃくしゃしてたから、火をつけた」(報道)などと答えていたが、この問題は、
そういうレベルの問題ではない。


●韓国の離反

 反米親北をかかげて韓国の大統領の座についた、ノ氏。それはわかるが、このところ、ます
ます反日の旗印を、色濃くしている。

 北朝鮮を恐れるためか。それとも行きづまった国内経済への批判を、かわすためか。戦時
中の日本軍への協力者をあぶり出し、処罰してみたり、小泉首相の靖国神社への参詣につい
て、「黙っているからといって、いい気になるな」というような発言までしている。

 韓国は、北朝鮮と共和制を敷いたあと、アメリカとの軍事同盟を破棄したあと、最終的には、
中国の経済圏に自らを組みこむことを、もくろんでいる。そのためか、一時、今のノ政権の高
官は、「北朝鮮の核を容認する」というような発言までしている。「核があれば、韓国にとって
も、将来的に、有利になる」と。

 これに対して、アメリカの政府高官(元国務大臣)は、「米韓関係は、崩壊の一歩、手前」と発
言している。米韓のキレツ、それにともなう、日韓のキレツは、予想以上に大きいようだ。

 その北朝鮮は、核武装をしたあと、その核で日本を脅し、莫大な戦後補償を引きだそうとして
いる。その額、驚くなかれ、400億ドル。日本円で、4兆円以上。人口が日本の約8分の1だか
ら、日本にあてはめて計算すると、何と、32兆円規模の戦後補償ということになる。(日本の人
口、約1億6000万人。北朝鮮の人口、2200万人。4兆円を、2000万人で割ると、一人あた
り、20万円!)

 仮に日朝戦争ともなれば、韓国は統一旗をあげて、その北朝鮮の側に立つ。

 こういう流れの中での、六か国協議である。日本にとっては、まさに、「友人はアメリカだけ」と
いう状態だが、ゆいいつ救われるのは、アメリカと中国が、予想以上に接近していること。

一方、中国と北朝鮮が、予想以上に、仲が悪いこと。この2月からロシアは、北朝鮮に対する
無償援助を中断している。3月からは、中国も、中断するむねを、北朝鮮に通告している。さら
に北朝鮮の国内経済が、ほぼ壊滅状態に近いこと。「すでに戦争をしかける能力を失った」と
評する人もいる。

 とくに、この日本に対しては、ミサイル以外、手も足も出せない。何しろ、海軍力そのものがな
い。2隻ある軍艦も、旧ソ連から払いさげられた、オンボロ船だけ。だからやはり、ミサイルとい
うことになる。核兵器、化学兵器、細菌兵器ということになる。

 では、この日本は、どうするべきか。ここが正念場ということになるが、そのカギを握るのは、
中国ということになる。

 アメリカと日本は、北朝鮮の核問題を、最終的には、国連安保理へ付託することをねらって
いる。当然である。しかしそれに対して、中国とロシアは、今のところ、拒否権を行使する構え
である。

 そこでアメリカと日本は、中国とロシア(とくに中国)を、自分たちの陣営に取りこもうとしてい
る。六か国協議は、そのためのおぜん立てにすぎない。あの民主党の大統領候補のケリー氏
も、そう言っている。「ブッシュ政権には、はじめから、協議を成功させるつもりはない」と。

 日本にとって、最良のシナリオは、金XX政権が、自然崩壊すること。そして韓国との間で、ゆ
るやかな共和制が敷かれ、やがて北朝鮮が、韓国に吸収合併されていくこと。その思いは、ア
メリカ、中国、韓国も同じではないか。

 ただこの段階で、日本にとって、一つ気がかりなことは、このシナリオで北朝鮮問題が解決す
ると、日本のすぐ横に、強大な軍事力をもった反日国家が出現すること。そしてかつてのベトナ
ムを例にとるまでもなく、そのあまりあまった軍事力の矛先を、そのまま日本へ向けてくる可能
性がある。かつてのベトナムは、アメリカを追い出したあと、カンボジアに侵攻している。

 そういう意味で、今のノ政権の動きは、不気味ですらある。あるいは共和制を敷いたあとの、
布石ともとれる。

 日本は、今、戦後最大の危機を迎え、正念場を迎えている。つぎのことに注意したい。

(1)中国、韓国を、刺激しない。
(2)北朝鮮の挑発にのらない。
(3)アメリカとの関係を、最善状態にする。

 そのために日本がどうあるべきかは、それは各論の話ということになる。日本政府の動き
を、慎重に観察したい。


 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(113)

●ストレス
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、どん
なにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶものは、その(わず
らわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人間が、
原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの頭を、棒か何
かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫られる。
具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活動が高ま
る。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)が、そ
の人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サイトカイ
ン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。そのため副腎機能の更新ばかりではなく、
「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井
康允氏)が引き起こされるという。その反応は「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われ
ている。

そこで人間は、自分の心を調整するため、(1)攻撃、(2)防衛のほか、つぎの3つの心理的反
応を示す。(3)同情(弱々しい自分をことさら強調して、同情を求めようとする)、(4)依存(ベタ
ベタと甘えたり、幼児ぽくして、相手の関心をひく)、(5)服従(集団の長などに、徹底的に服従
することで、居心地のよい世界をつくる)、ほか。。

(1)攻撃というのは、自分の周囲に攻撃的に接することにより、居心地のよい世界をつくろうと
するもの。具体的には、つっぱる子どもが、それに当たる。「ウッセー、テメエ、この野郎!」と、
相手に恐怖心をもたせたりする。(自虐的に、自分を攻撃するタイプもある。たとえば運動を猛
練習したり、ガリ勉になったりする。)

(2)防衛というのは、自分の周囲にカラをつくり、その中に閉じこもることをいう。がんこになっ
たり、さらには、行動が自閉的になったりする。症状がひどくなると、他人との接触を避けるよう
になったり、引きこもったり(回避性障害)、家庭内暴力に発展することもある。

大切なことは、こうした心の変化を、できるだけその前兆段階でとらえ、適切に対処するという
こと。無理をすれば、「まだ、前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、症状は、一気に
悪化する。症状としては、心身症※がある。

こうした心身症による症状がみられたら、家庭は、心をいやす場所と考えて、(1)暖かい無視
と、(2)「求めてきたときが与え時」と考えて対処する。「暖かい無視」という言葉は、自然動物
愛護団体の人が使っている言葉だが、子どもの側から見て、「監視されていない」という状態を
いう。また「求めてきたときが与え時」というのは、子どもが自分の心をいやすために、何か親
に向かって求めてきたら、それにはていねいに答えてあげることをいう。

++++++++++++++++++++

心身症診断シート

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、心身症という。脳の機
能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。ふつう子どもの心身症は、@精神
面、A身体面、B行動面の三つの分野に分けて考える。

 精神面の心身症……精神面で起こる心身症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、
赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、
不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作
(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグ
ズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での心身症として、
赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、
人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の心身症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラ
フラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もら
す)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患
(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じん
ましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、
爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ
(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙
もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での心身症に先だって、身体面で
の心身症が現われることが多い。

 行動面の心身症……心身症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。
不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過
食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。
生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするな
ど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行
動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじ
めなど。

こうして書き出したら、キリがない。要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。
「うちの子どもは、どこかふつうでない」と感じたら、この心身症を疑ってみる。

ただし一言。こうした症状が現われたときには、子どもの立場で考える。子どもを叱ってはいけ
ない。叱っても意味がないばかりか、叱れば叱るほど、逆効果。心身症は、ますますひどくな
る。原因は、過関心、過干渉、過剰期待など、いろいろある。

+++++++++++++++++++++

母親が育児ノイローゼになるとき

●頭の中で数字が乱舞した    

 それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(四
歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたときのことだった。
気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのところ
で、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。次に店にやってきた客へのつり銭
をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかった。あせればあせるほど、頭の中
で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。

●「どうしたらいいでしょうか」

 Aさん(母親、三六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、うつ病と
診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあ
と、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何
とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そういうAさんを、夫は「だらしな
い」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの米屋だったが、店の経営はAさん
に任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。

 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会ったの
に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「ハア……、別
に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そして
こう言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょう
か」と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。
@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日
常活動への興味の喪失)、
C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくな
る(感情障害)、
H他人との接触を嫌う(回避性障害)、
I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見られ
たら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが
間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠

 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。
脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつう」と思い
込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状が重くなってしまっ
たり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってしまうこともある。Aさんのケー
スでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すことができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Aさんも、
子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関心であった。そ
れではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、
そのときの手紙をまとめたものである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(114)

【近況・あれこれ】

●知的レベル

 こんな話を聞いた。

 その家には、やや知恵遅れの青年男性がいる。年齢は、45歳だという。その家に、近所に
住む叔母がときどきやってきて、家庭教師をしているという。そして何でも今は、掛け算を教え
ているという。

 何ともほほえましい関係を想像するかもしれないが、内実は、かなりちがうようだ。その青年
が、その叔母の姿を見ただけで、オドオドとし、おびえてしまうという。その叔母氏は、その青年
に、かなりきびしい指導をしているらしい。

 その青年が、H市に住む妹氏に電話をしてきた。そしてこう言ったという。以下、その妹氏か
ら聞いた話。

青年「ぼく、掛け算、できない」
妹「いいのよ、掛け算なんか、できなくても……」
青「K町のJさん(=叔母のこと)が、ぼくを怒る……」
妹「どうして、怒るの?」
青「だって、ぼく、掛け算、できない」
妹「掛け算なんかできなくても、電卓を使えばいいじゃない」
青「でも、Jさんは、こんな計算もできないのって、怒る」と。

 その叔母氏には、叔母氏の考えがあってそうしているのだろう。しかしどこか、おかしい。どこ
か、トンチンカン。

 しかし現実の世界は、そういうレベルで、動いている。その叔母氏にしてみれば、(学校で習
うような勉強ができること)イコール、(社会復帰)ということらしい。その叔母氏自身も、学校神
話の信者かもしれない。

 その話を聞いたとき、私は、ものすごい距離感を覚えた。その青年との間ではない。その叔
母氏との間に、である。

 「そういう叔母氏を指導するとなると、10年はかかるだろうな」と。あるいは永久に不可能? 
知的レベルというのは、そういうことを言う。

☆バカな人を、バカというのではない。バカなことをする人を、バカという。(『フォレスト・ガン
プ』)


●為替レート

 オーストラリア・ドルが、今、1ドル84円だという(04年3月10日)。で、銀行で、日本円を、オ
ーストラリア・ドルに両替をしてもらった。が、その日のレートで、何と、1ドル95円だという。

 手数料だけで、11円!

 それにしても、高い。いつの間にか、こんなにも高くなってしまった!

 ついでに、オーストラリア・ドルを売るときは、84円引く11円で、73円だという。つまりオース
トラリア・ドルを売買するだけで、1ドルにつき、22円も、手数料がかかることになる。

 いくら銀行が冬の時代とはいえ、これはめちゃめちゃな手数料と考えてよい。しかも護船団方
式というか、この手数料は、どこの銀行でも、ほぼ、同じ。こういうのを談合というのではないの
か。カルテルというのではないのか。ずるいぞ、銀行!

 これ以上は、グチになるので、やめよう!

【安価な送金方法】

 海外に住む息子や娘に送金する方法は、いくつかある。その中でも、よく使われているの
が、銀行から銀行への送金。しかしこれも最近は、手数料が高くなった。

 一番安い方法というと、クレジットカードでの送金方法がある。日本で、お金を振り込みつつ、
外国では、カードで支払うというもの。

 この場合だと、1・60%の手数料だけですむ。

 仮に10万円程度をオーストラリアへ送金すると、銀行では、5000円前後の手数料がかか
る。しかしクレジットカードでなら、1600円。


●東京文化

 以前、こんなことを感じた。

 九州や、四国が、台風に襲われても、台風のニュースは、そのときだけ。しかし東京が台風
に襲われると、小さな台風でも、一日中、台風のニュース。

 文化、報道の世界も、日本は、中央集権国家。すべてが東京から始まる!

 それはわかるが、昨夜も寝る前に、ワイフが、こう言った。「毎日、Nさん(元巨人軍の監督)
のニュースばかりだけど、そんなに大切なことなのかしら?」と。

 Nさんは、東京では、重要な人かもしれない。何と言っても、元巨人軍監督。私とて関心がな
いわけではないが、こうまでガンガンとニュースで言われると、「?」と思ってしまう。

 H市の地元で、電子マガジンによるタウン誌を発行している、S氏も、こう言った。「日本人
は、N氏のニュースだけが、ニュースに思っているのではないか」と。

 東京というのは、中央でも何でもない。関東地方の、ただの地方都市。たまたまその東京
が、この日本で目立つのは、奈良時代からつづいた、日本人の中央集権意識によるもの。こ
れについて、アメリカ人に話を聞くと、「アメリカには、そういう意識はない」とのこと。

 クリントン元大統領も、ブッシュ大統領も、それぞれアーカンソー州、テキサス州などの、「地
方」から、大統領になっている。民主党のケリー候補も、そうである。何でもかんでも、「東京か
ら来た」というだけでありがたがる、この日本人の地方根性とは、かなりちがう。

 ホント!

 どうすれば、この日本人の地方根性は、なくなるのか? 都会(東京)コンプレックスと言って
もよい。

 つい先日も、あのノーベル賞を受賞した、K氏が、このH市で講演した。H市でも、最高級の
会場で、である。たまたま、その講演を、父親と聞きにいった子どもがいたので、「どんな講演
だった?」と聞くと、「パパも、みんな、眠ってた」と。「となりの人は、グーグーといびきをかいて
いた」と。

 こういう現実を、目の当たりに見せつけられても、まだ「東京」「東京」となびく。だいたいにお
いて、地方都市に住む人自身が、自分たちの住む地方をバカにしているのだから、話にならな
い。

 少し前だが、私が「今度、東京のMXテレビで、討論会に出るよ」と言ったときのこと。「どうし
て、あんたなんかがア?」と、思わずもらした女子中学生がいた。

 何も、その中学生を責めているのではない。しかしこうした意識は、多かれ少なかれ、みな、
もっている。しかしこの意識が改められないかぎり、日本には、民主主義は、育たない。

 言うまでもなく、官僚主義と中央集権意識は、密接不可分の関係にある。何でも中央から、
「下にイ〜」「下にイ〜」という土壌では、民主主義は、育たないということ。いつになったら、こ
のH市の人たちも、自分たちの地方根性に気がつくのか。

【一言】

 そのノーベル賞に異議あり!

 たしかにK氏が、ノーベル賞を受賞した。しかし実際には、その装置を、苦労に苦労を重ねて
つくりあげたのは、地元のH社の社長たちである。

 わかりやすく言えば、巨大な望遠鏡を作ったのは、地元のH社の社長たちである。その望遠
鏡を使って、それまで見えなかった星を確認したからといって、どうしてその発見者が、ノーベ
ル賞なのか。

 ノーベル賞を受賞すべきは、H社の社長である。「採算を度外視して協力した」と、H社の社
長は、地元の新聞などで、その苦労話を披露している。K教授との間にも、いろいろあったよう
だ。

 ……というのは、私がその当初からもっている疑問である。これから先、この問題は、もう少
し、資料を集めた上で、じっくりと考えてみたい。

ノーベル賞は、すばらしい賞だが、幻想をいだくのはよくない。その幻想にだまされるのは、さ
らによくない。「みんな、眠っていた」と、その子どもは言ったが、(決して、オーバーに書いてい
るのではない!)、それがどういう意味なのか。もう一度、この言葉のもつ意味を、みんなで考
えようではないか。

 
●煮干

 近所の魚屋で、(おやつ煮干)を買ってきた。教室の子どもたちに食べさせるためである。
が、そのまま渡さない。

 まず、子どもたちの前で、食べてみせる。食べる前は、少しボケたフリをする。そして一匹ず
つ食べたあと、利口になったフリをする。

 そのあと、おもむろに、子どもたちに、こう言う。「君たちも、食べたいか?」と。

 するとみな、「食べたい」「ほしい」と言う。子どもたちに煮干を渡すのは、そのあと。例によっ
て、例のごとく、あの歌を歌いながら……。

 「♪魚、魚、魚を食べると、
   頭、頭、頭、頭がよくなる……」と。

 子どもには、CA、MGのたくさん含んだ食品を与えるとよい。これは食生活の常識。もし子ど
もの献立で迷ったら、海産物を中心とした食生活にするとよい。もともと人間は、海から生まれ
た。何万年も、何万年も、その海の中で暮らしていた。

 だから健康になるためには、海にもどればよい。そして海のものを食べればよい。考えてみ
れば、これほど、わかりきったこともないのでは……。

 子どもたちは、煮干が大好き。本当に好き。少し食べさせると、「もっとほしい」と言い出す。

 紙コップ一杯程度の量くらいなら、あっという間に、食べてしまう。


●目に刺さったシャープペンシル

 A子さん(中2)と、机をはさんで話をしていたら、そこへ横から、B君(中2)がやってきた。生
徒の気配を感じた。が、そのままA子さんと話していると、B君が、「先生……」と。私はそのと
き、A子さんと、こっくりこっくりと、目を閉じて話していた。

 何かなと、瞬間、気をゆるめたそのとき、B君が、私の顔と、机の間にシャープペンシルをつ
きたてた。とたん芯の先がメガネのところではじけ、目の付け根に突き刺さった。突然、パッと
血が吹きだすのが、自分でもわかった。

 「何をするんだ!」と叫ぶのが、精一杯だった。タラタラと血が、鼻の横を通って、机の上に落
ちた。B君は、その血を見てあわてたのか、床に頭をこすりつけながら、「すみません」「すみま
せん」と、何度もあやまった。

 悲しかった。怒るよりも、先に、悲しかった。どうしてかわからないが、悲しかった。裏切られ
たという思いよりも、「私はこの子に、何を教えてきたのだろう」という思いにかられた。

 しかし子どものいたずらと、笑ってすませる話ではない。もともと多動性のはげしい子どもだっ
た。しかし私に対して、そういうことをするとは思っていなかった。老眼になり、目も疲れやすくな
っていた。「目を大切にしよう」と考えていた。その矢先のできごとだった。

 こういうとき、私は、だれに、どのように責任を求めればよいのか。怒りをぶつければよいの
か。

 まだ私だからよかったが、これが生徒どうしの事件だったら、監督責任は、私にある。仮にそ
れで一人の子どもが失明したとしたら、私がその責任を負わねばならない。

 とにかく悲しい事件だった。怒るに怒れないというか、砂をかむような虚しさを覚えた。若いと
きなら、目を閉じて話すこともなかったし、パッと体をかわして、それを避けることができただろ
う。しかしこのところ、自分でもよくわかるほど、動きがノソノソしてきた。

 とても残念だが、これからは、このタイプの子どもの指導は、断るしかない。私の手には、と
ても負えない。

 レッスンのあと、B君の母親に電話で理由を説明して、退塾を、お願いした。

幸いにも、急所ははずれていた。しばらく傷口を押さえていたら、血も止まった。しかし今でも、
眉毛の付け根あたりには、小さいが、傷口が残っている。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(115)

【ストレス】

●ストレスが、障害の引き金に!

 行きつくところまで行かないと、親は気づかない。その途中で、「おかしい?」と思っても、それ
を自ら、打ち消してしまう。「そんなはずはない」「うちの子にかぎって……」と。そして無理に無
理を重ねる。
 ある進学高校の先生が、こんな話をしてくれた。「入学の段階で、約5%が、すでに燃え尽き
てしまっている」と。「約20%の生徒に、無気力症状が見られる」とも。
 原因のすべてがストレスとは言えないが、ストレスが原因でないとは、もっと言えない。その大
半は、過負担、過剰期待、過激な受験競争と、無理な学習からくる、ストレスが原因と考えてよ
い。が、それではすまない。中には、そのまま心をゆがめてしまう子どもも多い。 
 摂食障害(過食、拒食)や、行為障害(ムダ買い、徘徊)、回避性障害(他人との接触を嫌
う)、精神障害(極度の不安状態になる、無関心、無感動になる)、感情障害(激怒しやすい、
感情をコントロールができない)などになる子どももいる。ストレスを、決して安易に考えてはい
けない。この種の障害は、無理をすればするほど、「まだ以前のほうが軽かった」ということを
繰りかえしながら、その症状は、一気に悪化する。

●前兆としての心身症
 大切なことは、その前兆症状をとらえて、適切に処理すること。たいていは、それに先だっ
て、心身症による症状が現れる。ただ心身症による症状は、まさに千差万別で、定型がない。
「どこかおかしい?」と感じたら、心身症を疑ってみる。
 ふつう子どもの心身症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

 精神面の心身症……精神面で起こる心身症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、
赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、
不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作
(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグ
ズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での心身症として、
赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、
人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の心身症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラ
フラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もら
す)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患
(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じん
ましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、
爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ
(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙
もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での心身症に先だって、身体面で
の心身症が現われることが多い。

 行動面の心身症……心身症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。
不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過
食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。
生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするな
ど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行
動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじ
めなど。

●暖かい無視と、ほどよい親

 こうした症状のうち、3〜5個、思い当たるようなら、黄信号と考えてよい。方法としては、(1)
『暖かい無視』と、(2)『ほどよい親』であることに心がける。
 (1)暖かい無視というのは、自然動物愛護協会の人たちが使い始めた言葉である。子ども
側からみて、「監視されていない」という状態を大切にする。また(2)ほどよい親というのは、
『求めてきたときが、与えどき』と覚えておくとよい。子どもがスキンシップや助けを求めてきたと
きには、それにはていねいに答えてあげる。
(040311)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


最前線の子育て論byはやし浩司(116)

●離婚のあとに…… 
 
 Aさん(38歳、秋田県H市在住)。5年前、二人の子どもを夫に預けて、離婚。原因は、Aさん
の不倫。そのAさんは、現在、そのときの不倫相手と再婚。「今は、最高に幸福な生活を送って
いる」(Aさんのメール)とのこと。

 が、その一方で、Aさんは、二人の子どもに対する、恋慕に苦しんでいる。二人の子どもは、
上の子どもが、11歳(兄)、8歳(妹)。「会いたいが、会うべきではない」「もし子どもたちが、自
分を求めていたら、どうしたらいいのか」「この5年間、まったく連絡をとっていない」と。

 前夫が再婚しているかどうかも、知らないという。現在、前夫の住んでいるところとは、70キ
ロくらい離れているとのこと。(以上、Aさんからのメールを要約。)

++++++++++++++++++

 メールの内容によれば、離婚相談のとき、Aさんは、「自分のわがままで離婚するのだから、
二人の子どもは、前夫に渡した」とのこと。しかしその文面からは、引き裂かれた母子の苦しみ
が、にじみ出ていた。それで私に、「アドバイスしてほしい」と。

 しかし私は、こういう事例については、まったく無力でしかない。とても残念だが、私の心に
は、Aさんを理解するだけの「心のポケット」がない。つまり人というのは、同じような苦しみや悲
しみを経験して、はじめて他人の苦しみや悲しみを理解できるようになる。それを昔、学生時代
の私の恩師は、「心のポケット」と呼んだ。

 ただ、想像できなくはない。そしてそれほどまでの事例ではなくても、子どもと別れた母親の
事例は、いくつか経験している。ひとつずつ、順に、心の紐(ひも)をほどいてみよう。

 Aさんは、不倫をした。しかしそれは決して、「浮気」と言えるような、浅いものではなかった。
その証拠に、Aさんは、二人の子どもと別れて、その不倫相手の男性と再婚している。

 そういうAさんを、だれが責めることができるだろうか。Aさんは、真剣だった。まじめだった。
そして自分の心の、「強烈な命令」に従って、前夫と離婚した。その強烈な命令は、Aさん自身
の心の迷いという範囲を超えた、まさに「人間として、その根底から、わき起こる命令」だったに
ちがいない。

 Aさんは、何も、まちがったことはしていない。もしAさんの行為がまちがっているというのな
ら、人間そのものがまちがっていることになる。

 Aさんは、結婚していた。二人の子どももいた。しかし電撃に打たれるような恋をした。そして
それに打ちのめされるようにして、離婚した。そこらの浮ついた男女が、遊びでする浮気とは、
中身も深みも、ちがっていた。

 で、その結果として、二人の子どもを、夫のもとに置いて、離婚した。そのときの判断が正し
かったかどうかは別として、Aさんにしてみれば、Aさんが感ずる「罪」に対する、せめてもの「つ
ぐない」だったかもしれない。Aさんは、こう言う。「前夫にすべてを捨てろというのは、できなか
った」と。

 不幸か不幸でないかといえば、こうした結末は、二人の子どもにとっては、不幸に決まってい
る。とくに今の状態では、二人の子どもは、「母は、私たちを捨てた」と思っている。またそう思
って、当然である。

 いくらAさんが、「そうでない」と思っていても、それはAさんの身勝手。事実として、Aさんは、
二人の子どもを捨てた。この親としての「罪」は、決してつぐなえるようなものではない。夫に子
どもたちを渡すことで、Aさんは、夫に対しては、つぐなったつもりでいるが、それは夫に対し
て、だけ。

 そこでAさんは、子どもへの思いが断ちきりがたく、思い悩んでいる。「どうしたら
いいか」と。

 Aさんは、不倫相手と再婚はしたものの、一日とて、心の晴れる日はなかったはず。「今は最
高に幸福です」とは書いているが、それは精一杯の虚勢であるにちがいない。朝起きれば、子
どものこと。昼の時報を聞けば、子どものこと。夜、床に入れば、子どものこと。近所の同年齢
の子どもを見ては、自分の子どものこと。それを思いやりながら、「今ごろは、9歳になったは
ず」「今ごろは、10歳になったはず」と。一日とて、いや一分とて、子どものことを忘れたことは
ないはず。

 それはものすごい閉塞(へいそく)感である。おまけに、Aさんを見る、世間の目は冷たい。恐
らく、親戚中から、白い目で見られている。「ひどい女だ」「子どもを捨てた、悪女だ」と。

 世間的な常識を言えば、そういうことになる。これに対して、Aさんが、抵抗したり、否定したり
したところで、意味はない。先に書いた、「強烈な命令」の前には、世間的な常識など、道端の
スミにたまったホコリのようなもの。この強烈な命令が、いかに強烈であるかは、あの川端靖
成をみればわかる。ノーベル文学賞までとった文学の大家でも、晩年、10代の女性と、恋をし
ている!

 しかしこうした閉塞感は、何もAさんだけが経験しているものではない。Aさんは、子どもと生
き別れたが、死に別れた人だって多い。さらに子どもではなく、親や兄弟と、生き別れたり、死
に別れたひともいる。夫や妻と、生き別れたり、死に別れた人だっている。恋人と生き別れた
り、死に別れた人となると、五万といる。あるいはもっと多い。

 それぞれが、それぞれに重い十字架を背負っている。こんな例もある。

 B氏(50歳)は、そのとき、母親と決別状態にあった。だから母危篤(きとく)の報を受けたと
きも、母親のもとには走らなかった。やがてすぐ母親はなくなったが、葬儀にも出なかった。B
氏が、45歳のときのことだった。

 そのB氏には、一人の妹がいた。身体に障害があり、介護がないと、満足にトイレへも行けな
い状態だった。しかしB氏は、その妹を、叔母に預けた。(本当は、見るに見かねて、叔母が、
その妹のめんどうをみることになった。決して、叔母のほうから、引きとったわけではなかっ
た。)

 このケースでも、B氏は、世間からは白い目で見られた。親戚からも、「ひどい息子」とののし
られた。しかしそのB氏が、実は、父親の子どもではなく、祖父と母親との間にできた子どもだ
った。それにいろいろと複雑な家庭の事情がからんだ。B氏は、母親を、心底、うらんでいた。

 が、それから5年。

 B氏の心が晴れることは、一日もなかった。B氏は、母親の死に目にもあわなかったことを悔
やんだ。葬儀に出なかったことも悔やんだ。そのときは「正しい決断」と思っていたが、時がた
つにつれて、心が変化するということは、よくある。

 毎日が、その「悔やみ」との戦いでもあった。今になってB氏は、こう言う。「どうして私は、もっ
と早く母を許せなかったのか」と。

 こうした事例は、形こそちがえ、いくらでもある。幸福な家庭は、どれもよく似ているが、不幸
な家庭は、みなちがう。顔もちがう。しかしつきつめれば、「不幸な思い」は、どの人も共通して
いる。

 だからAさんについても、「あなただけではないですよ」と言いつつも、しかし今、Aさんが感じ
ているであろう閉塞感は、B氏とは比較にならないほど、重いものであるにちがいない。私やあ
なたが安易に、アドバイスできるような内容のものではない。メールには、「私は幸福です」とは
あるが、幸福になれるはずはない。

 これから先、Aさんがすべきことは、(今は、まだ子どもたちが小さいから、しないほうがよ
い)、いつか、二人の子どもたちの前で、両手をついてあやまることである。しかしそのときで
も、二人の子どもが許してくれるとはかぎらない。しかしそれでも、Aさんは、あやまるべきであ
る。

 そういう日は、必ず、やってくる。でないと、この種の閉塞感は、日増し、年ごとに大きくなり、
ますますAさんを苦しめる。「忘れよう」「忘れよう」と、もがけばもがくほど、クモの巣のからん
だ、あり地獄の中に落ちていく。はっきり言えば、今、Aさんが感じている「幸福感」などというも
のは、紙のように薄いガラスでできた、箱のようなもの。

 つまりAさんは、こうした現実を、はっきりと認識しなければならない。逃げてはいけない。認
識する。それは同時に、とても苦しいことだが、それは自分がかかえた大病と、真正面から向
きあうのに、似ている。心の中の(わだかまり)を理解しないかぎり、その人は、そのわだかまり
と、戦うことすら、できない。

 本来なら、メールをくれたAさんに対して、「こうしたらいいですよ」というような返事を書かねば
ならない。しかし職業柄、どうしても、私の視点は、捨てられた二人の子どものほうに、向かっ
てしまう。「どれほど、さみしい思いをしただろうか」「つらい思いをしただろう」と。恐らく今の今
も、二人の子どもは、Aさんを慕いながら、その一方で、それ以上に、Aさんをうらんでいる。

 不倫がすべて悪というわけではない。

 真剣であるなら、不倫も許される。ある女性(35歳)は、一人の男性(43歳)と、一年にわた
って不倫をつづけた。週一回ほど会っては、濃厚なセックスを繰りかえした。しかしその女性
は、結局は、その男性と別れた。

 その女性は、別のところで、こんなことを言っている。「私は不倫をしました。あの世では、ま
ちがいなく地獄に落ちます。その覚悟はできています。ただ不倫をした分だけ、私は今の夫に
尽くしています。ですから不倫をしたおかげで、おかしなことですが、夫婦の仲もよくなりました」
と。

 いろいろな不倫があるが、そういう不倫もある。今さら過去を取り消すことはできないが、Aさ
んも、まだその段階であれば、いろいろ打つ手はあったのだろう。しかしその前に、その不倫
は、前夫の知るところとなってしまった。
 
【Aさんへ】 

 メール、ありがとうございました。

 多分、私に相談してくださっても、問題の根本が、解決しないかぎり、あなたの心が整理され
ることはないと思います。お力になりたいのですが、私は、あまりにも無力です。ゆいいつあな
たができることと言えば、二人のお子さんの幸福を願うことだけですが、しかしそれとて、もう、
あなたとは、関係のない世界のことです。

 あなたは「ひょっとしたら、二人の子どもが、今でも私を求めているかもしれない」「私はそれ
に答えてあげたい」というようなことを書いておられますが、それは、その通りであると同時に、
まったく、その通りではありません。

 自分たちを捨てた(この表現は適切ではないかもしれませんが、お子さんたちは、そう思って
います)母親を、二人の子どもたちも、まさに毎日、恋焦がれています。それは当たり前のこと
ではないですか! しかし同時に、内心の奥深くではそうであるとしても、それと同じくらい、あ
なたという母親をうらんでいます。それも当たり前のことではないですか!

 5年という歳月は、あまりにも長すぎます。母への恋慕が、うらみに変るのは、一日でじゅうぶ
んです。もちろんあなたには、あなたの言い分があります。夫のもとに子どもを置いていったの
は、夫への罪滅ぼしということですね。それはわかりますが、言いかえると、あなたは自分の子
どもを、取り引きの材料にしてしまったのです。

 多分、あなたは親意識の強い女性なのでしょう。子どもの心を確かめることもなく、また聞くこ
ともなく、一方的に、そうしてしまった? いただいたメールでも、子どもたち自身の心が、まっ
たく見えてきません。

 では、どうするか?

 答は簡単です。

 あなたは重い十字架を、死ぬまで背負います。重い、重い、十字架です。この十字架からの
がれる方法は、残念ながら、ありません。いくら弁解しても、いくら自己正当化しても、この十字
架からのがれることは、できません。

 あなたの二人の子どもが幸福になっても、仮に不幸になれば、なおさら、あなたの心が晴れ
ることはありません。そういう現実を、しっかりと見つめ、あなたはあなたで、懸命に今を生きて
いくしかないでしょう。

 だからといって、私はあなたを責めているのではありません。あなた自身ですら、「あなたが
あなたである前」の、「人間」という、まさにその人間から発する「強烈な命令」によって、自分の
行動を決めたのです。

 ゆいいつの望みは、そういう「強烈な命令」を、いつか、あなたの二人の子どもも、理解する
日が、やってくるかもしれないということ。まさにあなたは、(命がけの恋)をしたわけです。しか
しその命がけの恋は、二人の子どもの心に、ナイフを突き刺してしまった! そのキズを、だれ
が、どうやっていやすことができるというのでしょうか。

 私は、不可能だと思います。

 しかしね、Aさん。

 これが人生なのですね。今はまだおわかりにならないかもしれませんが、そういった自分も含
めて、「人間って、そういうもの」と、わかるときがやってきます。40代とか、50代になると、で
す。

 いろいろなドラマを繰りかえしながら、同時に、無数のドラマを、人間は、あとに残していく…
…。つまり「私」という人間を、「人間」という視点から、見ることができるようになります。そして、
ですね、そこが不思議なところですが、そういう人間に、「美しさ」を見ることができるようになり
ます。

 あなたも、いつか、そうして悩み、苦しみながらも、そういう自分の中に、「美しさ」を見ること
ができるようになります。ですから、今は、懸命に生き、懸命に幸福を求め、そして同時に、懸
命に悩み、苦しんだらよいのです。

 逃げてはだめです。真正面から、ぶつかっていきます。そういう中から、あなたは、別のあな
たを見出していく。そしていつか、気がついたとき、あなたはふつうの人をはるかに超えた、す
ばらしい人になっています。

 いいですか? だれしも、一つや二つ、そういう十字架を背負って生きています。この一年間
だけでも、こんな事例があります。

 一人息子(19歳)を、自殺に追いこんでしまった両親。同じく妻を、自殺に追いこんでしまった
夫。少し前には、自宅に放火して、娘を殺してしまった母親など。一見、極端な例に見えるかも
しれませんが、そういう人たちが背負った十字架とくらべると、あなたの背負った十字架など、
軽いものです。軽い、軽い、本当に、軽い!

 だからあなたはあなたで、前向きに生きていきなさい。

 あなたはあなたというより、人間が本性としてもつ「強烈な命令」に従った。それはまちがって
いない。以前、こんな原稿(この返事のあとに添付)を書きましたので、送ります。中日新聞に
掲載してもらったものです。何かの参考になると思います。

 そしてあなたは今の苦しみや悲しみを、つぎの段階にまで昇華させます。そうそう、先に書い
た、B氏ですが、今は、ボランティアで、老人福祉をしています。もう少し具体的には、自分にも
別の仕事があるので、妻に、その仕事をしてもらっています。その妻の仕事を、応援していま
す。

 なぜB氏が、そうなのか? そうしているのか? あなたなら、その理由がわかるはずです。

 たしかにあなたの二人の子どもは、あなたに捨てられた。これは事実です。心に大きなキズ
を負った。これも事実です。

 しかし二人の子どもは、必ず、それを乗りこえます。すでに乗りこえているかもしれません。子
どもの側からしても、その程度の問題をかかえている子どもは、いくらでもいます。今どき、離
婚など、珍しくも何ともないです。アメリカでも30%の夫婦が、離婚しています。意外と意外、こ
の日本でも、離婚率は、ヨーロッパ各国より、高くなりつつあります。

 ですから離婚の数だけ、あなたの二人の子どものような子どもも、いるわけです。(だからと
いって、あなたが背負った十字架を軽く感じてもらっては困りますよ。)

 私があなたなら、その分だけ、あなたの今の夫に、尽くします。尽くして、尽くして、徹底的に
尽くします。あなた自身の幸福というよりは、あなたの夫の幸福を、最優先します。そしてでき
れば、あなたの周囲に、あなたの助けを必要としている子どもたちのために、尽くします。

 ある女性(現在45歳くらい)は、今の夫と結婚する少し前、別の男性と遊んで、妊娠してしま
いました。それで中絶したのですが、そのときつけた子宮のキズが原因で、妊娠できない体に
なってしまいました。

 それでその女性は、それ以後、今に至るまで、何かの団体で、不幸な子どもたちの福祉活動
を繰りかえしています。つまりあなた自身も、何らかの形で、今の苦しみや悲しみを、昇華させ
ることができるはずということです。

 が、だからといって、あなたの心が晴れることにはならないでしょう。死ぬまで、晴れることは
ないでしょう。あなたがまじめで、そして懸命に戦えば戦うほど、そうです。しかし人生というの
は、もともと、そういうものなのですね。そうでない人生を、さがすほうが、むずかしいくらいで
す。

 とにかく前向きに生きていきましょう。もう、どうにもならないことは、どうにもならないのです。
大切なことは、今日できることを、懸命にすること。明日は、その結果として、必ず、やってきま
す。そして明日のことは、明日に任せればよいのです。

 そしていつか、あなたの二人の子どもは、あなたを求めてやってきます。そのとき、あなたは
もうこの世の人ではないかもしれない。(もちろんその前に求めてきたら、あなたは全幅に心を
開いて、子どもたちを受け入れます。)

 そんなときでも、あなたはあなたの二人の子どもが、部屋の中に入ってくることができるよう
に、しっかりと窓だけはあけておいてあげてください。「私の母は、すばらしい母だった」と思うよ
うな、そんな人をめざしてください。それが今できる、あなたの子どもたちへの、せめてもの罪
滅ぼしではないでしょうか。

 長い返事で、参考になったかどうかはわかりませんが、どうかどうか、前向きに生きてくださ
い。

++++++++++++++++++++

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの
ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充
実感がない……。

今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。結婚したのは二四歳のとき。どこか不
本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋をしたが、その男
性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた
何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の
土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)と。

主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れていた生
命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフランチェスカは、「日
に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じこもって」生活をしてい
たが、キンケイドに会って、一変する。

彼女もまた、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の
中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態
をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。Hさんはそうした不
満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は幸
せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こん
な話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまっ
た。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。

「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。晩
年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今氏
の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生の
中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、
下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、
医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー
の資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、あなた
がアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のようなものだが、止
まることもある。しかしそのままということは、ない。

子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着
点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、アクセルを踏
む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでまた風は吹き始める。人生
は動き始める。
(040312)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(117)

●人格の完成度

 人格の完成度、つまり内面化の完成度は、いかに相手の立場で、いかに相手の心情になっ
て考えられるかで、決まる。

 同調性……相手の悲しみや苦しみに、どの程度まで、理解し、同調できるか。

 協調性……相手と、どの程度まで、仕事や作業を、仲よく、強調してできるか。

 調和性……周囲の人たちと、いかになごやかな雰囲気をつくることができるか。

 利他性……いかに自分の利益より、他人の利益を優先させることができるか。

 客観性……自分の姿や、置かれた立場を、どの程度まで、客観的にみることができるか。

 言うなれば、自己本位とその人の人格の完成度は、反比例の関係にある。つまり自己本位
の人は、それだけ人格の完成度が低いことになる。

 このことは満1〜2歳の子どもを見ればわかる。たとえば私の孫。

 息子夫婦が、今、孫の歯磨きの習慣づけに苦労している。歯を磨こうとすると、いやがって逃
げてしまうという。そのときのこと、孫(1歳6か月)は、自分で自分の両目を押さえて、見えない
フリをするという。

 つまり「自分が見えなければ、相手も自分を見えないはず」イコール、どこかへ隠れたつもり
でいるらしい。

 あるいはある幼児(年長男児)は、こう言った。

 「ぼくのうしろは、まっくらだ。だから何もない。ぼくがうしろを振り向いたときだけ、そこにうし
ろの世界が現れる」と。

 これらは幼児の自己中心性を表す、典型的な例と言える。しかし同じようなことを、おとなた
ちもしている。

 世界のどこかで、飢餓に苦しみ人たちがいたとする。そういうニュースを新聞で見かけたと
き、そのまま目をそらしてしまう人がいる。テレビのニュースそのものを見ない人もいる。

 先日も、ある小さなラーメン屋に入ったときのこと。ちょうど午後7時になったので、私が店の
主人に、「NHKのニュースを見せていただけませんか」と言ったときのこと。「うちは、ニュース
は見ないから……」と、断られてしまった。

 結局は、世界の狭い人ということになるが、それだけ世界への同調性が、低いということにな
る。つまり世界のニュースに目を閉じることによって、そういった事件は、ないものとして片づけ
てしまう。
(はやし浩司 人格の完成度 同調性 協調性)

●無知&無理解

 子どもというのは、その年齢になると、その年齢なりの変化を見せる。とくに大きく変化するの
は、満10歳くらいからで、この時期になると、子どもは、急速に親離れをし始める。

 が、中には、それを許さない親がいる。あるいは、あまりにも無知で、そうした子どもの心の
変化を理解できない。

 このタイプの母親は、もともと子どもへの依存心が強い。支配欲も強く、子どもを自分の思い
どおりに動かそうとする。そういうこともあって、子どもが自分から離れていくのを許さない。だ
からあの手、この手を使って、子どもの(自由なる行動)を、制限しようとする。

 もっともよく使われる手が、子どもの趣味や、好みに干渉すること。

 「親の言うことを聞けなければ、サッカークラブをやめなさい!」
 「親に反抗したら、塾をやめさせる!」
 「親にさからったから、家を出て行け!」など。

 つまり親の意思に反したら、生きていくことさえできないという状態をつくる。そして子どもをし
ばる。

 悪玉親意識の強い人ほど、こうした手を使う。しかしこの方法は、まさに両刃の剣である。

 うまくいっても、子どもには、依存心がついてしまう。失敗すれば、(たいていは、失敗する
が)、親の関係は、その時点で断絶する。

 こんな例がある。

 あるとき、サッカークラブのコーチの家に、ひとりの母親から電話がかかってきた。そしていき
なり、「息子(小5)は、今月いっぱいで、クラブを退会します」と。そこでコーチが、理由を聞く
と、「親を親とも思わない態度が許せない。反省するまで、サッカーをやめさせます」と。

 こういう例は、決して、少なくない。

で、こういうケースでは、コーチでも、無力でしかない。母親の言うとおり、その翌日、コーチは、
その子どもの退会処理をした。が、その二日後、またその母親から電話。

 「息子も、よく反省したようです。今週から、またクラブに通わせますから、よろしく」と。

 しかしこの言葉にコーチが、激怒した。クラブが、親の都合だけで、よいように、もてあそばれ
たのではたまらない。が、そこはぐいとこらえた。その子どもは、クラブには、必要な子どもだっ
た。

 しかし、同じことが、また起きた。そのちょうど2か月後、今度は、その子ども自身から、電話
がかかってきた。泣きべそをかいていた。そしてコーチに、こう言った。

 「コーチ、……今月いっぱいで、……クラブをやめます」と。

 明らかに親に、そう言わせられているといったふうである。コーチは、「お母さんに、あやまっ
て、また来ることはできないのか?」と聞くと、「できないみたい……」と。

 家の中での騒動を、コーチは、その言い方の中に感じたという。で、その日は、そのままにし
ておいた。……というより、コーチは、すでにその子どもを、心の中では、レギュラーをはずして
いた。

 親の無知と無理解。この二つに振り回される子どもは、少なくない。親子だけではない。学校
の先生、塾やおけいこ塾の先生。さらにはクラブの監督やコーチなど。こういうケースは、私
も、よく経験する。しかし結論を言えば、こうなる。

 親も行きつくところまで自分で行かないと、気がつくことはない。

【追記】

 子どもを育てながら、心のどこかで犠牲心を感ずる親は、少なくない。不幸にして不幸な結婚
をした親ほど、そうかもしれない。

 そしてその犠牲心が、そののち、さまざまな形に姿を変える。ここでいう悪玉親意識も、その
一つということになる。

 親風を吹かしながら、子どもを自分の支配下に置こうとする。これを私は「代償的愛」と呼ん
でいる。一見、子どものことを考えながら、子どものことなど、何も考えていない。自分の心のス
キマを埋めるための道具として、子どもを利用する。

 しかしそれに気づく親は、少ない。あれこれ世話を焼きながら、それを「子どものため」と誤解
する。「あの子は、自分がいないと、何もできない子どもです」などと、平然と言う。つまり子ども
に依存心をもたせながら、自分自身も、子どもに依存しようとする。

 こうした相互依存関係が、それなりにうまくいくケースも、少なくない。しかしそのときでも、そ
こに、子離れできない親、親離れできない子どもという、つまりはベタベタの親子関係が生まれ
る。

 ここに書いた「サッカーをやめろ」と言われた子ども(小5)のばあいも、親子がそのまま断絶
してしまう可能性は、きわめて高い。もう少し子どもが大きくなれば、「バカヤロー!」「うるさ
い!」の大乱闘になることも考えられる。そういうケースは、少なくない。

 しかしそれだって、まだよいほうだ。ゆがんだ心が外に向えば、非行。内に向えば、家庭内暴
力。ただではすまない。だから私は、あえて言う。

 「親も行きつくところまで自分で行かないと、気がつくことはない」と。

 
●愚かな人VS賢人

 愚かな人には、賢い人は理解できない。が、賢い人には、愚かな人が、よくわかる。自分に
ついても、同じ。人は以前より賢くなって、それまでの愚かさがわかる。

 このことは、文章を書く人なら、みな、知っている。

 私も、ときどき、20年前、30年前に、自分で書いた文章を読みかえすときがある。そのと
き、そのつど、自分の愚かさに、あ然とするときがある。

 (だからといって、若いころに書いた文章が、つまらないと言っているのではない。反対に、そ
の感性や、純粋さに驚くこともある。)

 では、愚かな人と賢い人のちがいは、どこにあるのか。

 私は、そのちがいは、思考力の深さと、考える習慣によると思う。どこか手前味噌のような意
見だが、しかし「考える」ということは、山登りに似ている。高い山に登れば登るほど、それまで
の山が低く見える。予想していたよりも、はるかに低く見える。

 同じように、一つの考えを自分のものにすると、それまでの自分が、愚かに見える。ものすご
く愚かに見える。

 あとは、その繰りかえし。(だからといって、私が賢人というわけではない。誤解のないよう
に!)

 これは一つの例だが、今日も、道路へ、平気でゴミを捨てている若者を見かけた。何かの紙
くずを、手のひらの中で、クルクルと丸めて捨てていた。

 私から見ると、その若者は、愚かな人に見える。しかしその若者自身は、自分がそうであるこ
とには気づいていない。(ゴミを捨てない人)が、どういう人であるかさえ、知らないからである。
つまり愚かな人からは、賢い人がわからない。 

 こういう例は、多い。子育ての世界にも、多い。

 こちらからは、親の考え方や、育て方、それに子どもの問題点や、これから先、どうなるかと
いうことまで、手に取るようにわかる。しかし、その親には、それがわからない。わからないま
ま、私にあれこれ指示してくる。

 ……という話は、ここまで。立場上、スポンサーの悪口は書けない。ただそういうときは、私の
ほうが、バカなフリをして、つまり知らぬフリをして、その場をやり過ごす。それも大切な教育技
術の一つだと、私は思っている。


●泥棒の家は、戸締りが厳重

 昔から『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。私は、この諺(ことわざ)の意味を、このところ、
毎日、考えている。

 私は、子どものころから、孤独だった。他人に心を開かない分だけ、当然のことながら、他人
を信用しなかった。よく「浩司は、愛想のいい子だ」と、伯父や伯母に言われたが、それはいわ
ば、仮面のようなものだった。

 本当の私は、人嫌いで、とくに集団行動が苦手だった。運動会にせよ、遠足にせよ、人に気
をつかう分だけ、よく疲れた。

 だからといって、ひとりでいることを好んだわけではない。ここにも書いたように、私はいつも
孤独だった。

 そういう意味では、私には、問題があった。対人関係を、うまく結ぶことができなかった。孤独
だったから、外に出て行った。しかし外の世界では、うまく、人と交際ができなかった。

 で、30代、40代は、そういう自分との戦いだったような気がする。今でも、基本的には、対人
関係が、苦手である。ただ子どもたちと接しているときだけ、私は、私でいられる。ありのまま
の自分を、すなおに表現できる。

 このことと、『泥棒の家は、戸締りは厳重』と、どういう関係があるのか?

 実は、私は、そのため、ここにも書いたように、「人を信用しない」人間だった。「信用しない」
といえば、まだ聞こえはよいが、裏を返すと、「疑りぶかい」ということになる。そう、私は、子ど
ものころから、その疑りぶかい子どもだった。

 たとえばだれかが、私に何かをくれたとする。そのとき私は、それに対して、「ありがとう」と言
う前に、相手の下心をさぐってしまう。「どうしてくれるのか?」「私に何をさせようとしているの
か?」と。

 つまり私は、人を信用しない分だけ(=泥棒であるため)、他人を疑ってしまう(=戸締りを厳
重にする)。

 で、私とワイフの関係についても、同じようなことがいえる。今夜も私は、ワイフにこう聞いた。

 「お前は、ぼくといっしょにいて、さみしくないか? ぼくたちは長い間、夫婦をしているけど、
ぼくは、お前のことを全幅に信じているわけではない。たとえばいつか、ぼくが倒れて、仕事で
もできなくなったら、お前はぼくを捨てていくだろうと思っている。心のどこかで、ね。そういうぼく
を、お前も感じているはずだ。だから、お前は、さみしい思いをしていると思う」と。

 それに答えて、ワイフは、こう言った。「あなたは、かわいそうな人ね」と。

 私は泥棒なのだ。だから、戸締りを厳重にしている。そういう自分と、どう戦えばよいのか。戸
締りばかりしているのも、疲れた。もうそんなことは考えないで、家中の窓や戸を、全部開け
て、のんびりと暮らしてみたい。

 聞きなれた諺だが、このところ、この諺の意味を、あれこれ考える。


●ケータイをもったサル

 どこかのだれかが、「ケータイをもったサル」といようなタイトルの本(新書版)を書いた。少し
立ち読みをしただけなので、内容はよく知らない。しかし、このところ、「なるほど、そうだな」と
思うときが、ときどきある。

 今日も、ローカル電車に乗ったときのこと。若い人たちが、みな、ケータイを相手に、きぜわし
く、指先を動かしていた。中には、こっそりと、会話をしている人もいた。が、その中でも、とくに
一人の女性が、私の目をひいた。

 かなり大柄な女性だったが、始終、ひわいな笑みを浮かべて、メールを読んだり、送ったりし
ていた。表情を見ただけで、そういう話とわかるような雰囲気だった。しかも傍若無人(ぼうじゃ
くぶじん)。よく満員電車の中で化粧をしている若い女性を見かけるが、私が受けた印象は、そ
れ以下だった。

それぞれの人が、何をしようと、それはその人の勝手。しかし私はその女性の笑みの中に、一
片の知性すら感ずることができなかった。まさにサル(失礼!)。本当にサル(失礼!)。

 人間とサルとはちがうというが、私には、動物園で見たあのサルと、その女性が、まったく区
別がつかなかった(失礼! 本当に失礼だと思うが、事実は、事実。)

 ためしにみなさんも、今度、ローカル電車に乗ったようなとき、若い人たちの姿を見てみると
よい。もちろん大半の若い人は、そうでない。しかし中に、ときどき、見るからに低劣な人がい
る。どう低劣かは、ここに書くことができないが、本当に、低劣。

 以前、私の恩師の一人が、「昆虫のような脳ミソ」という言葉を使ったことがある。理性や知
性を感じない人を評して、その恩師は、そう言った。たいへん失礼な言葉に聞こえるかもしれな
いが、私はその言葉を思い出しながら、「ああいう人たちのような脳ミソを、昆虫のような脳ミソ
というのだな」と思った。

 今、とても残念なことだが、その程度の脳ミソしかない人が、ふえている? ……多分?

【追記】

 ついでに、もう一つ苦情。

中高年の人たちも、うるさい。本当によくしゃべる。大声で。しかも「しゃべらなければ、損」とい
ったふうに、しゃべる。

 自分もその中高年の一人だから、偉そうなことは言えない。が、もう少し、まわりの人が受け
る迷惑も考えるべきではないのか。

 今日もローカル電車で、岐阜へ行くとき、ハイキングにでかける一行(全員が、50〜60代、
4〜5人のグループが、二つ)と、いっしょになった。

 そのグループが、ワイワイ、ガヤガヤ。本当に、うるさい。どうしてああまで、うるさいのか? 
一人がしゃべると、相づちをうって、ほかの全員が、これまた負けじとばかり、大声でしゃべる。
またそういうふうに、しゃべりあうのが、常識と考えているといったふう。

 おかげで眠っていこうと考えていた私の思惑は、完全にはずれた。席を離れて、となりの車
両に移ったら、そこにも、中高年の人たちのグループが! あきらめて一番手前の席にすわっ
て、私は、ただひたすら雑誌を読みつづけた。

 ……ずいぶんと失礼なことを書いてしまったようだ。今夜は、長旅で、少し疲れているせいか
もしれない。少し、気分がイラだっているようだ。

 でも、みなさん、電車の中では、もう少し、静かにしましょう!


●性欲

 乳幼児にも性欲があるといったのは、フロイトだが、それはともかくとして、男には、たしかに
排泄欲というものがある。

 たとえば、私は、銀行に行くと、ソファに座ったまま、頭の中で、よく銀行強盗を空想する。し
かしこれはあくまでも空想。ハリウッド映画の影響だと思う。

 だから実際には、銀行強盗をするような夢は見ない。つまり(空想)と、(現実)の間には、大
きな距離感がある。

 しかし一方、若い銀行員の女性を見ながら、あらぬロマンスを想像することはある。しかしこ
のばあいは、(空想)と、(現実)の間には、それほど距離感はない。だから実際には、夢の中
でも、そういった夢を見ることがある。

 もちろん銀行強盗を空想するような、罪悪感はない。それはいわば排泄のための、排泄行為
のようなもの。あえて言うなら、空腹なとき、ごちそうを食べる夢を見るようなものではないか。

 ところでフロイトは、その排泄欲を観察しながら、人格の完成度まで、段階化した。

(口唇期)……母親の乳房に口をあて、自分の快感を得るためだけの、自分勝手な性欲期。
(肛門期)……排泄だけを目的とし、排泄することによる快感だけを求める、性欲期。
(男根期)……女性を「女」と見ることにより、男としての優越性を求める性欲期。
(性器期)……たがいの心の交流を求めて、人間らしい、深い味わいを求める性欲期。

 しかし実際には、男には、こういう段階があるわけではなく、(フロイトを批判するのは、たい
へん勇気がいることだが)、いつもそれぞれの状態が、一人の男性の中に、混在しているとみ
るべきではないか。

 たとえば今という時点においても、私の中には、(口唇期)もあれば、(性器期)もある。ときに
(肛門期)もあり、(男根期)もある。ただ年齢と経験が加算されればされるほど、相対的に(口
唇期)の性欲が減り、より(性器期)の性欲を求めるというだけにすぎない。

 で、この状態は、40歳になっても、50歳になっても、変らない。だから今でも、ときどき夢の
中で、若い女性との、あらぬ夢を見ることがある。だからといって、それを浮気だとか、不倫だ
とか、そういうふうに考えてもらっては、困る。

 あくまでも、排泄欲としての、セックスを想像するだけである。ただ若いときとちがって、それ
が、夢精につながることは、少ない。そういう意味では、精力そのものは、たしかに衰えた。し
かし「男」としての性欲は消えるわけではない。

 フロイトは、性欲は、生きる力の源泉になっているという。考えてみればその通りで、人間も、
ほかの動植物と同じように、(種族の保存)を、生きるための最大の目的にしている。もし性欲
がなかったら、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 性欲を悪と決めてかかるほうが、おかしい。俗な言い方をすれば、スケベな人ほど、それほ
ど、生活力も旺盛ということになる。スケベであることは、おおいに結構。男性のばあい、(女性
のことはよくわからないが……)、スケベでなくなったら、男も、おしまいということ。大切なこと
は、それをどうコントロールするか、である。

 で、ワイフのこと。

 ときどき、「今朝は、ヒワイな夢を見たよ」と、私が言うと、ワイフは、さも軽蔑したような目つき
で私を見る。「いい年して、まだ、そんな夢を見るのオ?」と。しかしそれは誤解。それを言いた
くて、このエッセーを書いた。

 ところで、私の銀行強盗計画は、こうだ。(あくまでもハリウッド映画用の脚本として……。)

 まず地下のxxxから、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxx。ほかの仲間(ワイフ)はそのまま帰る。

 残った一人は、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxを一台、天井から、ゆ
っくりとつりあげる。

 そのxxxxxxxxxに、無線のxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxコピーする。

 翌朝、銀行業務が始まったら、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxx。送金時刻は、銀行業務が終わる、ギリギリの時刻に設定する。

 送金先は、反対に、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx。そうすれば、xxxxxxxxたちが、その不正送金に気づくことはない。

 こうして別の仲間(私のワイフ)が、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xx大金を自分のものとする。

 ハハハ。

 これが私の銀行強盗計画。今のところ、ワイフは、まったく相手にしてくれないから、これはあ
くまでも私の空想。しかしだれかがやろうと思えば、そういうこともできるということ。銀行側も、
そのための対策をしっかりと、とっておいたほうがよい。

 私の印象では、どこの銀行でも、xxxxxxxxxxxxxxxが、一つの大きな盲点になっていると思
う。

 ただし強盗をするほうも、時期を選ばないと、たいへんなことになる。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx。

 (いいのかなあ、こんなことを、書いて……。やはり、この部分は、ボツにしよう。マネをする人
がいるといけないから……。「xxxxxxx」と、重要な部分を、伏せ字にすることにした。)

 
●Zシティ中央館に公的補助????

 浜松市中心部の西はずれに、Zシティと呼ばれる一角がある。市が数百億円の援助をして開
発した地域だが、その中の一つが、経営不振にあえいでいる。(本当のところは、あのあたり
の開発ビルすべてが、経営不振にあえいでいる。)

 そこで「Zシティを破綻させたらたいへんなことになる」(K市長)ということで、急きょ、10億円
近い公的資金を、補助することになった。(当初は、20億円程度だった。)しかし「どうしてたい
へんなことになるのか」という部分の説明がなかった。

 そこでこの補助は、ご破算になった。当然である。

 仮にここで補助すれば、市の財政は、ますます深みにはまってしまう。ドロ沼と言ってもよい。
来年になると、さらに深みにはまってしまう。再来年になると、もっとはまってしまう。こうして毎
年、利息の不足分を補うだけで、10億円以上もの、税金を使うことになる。しかもそのZシティ
に関わる地権者というのは、たったの17人。

 わかりやすく言えば、市は、17人という民間人を助けるために、毎年、10億円以上もの税
金を使うことになる。

 (実際には、Zシティの中央館だけでも、負債額は、数十億円以上。この額は、これから先、
ふえることはあっても、減ることは、まずない。)

 もともと無謀な再開発であった。結局は、そのビルを建築した土建業者だけがもうけたという
再開発。地権者自身も、そういう意味で、被害者なのかもしれない。ここでZシティが破綻すれ
ば、土地の権利そのものを、失う。

 しかし、それにしても、ムダな建物が、多すぎる? みなさんは、自分の周囲を見渡して、そう
は思わないだろうか。公共の施設だけが、飛びぬけて、立派。場ちがいなほど、立派。

 昨日(3・13)も、岐阜市の郊外を、バスで旅をしてみたが、どこも公共施設だけは、飛びぬ
けて豪華。すばらしい。ぜいたく。

(昨日は、美濃→大矢田→武芸川→高富→岐阜のコースで、バスに乗った。)

バスは、途中、ある公共の保養施設の前でも止まったが、乗り降りする人はゼロ。時刻は、一
番忙しいはずの、午後5時ごろ。駐車場は、土曜日の祭日というのに、ガラガラ。実際には、駐
車してあった車は、多分、職員の車なのだろう。すみのほうに、数台あっただけ。

 ご多分にもれず、その公共施設も、都内の一流ホテル以上に、豪華。重厚なつくりだった。
敷地も広く、屋根も高い。あなたが住んでいる地域の周辺も、まちがいなく、そういった施設が
あるはず。ひょっとしたらあなたは、「こうした豪華な施設は、このあたりだけ」と思っているかも
しれない。が、それは誤解。

 全国津々浦々。小さな寒村にすら、こうした豪華な施設、立ち並んでいる。

 どうして日本は、こういうアホなことばかりしているのだろう。あとあとの維持費のことを考えた
ら、とてもできることではない。また、してはならない。

「ないよりはあったほうがよい」と。しかしこんな論理だけで、こんな豪華な施設ばかり建ててい
たら、この日本は、どうなる? もうすぐ、国の借金が、一人当たり、1000万円になる。4人家
族なら、4000万円。5人家族なら、5000万円。幼稚園児が200人で、20億円。それともあ
なたなら、その借金を返せるとでもいうのだろうか?

 日本は、気がついてみたら、とんでもない土建国家になっていた。先日、30年ぶりに日本へ
来たオーストラリアの友人も、日本の川や山々を見て、驚いていた。「どうして日本人は、川や
山をコンクリートでおおうのか」と。

 私はZシティを破綻させても、かまわないと思う。そして愚劣な土建国家の象徴として、つまり
こういうムダなものを、もうこれ以上つくらないためにも、その象徴として、幽霊ビルにすればよ
いと思う。みんなが、そのムダづかいに気づいて、もっともっと、怒ればよいと思う。その怒り
が、こうしたムダづかいに、ストップをかける。長い目で見れば、そのほうが、市民にとっても、
得なはず。

 そんなムダなお金があったら、教育(校舎を建設することではないぞ!)や、文化のために使
え。日本人を、賢く、利口にするために!

【静岡空港】

 ないよりは、あったほうがよい。……だれだって、そう答える。しかしそのお金は、どこから降
ってくるのか? わいてくるのか?

 第二東名だけで、工費が11兆円以上。国家税収の4分の1以上! 今、現存の東名高速道
路ですら、利用者が頭打ち。ここ数年のうちには、利用者は、減少に転ずるといわれている。

 そして今度は、静岡空港。「あれば便利だろうな」と、私も思う。成田空港は遠いし、名古屋空
港も、不便なところにある。しかしこれ以上、つぎの世代の子どもたちに借金を残してどうす
る。苦しむのは、子どもたちだけではないか。もしそうなら、多少の不便は、がまんする。賢い
おとななら、だれだって、そう考える。

 もう、やめよう! こんなアホな政治は! お金をかけるべきところが、ちがう。全国のみんな
が、一、二の三で、同時にやめれば、それですむことではないか。

 今、この日本は、官僚による、官僚のための、官僚の政策によって、破綻に向って、まっしぐ
らに進んでいる。いったい、どこまで行ったら、日本人は、それに気がつくのか? 

 私は何も、静岡空港の建設に反対しているのではない。ただ、これ以上、税金のムダづかい
は、やめてほしいと言っているだけ。もしそんなお金があるなら、税金を安くし、医療費を安くし
てほしい。教育費を安くしてほしい。そして教育や文化に、もっと、お金を使ってほしい。


●三男の旅立ち

 明日、夕刻の飛行機で、三男が、オーストラリアへ旅立つ。「そんな大げさなものじゃない」と
三男は言う。しかし今夜、家族で、そのお別れ会をした。

 このところ、私の周辺で、いろいろな問題が起きている。そのせいか、三男との別れが、ぐい
と胸に響く。ワイフが、こう言った。

 「私、E君(三男)と、二人だけで旅をしたことがないわ。だから明日は、東京まで、いっしょに
行ってあげたい」と。ワイフにはワイフの思いがあるようだ。私としては、それに反対する理由
など、どこにもない。

 その私は、三男とよく、二人だけで、旅をした。紀伊半島を回ったこともあるし、長野県から岐
阜県を、回ったこともある。タイへも、いっしょに行ったことがある。だから思い残すことはない。
ないはずなのに、どこか、さみしい。

 「恐らく、三男は、このまま、我が家にもどってくることはないだろう」と、私が言うと、ワイフは
黙っていた。それが、そのさみしさの原因かもしれない。つづいて、「親として、できるだけのこ
とはしてやろう」と言うと、「そうね」と。

 ……ここまで書いたところで、文がつづかなくなってしまった。淡い虚脱感というか、力が抜け
たというか。あまり考えたくないというか……。

私は子育てをしながら、むしろ、子どもたちに、人生を楽しませてもらった。だから息子たちに
は、感謝しこそすれ、それができなくなったからといって、今、さみしく思わねばならない理由な
どないはず。

それが、どういうわけか、さみしい。

 多分、このさみしさは、ひょっとしたら、人生が終わりに近づいたものがみな、感ずるさみしさ
ではないのか。子育てが終わったと思ったら、そこには、老後が待っていた……。今日も何か
のことで、カガミにうつった自分の顔をみて、こう思った。

 「はやし浩司も、ジジくさい顔になったなあ」と。

 自分でもいやになる。何かをしてきたようで、何もできなかった。これから先、あと10年生き
ても、20年生きても、この状態は、変らないかもしれない。「今日こそは……」「今日こそは…
…」と、がんばって生きてきたが、夜になると、「やっぱり何もできなかった……」と。毎日が、そ
の繰りかえし……。

 そう、だから今日、三男に、車の中で、こう言った。

 「ぼくは、ちょうどお前の年齢のとき、オーストラリアへ行った。日本へ帰ってきてからは、ずっ
と、苦労の連続だったけれど、そんなぼくが、かろうじて道を踏みはずさないですんだのは、あ
の時代があったからだよ。

 お前は、その時代を、今、自分でつくろうとしている。いいか、今のこの時は、これから先、お
前の(核)となる時代になるんだよ。思う存分、羽を広げて、この広い世界を、はばたいてみ
ろ。悔いのない青春時代を生きてみろ。

 オーストラリアにはね、本物の自由がある。日本人が見たことも、聞いたこともない自由だ。
その自由にふれてこい。それがね、いつか、お前の心の中で、さん然と輝き始めるよ」と。

 そう言い終ったときも、私はさみしかった。本来なら、喜んでよいはずなのに、その喜びがな
い。どうしてだろう。

 今夜は、早めに寝たほうが、よさそうだ。身も心も、疲れすぎている。ほんとうに、この二日
間、いろいろあった。

 
●思考

 「考えること」といっても、大きく分けて、二種類ある。考えていて、楽しいことと、考えれば考え
るほど、気が滅入ることである。

 そのちがいは、どこにあるかといえば、(わずらわしさ)。

 総じてみれば、わずらわしさの原因のほとんどは、人間関係から生まれる。人は、その人間
関係を避けて生きることはできないが、この人間関係は、一度こじれると、とことん、こじれる。
そして一度こじれたら最後。あとはわずらわしくなるだけ。

 だから気持ちよく生きるためには、そのわずらわしさから、自分を回避するしかない。つまり
は、その危険性のある人には、近づかない。昔、中国では、『君子、危うきに近寄らず』と言っ
たが、その(危うき)というのは、まさに人間関係のことを言ったのではないかと思う。

 E氏だったと思うが、あるノーベル賞受賞者が、こう言ったという。「ノーベル賞をとるような研
究をしたかったら、名刺を捨てなさい」と。

 つまり、わずらわしい人間関係とは、決別しなさい、と。

 このE氏の言葉には、一理ある。何かの目標に向って、まっしぐらに進んでいくためには、こう
したわずらわしさからは、できるだけ解放されたほうがよい。

 で、私も、毎日、いろいろと考える。考えること自体は、苦痛ではない。しかし考えれば考える
ほど、気が滅入ることも、少なくない。が、一方で、私は、あまり器用ではない。何かにつけて、
考えてしまう。そしてその結果、そういうわずらわしいことまで、同じように考えてしまう。そして
ますます気が滅入ってしまう。

 そうして考えてみると、「考える」ということは、まさに両刃の剣ということになる。考えることに
よって、自分を伸ばすこともあるが、使い方をまちがえると、自分を腐らせてしまう。その使い
分けをどうするか。これも、「考える」ことにまつわる、大切な問題だと思う。


●現実検証能力

 心が変調すると、現実検証能力を失うことがある。わかりやすく言うと、自分の置かれた立場
が、客観的に判断できなくなってしまう。

 たとえばよく知られた例に、家庭内暴力がある。家庭内暴力を起こす子どもは、家族をとこと
ん苦しめる。そのギリギリの限界まで、家族を苦しめる。そういう子どもに向かって、「そんなこ
とをすれば、あなた自身も、損なのだよ」と説明しても、意味はない。

 自分のしていること、自分がしていることがおよぼす結果や影響、自分の置かれた立場な
ど、そういうものが、理解できない。理解するための、思考力そのものが、ない。

 ほかにも、親の銀行通帳から、勝手にお金を引き出して使ってしまった子ども(女子高校生)
の例もある。が、さらにひどくなると、金銭感覚そのものがなくなることもある。

 これはある女性(母親)の例だが、夫の給料のほとんどを、衣服やバッグの購入のために使
ってしまう人がいた。それも、一個、10万円もするようなバッグを、何個も、である。

 夫が強く叱ると、そのときは、涙をこぼしながら反省するのだが、しかしもうその翌日には、別
のバッグを買ったりしていた。

 で、最近、ふと気がついたことだが、俗に言う、ノー天気な人、あるいはのんきな人というの
は、この現実検証能力のない人のことを言うのではないかということ。意外と、そういう人は多
いのでは……?

 たとえば慢性的なうつ状態が長くつづいたことが原因で、ものの考え方が、チャランポランに
なる人がいる。お金の使い方がだらしなくなるだけではなく、人間関係や、生活態度そのもの
が、だらしなくなる。一般には、「行為障害」とか、「行動障害」とか、言われている。

 しかしその中身はというと、この「現実検証能力」の喪失ではないか。現実感をなくすから、そ
れが原因となって、さまざまな行為障害的な行為を繰りかえすようになる?

 こんな例がある。

 ある男子中学生だが、父親が来客用のみやげとして用意しておいた洋酒のボトルのフタをあ
けてしまったという。そこで父親が激怒して、「どうしてこんなことをするのだ!」と叱ったところ、
その中学生は、「ちょっと、飲んでみたかっただけ」と、泣きじゃくったという。

 またある小学生は、薬のトローチを、お菓子がわりに、なめてしまったという。

 で、私の経験では、幼児期から少年少女期にかけて、一度、こうした現実検証能力を失うと、
その影響は、ほぼ一生、つづくのではないかということ。自信喪失から、自己嫌悪におちいるこ
ともある。

 本来なら、早い時期に、親がそれに気づき、適切な措置をとるべきである。しかしそういう親
に限って、支配欲が強く、子どもを、強圧や命令で、しばろうとする。具体的には、(強く叱る)→
(ますます子どもは現実感を喪失する)→(ますます強く叱る)の悪循環の中で、子どもの症状
は、さらに悪化する。だからその影響は、ほぼ一生、つづく。

 簡単な診断法としては、お年玉などのお金を、子どもに渡してみるとわかる。現実検証能力
の高い子どもは、そのお金を計画的に使う。何かの目的のために、大切に使う。そうでない子
どもは、もっているお金を、すべて使ってしまう。その場だけの楽しみのためだけに、使ってしま
う。しかもあと先のことを考えないで、使ってしまう。

 こうした現実検証能力の弱さを感じたら、育児姿勢が過干渉、過関心、溺愛的になっていな
いかを、謙虚に反省する。原因は、子どもにあるのではなく、家庭教育そのものにある。そう考
えて、反省する。

 実のところ、私も、このところ、現実検証能力が弱くなってきているのを感ずる。どこか自暴
自棄になってきたというか、そういう感じ。「なるようになれ」とか、「なるようにしかならない」と
か、そんなふうに考えることが多くなった。

 これは多分に、年齢のせいだと思う。あるいは「やるだけのことはやってみたが、やはりダメ
だった」という敗北感のせいかもしれない。だから現実検証能力のない子どもの気持ちが、よく
理解できる。

 ただ念のために申し添えるなら、この「現実検証能力」という言葉は、私が考えた言葉ではな
く、心理学辞典にも載っている、心理学の用語である。決して、軽く考えてはいけない。
(はやし浩司 現実検証能力 行為障害 自信喪失 自己嫌悪)


●ホームステイ

 毎年、多くの高校生や大学生が、留学のため、外国へでかけていく。そしてその先で、ホー
ムステイを経験する。

 私の三男も、今日、オーストラリアへでかけて行った。高校の元教師の家で、ホームステイす
ることになった。

 出かけるとき、私は、三男にこう言った。

 「ホームステイというのは、その先で、家族の一員になることをいう。決して、お客様になって
はいけない。向こうでは、最低でも、つぎのことをするように。

(1)食事の用意、片づけは、すること。
(2)シャワーで壁を汚したら、きれいに流しておくこと。トイレも同じ。
(3)ベッドは、毎朝、起きたら、なおすこと。
(4)家事一般は、積極的に、手伝うこと。

 日本の子どもたちは、こういった仕事をほとんどしない。子どものときから、そういう訓練を受
けていない。だから、アメリカでも、オーストラリアでも、日本の学生は、嫌われる。アメリカ人の
友人は、こう言った。

 「ヒロシ、どうして日本の子どもたちは、何もしないのか?」と。

 さらにタチの悪い学生となると、宿泊先の母親を、お手伝いさんか何かのように思ってしまう
らしい。「金さえ払えば、それでいい」と。しかしこれは大きな、誤解。誤解というより、まちがい。

 中には、金儲け主義で、ホームステイさせる人もいるにはいる。しかし大半の人は、ボランテ
ィア活動の一つとして、している。たとえば今、オーストラリアでは、1週160〜70豪ドルで、学
生を預かってくれる。日本円になおすと、15000円前後。月額にして、6万円前後である。もち
ろん、毎日、二食つき。

 安いと言えば安いが、それに甘えてはいけない。

私「家事を手伝うんだぞ。お前は、決して、お客様ではないのだからな」
三男「うん。わかっているよ」と。

 恐らく、日本の子どもほど、家事を手伝わない子どもは、いないのではないか。その点、オー
ストラリアにしても、ニュージーランドにしても、子どもたちは、本当によく家事を手伝う。学校か
ら帰ってきたあと、夕食の時間までは、家事を手伝う時間になっている。料理や洗濯のほか、
家の修理などなど。

 ホームステイは、その延長線上にある。

 もしあなたの子どもが、外国で、ホームステイすることになったら、ここに書いたことを、一
度、話してきかせるとよい。

【追記】

 ところで今、ひそかに問題になっているのは、自活できない大学生たち。大学へは入学した
ものの、自分の身のまわりのことができない。料理、洗濯、炊事などなど。高校を卒業するま
で、ご飯を炊いたことがない学生となると、いくらでもいる。

 一流と呼ばれる大学へ入った子どもほど、そうだそうだ。しかし考えてみれば、それもそのは
ず。

 小さいときから、勉強しかしていない。親も、勉強しか、させていない。また「勉強する」「宿題
がある」と言えば、すべての家事が免除される。そういう家庭環境で、育っている。その結果、
ここでいう、自活できない学生がふえた。


●メール

静岡県H市のYさんから、こんなメールが届いています。掲載の許可をいただけましたので、こ
こに紹介します。

++++++++++++++++

はやし先生

おはようございます。
すっかり春めいてきました。

マガジンいつも楽しみにしています。

二月から三月にかけては、
バイオリズムが低迷していたのか、
二女のケガから始まり、
どうも物ごとがうまく進まなかったり、
失敗があったりと・・・・・最悪でした。
精神的には落ち込むし、やる気はなくなるしで、
憂うつな日々でした。


その上家族が順番に風邪をひき、
私は疲労とストレスのピークに達していました。


些細なことですが救われるきっかけがありました。 

母「今年はおひな様どうしようか。」(かなり、やめようモードで聞きました。)
長女「ママ、大変そうだから出すのは、やめにしてもいいよ」
母「そうだね。今年はやめておこうか、たいへんだから」
長女「うん。」
---重〜い空気が流れました。---

そして翌日
母「夕べ考えたんだけど、やっぱりおひな様出そうか!」
長女「・・・?」
母「だっておひな様が、一年に一度この時を楽しみにしていたとしたら
人間の都合で勝手に出すのをやめたらかわいそうだと思って・・・」
長女「そうだね。私もそう思う。今度の土曜に一緒に出そうよ」

---部屋の隅で聞き耳を立てていた---
長男「僕は五人ばやしと、赤い顔のオヤジを出すよ」
(笑・笑・笑)

そして土曜日
人形やお道具を出しながら、
長女「ねえ、ママ、なんだか私、うれしくなってきた」
母「ママも」
---長女のいい笑顔---出してよかった〜〜と思いました。--- 

今年はほんの一週間しかおひな様が飾れませんでしたが、
子どもと一緒に、いい経験が出来ました。

私がおひな様を出そう!、と奮起出来たのは
マガジンの影響がすごくあります。
ホントにありがとうございました。

無料でも有料でも私にとっては
はやし先生のマガジンに、変わりありません。
(あまりに高額だと、そうも言ってはいられませんが(笑)).

子育ては毎日が迷いとため息とあきらめと、
感動と涙と笑いと・・・本当に疲れます。
(ちょっと吉本っぽくて、笑える文です。)

マガジンのお陰で、新しいエネルギーが補充されるようです。

はやいもので、マガジンを読み始めて、もうすぐ一年が終わります。
私は、昔から春休みのこの時期が大好きです。
木々も草花も自分に微笑んでいる
ようにさえ見えてくるのです(かなりジコチューです)

また、新しい一週間が始まります。

これからもよろしくお願いします。

       H市 Y(母親)より
  
++++++++++++++++++++

 毎日、読者の方から、平均して、20〜30通のメールをいただきます。できるだけ返事を書く
ようにしていますが、このところ忙しくて、それもままならなくなってきました。ときどき、数日おき
に、「返事はどうなっているのか?」と催促してくる人もいますが、一両日内に返事がないばあ
いには、私からの返事はないものと思って、どうかあきらめてください。

 当方の事情もご理解の上、こうした勝手を、どうかお許しください。

 当然のことながら、相談内容は、子育てに関することでお願いします。またご住所、お名前の
ない方からのメールは、原則として、そのまま削除させていただいています。そのため返事を
書くということは、絶対にありえません。

 また、お名前、ご住所を書いていただいたからといって、必ずしも、返事を約束するものでは
ありません。どうか、誤解のないように、お願いします。

 何か、テーマをいただけるようでしたら、どうか掲示板のほうに、お書き込みくださればうれし
く思います。たとえば「自閉症について書いてほしい」などと、書き込んでくだされば、時間をみ
つけて、それについて考えてみるようにします。

++++++++++++++++++++

【Yさんへ】

 欧米では、「子育て」は、義務ではなく、権利であるという考え方をします。ですから、たとえ
ば、だれかに子育てをじゃまされたりすると、「私の権利を奪うな」などと言ったりします。父親
が残業を命じられたようなときも、そうです。

 欧米では、伝統的に、「家族と楽しいときをすごすために、収入を得る」という考え方をするよ
うですね。家族が「主」で、仕事が、「副」という考え方です。

 一方、日本では、仕事は、いつも出世の道具でしかありませんでした。だから少し前まで、
「仕事のためなら、家族は犠牲になって当然」というような考え方をしていました。仕事が「主」
で、家族が、「副」というわけでした。

 今、この考え方が、大きく変わりつつあります。いろいろな調査結果をみても、日本人も、「家
族が大切」という考え方になりつつあるようです。

 実際、子育ても終わりに近づくと、後悔することばかり。「もっと、息子たちのそばにいてやれ
ばよかった」とか、「どうしてあのとき、もっと息子の立場になって考えてやることができなかった
のか」とかなど。

 一方、家族との楽しかった思い出だけが、心の支えとなっていることに気づきます。

 ですから、Yさんの判断は、正しかったと思います。子どもたちもそれを求めていたのでしょう
ね。お雛様を飾ってあげることで、心が暖かくなったはずです。が、それだけではありません。
いつか、あなたの子どもたちも、やさしいパパとママになり、幸福な家庭を築くことができるよう
になります。

 子育てというのは、そういうものですね。

 子どもに子どもの育て方を教えていくのが、子育てというわけです。メール、ありがとうござい
ました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(118)

●モノにこだわる子ども 

 私が浜松市に住むようになったころのこと。講師をしていた進学塾の塾長に、ある中学生の
家庭教師を頼まれた。

 相手は、中学2年生の男子だった。

 たいへん頭のよい子どもだったが、どこか、心がつかめなかった。たとえばこちらが、Aのつ
もりで話をしていても、それを、Bとか、Cとかに、ねじまげてしまうようなところがあった。

 彼の名前を、A君としておく。

 そのA君は、中学へ入学するころから、時計を集め始めた。それ以前からも、時計には興味
があったらしい。A君の父親は、市内の大通りで、時計店を営んでいた。

 A君と対峙してすわるたびに、彼は、自分の時計を誇らしげに、私に見せた。当時でも、珍し
い、ドイツやスイスの時計を、A君はもっていた。数にすれば、40〜50個はもっていたのでは
なかったか。

 A君は、集めた時計を一度、綿でくるんだあと、箱にしまい、そしてそれを、金庫の中にしまっ
た。大切にしたいという思いから、そうしたのだろう。が、そのあと、彼は、母親や姉、妹に、金
庫の前を歩かせなかった。金庫の置いてある部屋の掃除も、させなかった。「その振動で、時
計の動きが、おかしくなる」と。

 しかしどういうわけか、A君は、私にだけは、時計を、自由に、いじらせてくれた。もっとも、こ
のことはずっとあとになって、母親から聞いたことである。「A雄は、林先生にだけは、気を許し
ていたみたいです」と。

 が、A君の奇行は、ますますはげしくなった。手に入れたいと思う時計があると、その時計を、
父親の経営する店から盗んできて、それを、一日中、特殊な液剤をつけて、みがいていた。

 が、そんなある日、事件が起きた。

 それを知った父親が、つまり家族にさえ、金庫の置いてある部屋を掃除させないということを
知った父親が、その金庫ごと、庭へ放り投げてしまったのである。

 そのときA君が、どういう反応を示したかは、私は知らない。しかしその数日後、A君に会って
みると、A君の様子は、一変していた。ヌボーッとした表情のまま、それでいて、顔は上気し、せ
かせかと落ち着きがなくなってしまっていた。目つきだけが、異様にギョロギョロしていたのが、
心に残った。

 明らかにA君は、もうふつうの子どもではなくなっていた。

 で、そのあとしばらくして、A君は、精神科の医院へ通院するようになり、さらにそのあと、部
屋の中に閉じこもるようになってしまった。私は何度も家庭教師をやめたいと申しでたが、母親
がときには、涙まじりに、「やめないでほしい」と、私に頼んだ。

 私だけが、A君の話し相手になっていた。

●今から思うと……

 そのとき私はまだ23歳。

 何がなんだかわからない状態で、A君の家庭教師をしていた。それにどんな心の問題があっ
たにせよ、私は、A君が嫌いではなかった。今でも、そのときA君がくれたオメガの時計を、一
つ、もっている。

 私が母親を通してその時計を返そうとしたことがある。しかし母親が、「A雄があげると言った
のですから、もっていてください」と言って、受け取ってくれなかった。「それはA雄が、一番大切
にしていた時計ですから……」と。

 ただここで言えることは、A君にどんな問題があったにせよ、金庫を放り投げた父親の行為
は、適切ではなかったということ。当時の父親の気持ちがわからないわけではないが、そういう
行為は、あまりにも無謀である。

 とくにこうした収集癖のある子どものばあい、(多かれ少なかれ、そうした収集癖は、だれにで
もあるものだが……)、それを強引にやめさせようとするのは、危険な行為と考えてよい。自分
の心を防衛するために、つまりは代償行為として、子どもが、モノにこだわるケースは、少なく
ないからである。

 わかりやすく言えば、子どもはモノに執着することによって、不安や心配から、自分を回避さ
せようとする。心理学の世界でも、これを「防衛機制」という。だからその子どもが大切にしてい
るものというのは、いわば心の聖域と覚えておくとよい。それがカードであれ、ゲームであれ、
何でも、である。

 たとえば自閉症やアスペルガー障害の子どもは、よく、ある特定のモノに、異常なまでにこだ
わることがある。これを、「固執行動」というが、こうした固執行動は、病気にたとえるなら、あく
までも「熱」。

風邪をひいて熱を出して苦しんでいる子どもに、水をかけてなおすようなことはしない。同じよう
に、モノにこだわる子どもから、そのモノを取りあげたところで、自閉症やアスペルガー障害
が、なおるわけではない。かえって症状は、ひどくなる。

 子どもが何か、ある特定のモノにこだわる様子を見せたら、親は、「なぜそうなのか?」という
視点で、子どもの心の奥底を見なければならない。

●Z君のケース

 もう一人、印象に残っている少年にZ君(高校生)がいた。彼は高校へ進学すると同時に、不
登校を繰りかえすようになり、やがて中退してしまったが、そのZ君は、レコードにこだわってい
た。

 もっている枚数もすごかったが、それらのレコードが、1ミリの狂いもなく、棚に並べられてい
た。母親の話によると、家族のだれかが、ほんの少しさわっただけでも、Z君には、それがわか
ったそうだ。「だから、部屋の掃除なんて、とてもできません」と。

 Z君も、今でいう、広汎性発達障害の一つだったかもしれない。こんな事件があった。

 Z君には、5歳年下の弟がいた。その弟が、その中の一枚のレコードを勝手に持ち出し、友
人に与えてしまったことがあったという。

 Z君は、すぐその異変に気づいた。で、ふつうなら(「ふつう」という言葉は適切ではないかもし
れないが……)、Z君は、弟を叱り、レコードを取りかえせばよかった。しかしZ君には、それが
できなかった。オドオドしながら、「レコードがない」と、何度も、母親にそれを訴えた。

 が、ここでZ君に、もう一つ、悲劇が重なった。

 母親が、こうした心の病気に、あまりにも無知だったということ。今から25年ほど前のことだ
から、しかたないと言えばそれまでだが、母親は、いつもZ君を叱りつづけた。「レコードの一枚
くらい、どうしたの!」「バカ言わないでよ!」と。

 そのためZ君は、ますます萎縮した。そしてそれがきっかけで、つぎの事件が起きた。

 ときどきZ君は、わざとみなの前でころんだり、倒れてみせるようになった。それを見たことが
ある人は、こう言った。「体を棒のように、まっすぐにしたままの状態で、地面にバタンと倒れま
した」と。

 自傷行為である。精神的に追いつめられた人が、よく見せる行為である。が、この段階でも、
母親は、Z君を叱りつづけた。「バカなことを、しないで!」と。

 本来なら母親はZ君を病院へ連れていかねばならなかった。しかし「世間体が悪い」という理
由だけで、それをしなかった。当時はまだ、(今でも、そういう風潮はどこかに残っているが)、
家族の一員が、精神科の医院に通院するというのは、「恥ずかしいこと」「隠すべきこと」と考え
る人が多かった。

 Z君の母親は、その世間体を、人一倍、気にする人だった。

●その後……

 A君にせよ、Z君にせよ、それから30年近い年月が過ぎた。で、その結果だが、A君は、その
後、いろいろあったようだが、立ちなおることができた。この原稿を書く前、消息をたずねると、
現在は、コンピュータのソフト会社を経営しているという。

 しかしZ君は、そのまま症状が悪化してしまい、いまだに母親とともに、ふつうでない生活をし
ているという。Z君の妹氏から聞いたところによると、Z君は、そのあと放火事件を起こし、近所
でも大騒動になったことがあるという。

 幸い火事は、隣のコンクリートを黒くこがした程度ですみ、また警察も、たき火の不始末と処
理してくれたため、大事にはならなかったという。ただ残念なのは、そういう状態になりながら
も、母親は、Z君を叱りつづけたということ。

 私の印象では、母親自身にも、Z君に対して、何か、大きなわだかまりがあったように思う。
たとえば望まない結婚で、望まない子どもであったとか、など。よくわからないが、少なくとも、Z
君は、母親の愛情に恵まれてはいなかった。

 で、こうした二つのケースを見たとき、その分かれ道は、どこにあるかといえば、結局は、「愛
情」の問題に行きつく。

 母親の豊かな愛情に包まれたA君。一方、母親の冷淡、無視、拒否的態度の中で育てられ
たZ君。

 この二例だけではないが、親の愛情のあるなしが、その後の子どものあり方に、大きな影響
を与えるのは事実である。仮にA君の母親が、Z君の母親のようであったなら、A君は、Z君の
ようになっていただろう。そして仮にZ君の母親が、A君の母親のようであったなら、Z君は、A
君のようになっていただろう。

 そういう意味で、親の愛情、とくに母親の愛情には、特別の力がある。魔法の力といってもよ
い。

 「モノにこだわる子ども」というテーマで書いていたら、いつの間にか、母親の愛情の話になっ
てしまった。しかし決して、関連性がないわけではない。

 もしあなたの子どもが、何か、モノに異常なまでにこだわる様子を見せたら、あなた自身の子
どもへの愛情がどうなのか、ほんの少しだけ、心の中をのぞいてみるとよい。そのときあなた
が心の中に、何か温もりを感ずればよし。その温もりがあれば、その温もりが、いつかやがて
あなたの子どもの心を溶かす。
(040316)(はやし浩司 固執行動 広汎性発達障害 モノにこだわる子ども 物にこだわる
子ども ものにこだわる子供 物にこだわる子供 こだわり)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(119)

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【近況・あれこれ】

●K首相のY神社参詣問題

 すこしきわどい話。いつもこのテーマについて書くときは、心のどこかにツンとした、緊張感を
覚える。しかし……。

 中国も韓国も、カンカン。「だまっているからといって、いい気になるな」(韓国N大統領・04・0
3)。「絶対に無視しない」(中国政府・全人代会議のあとで・04・3))と。

 しかし当の日本のK首相は、「Y神社をこれからも、参詣する」(3・15)と。

 あのね、日本は、侵略戦争をし、300万人もの、韓国人や中国人、それに多くの外国人を殺
しているの! いくら正当化しようとしても、あの侵略戦争は、正当化できないの! もしあの戦
争が正しかったとするなら、同じことを、今度、日本が、韓国(北朝鮮でもよい)や中国にされて
も、日本人は、文句を言わないこと!

 韓国の文化を押しつけられ、日本語が廃止になっても、文句は、言わないこと! どうして、
日本よ、日本人よ、そんな簡単なことがわからないの!

 もしドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをしたら、どうなる。K首相が、Y神社を
参詣するということは、それに等しい。少なくとも、韓国や中国の人は、そう見ている!

 それまでの朝鮮半島は、本当に平和な国だった。が、そこへある日、突然、強力な、日本の
軍隊がやってきた。命令とあればどんなことでもする、ロボットのような軍隊だ。そしてその国
を、日本は植民地にした。

三人集まって韓国語を話せば、容赦なく投獄、処刑された。神社への参詣を強制され、日本の
文化を押しつけられた。

 いろいろな植民地があるが、ほかの欧米各国は、そこまではしなかった……というようなこと
まで、日本は、してしまった。それを意図的に知らされていないのは、実は、この日本人だけ。
韓国や中国が、ことあるごとに、「歴史認識問題」をとりあげる理由は、そこにある。

 もちろん私たち日本人が、「悪」というのではない。私たち日本人だって、その犠牲者なのだ。

 明治以後、もの言わぬ(考えぬ)従順な民作りが、日本の国策となっていた。そして世界に名
だたる官僚政治。先のあの戦争は、軍部という、一部の官僚たちによって画策され、実行され
た戦争だった。

 が、戦後、その官僚政治は、そのまま温存された。たとえばあの軍国主義を最先頭に立って
推し進めたのは、旧文部省だった。しかしその旧文部省の役人で、戦前から戦後にかけて、ク
ビになった役人は、一人もいない。責任を問われた役人も、一人もいない。

 その流れの中に、日本の教科書の検定問題がある。

 事実、私はUNESCOの交換学生として、1968年に韓国に渡るまで、日本がした悪行の
数々の、どれ一つも教えられていなかった! 彼らがもつ反日感情には、ものすごいものがあ
ったが、それは被害妄想というものではなかった。事実として、日本は、韓国や中国の人たち
に対して、してはならないことをしてしまった。

で、私はこう思った。「日本の教科書は、ウソは書いてない。しかしすべてを書いていない」と。

 私の父は。死ぬまで、天皇を崇拝していた。「天皇」と呼び捨てにしただけで、私は、父に殴ら
れた。「陛下と言え!」と。

しかしその一方で、台湾の戦地で受けた貫通銃創(左腹下から背中へ抜ける貫通銃創)で、同
じく死ぬまで、今でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害(Post・Traumatic・Stress・Disorde
r)に苦しんだ。酒に溺れたのも、そのためではないかと思う。

 みなさん、もう少し、現実をしっかりみよう。そして考えよう。日本のK首相が、何をしようとそ
れは日本の勝手という論理は、日本を一歩離れたところでは、ぜったいに通用しない。「平和
だ」「平和だ」と叫ぶのは自由だが、相手の国の平和も保障して、はじめて平和なのである。

 自分たちは戦争をしたい放題のことをしておいて、今になって、「日本は、平和を守っていま
す」などいう詭弁(きべん)は、許されないのである。

 かなり過激なことを書いてしまったが、ともすれば、右傾化しつつある日本の方向に、小さな
クサビになればうれしい。私とて、いつもいつも、こういうふうに考えているわけではない。内心
では、もう戦後60年もたったのだから、もう少し、韓国の人も、中国の人も、心を開いてくれて
もよいのではないかと、そういうふうに思っている。私自身も、戦後の昭和22年生まれの団塊
の世代である。

 だからその私に、「戦争の責任をとれ」と言われても、本当のところ、困る。

 しかし相手の人が、なぜ、こうまで怒っているのか、日本人も、もう少し、謙虚に自分たちを反
省すべきではないのか。なぜなら、迷惑をかけたのは、ほかならぬ、私たち自身だからであ
る。

【追記】

 こう書くからといって、私は何も、天皇制に反対しているのではない。それはみんなが決めれ
ばよいこと。私はもともと、浮動票層に属するような人間だから、どこかいいかげん。しかし、数
か月前、こんなことを思った。

 あのK国の金XXが、列車で地方都市を訪れたときのこと。列車の中にいる金XXに向かっ
て、群集が、泣きながら、手を振っていた。どこかの民放が、そのときの模様を、テレビで報道
していた。

 で、ほぼ同じころ。たまたま天皇が、この浜松市にやってきた。国体の開会式に出るためで
ある。そのとき、この地域の人たちは、宿泊先になっているホテルの周辺で、提灯(ちょうちん)
行列を繰りかえした。

 私は、たいへん不謹慎なことかもしれないが、ふと、本当に、ふとだが、「K国の人たちも、そ
して私たち日本人も、同じようなことをしている」と思ってしまった。

 もちろん日本人は、「天皇陛下と、金XXとはちがう」と言うだろう。しかしK国の人たちも、反
対の立場で、同じようなことを言っているにちがいない。

 で、ここまで考えると、この先は、二つの考え方に分かれる。ひとつは、「だから、日本人も、
K国の人も、それぞれのトップの人を大切にしましょう」という考え方。もう一つは、「だから、と
もに、くだらないことをやめましょう」という考え方。

 どちらをとるかは、それぞれの人の勝手だが、これだけはわかってほしい。

 つまりどちらであるにせよ、たがいの考え方が、たがいの考え方として、尊重すべきであると
いうこと。批判するのは自由だが、しかし相手を否定したり、暴力や権力で、押し殺してはいけ
ない。

 それが民主主義の大原則である。その民主主義は、言論の自由があってはじめて成り立
つ。みながみな、正論をぶつけていけば、やがてその正論は、一つになる。心も、方向性も、
一つになる。言論の自由は、そのための手段である。

 またこういうことを書くと、「日本には、言論の自由があるが、K国には、ない。だから同一レ
ベルでは、考えられない」と言う人もいる。しかし本当に、そうだろうか。

 戦前の日本では、こういう公(おおやけ)の場で、「天皇」と呼び捨てにしただけで、不敬罪で
逮捕、投獄された。ヤミからヤミへと消された人も、数知れない。そういうことも、忘れてはなら
ない。

 さらに、こういう意見を書くと、必ずといってよいほど、抗議のメールが届く。抗議ならまだよい
が、ときどき、脅迫めいたメールが届く。気持ちはわからないでもないが、どうか、そういうこと
だけは、やめてほしい。私には、そういう脅迫は、意味がない。


●コース
 
 私が、金沢で学生だったころ、一人の学生が、一年間休学して、北海道へでかけていった。
何でも、牧場で一年間働いてみるとのことだった。

 私は、その話を聞いたときの新鮮な衝撃を、今でも忘れない。「エーツ!」と言っただけで、つ
ぎの言葉が出てこなかった。つまり当時の私には、その学生のそういう行為が、それほどまで
に信じられなかった。

 私たちには、私たちの「意識」がある。しかしその意識は、絶対的なものではない。普遍的な
ものでもない。そういった意識は、その人が住む環境の中で、日々につくられていくものであ
る。

 いくら「私は私」と思っても、「私」である部分は、意外と少ない。

 で、それから35年。今から思うと、あのときなぜ、私がああまで衝撃を受けたのかわからな
い。が、当時の私たちには、コースというものがあって、そのコースからはずれるというのは、
恐怖以外の何ものでもなかった。

 小学から中学、中学から高校、そして大学。就職。大学浪人という言葉もあったが、浪人する
こと自体に、敗北感がただよった。留年、落第となると、さらに敗北感がただよった。たとえば
一人の仲のよかった友人(文科)が、留年するハメになったことがある。I君という学生だった。
そのときのこと。

 いっしょに犀川(金沢市内を流れる川)のほとりまでついていくと、その友人は、声をふるわせ
て泣き始めた。つまりそれくらい、留年というのは、私たちの時代では、考えられなかった。

 そういう時代に、わざと留年して、北海道へ行く……。私は、今の若い人たちには、想像もつ
かないほど、強い衝撃を受けた。

 が、こうした衝撃がなくなったわけではない。

 私の三男が大学に入学したときのこと。私は三男にこう言った。「何も、まじめに卒業するだ
けが人生ではない。一年ぐらい、留年してもかまわないから、世界中を旅して歩いてみろ」と。

 そのとき三男は、私の言葉に本当に驚いてみせた。「そんなこと、考えられない」といったふう
だった。

 しかしそれから4年。今、三男は、大学へ休学届けを出して、オーストラリアへ渡った。そして
05年からは、M航空大学へ進むことになっている。今度は、「パイロットになる」と言いだした。

 そういう三男だが、そこまでの「自由意識」をもつまでに、かなり苦労をしたようだ。言いかえ
ると、いろいろなことがあって、ここまでたくましくなった。そう、この日本では、コースに沿って流
れていくのは、とても簡単なこと。しかしそのコースにさからって生きていくのは、たいへん。苦
労も、多い。しかし「生きる」ということには、もともとコースなど、ない。

 たとえて言うなら、未開の荒野を旅するようなもの。もちろんバスに乗って旅をするという方法
もある。しかしそんな旅に、どんな意味があるというのか。つまり、人生もそれに似ている。

 が、日本人には、まだそのコース意識が、しみついている。三男が、いろいろ悩んだというの
は、その意識があったからにほかならない。

 人は、「自由」という言葉を、簡単に使う。しかしその本当の意味を知っている人は少ない。だ
から私は、三男にこう言った。駅まで、三男を送っていったときのこと。「いいか、オーストラリア
へ行ったら、フランス革命からつづいている、本物の自由をみてこい」と。

 幸福は一つかもしれないが、その幸福にたどりつく道は、決してひとつではない。そしてどう
せ一度しかない人生だったら、思う存分、自分の人生を生きる。私は、三男には、そういう人生
を生きてほしい。

 平凡な人生など、クソ食らえ!、だ。

【追記】

 たいていの親は、自分の子どもが不登校児になったりすると、その初期の段階で、混乱状態
になる。狂乱状態になる親もいる。

 なぜそうなるかといえば、親自身の中に、コース意識があるからだ。親にしても、自分の子ど
もがコースからはずれていくというのは、まさに恐怖以外の何ものでもない。だからあわてる。

 しかしそういった意識も、結局は、作られたもの。あのマーク・トウェインはこう言っている。
『みなと同じことをしていると感じたら、そのときは、自分が変わるべきとき』(「トムソーヤの冒
険」)と。そういう意識を、「自由意識」という。

 ところで、オーストラリアのアデレードに住む友人が、三男を、未開の原野へ連れていってく
れるという。オーストラリアでは、「アウトバック」と呼ばれている地域である。

 そのアウトバックを、トヨタのランドクーザーで、走り回る。それは、実に爽快なことらしい。私
には経験がないが、もちろん日本では、まねをすることができない。多分、三男のことだから、
大きな衝撃を受けることだろう。

 それから友人のいとこが、グライダー教室の教官をしているという。どうやらそのグライダー
の操縦もさせてくれるらしい。

 今日(3・16)の午後、その三男から、電話が入った。「無事、アデレードに着いた」と。それに
答えて、私は、思わずこう言ってしまった。「楽しんでこい」と。本当は、「しっかりと勉強してこ
い」と言うべきだったが……。


●不景気

 日本は、ただ今、大恐慌のまっただ中!

 新しいタイプの大恐慌というべきか。火事にたとえて言うなら、火のない大煙に巻かれている
ようなもの。みんな、青息吐息。本当に、青息吐息。

 友人は、岐阜県のO町で、不動産取引業を営んでいる。その友人と、今日、電話で話しあう。
人口が4万人前後の町だが、不動産取引業を営んでいるのは、二軒しかない。が、それでも、
「取り引きがなくて、仕事にならない」と。

 「近くに、土地区画整理で売りに出されているところがあるが、坪15万円。高すぎるよ。そん
な土地、売れるわけがないよ。10万円でも、むずかしいよ」と。

 10年前には、そのあたりの土地でも、坪20〜25万円と言っていた。バブル経済のころは、
「どうしようもない荒地」(友人)ですら、坪30万円以上。それが今では、造成した宅地ですら、
10万円以下!

 ある経済学者に言わせると、こういう時代は、現金をもっている人が、有利とか。土地などの
値段がさがった分だけ、現金の価値があがるというわけである。「なるほど」とは思うが、だか
らといって、土地を買ってもしかたない。いや、その前に、現金そのものが、ない。

 さらに昨日あたりのニュース(中日新聞)によると、ほとんどの人は今、貯金を取り崩しなが
ら、生活しているという。しかしその貯金も、底をつき始めたという。青息吐息の状態を通り越し
て、いよいよ息切れの状態というわけである。

 どこか他人ごとのように書いているが、本当のところは、私のことかもしれない。しかし私のこ
ととも書けない。こうした問題は、きわめてプライベートな問題である。いくらマガジンでも、そこ
まで書けない。

 こうして日本も、少しずつだが、アジアの国の中でも、ごくふつうの国になっていく。「ふつうで
ある」ことが悪いというのではない。しかしそのとき、日本人が、頭の切りかえができるかどうか
ということ。

 ほとんどの子どもたちは、自分たちは、アジア人ではないと思っている。「ぼくらはアジア人と
はちがう」と言う。そこである外国人(アフリカ人)が、「君たちの肌は、黄色いだろ」と言うと、そ
の小学生は、こう叫んだ。「ぼくらは、黄色ではない。肌色だ!」(某テレビ討論会)と。

 こうしたオメデタサは、だれしももっている。つまりこのアジアの中で、ふつうの国になるとして
も、そこに至るまでに、日本人は、多くの心の葛藤(かっとう)をしなければならない。

 少し前まで、「2015年ごろ、アジアにおいて、日本と中国の経済的立場は、入れかわる」と、
多くの経済学者が、予想していた。しかしそれが今では、「2010年」になった。つまり5年、早
まったことになる。

 事実、東証に上場している外資系企業は、もう数えるほどしかない。一時は、130社近くあっ
たが、今では、30社もない。「仕事にならない」「翻訳料が高い」「財務省のハードルが高すぎ
る」などが、理由のようだ。

 そのかわり、すでにアジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまっている。アメリカなどで
は、日本の経済ニュースすら、シンガポール経由で入ってきている。

 こういう状態を一方で放置しておきながら、国内だけで、景気拡大をもくろんでも、うまくいくは
ずがない。たとえて言うなら、波の状態をみないで、船の中だけで、船の揺れと戦っているよう
なもの。これでは、失敗は、目に見えている。現状維持が、よいところ。

 私たちは、今、意識の乗りかえを迫られている。先進国から、ふつうの国へ。経済大国から、
ふつうの国へ。欧米人意識から、アジア人意識へ。少なくとも、これからは、札束を見せびらか
して、相手の顔をひっぱたくような外交政策は通用しない。

 『平成』という時代は、やがて総括されるときがくるだろうが、「まさに日本が、ほかの国と、平
らに成った時代」と位置づけられるだろう。

 何とも歯がゆい感じもするが、かといって、私たち庶民には、どうすることもできない。国の経
済どころか、自分たちの家計ですら、あぶない。だから私たちができることと言えば、せいぜ
い、その覚悟だけはしておくということ。

 岐阜県のO町に住む友人は、こう言った。「今なら、土地は買いどきだよ。お金があるなら、
買っておきな。このあたりでも、自己破産する人が、結構いてね……」と。それを聞いて、ふと、
「老後は、O町で過ごそうか」と考えたが、やめた。O町に住んだところで、仕事がない。つまり
私も自己破産するハメに。

ところで、竹中平蔵経済財政担当相は15日、3月の月例経済報告を関係閣僚会議に提出し、
その中で、景気の基調について、つぎのように述べている。「設備投資と輸出に支えられ、着
実な回復を続けている」と。

 つまり景気はよくなってきている、と。信じたいが、どう信ずればよいのか。こうした効果が、
地方都市にまで回ってくるのは、来年か、さ来年か。全国のみなさん、がんばりましょう! が
んばるしかないのです!


●オーストラリアでの初日

 三男が無事、アデレードに着いた。友人が、空港まで出迎えてくれた。携帯電話で、その連
絡が入った。そしてその夜、友人から、メールが届いた。

++++++++++++++++++++

Hi Hiroshi,

Gave Eiichi the grand tour of Adelaide while I did some shopping. He seemed to enjoy 
himself. He started to get tired towards evening.

Have got him settled in at his home stay place.

May will bring him down to stay with this next weekend. She is doing some training in 
Emergency medicine at Flinders Medical Centre (Next to Flinders Uni), during this week.

Eiichi should have no worries doing his English study. I found his spoken English better than 
I had expected. We communicated quite well. He was even able to navigate and direct me 
to his home stay house using the Adelaide Street Directory.

My Mobile Phone Number is +61 417 xxxxxxx

Cheers,

PS : Eiichi has tried today traditional Aussie fish & chips and also a traditional meat
pie. He said he enjoyed both. I hope he wasn't being a very polite boy like his father. :)


E(息子)をアデレードの町を案内した。ぼくは買い物をした。彼は楽しんだみたいだ。夕方にな
って疲れているように見えたので、ホムステイ先へ連れて行った。

ワイフが、週末にE(息子)を我が家に連れてくるつもり。ワイフは、今週は、フリンダーズ大学
の医療センターで、救急医療の訓練を指導している。(E(息子)のカレッジの隣)

E(息子)は、勉強をするのに、何も問題はない。彼の会話英語は、思っていたよりよい。うまく
会話できた。彼はアデレードの地図を見ながら、ホームステイ先まで、ぼくを案内してくれた。

ぼくの携帯の電話番号はxxxxだ。

E(息子)は伝統的な、オーストラリアのフィシュ&チップスと、ミートパイを食べた。両方とも、楽
しんだようだ。ぼくは、彼が、彼の父親のように、ぼくには礼儀正しくないことを願う。

++++++++++++++++++++
 
G'day, Mate!

It is a vague morning today and I feel very relaxed now.
It is a matter of strangeness to say that he is now 22
years old, the same age when I saw you for the first time
in IH. He is my third son and I am too, to my parents.
Just 34 years have flown away! You have a wonderful
families and now I have too, though we have lost some
very important people.

I just wonder how my son will recall these days when
he gets older or does he repeat the same life as ours?

I told him to come back when he can't drink water there
in Australia. This is a kind of Japanese expression which
means "you can't get used to new surroundings". Some 
people can enjoy overseas life, but some can't. I hope 
Eiichi can enjoy it. We will see how he does. 

Thank you for everything you have done to my son, and
please please tell your wife my best regards. I am sure
Eiichi will have wonderful days with you as I had with
you last time.

Thank you again.

Hiroshi
 
+++++++++++++++++++++

グッデイ、マイト

ぼんやりとした朝だ。気分はやわらいでいる。
彼が22歳だというのは、おかしな気分だ。
ぼくがはじめて、IHカレッジで君にあったときの年齢だ。
彼は三男で、ぼくも、その三男だった。
ちょうど34年が、過ぎたことになる。その間に君は
すばらしい家族をもった。ぼくももった。大切な人も
何人かなくしたけれどね。

いつか彼も、同じような人生を繰りかえし、
今の時代を思い出して、同じように思うのだろうか。

ぼくは彼に、「オーストラリアの水が飲めなければ、
日本へ帰ってくるように」と言った。つまりこれは
日本の言い方で、「新しい環境になれなければ、帰って
こい」という意味だよ。

外国生活を楽しむ人もいれば、そうでない人もいるからね。

息子にしてくれたことすべてに感謝するよ。くれぐれも
奥さんによろしく。E(息子)は、かつてぼくがそうであったように、
すばらしい日を送ると思う。

再び、ありがとう。

浩司

 
●子ども孝行

 石川県K市に住んでいるAさん(女性)のメールを読んで、考える。

 この世界では、一応「親が子どもを育てる」ということになっている。しかし実際には、「親のた
めに子どもが犠牲になる」というケースも、少なくない。

 Aさんは、結婚する前から、収入のない両親を、経済的に支えてきた。結婚してからも、自分
で働いて、そのお金を、両親に捧げてきた。「夫の給料から出してもらうのは、申しわけなくて
……」と。

 しかしやがて父親は、他界。残された母親を引き取ろうとしたが、母親がそれを拒んだ。「住
みなれた家を離れるのはいやだ」と。が、その母親が、このところ、とみに体が弱ってきた。そ
のため、ほぼ一日おきに、実家へ。車で30分ほどのところだという。
 
で、こういう生活が、もう10年近くもつづいている。

 Aさんの人生は、親に始まり、親で終わるような人生だった。……と、Aさんは、そう言う。「世
間の人は、私のことを、親孝行のいい娘だと言いますが、私はそんなふうには、思っていませ
ん。見るに見かねてというか、親だから放っておけないから、そうしているだけです」と。

 それだけ母親が、Aさんに感謝していれば、まだAさんも救われる。しかし実際には、いつも
喧嘩ばかりという。不平、不満を並べる母親。それに反論するAさん。「親の世話もたいへんで
す」「腰が痛いと言っては泣くのですが、もう治る年齢ではありませんし」と。

 「そういう施設へ預けたらどうですか?」と、私が返事を書くと、「母は、そういうところはいや
がりますので」と。かなりわがままな母親らしい。

 で、私は、ふと、こう考える。

 もしその母親に、Aさんのような娘がいなかったら、今ごろは、どうなっていただろうか、と。人
知れず餓死して、ミイラにでもなるのだろうか、と。実際に、そういう例も、ないわけではない。

 が、考えてみると、その母親がAさんに依存するようになったのは、Aさんがいたからではな
かったか、と。つまりAさんという存在が、母親の依存性を高めたともとれる。「世話がたいへ
ん」と、Aさんはこぼしているが、そういう状態をつくったのは、実は、Aさん自身ではないか、
と。

 こういう関係は、子どもの世界にも多い。子どもに一方で、依存性をもたせることをしておきな
がら、その依存性に悩む母親である。よい例が、過干渉であり、過保護であり、溺愛である。
子どもに対して、さんざん過干渉を繰りかえしておきながら、「どうしてうちの子は、ハキがない
のでしょう」と相談してくる親は、多い。

 Aさんは、結婚をする前から、実家に仕送りをしてきた。しかしそういう行為が、かえって、両
親の自立を妨げてしまった可能性がある。……「ない」とは言えない。

 英語の格言にも、『崖から飛び降りてから、飛び方を学べ』というのがある。人は追いつめら
れてはじめて、力を発揮する。ぬるま湯につかっていては、力は出てこない。つまり両親は、A
さんのそういう行為に甘えてしまった?

 日本人は、「親」という言葉に、どうしても幻想をもちやすい。子どものみならず、親自身も、で
ある。しかしその親も、50歳をすぎれば、ただの人。少なくとも、「子」と、それほど差があるわ
けではない。親をとおりこして、はるかにすばらしい人格者になる子となると、いくらでもいる。

 つまり親は、親であることに甘えてはいけない。親は親で、常に、自己鍛錬をしていく。前に
向って進んでいく。そして子どもは子どもで、親がそういうふうになっていくよう、親を仕向ける。
つまり子どもが親を、教育する。

 ほかにも、親の世話だけで、一生を終えたような人を、何人か知っている。本来なら、もっと
別の人生があったかもしれない。しかしその人は、その「親」にしばられて、何もできなかった。

 私はAさんのような方の話を聞くと、「私は、そうはなりたくない」と思う。「息子たちには息子た
ちの人生がある。そういう人生を、私という親が、奪うようなことだけは、したくない」と。

 私の印象では、世の人たちは、あまりにも安易に、「親孝行」という言葉を使いすぎると思う。
使うのはその人の勝手だが、かえってその言葉が、不必要に子どもを、しばってしまう。それだ
けならまだしも、親自身の自立を妨げてしまう。そういうこともある。

 Aさんは、「話を聞いてくださるだけで、結構です。返事はいりません」と書いてきた。だから返
事は書かなかった。が、一言。

 「結局は、許して、忘れる。その言葉を信じて、前に進んでいきましょう」と。
(040317)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(120)

●心の残像

 Mさん(38歳、女性)は、たいへん心おだやかな人だ。無口で、静か。強引なところは、まる
でない。

 しかし会話をしていると、どうも気分が暗くなる。

私「暖かくなりましたね」
M「明日から、雨で、また寒くなるそうです」
私「春は、いいですね」
M「私の子どもは、花粉症で苦しんでいます」

私「はやくなおればいいですね」
M「50歳をすぎるまで、なおらないそうです」
私「では、春は、あまり旅行などは、できませんね」
M「いえ、今年は、沖縄へ行ってきました」

私「よかったですか?」
M「どこも混雑していました」
私「物価はどうでしたか?」
M「観光客用のものは、みんな値段が高くて……」と。

 このMさんの会話の特徴に、みなさんは、お気づきだろうか。実は、Mさんは、私の言葉を、
ことごとく、否定している。まさに(ああ言えば、こう言う)式に、否定している。

 こういう否定のし方をされると、会話がつづかない。あるいはつづけていると、会話そのもの
が、暗くなってしまう。

 で、問題は、なぜ、Mさんが、こういう会話をするか、である。原因はいろいろ考えられるが、
ツッパリ症状の残像と考えてよい。もう少し専門的には、「拒否的態度の残像」ということにな
る。

 心の働きが変調してくると、子どもはさまざまな変化を見せる。とくに対人関係で変調してくる
と、ここでいう拒否的態度が現れてくる。

親「このゲームを片づけてよ!」
子「ウッセーなあ!」
親「ちゃんと、片づけてよ!」
子「ちゃんと、やるから、ワーワーわめくなよオ!」と。

 こうした拒否的態度は、そののち、おとなになることで、表面的には消える。しかしその残像
が、残ることがある。冒頭に書いた、Mさんが、そうである。

 で、Mさんに話を聞くと、こう教えてくれた。

 「高校を卒業すると、東京でしばらく働きました。趣味は、バイクでした。女性で、ナナハンと
か、自動二輪に乗っている人は、今でも珍しいと思います。みんなでグループを作って、あちこ
ちをドライブしました。夜中に、国道を200キロ近いスピードで走ったこともあります」と。

 Mさんは、かなり、飛んだ女性だったようだ。わかりやすく言えば、準暴走族的な、青春時代
を過ごした(?)。Mさんの行動からは、そうした様子がうかがえる。つまり、Mさんは、若いこ
ろ、かなり、そういう状態であった。

 もちろんMさん自身には、その意識はない。「私は、ふつうでした」「とくに、つっぱっていたと
いうことはない」と、言った。

 だからといって、Mさんが問題児だったと言っているのではない。しかしそのころ身についた
拒否的態度が、少し姿を変えて、母親になってからも出ていると考えられる。

私「お子さんも、沖縄へ行って、喜んだでしょう?」
M「それが、あんまり……」
私「また行きたいですか?」
M「私は、一度で、たくさんです」と。

 もっとも、こうした会話が、私という他人との間だけのものなら、問題はない。が、親子の間で
もそうだとすると、ときには、子どもの伸びる芽をつんでしまうことにもある。

 親の否定的態度は、子どもの心の発育に、マイナスのストロークをかけてしまう。

親「テストを見せなさい!」
子「がんばったよ」
親「何よ、この点数は! がんばったって、ウソでしょう!」
子「ちゃんと、一生懸命したよ」
親「どこが、一生懸命なのよ。こんな点数で!」と。

 若いころの心の変調が、おとなになっても残るということは、よくある。さて、あなたはだいじよ
うぶか? 

 しかし問題は、若いときに、そういう問題があったということではなく、その問題に気づかない
で、それを繰りかえすこと。ある夫婦は、いつも同じパターンで、夫婦喧嘩を繰りかえしている。

夫(妻が、勝手に電話を切ってしまったことについて)「どうして、電話を回さなかった?」
妻「あんたがいるとは思わなかったからよ」
夫「確かめればいいだろ」
妻「確かめたわよ」

夫「ウソをつくな!」
妻「ウソじゃないわよ」
夫「ミスをしたら、ミスをしたで、ごめんと言えば、それですむだろ!」
妻「すまないわよ。いつも、あんたは、怒るんだから!」

夫「もうこれ以上、オレに逆らうな!」
妻「逆らっていないわよ」
夫「逆らっている!」
妻「どこが、逆らっているのよ!」
夫「今、逆らっていないと言って、逆らっているじゃないか!」
妻「逆らっていないわよ」と。

 よくある、夫婦喧嘩のパターンである。で、こういうときは、こういう会話にすればよい。

夫(妻が、勝手に電話を切ってしまったことについて)「どうして、電話を回さなかった?」
妻「あら、ごめん。うっかりしていたわ」
夫「確かめればいいだろ」
妻「そうね、確かめればよかったわ……」

夫「そうだよ、ちゃんと確かめるべきだよ」
妻「そうね、ごめんなさい」
夫「まあ、いいけど。また電話がかかってくると思うよ」
妻「こちらから、かけなおそうか?」

夫「まあ、いいよ」
妻「大事な電話だったの?」
夫「わからないけど、久しぶりだったから」
妻「また電話する、って言ってたわ」
夫「じゃあ、待つか……」
妻「そうね」と。
(はやし浩司 心の残像 ひねくれ ヒネクレ症状 ヒネクレ)
(040317)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


最前線の子育て論byはやし浩司(121)

【みなさんからのメールに答えて……】

 毎日、たくさんの人から、メールをいただきます。ありがとうございます。このところ、何かと忙
しく、目を通すだけの状態がつづいています。どうか、お許しください。いただいたメールの中か
ら、テーマとして取りあげることができるものについて、ここで考えてみます。

●自宅で英語教室を開いている、Tさん(女性)から……
 
 Tさんは、「いくらがんばっても、何か、むなしい。子どもたちと、うまく人間関係ができない」と
悩んでいる。「いろいろな行事をして、子どもたちを楽しませても、それを理解してくれない」と
も。

 こうしたむなしさは、子どもを相手に教えているものが、共通して感ずるむなしさと言ってもよ
い。とくに私のばあいは、幼児が相手だから、そうなのかもしれない。しかしメリットがないわけ
ではない。

 「私」という人間をみたとき、私が私でいられるのは、幼児を相手にしたときだけ。あとの私
は、ゼーンブ、仮面。ウソ。インチキ。

 幼児とワイワイと騒いでいるときだけ、自分を取りもどすことができる。ハメをはずして、笑い
あう。そういうとき、「ああ、これが私なんだ」と思う。

 今日も、小1のクラスで、こんなことがあった。

 いつもふざけてばかりいる子ども(H君とI君)がいたので、プリプリと怒ってみせた。そしてこう
言った。

「先生の体の中には、大きな怒り虫がいる。とても大きな怒り虫だア! だれか、このハンマー
で、先生のお尻をたたいて、その怒り虫を外に出してくれエ!」と。

 ハンマーというのは、100円ショップで売っていた、おもちゃのハンマーである。いくら強くた
たいても、まったく痛くない。(音は、すごいが……。)

 するとみなが、「ぼくが出してあげる!」「私が出してあげる!」と。

 で、一番、力のありそうなK君に前に来てもらい、私のお尻をたたかせた。

そのとき、激痛で苦しむ顔をしてみせ、口からプイと、怒り虫が出たフリをしてみせる。とたん、
やさしい先生の顔になって、こう言ってやる。

 「K君、ありがとう。君のおかげで、怒り虫が外に出たよ」と。

 結局は、ふざけているのは、子どもたちではなく、私ということになる。

 しかしこういう(ふざけ)ができるのも、母親たちが、いつも参観しているから。つまり母親たち
の、暗黙の了解が、そこにある。もっとも、若いころは、ここまでは、できなかった。しかしこの
年齢になると、恥ずかしさも、どこかへ消える。どうせ母親たちも、私を、男と見ていない。

 机に両手をかけ、K君にこう言った。「いいか、怒り虫は、力いっぱいたたかないと、出てこな
い。しっかりたたいてくれ!」と。

 するとほかの子どもたちが、号令をかける。「イチ、ニーのサン!」と。

 そのあと、いろいろ作業をさせると、子どもたちはみな、うれしそうに、かつ楽しそうにしてくれ
る。

 で、私の経験で言えば、「教えてやろう」という気負いが強ければ強いほど、教える側も疲れ
るが、子どもたちもまた疲れるということ。コビを売ったり、機嫌をとったりすると、さらに疲れ
る。だからせめて子どもと接するときは、自然体で!

 学校の先生がこんなことをすれば、社会問題になる。新聞ザタになる。しかし私たちは、なら
ない。そこが私たちの仕事の、よいところ。すばらしいところ。

 昨日も、本気でとっくみあいの喧嘩をした子ども(小2男子どうし)がいたので、BW(私の教
室)のルールに従って、二人の子どもの頬に、キスをしようとした。(実際には、逃げてしまった
ので、しなかったが……。本当のところは、キスなどするつもりはなく、「するぞ!」「するぞ!」と
追いかけまわしただけ。)

 しかしこういうルール、つまり「喧嘩をしたら、頬にキスをする」だって、親の参観と、暗黙の了
解があるからはじめて、できること。学校の先生だったら、その一つで、クビが飛んでしまうだ
ろう。(女子にはしたことがない。念のため!)

 つまりは、信頼関係ということになるのか?

 Tさんの悩みには、何も答えていない感じだが、こうしたむなしさを回避するためには、やはり
親と教師の間の人間関係をつくるしかないと思う。Tさんは、幸い、女性だから、そういう関係を
つくりやすい。

 私は男だから、母親という「女の人」と関係をつくるといっても、そこには限界がある。教室の
外で、会って話をしたりするのは、タブー中のタブー。しかしTさんには、それができる。

 「私は先生」という気負いをはずして、友だちになったりして、自由に遊べばよい。それがま
た、Tさんの特権のような気がする。(私ができないので、よけいに強く、そう思う。)

 私もあるときから、こう思った。「子どもに教えてやろうという気持は捨てよう。そのかわり、い
っしょに楽しませてもらおう」と。

 とたん、肩の重荷が消えた。同時に、仕事が楽しくなった。そして親には、「私の教え方に、文
句があるなら、やめてください」と。もっとはっきり言えば、居直って、教えることにした。「それで
生徒がいなくなったら、そのときはそのとき。知ったことかア!」と。

 中には、マユをひそめてやめる人もいた。しかし今でもこうして、かろうじてだが、BW(私の
教室)があるのは、そういう教え方を理解してくれる親たちがいるからである。

 そう、『笑えば、子どもは伸びる』。これが私の教え方の基本である。子どもは、自ら楽しませ
て伸ばす。これも、私の基本である。とくに幼児のばあいは、笑わせて、笑わせて、伸ばす。
「勉強は楽しい」という思いだけを、徹底的に植えつけておく。あちは、子ども自身が、自分のも
つ力で、伸びてくれる。

 私もある時期まで、サマーキャンプをしたり、クリスマス会をしたりと、子どもたちにサービスを
することばかり考えていた。しかし今は、そういう行事を、すべて廃止した。入学式だろうが、卒
業式だろうが、そういうことにはいっさい、関わらないでいる。

 規約の中にも、そう謳(うた)っている。「BW(私の教室)は、そうした行事は、いっさいしませ
ん」と。要は、中身で勝負。めんどうなこと、わずらわしいことは省略して、中身で勝負!

 こうしたやり方が、Tさんの参考になるとは思わない。立場も、目的もちがう。しかしこの年齢
になると、ときどき、「今のような仕事は、あと何年できるだろうか」と思う。体力的にも、しんどく
なってきた。一日、3時間程度が、限度のような気もする。4時間も教えたら、ヘトヘトになって
しまう。

 だからときどきワイフには、こう言う。「やれるだけやってみよう。あと3年(三男が大学を卒業
するまでの3年)、がんばってみる」と。

 そうそう、この3月で、BWをやめる年長児の母親(Nさん※)が、電話で、こう言ってきた。
「下の弟(満1歳)が、大きくなったら、またお世話になりますから、そのときは、よろしく」と。

 私は、内心では、こう思った。「それまで、生きているかどうか、わからないのに。生きていれ
ば教えさせてもらいますよ」と。

もちろんそんなことは言わなかったが、私は、そう思った。価値がわかる人には、わかる。わか
らない人には、わからない。わからない人など、相手にしないこと。

 つまりそれくらいのプライドをもたないと、この仕事はできないということ。

(Tさんへ……)

 我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと、ですね。少し前に書い
た、原稿を送ります。私もこの言葉には、何度か、励まされました。苦しいとき、念仏のように
唱えてみてください。きっと、心が軽くなりますよ。

(※Nさんへ……)

 きついことを書いてしまいましたが、弟さんが大きくなったら、またBWへおいでください。私の
マガジンを読んでいらっしゃらないということでしたので、こうして書いてしまいました。もし、万
が一、この文が、目にとまったら、お許しください。さようなら!

+++++++++++++++++

 『私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである』

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850−1894)というイギリスの
作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)を書いた作家である。もと
もと体の弱い人だったらしい。44歳のとき、南太平洋のサモア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。失敗に
めげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。「そ
うだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからではな
いのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進むことで
ある」と。

そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆる問題が解決する? 落胆
したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、この言葉は、子育ての場でも、すぐ応
用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それでもめげ
ず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、前に
進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果はあと
からついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれたような気がし
た。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方をしたの
がわかる。

17歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理由で、法科に転じ、25
歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出て、カルフォニアで知りあっ
た、11歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブンソンが、30歳のときである。小説『宝
島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドのために書いた小説である。そしてそのあと、ハ
ワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島ですごす。

 こうした生き方を、100年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブンソンがすば
らしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。ここにあげたスティー
ブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだろう。並みの環境では、生ま
れない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞世
の言葉)

+++++++++++++++++++++

●山荘にて
 
 先週の週末には、いろいろあって、山荘へ行けなかった。だから今日(3月18日木曜日)、平
日だったが、朝早く起きて、山荘へ行ってきた。

 飲み水は、山荘からもってくることにしている。その飲み水がなくなった。

 で、朝、9時ごろ、山荘に到着。途中のコンビニで買った弁当(450円)を、二つに分けて、雑
炊にする。

 それを食べて、朝食は、おしまい。とたん、ものすごい眠気。ボンボンベッドの上で体を休め
ていると、ワイフが、「コタツに入ったら……」と。で、居間のほうへ。そこで1時間ほど、仮眠。

 それから風呂に入って、帰宅。その風呂の中で、今日、今年はじめてのウグイスの一声を聞
いた。コジュケイも鳴いた。静かだった。ちょうど雨あがりで、空が、洗われたように澄んでい
た。

 庭の草取りをして、キンカンを食べて、それに7分咲きのモクレンの花を写真にとった。庭の
隅(すみ)に、小さなきれいな花が咲いていた。その花を抜いてワイフのところにもっていくと、
「スミレよ」と。「スミに咲いているから、スミレか?」と、くだらないシャレを言う。

 数個、モクレンの花が咲いた枝を折って、ワイフに渡すと、「いいにおい……」と。「どれどれ
……」と、私もかいでみたが、何もにおわなかった。ワイフがもう一方の手にもっているコーヒー
のにおいのほうが、気になった。

私「何もにおわないよ」
ワ「におうわよ。かすかなにおいだけど」
私「コーヒーのにおいだよ、これは」
ワ「におうわよ。甘いスイカのにおい……」
私「ゲーツ、スイカのにおい?」と。

 私はスイカのにおいは、あまり好きではない。くだらないことだが、オーストラリアでは、スイカ
が一個、80円だという話を思い出していた。「E(三男)も、今ごろ、スイカを食べているかもし
れない」と。

 風呂を出てからは、急いで帰ってきた。午後からは、あれこれ仕事があった。


●「私は私」

 晩年のパブロ・ピカソは、幼児が描くような絵ばかり、描いていた。ピカソが、絵画の真髄をき
わめたとき、そういう絵を描き始めたというのは、たいへん興味深い。

 つまり絵画を追求していったら、そこに「それ」があった。つまりピカソは、自分の原点にたど
りつき、自分を取りもどした。それでああいう絵を描くようになった。……というのは、私の勝手
な解釈によるものだが、私は、今、強く、こう思う。

 私も幼児から高校三年生まで、過去30年以上教えてきたが、教育の本当のおもしろさは、
幼児教育にある、と。

 教えていて、私が私でいられるのは、幼児を相手にしたときだけ。幼児とワイワイと騒いでい
ると、そのままこちらの心まで、洗われてしまう。濁った心や、ゆがんだ心は、そのままその場
で、修正されてしまう。

 つまり教育が本当に教育らしい形を残しているのは、幼児教育である。……という意味で、そ
の心境は、晩年のピカソに近いのでは、と思う。

 教えていて一番つまらないのは、中学生。そのつぎが、高校生。そのつぎが、小学校の高学
年。これはよけいなことかもしれないが、受験がからんでくると、子どもの教育は、本当につま
らなくなる。

 が、私は、幼児を教えているときだけ、私でいられる。そのほかのときの私は、すべて、仮
面。このところ、つくづく、そう思うことが多くなった。

 ……と、否定的なことばかり書いていてもいけなので、私は、あえて提言したい。

 まず、幼児教育を確立する。その流れの先に、小学教育、中学教育を置く。そういう視点で、
現在の教育を、すべて見なおす。今の教育のように、どこかのエラーイ先生が、組み立てた教
育など、おもしろくもないし、役にもたたない。

 どこをどうするかは、各論になるので、別のところで書くが、しかし、教育を、上から下へ組み
立てていくのではなく、反対に、下から上へ組み立てていく。たとえば私は、年間44のテーマに
わけ、毎回、ちがった角度から、ちがった内容で、幼児を指導している。もちろんオリジナルの
カリキュラムである。

 ただ、誤解してもらっては困るのは、こうしたカリキュラムは、私が考えたものというよりは、
多くの母親たちが考えたもの。最初の10〜15年をかけて、私は、毎回、母親たちと相談しな
がら、今のカリキュラムをつくった。毎回レッスンが終わるたびに、「次回は何をテーマにしまし
ょう」「どの程度まで、教えましょう」と、話しあった。そこには、当然のことながら、無数の親たち
の知恵とアイデアが結集している。

 こうした44のテーマを基盤に、その上に、つまりそれを発展させた形で、小学教育や中学教
育を組み立てる方法も、あるということ。そういう意味で、「下から上へ組み立てていく」と、私
は、ここに書いた。

 多くの人は、幼児教育を、幼稚教育と誤解している。しかしこれはとんでもない誤解である。
不幸にして、そういう幼稚教育しか知らない人には、理解できないかもしれないが、幼児教育
は、奥が深い。ほかのどの年齢の教育よりも、深い。もちろん、その子どもに与える影響は、
決定的ですらある。私に言わせれば、そのあとの教育など、幼児教育の燃えカスのようなも
の。

 ピカソも、若いころは、かなりこった(?)絵を描いていた。写実的な絵も描いていた。しかし冒
頭にも書いたように、絵画の真髄を追求した結果として、ああいう絵を描くようになった。

 私は、そういう意味で、絵画と教育は、よく似ていると思う。


●先生を監禁

 どこかの高校で、校長が、先生を監禁するという事件が起きた。おおまかなストーリーは、こ
うだ。

 どこかの高校生たちが、修学旅行に出かけた。その旅行先でのこと。「カラオケを歌わせろ」
「歌わせない」で、一人の引率の教師と、生徒たちが口論になった。よくある事件である。

 で、その事件が原因で、「その教師と生徒たちとのトラブルを避けるために、校長が、その教
師を監禁した」(新聞報道)と。

 新聞報道だけを読むと、何とも、本末が転倒した事件ではないかと思う。生徒を監禁するな
ら、まだ話がわかる。しかし反対に、(正義感の強い教師?)を、校長が、監禁したという。

 恐らくこの事件の背景には、何かあるのだろう。こうした事件は、単純ではない。表面だけを
見て判断すると、まちがえる。しかし現実問題として、一部の進学高校は別として、最近の高校
は、どこも似たようなものだと思ってよい。このH市でも、「放課後の教室は、まるでラブホテル
のようだ」(ある教師)そうだ。

 「高校」とは名ばかり。……ということになるが、問題は、どうしてこうした子どもが生まれ、こう
した事件を起こすかということ。私が知るかぎり、幼児期の子どもたちは、ほとんどが純粋で、
美しい。それに恵まれた環境の中に育っている。

 そういう幼児が、中学生や高校生になると、様子が変ってくる?

 もちろんその兆候がないわけではない。早い子どもだと、小学一年生で、ツッパリ始める。し
かしこのときすでに、手遅れ。「なおす」のが、手遅れというのではない。本来なら、家庭のあり
方を猛省しなければならないが、それが期待できないということ。

 印象に残っている子どもに、U君(小1)がいた。彼は幼稚園を卒業するとき、代表で、答辞を
引き受けるほど、目だった子どもだった。が、小学一年生の夏ごろから、急に、ツッパリ始め
た。

 するどい目つき。投げやりな態度。乱暴な言葉など。

 そこでたまたま母親と会う機会があったので、そのことを母親に話すと、そのまま大騒動にな
ってしまった。父親がある宗教団体の熱心な信者で、私や母親の意見には、耳を貸そうとしな
かった。で、そのままその子どもは、私のもとを、離れた。父親は、どこか暴力団風の人だっ
た。

 で、その子どもは、高校へは入ったものの、暴走族に加わり、そのまま中退。このことから
も、その後の彼が、どのような小学時代、中学時代を送ったかは、容易に想像がつく。

 実際問題として、学ぶ姿勢のない子どもに、ものを教えることほど、たいへんなことはない。
すでにその段階で、学ぶ姿勢がないどころか、おとなたちに対して、不信感さえもっている。も
ちろん学力も、ない。

 「そういう高校生は、とっとと学校から追い出せ」という意見もあるが、彼らとて、このゆがんだ
社会が生み出した、犠牲者にすぎない。あるいは、追い出されたあと、どこへ行けばよいという
のか。

 私は、ドイツやイタリアのように、高校は、基本的には単位制度にして、午前中で授業を終え
ればよいと思う。そして午後は、クラブへ通えばよいと思う。「何もかも学校で……」という発想
そのものが、おかしい。

 この事件には、いろいろ考えさせられる。ただ、私は、幼児教育が主体だから、高校生のこと
は、よくわからない。またあまり考えたことがない。だからこの程度のコメントで、ここでは終わ
るが、何かしら、「?」と思う事件であることは事実。

 「先生も、たいへんだなあ」と思ってみたり、「修学旅行も考えなおさなければいけないなあ」と
思ってみたり……。本当に、いろいろ考えさせられた。

 
●レストラン

 仕事からの帰り道、いつも同じレストランの前を通る。

 65歳くらいの男性と、40歳くらいの女性が経営する、小さなレストランである。親子だろう
か。それとも夫婦だろうか。

 ちょうど空腹感が強いときなので、そのレストランが、いつも気になる。ときどき魚を焼いた香
ばしいにおいが、通りまで流れてくる。

 そのレストランができて、もう7、8年になる。たまたま開店の前日、その前を通り過ぎると、二
人が懸命に飾りつけをしていた。うれしそうだった。「ぼくたちの店だ」「やっと自分たちの店が
もてたのね」と、そんなことを言いあっているような雰囲気だった。

 が、このところ、そのレストラン、元気がない。いつ見ても、店の中は、ガランとしている。客は
いない。男性は、厨房に立ち、女性は、テーブルの一つに座って、ノートに何やら書いている。
おとといも、そうだったし、昨日も、そうだった。

 こういうレストランでは、一日、(イスの数)x(営業時間数)x(0・3)程度の客が入らないと、経
営は成りたたないという。具体的には、一日に、50食とか、100食ないと、成りたたないとい
う。

いつだったか、ある飲食チェーン店を経営している社長が、そう話してくれた。(この「0・3」とい
う数字は、それぞれの店の規模、性格で違うそうだ。)

 しかし50食というのも、たいへんである。5時間、営業をして、1時間当たり、10人! 一人
が、1500円程度の食事をするとして、あがりが、7〜8万円程度。利益が、3〜4万円。月に2
0日間営業して、60〜80万円程度。

 私が見たところ、1日に、5〜6人も、客がいないのでは……? 見ているだけでも、つらくな
る。こうした(客待ち商売)のきびしさは、私も、子どものときから、いやというほど、経験してい
る。

 問題がないわけではない。そのレストランには、たとえば駐車場がない。目立たない。それに
まわりの環境が、あまりよくない。道路も狭い。場所さえよければ、もっと客が入ってもよさそう
なレストランである。私も何度か、食事をしたことがあるが、その男性の腕前は、確かである。

 今夜も、そのレストランの前を通った。やはり客はいなかった。男性は厨房に立ち、女性は、
いつものテーブルに座っていた。

 人間というのはおかしなもので、いつもと同じように、同じことを考える。「親子だろうか。それ
とも夫婦だろうか」と。

 ちょうど春めき始めたころで、私は携帯電話で、ワイフに電話をした。「今夜のおかずは
何?」と。するとワイフは、こう言った。「イカ丼よ」と。「それなら、どこかで夕食を食べていくか
らいいよ」と言いかけたが、やめた。もうそのときには、レストランからは、あと戻りできないほ
ど、遠くまで来ていた。

 今度、どこかで外食することを考えたら、その店に行こう……と思いながら、自転車のペダル
を、深くこいだ。


●運動不足(?)

 このところ、また運動不足になってきた。体重計をみると、68キロ! ギョッ! またまた適
正体重を、2キロもオーバー。本当は64キロくらいが、一番、調子がよい。さっそく、ダイエット
開始。

 そのせいもあるが、どうも、このところ体が重い。自分でも、ノソノソしているのが、よくわか
る。運動は、きのうもサボってしまった。

 昨夜、ワイフが、こんなことを言った。歌手に、AMという女性がいる。私の年代の男なら、知
らない人はない。その女性が、ダイエットに成功したという。しかしこれはかなり前の話。

 で、ワイフが、昨日テレビで見たら、その女性が、再び、丸々と太っていたという。あきらかに
リバウンドしたらしい。

 「ダイエットといっても、ダイエットだけでは、ダメだよ。運動とペアにしなければ。そしてね、運
動といっても、その場だけの運動ではだめ。運動する習慣を身につけないと」と、私。

 かなりわかったようなことを言うから、恐ろしい。

すこし生意気な意見かもしれないが、私はこう思う。

運動することが重要ではない。いかにして、運動する習慣を身につけるかが、重要。ただ食事
の量を減らしたり、薬(?)をのんだりしても、ダメ。私のばあいは、少し食事の量を減らすと、
そのまま体重も減るので、それなりに効果はあるが……。

 また運動の習慣にしても、大切なことは、いかにしてそれを、生活のリズムの中に溶けこませ
るかということ。とってつけたような、つまり思いたってするような運動では、意味がない。5年と
か、10年とか、それくらいつづけて、はじめて効果が現れる。

 それにしても、このところ、体が重い。どうしてだろうか。コタツに入っても、すぐゴロリと横にな
る。ワイフに相談すると、「あなたは、春先は、いつもそうじゃなア〜い?」と。

 そう言えば、そうだ。どこかこのところ、花粉症ぽい。そのせいかもしれない。ようし、今日は、
自転車に乗るぞ! 春だ。春だ。人生の春だ! 負けるもんか!


●フィルタリング機能

 インターネット・エクスプローラー(IE)には、「フィルタリング機能」という便利な機能がついて
いる。みなさん、ご存知だろうか。

 たとえばしつこい相手から、何度もいたずらメールが届くようなとき、この機能を使えば、着信
と同時に、そのメールを削除。そしてそのままゴミ箱へ捨てることができる。

 方法は簡単。そのメールのところを、白黒反転させたあと、(メッセージ)→(送信者を禁止す
る)をクリックすればよい。あとはそれ以後、自動的に、その相手からのメールを、削除してくれ
る。

 私は、未承認広告、プロバイダーからのウィルス警告、不要なお知らせ、広告、宣伝などを、
この方法で、すべて削除している。もちろん不愉快な相手からのメールも。

 ここで重要なコツがある。

 IEで、送受信をすると、こうしたメールは、そのまま(削除済みアイテム)に送りこまれる。そし
てそのとき、削除されたメールがあることを示すために、文字が、太字に変化する。

 私は最初のころは、ここが太字になると、「だれからかな?」と思って、わざわざ見ていた。し
かし、そうした情報は、見ないこと。心を鬼にして、そうする。(見たら、フィルタリング機能を使
っている意味がない。)

 しかし先日、その(禁止された送信者)の一覧表を見たら、ナ、何と、そのリストが、ズラリと、
40人くらいになっていた! いつの間にか、そうなっていた。もちろんリストにあがっているの
は、アドレスだけだから、だれがどの人か、わからない。しかしそのつど、何かの思いをもっ
て、禁止処分にした人たちである。

 覚えているのは、2年ほど前、執拗に私に攻撃をしかけてきた男性がいたこと。最初のうち
は、ていねいに反論していたが、そのうち、その弾性は、「お前の意見は、狂っている」などとい
うようなことを言いだした。それで(禁止された送信者)に加えて無視することにした。

 そうでなくても、この世界、わずらわしいことが多い。昔とちがって、インターネットの世界で
は、すべてが瞬時、瞬時。瞬時に、情報を交換できる。しかも、不特定多数。こういう方法を利
用しないと、心がもたない。

 みなさんも、もし、だれかの執拗なメールに悩んでいたら、このフィルタリング機能を使うとよ
い。あとは心を鬼にして、(削除済みアイテム)のコーナーを見ないこと。一度、IEを閉じると、
次回には、(削除済みアイテム)は、きれいにカラになっている。
(はやし浩司 フィルタリング)


●女子のADHD
 
 ADHD児というと、男子だけと思っている人がいる。しかし実際には、女子にもいる。ただ男
子と女子では、多少、症状がちがう。

 女子のばあいは、騒々しいという症状が、第一に出てくる。チョコチョコと動き回る多動性は、
あまり観察されない。

 で、その騒々しさだが、「抑えがきかない」という点では、男子のそれと似ている。強く叱って
も、効果はその場だけ。たいていは、目に涙をいっぱい浮かべて、反省したような様子は見せ
る。

 その騒々しさには、つぎのような特徴がある。

 よくしゃべる(多弁性)のほか、しゃべっていることが、衝動的に、どんどんと変化していく。深
い思考力がなく、思いついたことを、ペラペラとしゃべるといった感じ。ものごとにあきっぽく、注
意力も散漫で、感情的な言い方が目立つなど。

女「今日、学校でさあ、運動場でさあ……」
私「静かに!」
女「いいじゃん、少しくらい。だいじなことなんだからさア」
私「今は、そういう話をしてはいけない」

女「怒っている、怒っている。でもさあ、あまり怒るとさあ……」
私「いいから、口を閉じて!」
女「だってさあ、先生だって、しゃべるじゃん?」
私「みんなが、静かに考えているんだから、あなたも静かに!」

女「みんなさあ、がまんしてるだけじゃん。ああ、今日も、疲れたア!」
私「○○さん、静かに!」
女「だまっているのも、疲れるのよね」
私「……」と。

 こういう会話が、よどみなくつづく。そこでさらに強く叱ると、瞬間的には、涙をこぼしたりして、
「ごめん」とか言う。しかし効果は、その場だけ。数分もすると、また、しゃべり始める。

 騒々しさは、小学3〜5年でピークを迎える。それ以後は、自己意識の発達とともに、自分で
自分をコントロールするようになる。見た目には静かになるが、しかし騒々しさは残ることが多
い。

 大切なことは、この自己意識をうまく利用して、本人に、それと気づかせること。そして自分で
自分をコントロールするように、しむけていく。ただこの段階でも、本人は、騒々しいとは思って
いないケースが目立つ。親自身も、気づいていないケースも、多い。
(はやし浩司 女子のADHD ADHD児 女児のADHD 多弁 多弁性)
(040319)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(122)

【子どもの世界】

●ジコチュー

 自己中心的であるということ自体、その人の精神的未発達を意味する。言いかえると、いか
にして、その自己中心性と戦うか。つまりは、それが結果として、その人の精神的発達を促す
ことになる。

 その人の精神の発達度は、協調性(他人と協調して行動できる)、同調性(他人の立場にな
って、その心を分けもつことができる)、調和性(みんなと仲よくできる)などによって、知ること
ができる。わかりやすく言えば、いかに他人の立場になってものを考えられるか、その度合に
よって、その人の精神の発達度を知ることができる。

 自己中心的というのは、そうした精神の発達が、未発達ということを意味する。

 特徴としては、(1)利己主義になりやすい、(2)独断と偏見をもちやすい、(3)自分を絶対視
しやすい、(4)他人の心を、自分の都合で、決めてしまいやすい、(5)他人と協調して行動が
できない、(6)心が冷たい印象を与えやすいなどがある。

 相手の立場になって考えることができないから、誤解やトラブルを引き起こしやすくなる。自
分勝手で、わがままということにもなる。こんな例がある。

 あるとき一人の母親から、電話がかかってきた。そしていきなり、「あなたの講演会を聞いて
みたいが、今度は、いつ、どこでありますか?」と。一方的な言い方だった。

 講演会といっても、一般の人が参加できるものとできないものがある。私の一存では決めら
れない。そこであれこれ迷っていると、「先生(私)のほうで、許可を取ってもらえないか」と。

 しかし実際には、そうした手続きは、けっこうめんどうなもの。主催者の方に頼めば何とかな
るが、その分、主催者の方も気をつかう。私が、それとなく断ると、「ああ、それならいいです」
と、そのまま電話を切ってしまった。

 こうした自己中心性は、多かれ少なかれ、だれにもある。が、これが親子の間に入ると、子
育てそのものが、おかしくなる。たとえば親意識というのも、結局は、自己中心性の表れの一
つと考えてよい。ものごとを、「親」を中心に考えてしまう。

 そういう意味でも、「親である」という立場に甘え、親風を吹かす人は、精神的に、未完成な人
とみてよい。子どもの立場で、子どもの心になって、ものを考えることができない。ずいぶんと
前の話だが、電話で、こう言ってきた母親がいた。

 「先生、私はBW(私の教室)を、やめさせたいのですが、子どもが『どうしても行きたい』と言
っています。どうしたらいいでしょうか」と。

 私の立場のみならず、子どもの心も、まったく考えていない。自己中心的な親は、そういうも
のの言い方をする。

 
●短気

 おおむね、短気な親ほど、子育て、とくに学習指導で、失敗しやすい。子どもの心というの
は、数か月単位で考える。それでも、短いほうだ。半年、一年単位でみる。

 たとえば小学一年生くらいで、一度、勉強嫌いになると、親が、それを(なおす)のは、容易な
ことではない。(逃げる)→(できなくなる)→(ますます逃げる)の悪循環の中で、ますます勉強
嫌いになる。

 で、私の出番ということになる。方法は、私にとっては、それほど、むずかしいことではない。
楽しめばよい。子どもといっしょになって、楽しめばよい。「教えてやろう」とか、「好きにさせてあ
げよう」とか、そういう気負いは、できるだけもたないようにする。

 ところで、今日、H市内で英語教室を開いているTさん(女性)から、こんなメールをもらった。

 私が「私は、子どもと接しているときだけが、私でいられる。あとの私は、ゼーンブ、仮面」と
書いたことについて、「私は、その反対だ」と。つまりその女性は、「子どもと接しているときだ
け、仮面をかぶる。だからレッスンが終わると、ドーッと、疲れが出てくる」と。

 私も若いときは、そうだった。しかしあるときから居なおって、教えるようになった。「これが私
だア!」と。

 もっともそういう教え方ができるようになるまでに、何年もかかった。親たちの信頼も必要だっ
た。

 だから今は、やりたいようにやっている。子どもたちが、サボリ・モードになってきたときは、い
っしょにサボって遊ぶ。疲れたときは、疲れたときなりに、冗談を言いあったり、ゲームをしたり
して遊ぶ。みんなで、近くの店へ、タコ焼きを食べにいくこともある。

 「やめたければ、やめろ」「来たい人だけ、来ればいい」と。そんなふうに、言うこともある。つ
まり自然体で、接するようにしている。

 この傾向は50歳になって、さらに強くなった。で。おかしなことに、そのほうが、また子ども
も、伸びる。で、最終的には、「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがマシ」と思わせる
ようにしむける。実は、これも重要な教育技術である。とくに高校生を教えるときには、そうす
る。

 若いころは、私自身のプライドもあり、なかなかうまくできなかったが、最近は、できるようにな
った。

 つまり子どもの自立を促す。「私は先生だ」と思っていると、教えるほうも疲れるが、生徒も疲
れる。気取ることはない。気負うこともない。

 少し話が脱線したが、そういう意味でも、幼児教室は、私にとっても息抜きの場になってい
る。いくらワイフと夫婦喧嘩をして、ムシャクシャしていても、子どもたちに、「センセー」と言いよ
られたとたん、私は私にかえる。

 要するに、子どもの目線で、教える。そうすれば、子どもは伸びる。たとえば勉強嫌いな子ど
もには、こう言う。「そうだよ。勉強なんて、ちっともおもしろくないよなア」と。

 すると子どものほうが、こう言う。「いいの? 先生が、そんなこと言ってエ?」と。それに答え
て、私はこう言う。「だって、本当だから、しかたないだろ」と。

 とたん、子どもの表情は、明るくなる。

 で、こうした方法で、子どもの心をつかみながら、(「つかむ」という意識をもつこともないが…
…)、子どもに勉強の楽しさを教えていく。具体的には、笑わせればよい。そして半年単位で、
子どもの方向性をつくっていく。

 しかし、ここでいつも大きな問題にぶつかる。

 親自身が、(ほとんどの親がそうだが……)、この段階で、つぎの無理を求めてくる。「やは
り、うちの子は、やればできる」「もう少し何とか」「もっと……!」と。

 これ以上のことは、スポンサーの悪口になるので、ここには書けないが、たとえて言うなら、こ
うした親の無理は、やっと風邪がなおり始めた子どもに、冷や水をぶっかけるようなものであ
る。で、あとは、元の木阿弥(もくあみ)。

 こういう例は、多い。本当に、多い。親は、「やればできるはず」と、子どもを追いたてるが、追
いたてると、今度は、マイナスの方向性に、子どもを落としてしまうこともある。そういうことが、
まったくわかっていない。

 「この子の実力は、この程度です。この程度と認めてあげた上で、本人がやる気を出すまで、
静かに見守ってあげたほうがいいと思います」と言いたくても、それは言えない。親が、それに
納得しないからだ。

 だから失敗する。失敗して、行き着くところまで、行く。だからわかりやすく言えば、「子どもの
勉強では、短気な親ほど、失敗しやすい」ということになる。少しニュアンスがちがうような気も
するが……。まあ、何かの参考になれば……。


●今よりよくなれば……

 ほとんどの親は、(今より、よくなることだけ)を考える。だれも、(今より悪くなること)は、考え
ない。

 しかし子どもの成長には、いつも二面性がある。今より悪くなることだって、可能性としては、
50%、ある。それを忘れてはいけない。

 たとえば子どもを、どこかの進学塾に入れたとする。そういう進学塾で、成績を伸ばす子ども
も、たしかにいる。しかしそれと同じくらい、かえって成績を落してしまう子どもも、いる。親は「き
びしければ、きびしいほど、いい塾」と考えるが、子どものもつエネルギーにも限界がある。

 朝から夕方まで、学校でしごかれた上に、夜の進学教室である。仕事にたとえて言うなら、毎
晩、夜遅くまで、残業するに等しい。その残業のほうで、エネルギーを使い果してしまって、どう
やって本業のほうで、がんばれるというのか。

 もちろん良心的な進学塾も多い。大半が、そうだろう。すべてが悪いというのでもない。大切
なのは、親側の心構えということになる。

 今年、K君という高校3年生を最後に、私は高校生の指導から、足を洗った。そのK君は、東
京工業大学の工学部に合格したが、私は、何も、特別なことをしたわけではない。週1回だ
け、いっしょに座って、話をしたり、いっしょに本屋へ行って、参考書を立ち読みしたりしただけ
である。

 トップクラスをねらう高校生というのは、いつも、そういう高校生である。そのK君にしても、年
末近くまで来たので、私はある日、こう言った。「あのな、往復の時間がもったいないだろ。もし
そうなら、うちへは来なくてもいいから、自分で勉強しろ」と。

 数年前、H大医学部へ推薦で合格した、O君もそうだった。(彼は、地元の新聞に取り上げら
れるほど、優秀な学生だった。)そのO君も、うちへくる日以外は、学校から帰ってくると、いつ
も寝てばかりいたという。(何度も、母親から、「だいじょうぶでしょうか?」という相談をもらっ
た。)

 もう少し専門的に言うと、「依存性」の問題である。

 ガンガンと教えれば、たしかにそれなりに効果はある。しかし同時に、子どもには、依存性が
ついてしまう。自分で自立して勉強するという、姿勢をなくしてしまう。だから中学入試や、高校
入試では、それなりにうまくいっても、そこで伸びは止まる。

 10%前後の子どもは、高校へ入ったとたん。30%前後の子どもは、大学へ入ったとたん、
燃え尽きてしまう。

 いかに依存心をもたせないように教えるか。それがこうした学外指導では、重要なポイントと
なる。

 が、実際には、この依存性を逆に利用する進学塾も多い。ベタベタに塾づけにすることによっ
て、塾をやめられないようにしてしまう。「この塾をやめたら、成績がさがるぞ」というような恐怖
心を、親や子どもに与える。

 実にたくみな方法だが、こういう方法は、同業者の間では、公然と議論されている。「生徒の
定着率を高くするには、どうしたらいいか」と。

 仮にあなたの子どもが、100人中、30番前後だったとする。あなたは当然、何とか、20番
台にしようと考える。しかしあなたが何とかしようと考えたところで、へたをすれば、40番台、5
0番台になることもあるということ。その可能性は、50%はあるということ。

 それを忘れてはいけない。
(040321)
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(123)

●子どもの神経症(心身症)

【長野県にお住まいのSSさんより】

はやし先生はじめまして 四月に入学を控えている6才と1才(ともに12月生ま
れ)の男児をもつ、N市(長野県)の、SSと申します。

長男のことで悩んでおります。ネットで色々検索し、先生のHPにたどり着きました。
これまでモヤモヤと長男についておかしいと思っていた事が神経症の症状にすべてあ
てはまり、また自分にも心あたりがあります。

神経症の診断をしてみたところA24、B12と高得点でした。

(A24というのは、現在、思い当たる症状の合計点。それが24点ということ。またB12というの
は、過去にそういう症状があったという症状の合計点。それが12点ということ。平均はそれぞ
れ3〜5点。24点というのは、異常な高得点と考えてよい。障害が現れる一歩手前の状態と考
えてよい。診断テストを希望の方は、はやし浩司のサイト→トップページ→ビデオでごあいさつ
→資料庫へ。はやし浩司、注)

今のところ一番ひどいのは、手洗いと臭いかぎの潔癖症と疑惑症、靴下をつねに上にひっぱ
っている症状です。一緒にいるとガマンしきれずとがめてしまいます。

以前はやたらと手を洗っていたのですが、近頃はかなり儀式化しており、たとえば入
浴後パジャマを着終わると手を洗う、決まった取っ手を触ったら洗うなどです。

今夜も、「お風呂に入ってきれいになって、きれいなパジャマを着たんだから手を洗わな
くても大丈夫だよ」と言うと「僕はオチンコを触ったら絶対に手を洗いたいんだ」
「あと、ちょっとでも汚い物を触った時も手を洗いたいんだ」と言いました。

この子の神経症の原因はやはり家庭にあると思います。初めての育児で私はかなり気
負い型の育児をしてきました。

結婚したと同時に夫の両親と同居しています。初孫とあって育児にも何かと口を出さ
れ、よくイライラしていました。

その事で夫ともよく衝突し、息子が2歳になる頃に義父が亡くなりました。一家の中
心だった義父が亡くなり家の中は一気に険悪めちゃくちゃになり

私は孤立しました。息子が3歳になった頃、半年間は完全に家庭内別居でした。
離婚も真剣に考え、決心した所で夫と歩み寄る事ができ少しずつ関係修復に努めてき
ました。

しかし、その間は私の情緒が乱れに乱れ、間近にいた長男は相当傷ついていると思い
ます。
親の修羅場を見せてしまった罪悪感は今も消えずずっとその事が気がかりでした。

夫とはお互い努力を重ねて関係修復し、長男が年中になった春、ちょうど2年前に次
男を妊娠しました。

妊娠初期から切迫流産の危機で入院、長男は実家に預けました。
退院後もつわりがひどく、次は早産の危険もあるハイリスク妊婦のため
安静生活をよぎなくされました。ずっと抱っこもしてあげられず、息子はけなげに耐
え気遣ってくれていました。相当のストレスだったと思います。

その頃はつめ噛みと小さい頃気に入っていた、しまじろうの人形をまたひっぱり出して
きて肌身離さず持っていました。

妊娠後期、少しずつ動けるようになり息子との時間を持てるようになりました。検診
について行きたがったので、幼稚園を休ませ、のんびりバスにゆられて(普段は車生
活です)、のんびり過ごしました。私が動けるようになると同時に情緒も安定するのが
よくわかりました。

そして5歳の誕生日の4日後に次男誕生。一緒に妊娠生活を乗り越えてくれた長男は
当然のように出産にも立ち会いました。しかし、難産で私が苦しむ姿(痛い、死にそ
うーと叫んだ)を見てかなりのショックを受けたようで、それ以後、不安症が出てきま
した。

そして出産したとたん、それまでいい子にしていたガマンが爆発するかのように赤ち
ゃん返り。半年間は長男優先で育児をしてきたつもりです。

そして、今回の症状が出始めた昨年夏ごろ、次男が動くようになり後回しにはいかな
くなりました。と同時に次男のベビーベッドをやめ息子二人と三人で寝るようになり
ました。が、これが次男真ん中で私と長男は離れる形態になってしまったのです。長
男は夫と就寝ですが夜中目覚めると私と次男の間にねじ入ってきました。

秋から冬にかけ手洗いの症状はエスカレートしました。幼稚園に相談すると、とくに
園生活に問題はなく少しトイレが近いかな、との事でした。スキンシップを大切にと
のアドバイスを受けましたが、私を含め皆であの手この手で手洗いを阻止しようとそち
らへ意識が向いてしまっていました。

手洗い意外にもいじけ、すねるのもひどく何か叱るだけで、「ママ僕の事きらいなん
だ、MMちゃん(弟)の方が大事なんだ」と、毎日毎日何回もネチネチと言い続けてき
ました。その都度「そんな事ないよ。二人とも大事だよ」と返して来ましたがあまりの
しつこさに「こんなに大事って言うのにどうしてそんなにわからないの!」と怒鳴っ
てしまった事も数回あります。

振り返ると、長男にずっといいお兄ちゃんを求めてしまっていました。嫌がるのにお
もちゃを貸すように強要しました。手洗いなどの潔癖は弟がおもちゃをなめて汚すよ
うになってから出てきました。

「どうしてそんなに手を洗うの?」と聞くと「僕は汚れた手でおもちゃを触っておも
ちゃが汚れるのがいやなんだ」と言いました。私への悪態も日に日にひどくなってい
ます。

先生のHPを知り、著書も読ませていただきました。

スキンシップは心がけていましたが、やはり要所要所で足りなかったようです。ベッド
のレイアウトも変え、私が真ん中で長男次男と川の字で寝るようになると、体は授乳で
次男側を向いていても嬉しそうに、私の背中へ寄り添ってきます。次男が遊びに夢中に
なっている時に長男においでと呼ぶと、これまた嬉しそうに膝の上に座って甘えます。

寝る前の絵本や長男の小さい頃の思い出話もとても喜びます。

一番驚いたのは「TGちゃん(長男)が一番大事だよ。ママは大好きだよ。」と、初
めて'一番好きだよ'と言ったとたんに、口癖だった「ママは僕の事が嫌い」という
イジケがなくなったのです。

そして、可愛がっていた次男を拒絶するようになりました。帰宅拒否でしょうか?
のんびりマイペースで遊べる義母の居間に入り浸っています。

もっと早く先生の育児論を知っていたら、ここまでひどい症状には至らなかったと思っ
ています。

私は今のままスキンシップを心がけていけば大丈夫でしょうか?  手洗いは好きにさせ
ていいのですか? 思いこんでいることに対し、洗う必要がないよと言わなくていいです
か?

今、長男をここまでしてしまった罪悪感でかなり自信がなくなっています。こんな小
さいうちに神経症を発してしまい、将来が不安でたまりません。治る事にこだわって
いけないと頭で思っても心がついていきません。心配で不安で長男が卒園し、春休み
になった今、苦しくてプレッシャーでつぶれそうです。

先生、お忙しい中あつかましいですが、どうかアドバイスお願いします

+++++++++++++++++++++

【SSさんへ】

 神経症の診断結果は、高得点ですね。平均は、Aが5点、Bが3点です。20点以上というと、
かなりいろいろな症状が出ていると同時に、精神的にも、大きなダメージを受けていると思いま
す。

 まず第一に、早く気づかれてよかったということ。「遅すぎた」というのではなく、「早くてよかっ
た」ということです。5〜6歳という年齢は、まだじゅうぶん、修復が可能な年齢ということです。

青年期に、こうした症状が出てくると、もろもろの障害(摂食障害、行為障害、不安障害、回避
性障害、妄想性、睡眠障害)へ、そのまま結びついていきます。精神障害になることもありま
す。

 で、順に、問題点を洗ってみます。

 TG君(長男)の心を不安定にしている最大の原因は、赤ちゃんがえりです。つぎに乳幼児期
の家庭騒動、家庭不安です。この時期、子どもは、絶対的な安心感の中で、心をはぐくみま
す。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味です。

 しかしそれができなかった。TG君は、この先、何かにつけて、不安先行型の人生観をもつも
のと思われます。赤ちゃんがえりそのものは、症状的には消えていきますが、それが原因でゆ
がんだ心(ひがみやすい、いじけやすい、つっぱりやすいなど)は、これからも残っていきます。

 だからといって、SSさんの育児が失敗だったというのではありません。多かれ少なかれ、み
なそうだということです。問題のない家庭はないし、そのため、問題のない子どもは、いませ
ん。もっとはっきり言えば、この程度の問題なら、みんなもっているということ。

 どの家庭も、どの子どもも、外から見ると、みんなうまくいっているように見えますが、それは
あくまでも、「外見」。だから、今までは今までとして、これからは先だけを見て、前に進むことで
す。

 私がSSさんで、すばらしいと思うのは、まだお若いはずなのに、よくも、ここまでご自身のこと
を知っておられるということ。また子育てを、よくも、ここまで客観的に見ておられるということ。

 いろいろあったご様子ですが、SSさんは、その結果、かなり精神的に成長なさったと思いま
す。あなたの年齢で、ここまで自分をしっかりと見つめておられる方は、そんなにいません。そ
の点について、まず、自信をもつこと。

 ふつうは、それにさえ気づかないで、我流、独断、独善で、ますます子どもの心をゆがめてし
まうものです。

 気になっている点から、順に話していきます。

●疑惑症、潔癖症について……

 これらはあくまでも、「外に出た症状」です。インフルエンザで言えば、「熱」のようなものです。

 熱を冷ますために、水をかけてはいけないように、症状だけをみて、それを抑えようとしても、
うまくいきません。かえって症状をこじらせます。

 原因は、慢性的な欲求不満と、ストレスです。

 方法は、スキンシップに始まり、スキンシップに終わります。親側からベタベタする必要はあり
ません。『求めてきたときが、与えどき』と覚えておきます。子どもがそれとなく求めてきたら、そ
のときは、濃密に、子どもが満足するまで、ぐいと抱いてあげたりします。

 多少の抱き癖、依存性なども生まれますが、ここは無視してください。

 幸いにも、SSさんは、たいへん愛情豊かな方だと思われます。この世界では、『愛は万能』と
いいます。愛が基本的にあれば、子どもの心はゆがみません。しかし愛がないと、いくら体裁
をとりつくろっても、失敗します。

 コツは、『許して、忘れる』です。(私のHPのあちこちに、それについて書いてありますので、
またヒマなときに、お読みください。)

 こうした行為(手洗い、臭いかぎ)を、「悪」と決めてかかるのではなく、『暖かい無視』をしま
す。ときには、子どもの心になって、「あなたは、きれい好きなのね。お母さんも、手を洗うわ」
と、いっしょに洗ってみてください。

 まずいのは、子どもに罪悪感をもたせることです。扱い方をまちがえると、さらにやっかいな
神経症(心身症)を併発します。火遊び、不登校、動物虐待など。だから今は、「なおそう」と思
うのではなく、「これ以上、症状を悪化させない」ことだけを考えて対処してください。

●赤ちゃんがえり……

 赤ちゃんがえりについては、今の対処法でよいと思われます。弟さんには悪いですが、全幅
に、TG君に、愛情を注ぎなおします。年齢的にも、自己意識が芽生えてくるころですから、症
状が消えるまでに、それほど時間はかからないと思います。

 子どもは、小学3、4年生ごろから親離れを始めます。これから数年が、勝負ですね。勝負と
いうことは、濃密かつ良好な親子関係を取りもどす、最後のチャンスということです。

 また幼稚園では、先生が、「問題ない」とおっしゃったことですが、それだけTG君は、外の世
界では無理をしているのかもしれません。家の中では、その分、荒れたり、ぐずったりするかも
しれません。家の中では、ゆるめてあげてください。

とくに4月からは、小学校が始まりますので、神経質な育児姿勢は、禁物です。(慎重に子ども
の心を観察してみてください。無理強いはしてはいけませんよ。かなり不安定になっていますか
ら、妄想性が、対人恐怖症になり、それが原因で、学校恐怖症、さらには不登校へと進む可能
性は、ないとは言えません。)

 あくまでも子どもの心になって考えるということです。ときどきぐずったら、「そうね、だれだっ
て、ときどきは学校へ行きたくないときもあるわね」式の理解を示してあげてください。KG君に
は、とくに、それが必要です。

●子育てのプレッシャー……

 子どもというのは、不思議なもので、親が何かをしたから、育つものでも、また何もしなかった
から、育たないものでもありません。

 重要なことは、(子ども自身がもつ育つ力)を信ずることです。たしかにSSさんの育児姿勢
は、気負い先行型です。「いい親でいよう」「いい親はこういうものだ」「いい子どもを育てよう」
と、気負っておられる様子がよくわかります。

 さらに「私は親だ」「子どもの問題の責任は、すべて親にある」という、どこかN県独特の親意
識もあるようです。

 子ども自身のもつ力を、もっと信じなさい。それはちょうど、子どもが風邪をひいて寝ていると
きのようなものです。親は、子どもの風邪をなおすために、薬をのませたりしますが、本当に子
どもの風邪をなおすのは、子ども自身がもつ治癒力のようなものです。体力といっても、よいか
もしれません。

 私たちができることと言えば、せいぜい、その(子ども自身がもつ力)を、横から援助すること
でしかないのです。すべてを、あなた自身が、背負ってはいけません。

 (多分、そういう意味で、あなた自身も、あまり恵まれた家庭環境で育っていない可能性もあ
ります。とくにあなたの父親との関係を疑ってみてください。)

 いいですか、今のKG君の症状が、これから先、いつまでもつづくと考えるのは、正しくありま
せん。同時に、しかし失敗すれば、さらに二番底、三番底へと落ちていきます。今の症状がす
べてではないということです。

ですからここは、先に書いたように、「これ以上、症状を悪化させない」ことだけを考えて対処し
てください。しかもその様子は、半年単位でみます。「今日、改善したから、明日なおる」という
問題では、決してありません。

 このあと、いくつか、参考になりそうな原稿をいくつか張りつけておきます。参考にしてくだされ
ば、うれしいです。

 なお、いただきましたメールは、少し私のほうで改変し、小生発行の電子マガジンのほうで使
わせてください。もし都合の悪い点があれば、至急、お知らせください。改めます。同じような問
題をかかえておられる、ほかの母親たちのためにも、よろしくご協力くださいますよう、お願い
申しあげます。

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●子どもの情緒不安

 子どもの発達をみるときは、次の四分野をみる。

情緒の安定度、精神の完成度、知能の発達度、それに運動能力。

そのうちの情緒の安定度は、体力的に疲れたと思われるときに観察して、判断する。

たとえば運動会や遠足から帰ってきたようなとき。そういうときでも、不安定症状(ぐずる、ふさ
ぎ込む、ピリピリする、イライラするなどの精神的動揺)がなければ、情緒の安定した子どもと
みる。

あるいは子どもは寝起きをみる。毎朝、不機嫌なら不機嫌でもよい。寝起きの様子が安定して
いれば、情緒の安定した子どもとみる。子どもは2〜3歳の第一反抗期、思春期の第二反抗
期に、特に動揺しやすいということがわかっている。

経験的には、乳幼児期から少年少女期への移行期(4〜5歳)、および小学2年から4年ぐらい
にかけても、不安定になることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心が絶えず緊張状態にあるのが知られている。外見にだまされ
てはいけない。柔和な笑みを浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているということは、
よくある。

このタイプの子どもは、気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にす
る。よい子ぶることもある。そういう状態の中に、不安や心配が入り込むと、それを解消しよう
と一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。

症状としては、攻撃的、暴力的になるプラス型。周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不
登校を繰り返したりするマイナス型に分けて考える。

プラス型は、ささいなことでカッとなることが多い。さらに症状が進むと、集団的な非行行動をと
ったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えるようになったりする。

原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親の放
任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒動、家庭不和、恐怖体験な
ど。ある子ども(5歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉傾
向(親と心が通い合わない状態)を示すようになった。

また別の子ども(3歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離
不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 子どもの情緒が不安定になると、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原因の
第一は、家庭環境にあると考え、反省する。子どもの側から見て、息が抜けないような環境な
ど。子どもの心に負担になっているもの、心を束縛しているようなものがあれば、取り除く。

一番よい方法は、家庭の中に、誰にも干渉されないような場所と時間を用意すること。あれこ
れ親が気をつかうこと(過関心)は、かえって逆効果。

子どもが情緒不安症状を示したら、スキンシップを大切にし、温かい語りかけを大切にする。
叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって子どもの情緒を不安定にする。

なお一般的には、情緒不安は、神経症(心身症)の原因となることが多い。たとえば、夜驚(や
きょう)、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チック症、爪かみ、物
かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、対
人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。症状は千差万
別で、定型がない。

++++++++++++++++++++++

●子どもの神経症

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。脳の機
能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。

ふつう子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。そこであな
たの子どもをチェック。次の症状の中で思い当たる症状(太字)があれば、丸(○)をつけてみ
てほしい。

 精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、
赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、
不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作
(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグ
ズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での神経症として、
赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、
人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の神経症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラ
フラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もら
す)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患
(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じん
ましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、
爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ
(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙
もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での神経症に先だって、身体面で
の神経症が現われることが多い。

 行動面の神経症……神経症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。
不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過
食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。
生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするな
ど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行
動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじ
めなど。こうして書き出したら、キリがない。

要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。「うちの子どもは、どこかふつうでな
い」と感じたら、この神経症を疑ってみる。ただし一言。こうした症状が現われたからといって、
子どもを叱ってはいけない。叱っても意味がないばかりか、叱れば叱るほど、逆効果。神経症
は、ますますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期待など、いろいろある。

 さて診断。丸の数が、10個以上……あなたの子どもの心はボロボロ。家庭環境を猛省する
必要がある。9〜5個……赤信号。子どもの心はかなりキズついている。4〜1個……注意信
号。見た目の症状が軽いからといって、油断してはならない。

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●愛情は落差の問題

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。(赤ちゃ
んがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのをプラス型という
ことができる。)

本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教しても意味がない。
叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがっています。どう
して上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィフティ(50%50%)だ
から文句はないということになる。が、上の子どもにしてみれば、その「五〇%」というのが不満
なのだ。

つまり下の子どもが生まれるまでは、一〇〇%だった親の愛情が、五〇%に減ったことが問
題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」ではなく「落
差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよい。あな
たの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあなたに言ったとした
ら、あなたはそれに納得するだろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させないように、
上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれてくるのを楽
しみにさせるような雰囲気づくりをする。

「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」「いっしょに遊べるか
らいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれたというような印象を、上の子どもに与
えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬
心と闘争心はいじらないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、(1)様子があまりひどいようであれ
ば、以前と同じように、もう一度一〇〇%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を減らしていく。
(2)症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(五〇%五〇%)を貫き、そのつど、
上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い食
生活にこころがける。

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●子どもの分離不安

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストのものだが、いわく、「うちの娘(むすめ)(三歳児)をはじめて幼稚園へ連れていったとき
のこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さ
に感動した」と。

とんでもない! ほかにも詳しくあれこれ症状が書かれていたが、それを読むと、それは、「別
れをつらがって泣く子どもの姿」ではない。分離不安の症状そのものだった。

 分離不安症。親の姿が見えなくなると、混乱して泣き叫んだり暴れたりする。大声をあげて泣
き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイナス型)
に分けて考える。

私はこのほかに、ひとりで行動ができなくなってしまうタイプ(孤立恐怖)にも分けて考えている
が、それはともかくも、このタイプの子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、一五〜二〇
人に一人くらいの割合で経験する。

親がそばにいるうちは、静かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと
ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去りや迷子を経験して、分離不安になった子どももいた。

さらには育児拒否、虐待、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側
からみて、「捨てられるのではないか」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわかりや
すい。

無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集
団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいる。無理をすればかえって症
状をこじらせてしまう。

いや、実際には無理に引き離せば、しばらくは混乱状態になるものの、やがて静かに収まるこ
とが多い。しかしそれで症状が消えるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そ
んなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が現われる。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったりしているのがわか
る。「いいかげんにしなさい!」とか、「私はもう行きますからね」とか。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます被害妄想をもつようになる。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここにも書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安感に襲われます」と。姿や形を変えて、おとな
になってからも症状が現われることがある。
(040320)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(124)

【近況・あれこれ】

●初フライト

 私は子どものころ、パイロットにあこがれた。空を飛んでみたかった。

 今、三男は、そのパイロットになって、空を飛んでいる。オーストラリアでグライダーに乗って
いる。昨日(3・20)、その第一報が届いた。

 が、昨日は、あいにく気温が低く、風が強かったらしい。気温が低いと、上昇気流が発生しな
い。風が強いと、たとえ気流をつかまえても、すぐそれをはずしてしまう。

 こういうときは、フライトがむずかしいという。上下、左右に、グライダーは、はげしく揺れる。

 三男は、70歳近い、超ベテランのパイロットに、乗せてもらった。が、降りてきたときには、
「真っ青(PALE)な顔をしていた」(友人談)という。そこで友人が、「また乗るか?」と聞いたら、
三男は、「もういやだ」と。

 そこで、みんなで三男を説得したら、「また乗る」と言ったとか。「E(三男)は、セックスと同じよ
うに、地獄と天国を、両方、一度に経験した」と私がメールを送ると、友人は、こう言った。「天
国を見るのは、若者の特権だ。ぼくらには、何をしても、地獄に見える」と。

 で、今日は、別の飛行場で、小型機を操縦するつもりらしい。オーストラリアには、いたるとこ
ろに飛行場がある。友人のいとこは、そこで教官をしている。

 うらやましい……、と思いつつ、私は、いつものように、MS社のフライトシミュレーターで、空
を飛ぶ。そのゲームの中には、グライダーも収録されている。「多分、三男も、こういうふうに飛
んだのだろうな」と思いつつ、おもちゃの操縦桿を握る。

 オーストラリアへ行く前、三男は、こう言った。「(機長になって)初飛行するときは、家族を、
みんな招待できる。みんな無料で、飛行機に乗ることができる」と。

 パイロットになって、初飛行するときは、家族を、記念に、招待できるという。「それまでは生き
ていよう」と、ワイフに話す。しかしそのとき、飛行機が墜落したら……、そのときは、私の家族
は、ゼンメツ! (どうして私は、こうも、不吉なことばかり考えるのか……?)

三男「ぼくは、国内便のパイロットでいい」
私「バカだなあ。あのな、世界を飛び回れ」
三男「日本だって広い」
私「それは、世界をまだ知らない人が言うセリフだ。そのために、オーストラリアへ、お前は、行
くんだ。世界を見るんだ」

 飛行機で一歩、日本の外に出ると、日本の小ささに驚かされる。本当に、小さい。どうしようも
ないほど、小さい。日本に生まれ、日本だけに住んだことのない人には、それがわからない。
三男が、そうだ。

私「鹿児島県の徳之島の周遊パイロットになれと言われたら、お前はどうする?」
三男「いやだな……」
私「そうだろ。世界から見ると、日本を飛ぶというのは、それと同じようなものだ」
三男「日本と徳之島はちがうよ、パパ」
私「比率では、ほぼ、同じだ。世界からみると、日本は、徳之島※くらいしかない」と。

 若いときに、世界をみておくことは、とても重要なことだ。少なくとも、その人の常識がかたま
る前に、見ておく。常識がかたまってからでは、遅い。先日も、私に、「林君、君は、欧米かぶ
れしすぎているよ」と言った、男性(55歳)がいた。自分自身は、欧米の「オ」の字も知らないく
せに、だ。  

 私は、何も、日本を否定しているのではない。「世界を見ろ」と言っている。たとえばアメリカの
テキサス州の砂漠の真中に立って、そこから日本を見てみるとよい。日本の影など、どこにも
ない。大学生ですら、そのほとんどが、日本がどこにあるかさえ知らない。

 オーストラリアにしても、車で走ると、平原につづく平原が、打ち寄せる大海原(うなばら)のよ
うにつづく。それが何時間も何時間もつづく。気が遠くなるほど、つづく。そんなところで、「私は
日本人だ」と叫んでも、意味はない。ちょうど私たちが、ポーランド人とデンマーク人の区別が
つかないように、彼らもまた、アジア人と日本人の区別がつかない。

 日本人は日本人の伝統と文化を守る。アジア人はアジア人の、それぞれの伝統と文化を守
る。たがいにたがいの文化と伝統を、尊重する。それは重要なことだ。しかしどちらが優越して
いるとか、劣っているとか、そういうことを議論しても、まったく意味がない。

 世界に出てみると、その愚劣さがよくわかる。「世界を知る」ということは、そういうことをいう。

※……地球の面積=5億995万平方キロメートル、日本の面積=37万平方キロメートル。こ
の割合になっている島を、日本の中でさがすと、鹿児島県の徳之島(247平方キロメ−トル)
が、その島ということになる。つまり世界から見た日本は、日本から見た徳之島の大きさという
ことになる。 


●日本人としての、アイデンテティー(同一性)

 ここで「日本人のアイデンテティー」の話が出たので、ついでに一言。

 「日本人とは何か」「私たちは日本人であるという、その根拠は何か」……、それがアイデンテ
ティーの問題である。

 もっとわかりやすく言えば、「日本民族と、他民族のちがい」ということになるし、さらにもっと
わかりやすく言えば、「日本民族が、他民族よりすぐれているところは、何か」「日本民族が、守
り育ててきたものは、何か」ということになる。

 私は、第一に、「言葉」をあげる。

 こうしてモノを書く人間の特性かもしれない。本当は、国際的な言語で書いて、国際的な立場
で、自分の書いたものを発表したい。しかし私には、その「力」がない。(いや、今度から、英語
で、エッセーを書いてみようか。今、ふと、そんな欲望が、心を包んだ。)

 だからこうして書いているものを読んでくれるのは、第一に、日本語のわかる日本人というこ
とになる。

 もしこの日本語を、だれも理解できなくなってしまったとしたら……。考えるだけでも、恐ろし
い。

 で、今、私は、この日本という「ワク」の中に住んで、自由にものを考えて、話し、そして書いて
いる。これが私は、日本人としてのアイデンテティーということになる。

 あとは、食べ物。風俗。文化。習慣。

 日本人としての、居心地のよさこそが、私たちが守るべき、アイデンテティーと考えてもよい。

 こわいのは、民族主義。えてして、この民族主義は、「我らが民族を守るため」という大義名
分の中、相手の民族を否定する道具(方便)として使われる。国粋主義も、そこから生まれる。

 私たちは、自分たちのアイデンテティーを追求するときは、同時に、相手のアイデンテティー
も認めなければならない。こうした働きかけを、外の国々に向って同時にしてこそ、日本人は日
本人のアイデンテティーを守れる。

 私は、決して、日本人としての、アイデンテティーを否定しているのではない。
(040321)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(125)

【恐怖のインターネット・ストーカー】(実話)

●喜びも、つかの間

 Aさん(32歳・女性)は、やっとの思いで、自分のホームページを開いた。そのために、公民
館での、パソコン教室にも通った。近所の、大学生にも、手伝ってもらった。が、それが、恐怖
の始まりだった……。

 Aさんは、几帳面(きちょうめん)な人だった。それに、実のところ、ホームページについては、
無知に近かった。Aさんは、自分のホームページを開いたうれしさもあって、そこに、自分のこ
とをすべて書いてしまった。

 住所、電話番号、本名、家族の名前、メールアドレスなど。それに家族の写真まで。

 「仲のいい友だちに読んでもらえればと思って、そうしました」と、Aさんは、言った。

 しかしホームページには、個人の特定につながるような情報は、載せてはいけない。しかしA
さんは、そういう常識を知らなかった。


●アクセスカウンター

 1か月ほどたったところで、Aさんは、自分のホームページにアクセスカウンターを張りつけ
た。カウンターをつければ、何人の人が、ホームページを訪れたかが、わかる。

 Aさんは、毎日、そのカウンターの数字が、一人、二人と、ふえていくのを楽しみにした。

 で、さらに1か月ほどたったところで、Aさんは、もっと多くの人に、自分のホームページを読
んでもらいたいと願うようになった。日記風のエッセーも載せた。自分で描いたイラストも載せ
た。パソコンに詳しい友人に相談すると、「ホームページをもっている人と、相互リンクを張れば
よい」と教わった。

 そこでAさんは、あちこちのホームページをのぞきながら、その掲示板に、自分のことを書い
た。が、ここでまた、大きなミスをした。

 Aさんは、自分の住所と本名を、その掲示板に書いてしまった。「偽名では、相手の方に、失
礼かと思って、そうしました」と。

 こうしてAさんのホームページは、実名とともに、この世界に広まってしまった。


●最初のメール
 
 最初にその男性から、メールが届いたのは、正月もあけて、まもなくのことだった。名前も、
住所もなかった。

 Aさんは、何ら警戒することもなく、その男性からのメールを読み、返事を書いた。以下は、A
さんから聞いた話である。

 「最初は、見知らぬ男性とメールを交換するのが、楽しかったです。私のホームページを見て
くれた人ということで、親近感も覚えました。メールの内容は、儀礼的なあいさつが中心でした
が、相手の質問には、いつもていねいに答えていました。

おかしいなと思ったのは、相手の文章が、妙になれなれしい言い方のメールだったことです。ま
るで親しい友人に書いてくるようなメールでした。

 それに何というか、私のことを、よく知っているような言い方をするのですね。しかも近所に住
んでいるかのような言い方をするのです。たとえば『このところ、ここらも、急に春めいてきまし
たね』とか。

 で、最初の数週間ほどは、私も、そうしたメールを交換するのが楽しくて、こまめに返事を書
いていました。しかしそれを過ぎても、その男性は、自分の名前も、住んでいるところも、言い
ませんでした。

 『どちらにお住まいですか』と、一度聞いたことがあるのですが、『まあ、いいじゃないですか。
住所は、この日本かな……』という感じでした。

 で、私のほうも、もう聞くのもおっくうになりました。それで返事を書くのをひかえ始めたのです
が、ひかえ始めたとたん、相手からのメールが、どんとふえました。多い日は、一日に、5〜6
通とか、そんな感じでした」と。


●個人情報の削除

 私がそれに気づいたのは、たまたまAさんを、よく知る立場にあったからである。私のところ
にも、「私のホームページを開きました。どうか訪問してみてください」というメールが届いた。

 が、私はAさんのホームページどころか、メールを見て、びっくり。メールの末尾に、住所、氏
名、それに電話番号まで書いてあった。すぐAさんに、メールを出した。「個人情報は、すべて
消しなさい!」と。

 個人情報から、パスワードが推察されるということはよくある。たいていの人、とくに女性は、
自分の名前のイニシャルと、生年月日、もしくは住所と組みあわせたパスワードを使うことが多
い。家族のイニシャルを使うこともある。

 パスワードを盗まれると、どんないたずらをされるか、わかったものではない。

 ホームページを出すというのは、まさに世間に、自分をさらけ出すことを意味する。それなり
の覚悟があるなら話は別だが、そうでなければ、個人情報の公開は、最小限におさえたほうが
よい。

 100人のうち、一人は、まともでない人がいる。1000人のうち、一人は、さらに、まともでな
い人がいる。そういう人にからまれたら、不愉快な思いをするのは、そのホームページを開設
した人自身ということになる。

 が、ときすでに、遅かった。


●執拗なメール

 Aさんに、さらに執拗なメールが届き始めたのは、5月に入ってからだった。

 「奥さん、今日は、洗濯ですか。今日は洗濯日和(びより)ですね」
 「奥さん、お子さんは、もう学校へ行きましたか。これから何をしますか」
 「奥さん、今夜のおかずは、何ですか。好物の、鍋物ですか」と。

 ホームページのどこかに日記風に書いた記事を、その男性は読んでいたらしい。それをもと
に、あれこれ書いてきた。

 いつも「奥さん……」で始まるメール。Aさんは、こう言った。「あっという間に、私は、気持ち悪
いのを通りこして、パソコンに触れるのさえ、いやになりました」と。

 そこでAさんは、その男性からのメールを、「送信者禁止」にした。こうすれば、着信と同時
に、そのメールは、「削除済みアイテム」に送りこまれる。一度、インターネットを閉じれば、メー
ルそのものが削除される。

 が、相手の男性も、「開封確認」を入れていたらしい。自分のメールが開封されないまま削除
されているのを知ると、今度は、Re(件)名のところに、長々と、文面を入れてくるようになっ
た。

 「Re:奥さん、どうか削除しないで、読んでくださいな。かわいそうだと思ってください」
 「Re:奥さん、とうとう、怒らせてしまいまいましたか。そんな気じゃ、ないのです。すばらしい
奥さんに一言、ごあいさつをしたかったからだけです」
 「Re:奥さん、ホームページから写真をはずしましたね。でも、ぼくのほうで、ちゃんとプリント
アウトしてありますよ」
 「Re:奥さん、私、こう見えても、決して悪い男じゃ、ないんです」と。

 相手の男性のアドレスを調べると、どこかの無料プロバイダーを利用しているようだった。


●対抗策

 私に相談があったのは、その前後のことだった。私は、つぎのように教えた。

 「まず、送信者禁止はそのままにする。そして削除済みのアイテムに、その男性からのものら
しきメールが入っても、絶対にのぞかないこと」と。

 Aさんは、それまでは毎日のように、パソコンを開いていたが、そのころになると、一週間に
一度くらいになってしまったという。が、そのとき、Aさんを、まさに恐怖のドン底にたたき落すよ
うなことが起きた。

 「久しぶりだからもういいだろう」と思って、その一週間目に、インターネットを開くと、メールの
送受信が、受信状態になったまま止まらなくなってしまったという。

 やっと止まったところで、恐る恐る「削除済みアイテム」をのぞいたとたん、Aさんの顔は、み
るみるうちに青ざめてしまった。体も震えだした。

 そして私があれほど、「だれからか見てはいけない」と言ったにもかかわらず、Aさんは、その
「削除済みアイテム」を開いてしまった!

 すべて、「奥さん……」で始まる、その男性からのものだった。そして件名だけで、一連の文
章になるようになっていた。それが何と、100通以上! 数え切れないほどだったという。

 「Re:奥さん、お元気ですか」
 「Re:奥さん、このところ返事がいただけませんね」
 「Re:奥さん、お体のぐあいでも、悪いのですか」
 「Re:奥さん、そういえば、花粉症でしたね」と。


●現在

 Aさんは、ホームページを閉鎖した。同時に、パソコンを閉じた。そのAさんは、こう言う。

 「ホームページは、もうこりごり。パソコンを開く気もしません。メールアドレスも、個人は、公
開してはいけませんね。その恐ろしさが、よくわかりました」と。

 Aさんのようなケースは、決して例外ではない。私自身も、ときどき、しかも定期的に似たよう
なことを経験する。

 しかし免疫性ができたというか、今は、容赦なく、フィルターをかけたり、削除したりして、対処
している。いちいち気にしていたら、前に進めない。もちろん、5、6年前に、同じような経験を、
はじめてしたときには、かなり、不愉快な思いをした。

 で、こうしたメールが届いたときの、鉄則。決して、相手を、責めたり、攻撃したりしてはいけ
ない。批判してもいけない。ただひたすら、無視するのがよい。

 よくあるのは、ホームページの掲示板への、不良書き込み。私は、間髪を入れず、削除する
ことにしているが、そういうばあいでも、相手にしてはいけない。たいてい数回、削除を繰りかえ
すと、相手もあきらめるのか、書き込みをしなくなる。

 しかしAさんが経験したような男性も、いるにはいる。だから注意するにこしたことはない。
で、そのばあいも、相手にしないこと。「書き込みをやめてください」「もうメールは結構です」な
どと書くと、かえって相手の思うツボにはまってしまう。

 が、それでもいやがらせがつづいたら……。相手のプロバイダー(@マーク以後)を調べ、そ
のプロバイダーに連絡するとよい。「こういうメールが、届いていますが、善処してください」と。
(本当のところ、そういうこともしないほうがよいが……。)

 大切なことは、個人情報は、最小限に。できればホームページには、載せないこと。知らせな
いこと。とくに女性は、注意したほうがよい。はっきり言えば、この世界には、どこか頭のおかし
い「人」が、多すぎるほど、いる。

 どうか、みなさんも、しっかりと自衛策を講じながら、ホームページを開設してください。こわい
ですよ……! ホント! ゾーッ!
(040321)

【私のばあい】

 私も、メールアドレス、ホームページ、実名を公開しているため、「?」なメールは、よく届く。
抗議や、いたずら、いやがらせなど。掲示板への不良書き込みや、チャットルームへのいたず
ら書きも、あとを絶たない。(掲示板への不良書き込みは、毎週のようにある!)

 件名だけのメールも、ときどき届く。【未承認広告】と書いてあるほうは、まだよいほう。個人
の人からのメールだと思って、プレビュー画面に開いてみたら、その種の宣伝だったということ
も多い。

 で、私のばあいも、一度でも、そういうメールをくれた相手に対しては、「送信者禁止」※にし
て、対処している。つまり着信と同時に、削除。件名も、読まないほうがよい。(読めば、気にな
るので……。)

 いろいろな雑誌にも書いてあるが、そういうメールは、無視するのが、一番よいとのこと。反
論のため返信を書いたりすると、そのままこちらのアドレスがわかってしまうため、かえってめ
んどうなことになることがあるそうだ。また中には、(私は経験していないが)、いやがらせのた
め、ウィルスつきのメールを送りつけてくる人もいるという。

 (とくにウィルスつきのメールについては、その相手に、あれこれ返事を書いてはいけないそ
うだ。最近のウィルスは、差出人を詐称するという。つまり勝手にその人のアドレスを使って、メ
ールを送り届けてくるという。気をつけよう!)

 インターネットは、便利な面もあるが、扱い方をまちがえると、かえってめんどうに巻き込まれ
てしまう。実に、わずらわしい。その点、携帯電話に似ているのかも? 便利さを悪用する人
も、いるということ。じゅうぶん、注意してつきあうのが、よい。

 ここにも書いたように、とくに女性の方は、注意したほうがよい。(幸いにも、私は男なので、
「こわい」と感じたことはない。)今夜もワイフに、ここに書いたAさんの話をすると、こう言った。
「私も気をつけよう」と。決して、他人ごとではない。

 そうそうウィルス対策だけは、しっかりとしておいたほうがよい。

 ウィルス対策ソフト、ウィンドウズのUPDATEは、今どき、常識。さらに私のばあい、プロバイ
ダーのウィルス・チェック・サービスに加入し、かつパソコンを使い分けている。

 ウィルスのこわさは、もう何度も、経験している。だからへたな温情、好奇心は、禁物。「?」
「あやしい」「だれかな?」「何だろ?」と思ったら、即、削除。また削除。容赦なく、削除。「削除
済みアイテム」にメールが入っていても、絶対に、のぞかない。とくに件名のところが、英語にな
っているのは、要注意。

 なお※「送信者を禁止にする」ためには、その人からのメールを、一度、白黒反転させたあ
と、上の「ツール」から、「送信者を禁止にする」をクリックすればよい(アウトルック・エキスプレ
スのばあい)。

そのとき「削除しますか?」と聞いてくるので、「YES」をクリックする。そうすれば、そのつぎか
ら、自動的に、その人からのメールは、すべて「削除済みアイテム」の中に、放り込まれる。

 あとはAさんのように、いくらそのアイテムが太字になっても、開かないこと。心を鬼にして、そ
うする。そういう習慣が、あなた自身と、あなたのパソコンの健康を守る。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(126)

【みなさんからの、ご質問に答えて……】

+++++++++++++++++++

今週も、たくさんの方から、相談や質問を
いただきました。ありがとうございました。
その中から、いくつかを選んで、少し考え
てみます。

ほかにもいろいろ相談をいただきましたが、
時間の都合で、お答えできません。どうか、
お許しください。

+++++++++++++++++++

●エスの人

 フロイトは、人格、つまりその人のパーソナリティを、(1)自我の人、(2)超自我の人、(3)エ
スの人に分けた。

 たとえば(1)自我の人は、つぎのように行動する。

 目の前に裸の美しい女性がいる。まんざらあなたのことを、嫌いでもなさそうだ。あなたとの
セックスを求めている。一夜の浮気なら、妻にバレることもないだろう。男にとっては、セックス
は、まさに排泄行為。トイレで小便を排出するのと同じ。あなたは、そう割り切って、その場を楽
しむ。その女性と、セックスをする。

 これに対して(2)超自我の人は、つぎのように考えて行動する。

 いくら妻にバレなくても、心で妻を裏切ることになる。それにそうした行為は、自分の人生をけ
がすことになる。性欲はじゅうぶんあり、その女性とセックスをしたい気持ちもないわけではな
い。しかしその場を、自分の信念に従って、立ち去る。

 また(3)エスの人は、つぎのように行動する。

 妻の存在など、頭にない。バレたときは、バレたとき。気にしない。平気。今までも、何度か浮
気をしている。妻にバレたこともある。「チャンスがあれば、したいことをするのが男」と考えて、
その女性とのセックスを楽しむ。あとで後悔することは、ない。

 これら三つの要素は、それぞれ一人の人の中に同居する。完全に超自我の人はいない。い
つもいつもエスの人もいない。

 これについて、京都府にお住まいの、Fさんから、こんな質問をもらった。

 Fさんには、10歳年上の兄がいるのだが、その兄の行動が、だらしなくて困るという。

 「今年、40歳になるのですが、たとえばお歳暮などでもらったものでも、無断であけて食べて
しまうのです。先日は、私の夫が、同窓会用に用意した洋酒を、フタをあけて飲んでしまいまし
た」と。

 その兄は、独身。Fさん夫婦と同居しているという。Fさんは、「うちの兄は、していいことと悪
いことの判断ができません」と書いていた。すべての面において、享楽的で、衝動的。その場だ
けを楽しめばよいといったふうだという。仕事も定食につかず、アルバイト人生を送っていると
いう。

 そのFさんの兄に、フロイトの理論を当てはめれば、Fさんの兄は、まさに「エスの強い人」と
いうことになる。乳幼児期から少年期にかけて、子どもは自我を確立するが、その自我の確立
が遅れた人とみてよい。親の溺愛、過干渉、過関心などが、その原因と考えてよい。もう少し
専門的には、精神の内面化が遅れた。

 こうしたパーソナリティは、あくまでも本人の問題。本人がそれをどう自覚するかに、かかって
いる。つまり自分のだらしなさに自分で気づいて、それを自分でコントロールするしかない。外
の人たちがとやかく言っても、ほとんど、効果がない。とくに成人した人にとっては、そうだ。

 だからといって、超自我の人が、よいというわけではない。日本語では、このタイプの人を、
「カタブツ人間」という。

 超自我が強すぎると、社会に対する適応性がなくなってしまうこともある。だから、大切なの
は、バランスの問題。ときには、ハメをはずしてバカ騒ぎをすることもある。冗談も言いあう。し
かし守るべき道徳や倫理は守る。

 そういうバランスをたくみに操りながら、自分をコントロールしていく。残念ながら、Fさんの相
談には、私としては、答えようがない。「手遅れ」という言い方は失礼かもしれないが、私には、
どうしてよいか、わからない。(ごめんなさい!)

 
●孫のかわいさ

 前にも書いたが、どの人も「孫は、かわいい」と言う。私から見て、それほど「?」と思うような
子どもでも、「かわいい」と言う(失礼!)。

 浜松市に住んでおられる、Kさん(女性)から、「お孫さんは、かわいいですね」というメールが
届いた。それについて、一言。

 で、私も、私の孫が「かわいい」と思う。自分が、ジジイになってみて、はじめてその感覚が理
解できるようになった。恐らく、他人が見れば、エイリアンのような印象をもつかもしれない。や
たらと目ばかりが大きくて、どこか現実離れしている。しかしどういうわけか、私には、かわい
い。

 何というか、誠司の写真を見ていると、心が洗われるように感ずる。「天使」という言い方は少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私には、天使に見える。これもジジイになってみて、はじ
めてわかった感覚である。

私「みんな、自分の孫がかわいいと言うだろ。ぼくも、自分がジジイになって、それがはじめて
わかった」
ワイフ「そうね。しかし誠司は、たしかにかわいいわよ」
私「うん。しかしそう思うのは、ぼくたちだけだよ」
ワ「いいじゃない。他人がどう思おうと。私たちは私たちよ。私たちの孫だし……」
私「そうだな」と。

 だからこのところ同年齢の仲間が、「孫はかわいいよ」と言うと、すかさず、私はこう言う。「本
当に、そうだよな」と。やっと、少し、私も、すなおな気持ちになってきたようだ。


●赤ちゃんがえりのあとに……

 下の子どもが生まれると、上の子どもが、赤ちゃんがえりを起こすことは、よくある。それはそ
れだが、そのとき、上の子どもが、下の子どもに、執拗な攻撃性を示すことがある。

 ふつうの攻撃性ではない。「殺す」寸前のところまでする。そのため、下の子どもが、上の子
どもに、恐怖心さえもつようになることがある。

 ……という話は、この世界では常識だが、今日、こんなメールを、ある女性(埼玉県U市在
住、TEさん)から、もらった。

 その女性は、三人兄弟(上から、兄、自分、妹)の、まん中の子どもだった。兄とは、4歳ちが
い。妹ととは、1歳ちがいだった。いわく……。

 「私は、もの心つくころから、兄にいじめられました。そんな記憶しかありません。父や母に訴
えても、相手にしてもらえませんでした。兄は、父や母の前では、借りてきたネコの子のように、
おとなしく、静かだったからです。

 で、私は毎日、学校から家に帰るのがいやでなりませんでした。兄は、父や母の目を盗んで
は、私と妹を、(とくに私を)、いじめました。何をどういじめたかわからないようないじめ方でし
た。意地悪というか、いやがらせというか、そういういじめ方でした。

 よく覚えているのは、私が飲んだ牛乳に、兄が、何かへんなものを入れたことです。おかしな
味がしたので、すぐ吐き出したのですが、かえって母に叱られてしまいました。『どうして、そん
なもったいないことをするのか!』とです。

 で、私が中学生になったとき、とうとうキレてしまいました。兄ととっくみあいの喧嘩になり、兄
の顔に、花瓶をぶつけてしまいました。そのため兄は、下あごの骨を折ってしまいました。

 たいへんな事件でしたが、それ以後は、兄のいじめは止まりました」と。

 ……と書いて、私は、今、おかしな気分でいる。

 今の仕事を35年近くもしてきたにもかかわらず、こういう問題があることに気づかなかった。
自分の盲点をつかれた感じである。赤ちゃんがえりを起こした子どもについては、よく考えてき
た。が、しかし、その赤ちゃんがえりを起こした兄や姉の下で、いじめに苦しんだ、弟や妹のこ
とについては、考えたことがなかった。

 つまり赤ちゃんがえりを起こす子どもの側だけで、私は、ものを考えてきた。そして赤ちゃん
がえりを起こした子どもについて、「被害者」という前提で、その対処法を書いてきた。しかしそ
の赤ちゃんがえりを起こした子どもは、一方で、下の子どもに対しては、加害者でもあった。

 実際、このタイプの子どものいじめには、ものすごいものがある。ここにも書いたように、(下
の子どもを殺す)寸前までのことをする。そういう意味で、動物がもつ嫉妬という感情は、恐ろし
い。人間がもつ本性そのものまで、狂わす。

 弟を、家のスミで、逆さづりにして、頭から落とした例。自転車で体当たりした例。シャープペ
ンシルで、妹の手を突き刺した例。チョークをこまかく割って、妹の口の中につっこんだ例など
がある。

 このタイプのいじめには、つぎのような特徴がある。

(1)執拗性……繰りかえし、つづく。
(2)攻撃的……下の子を、殺す寸前までのことをする。
(3)仮面性……上の子が、親の前では、仮面をかぶり、いい子ぶる。
(4)計画的……策略的で、「まさか」と思うような計画性をもつ。
(5)陰湿性……ネチネチと陰でいじめる。

 この中で、とくに注意したいのが、(3)の仮面性である。もともと親の愛情を、自分に取りかえ
すための無意識下の行為であるため、親の前ではいい子ぶることが多い。そのため下の子ど
もが、上の子どものいじめを訴えても、親が、それをはねのけてしまう。親自身が、「まさか」と
思ってしまう。

 で、さらに一歩、踏みこんで考えてみると、実は、こうした陰湿な攻撃性をもつことによって、
上の子ども自身も、心のキズを負うということ。将来にわたって、対人関係において、支障をも
ちやすい。こうした陰湿な攻撃性は、外の世界でも、別の形で現れやすい。

 たとえば学校などで、陰湿ないじめを繰りかえす子どもというのは、たいてい、長男、長女と
みてよい。

 そういう意味でも、人間の心は、それほど、器用にはできていない。結局は、その子ども自身
も、苦しむということになる。

 さらにいじめられた下の子どもも、大きな心のキズをもつ。たとえば兄に対してそういう恐怖
心をもったとする。その恐怖心が潜在意識としてその人の心の中にもぐり、その潜在意識が、
自分が親となったとき、自分の子どもへのゆがんだ感情となって、再現されるということも考え
られる。

 実はここに書いた、埼玉県のTEさんも、そうだ。最初は、「上の兄(8歳)を、どうしても愛する
ことができない」という悩みを、私に訴えてきた。その理由としては、TEさん自身の子ども時代
の体験が、じゅうぶん、考えられる。断定はできないが、その可能性は高い。

 何度も今までにそう書いてきたが、決して赤ちゃんがえりを、軽く考えてはいけない。この問
題は、乳幼児期の子どもの心理においては、重大な問題と考えてよい。
(はやし浩司 赤ちゃんがえり 赤ちゃん返り 負の性格 下の子いじめ 攻撃性)


●負の性格

 「負の性格」という言葉は、私が考えた。

 その人がもつ、好ましくない性格を、「負の性格」という。たとえば、いじけやすい、ひがみやす
い、つっぱりやすい、ひがみやすい、くじけやすい、こだわりやすいなど。

 こうした性格は、その人を、長い時間をかけて、負の方向にひっぱっていく。他人との関係
で、いろいろなトラブルの原因となることもある。

 問題は、こうした負の性格があることではなく、そういう負の性格に気づかないことである。気
づかないまま、その負の性格に、操られる。そして自分では気づかないまま、同じ失敗を繰り
かえす。

 こうした現象は、子どもたちを見ていると、よくわかる。ひとつのパターンに沿って、子どもは
行動しているのだが、子ども自身は、自分の意思でそうしていると思いこんでいる。
 
 ただここで注意しなければならないのは、仮にひがみやすい性格であっても、その子どもが、
いつも、そうだということにはならないということ。

 相手によっては、素直になることもある。明るく振る舞うこともある。そういう意味で、人間の
心というのは、カガミのようなものかもしれない。相手に応じて、さまざまに変化する。

 言いかえると、子どもを伸ばそうと考えたら、この性質をうまく利用する。こうした変化は、子
どもほど、顕著に現れる。そして仮に負の性格があっても、それをなおそうとは考えないこと。
簡単にはなおらないし、また「それが悪い」と決めてかかると、子ども自身も、自信をなくす。

 で、問題は、私たちおとなである。

 こうした子どもの問題を考えていくと、その先には、いつも、私たちがいる。「私たち自身はど
うか?」と。

 考えてみれば、私も、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみやすい。そういう負の性格
をいっぱい、かかえている。で、そういう性格が、おとなになってから、なおったかというと、そう
いうことはない。今でも、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみやすい。

 ただ、そういう自分であることを知った上で、じょうずにつきあっている。どこか、ふと袋小路
に入りそうになると、「ああ、これは本当の私ではないぞ」と思いなおすようにしている。「自分を
知る」ということは、そういうことをいう。

 だれしも、二つや三つ、四つや五つ、負の性格をもっている。ない人は、いない。要は、それ
といかにじょうずにつきあうかということ。そういうこと。
(はやし浩司 負の性格 いじけやすい ひがみやすい)


●放火と火遊び

(S市のMUさんのご質問に、お答えして……。)

 親の目を盗んで火遊びする子どもは、少なくない。心身症の一つと考えてよい。抑圧された
心理状態が長くつづくと、子どもの心はさまざまに変調する。その一つとして、火遊びがある。

 ライターで、ものを燃やす。マッチに火をつけて遊ぶ、など。

 火遊びが、放火行為とちがうのは、火を燃やすスリルそのものを楽しむこと。放火は、まさに
そのものを消滅させる行為をいうが、火遊びには、それがない。燃やしては、消す。燃やして
は、消す。これが子どもの火遊びの特徴である。

 もちろん消すとき、それに失敗して、火事になることもある。しかしそれはあくまでも、結果。
子どもが隠れて火遊びをすると、たいていの親はあわてる。気持ちはわかるが、放火行為とは
区別して考える。

 で、子どもが火遊びをすると、親は、猛烈に叱ったりする。説教したり、怒鳴ったりする。しか
しこういうケース、つまり心が変調している子どものばあい、説教したり、叱っても、意味はな
い。原因そのものを考えないと、かえって、親の目を盗んで火遊びをするようになるだけ。

 私も焚き火がすきで、冬場になると、庭でよく焚き火をする。

 その焚き火だが、不思議な魅力がある。パチパチと燃えていく、木や葉を見ていると、静かな
興奮状態とともに、心がいやされていくのがわかる。そういう私の気持ちと、子どもの火遊びを
いっしょにすることはできない。しかし炎(ほのお)には、何かしら、不思議な魅力があるのは、
事実である。

 そこで子どもは、火遊びをする。

 A君(小5)は、カーテンの下端を燃やして遊んでいた。最近のカーテンは、不燃材を使ってい
る。だからライターで火をつけたくらいでは、燃えない。火であぶっても、黒くかたまるだけ。

 ほかにA君は、ときどき古いレコードや、カセットを、燃やすこともある。しかしレコードは、燃
やすと、モクモクと煙が出る。強い異臭がただよう。そのためA君は、隣の家との境へ入って、
レコードを燃やしていた。

 そういうA君を、母親は強く叱ったが、ほかにもA君には、病的な虚言癖もあった。ありもしな
いことを、あたかも現実であるかのように、シャーシャーとウソをついた。周期的に、軽い過食
と虚飾も繰りかえしていた。つまりA君の火遊びは、そうした一連の心身症による症状の一つ
に、すぎなかった。

 原因は、親の神経質な、育児態度。過干渉と過関心。子どもの側からみて、息が抜けない家
庭環境が、A君の心をゆがめた。つまりこうした原因を放置したまま、子どもの火遊びだけを責
めても、意味はない。

 もともと不安感の強い子どもと考えて、暖かいスキンシップが、有効である。添い寝、手つな
ぎを、積極的にしてやるとよい。
(はやし浩司 子どもの火遊び 火遊び)


●精神不安

 S県のKKさん(女性)が、精神不安で悩んでいるという。

 「何をしても落ちつきません。夫は『気はもちようだ』と言います。わかっていますが、この不安
感は、どうしようもありません。とくに何か、問題があるというわけではないのですが、不安でな
りません」と。

 不安イコール、情緒不安と考えてよいのでは……? 精神そのものが、不安定になってい
る。そこへ心配ごとや、不安なごとが入ると、情緒は、その心配ごとや、不安なことを解消しよう
と、一気に不安定になる。

 イライラしたり、反対に怒りっぽくなったりする。突発的に、喜怒哀楽がはげしくなったりする。
ささいなことで、激怒することもある。

 こうした症状は、だれにでもあるのでは……? 私は、花粉の季節(毎年2月末〜3月)にな
ると、心身のだるさを覚え、ついで精神状態が、不安定になる。毎年のことだから、このところ
は、自分で自分をコントロールする方法を、身につけた。「ああ、今の自分は、本当の自分では
ないぞ」と。

 幸いにも、ワイフが、きわめて安定した女性なので、そういうときは、すべての判断をワイフに
任す。「お前は、どう思う?」「お前なら、どうする?」と。たいていの問題は、それで解決する。

 あとはCA、MGの多い食生活にこころがける。CAの錠剤も、私には、効果的である。戦前ま
では、CA剤は、精神安定剤として使われていたという。

 もともと私は、基底不安型の人間だから、心配性。そのため、いつも不安とは、隣りあわせに
いる。とくに、今は、いろいろ問題があって、何かにつけて、落ちつかない。

私の欠陥は、いくつかの問題が同時に起きたりすると、パニック状態になること。具体的には、
大きな問題も、小さな問題も、同時に悩んでしまう。

 だからそうなる前に、つまり自分がそうならないように、気をつける。この世界でも、予防こそ
が、最大の治療法なのである。だから、あまり変ったことはしない。「平凡」を感じたら、それが
ベストだと思うようにしている。そしてその状態を、できるだけ長く守るようにしている。あとは、
よく眠る。運動も効果的。

 あまり参考にならないかもしれない。どうか、めげないで、前に向って進んでほしい。


●健康診断

 それで思いだしたが、明日は、健康診断の日。先ほど、書類に、必要事項を記入した。私は
午前中ですむが、ワイフは、午前と、午後の二回もあるそうだ。

 で、毎年、どういうわけか、胃のほうで、「要精密検査」となる。私は日常的に水分をたくさんと
るため、胃の上部に空気だまりが大きくできるためだそうだ。つまりその部分が、レントゲンに
写らない? よくわからないが、毎年、それでひっかかる。

 既往症なし。病歴なし。まあまあ、今のところ、健康のようだ。しかし実は、昨夜、こんな失敗
をした。

 近くのドラグストアへワイフと散歩がてら行ったら、便秘薬を売っていた。おもしろい名前の薬
だった。「どっさりウンチ」とか何とか。ワイフとゲラゲラと笑ってみていたら、店員さんが、試供
品をくれた。

 で、おもしろそうだったので、それを飲んでしまった。それが夜の9時ごろ。おかげで、夜中の
1時ごろまで、何度も、トイレ通い。腹は痛くなるし、ゴロゴロ鳴るし……。ウトウトとしかけると、
ゴロゴロ……。そこでトイレへ……。昨夜は、そんなことを、10回近くも繰りかえした。

 おかげで今朝は、睡眠不足。原稿も、あまり書けなかった。

 で、今夜は、早めに寝ることに……。では、みなさん、おやすみなさい! おたがい、体だけ
は、大切にしましょう!


●義理の兄夫婦の離婚問題

 もう一通、N県にお住まいの、SHさん(女性、35歳)からのメール。いわく、「義理の兄夫婦
が、離婚寸前。仲が悪そう。こういうとき、私は、どうしたらいいか。毎月のように離婚騒動を繰
りかえしている。しかし離婚はしないようだ……」と。

 夫婦というのは、おかしなもので、結論を言えば、夫婦のことは、夫婦にしかわからないとい
うこと。殴られても、蹴られても、「今の夫がいい」と言う妻がいる。あるいはまったく収入がな
く、一日中パチンコばかりしている夫でも、「今の夫がいい」と言う妻がいる。

 もちろんその反対の妻もいるだろう。要するに、夫婦の問題は、どこまでも夫婦の問題。その
夫婦に任せるしかない。

 では、夫婦を最後の最後で結ぶ、「絆(きずな)」は何か。

 私は(やすらぎ)だと思う。その(やすらぎ)が、ほんの瞬間でもあれば、夫婦は夫婦でいられ
る。反対にそれがないと、いくら体裁をとりつくろっても、夫婦の関係は、やがて崩壊する。

 で、私たち夫婦のばあい、その(やすらぎ)とは何かを、私はよく考える。

 これは結婚当初からの習慣になっているが、どちらかが夜、床にはいるときは、必ず、いっし
ょに入るようにしている。とくに、冬の寒い日は、ワイフのぬくもりは、ありがたい。つまりそれが
私にとっては、(やすらぎ)であるように思う。

 この(やすらぎ)があるから、あとは一日中、それぞれが勝手なことをしていても、私たちは夫
婦でいられる。仮に見た目には、大喧嘩をしても、また元のサヤに収まることができる。夫婦と
いうのは、そういうものか?

 多分、SHさんの義理の兄夫婦にも、どこかにその(やすらぎ)があるのかもしれない。またそ
れがあるからこそ、離婚しないで、最後のところで、たがいにふんばっているのかもしれない。
外見だけを見て、その夫婦を判断してはいけない。

 その点、欧米人の夫婦には、学ぶべき点が多い。たとえば寝室にしても、ほとんどがダブル
ベッドで寝ている。50歳になっても60歳になっても、そうだ。つまり一日のうちの三分の一か
ら、四分の一を、いっしょに過ごすことで、夫婦の絆を守っている?

 誤解のないように言っておくが、アメリカは別として、今では、日本の夫婦の離婚率のほう
が、ヨーロッパ各国の夫婦の離婚率より高いことを忘れてはならない。

 さてあなたは、今の夫(妻)に、どこでどのような(やすらぎ)を覚えているだろうか。これは私
の勝手な解釈によるもので、何も参考にならないかもしれない。しかし今の私の考えによれ
ば、その(やすらぎ)を、どこかで覚えれば、それでよし。そうでなければ、ひょっとしたら、あな
たも、離婚予備軍かもしれない。

 反対に言うと、たがいにその(やすらぎ)をもつということは、夫婦円満のカギになるというこ
と。毎晩、同じベッドで、たがいの寒さを防ぎあって寝るというのも、その一つの方法かもしれな
い。

 そう言えば、ここ数日、彼岸をすぎたというのに、寒い。しばらくストーブを使っていなかった
が、ここ数日は、使っている。そのせいか、昨夜は、改めてワイフの体のぬくもりを、ありがたく
感じた。
(はやし浩司 夫婦絆 夫婦のきずな やすらぎ 夫婦のやすらぎ)


●生徒の依存性

 教える立場のあるものは、いつも、生徒の依存性に注意を払わなければならない。はっきり
言えば、「生徒に、依存心をもたせてはいけない」。

 仮に教師が、生徒に依存性をもたせると、(教育)というよりも、それは(カルト)に近い関係に
なる。教師は、どこまでも教師。カルト教団の教祖であっては、いけない。

 たとえば教師と生徒は、いつかどこかで出会い、そして別れる。わかりやすく言えば、教師と
生徒の関係は、その出会ってから、別れるまでの関係である。つまり、教える側も、学ぶ側も、
その(別れ)をいつも、心のどこかに用意して、教え、そして学ぶ。

 そういう意味では、(教育)というのは、その人の(土台)のようなもの。

 私は中学時代、M氏という、バリバリの共産党員の先生に習った。塾の先生だった。何度も
市長に立候補したが、最後まで当選することはなかった。

 しかし私は、心の中で、いくらその先生を尊敬していても、私自身は、共産党員にはならなか
った。私が尊敬したのは、そのM先生の生きザマだった。

 たとえばM先生は、正月の年賀状も、自分で歩いて配達していた。夏になると、毎日、長良
川で水泳をしていた。そういう生きザマだった。事実、M先生は、(当然のことだが……)、塾の
中では、共産党の話は、まったくしなかった。マルクスの「マ」の字も、話さなかった。

 だから私は、M先生を尊敬しながらも、M先生を自分の土台とすることができた。恐らく私
も、M先生も、いつかくる(別れ)を予想しながら、つきあっていたのだと思う。

 そんなわけで、教師は、生徒に依存心をもたせてはいけない。「いつか、そのときがきたら、
あなたはあなたで勝手に生きていきなさい。あとのことは、私は知らない」と。そういうクールさ
(=ニヒリズム)をもつ。

 それが私は、教師と生徒の、あるべき関係だと思う。余計なお節介かもしれないが……。
(はやし浩司 理想の教師 教師と生徒 生徒と教師)
(040322)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(127)

【近況・あれこれ】

●町の活性化?

 浜松市内のZシティ・中央館が、経営危機に陥(おちい)っている。この原稿が、みなさんのと
ころに届くころには、「市」としての、基本的な方向づけがなされていることと思う。

 もともとこの開発計画は、無理な計画だった。それが私のような素人にも、よくわかった。そこ
で浜松市は、今年になって、Zシティに、10億円単位の公的資金を注ぎ込もうとした。しかしそ
れも、どうやら暗礁に乗りあげてしまったようだ。当然だ。17人程度の地権者(商店主)の懐
(ふところ)を守るために、10億円! しかもそれが、この先、何年つづくかわからない。

 もう、やめよう。こんなバカな政治! 全国のみなさんが、1、2の3で、号令をかければ、そ
れですむ。

 官僚と政治家と土建業者。この三者が一体となって、全国に、箱モノと呼ばれる、豪華な公
共施設ばかりを作った。しかしその大半は、破綻(はたん)。役人の天下り先としては、機能し
ているが、それ以上の価値はない。

 結局、そのツケは、つぎの世代の子どもたちが払うことに。払うというより、絶対に払えない。
本当に、これから先、日本は、どうするつもりなのか?


●国際情勢

 昨日、パレスチナの指導者(ハマスの精神的指導者のヤシン師)が、イスラエルによって暗
殺された(3・21)。これで中東情勢は、一気に不安定になった。……と、わかったようなことを
書いたが、私は、本当のところ、中東情勢については、よく知らない。しかし忍び寄る不安だけ
は、感じとることができる。

 一方、台湾では、二大政党が激突し、韓国でも、大統領の弾劾(だんがい)をめぐって、二大
政党が激突している。アジア情勢も、わけがわからなくなってきた。もっともこれらは国内問題
だから、それぞれの国に任せればよい。日本も、60年安保、70年安保のときは、大騒乱を経
験している。

 問題は、K国だ。今の今も、せっこらせっこらと、核兵器を製造している。本来なら、韓国がK
国をおさえなければならないのだが、その韓国は、これまたせっこらせっこらと、そのK国を助
けている。

 いったい、どうなっているのか?

 こうなってみると、日本は、島国で本当によかった。海が、外敵から日本を守るための堀(ほ
り)になっている。もし島国でなかったら……? 今ごろ日本は、どうなっていたことやら?

 今日の私は、どこかぼんやりとして、ものごとを深く考えられない。だからこんな上っ面(うわ
っつら)なエッセーしか書けない。ここまで読んでくれた人に申し訳ない。ごめん。


●送信者禁止処分

 前回、ストーカーメールについて書いた。しつこいメールを遮断(しゃだん)する方法について
も書いた。

 こういう機能がOE(アウトルック・エキスプレス)にあるということは、その種の悪質メールで、
困っている人が、多いということ。世の中には、心のない人が多い。よい例が、コンピュータウィ
ルスだ。そういうものを作って、どうして楽しいのか。時間と能力のムダ。そういうことが平気で
できる人というのは、人生をムダにしていることになる。その愚かさに、いつか気がつくときがく
るのだろうか。

 こう考えてみると、この問題は、自分の問題だと気がつく。私自身も、いつもどこかで、その愚
かなことをしている。そして自分の人生をムダにしている。

 私がよく後悔するのは、若いころ、他人のために本を書いていたことだ。ほかのことは知らな
いが、自分の思想を切り売りするというのは、娼婦が体を売るのに似ている? いくらお金の
ためとはいえ、してよいことと悪いことがある。あるとき私は、そう感じた。

 つまり「生きる」ということは、どこかでその「愚かさ」を知り、それと戦うことを意味する。が、
どうすれば、その愚かさを知ることができるのか。

 戦うべき、「私」には、つぎのようなものがある。

(1)自己中心性(利己主義、他人を犠牲にすること。)
(2)虚栄性(自分を飾るために生きること。)
(3)自己閉鎖性(生い立ちの中で身につけた、閉鎖性。他人に心を開けないという欠陥。)

 こうしたものが、私を愚かな人間にしている。そして「私」が、気がつかないところで、コソコソ
とコンピュータウィルスを作って遊んでいるバカと、同じことをしている。

 しかしそのときは、気づかない。毎日、こうして前に進んでいると(多分?)、その結果として、
過去の私が愚かだったことを知る。そういう意味で、釈迦は、「精進(しょうじん)」という言葉を
使った。立ち止まったとたん、その人は、自分を見失う。

 こうして考えてみると、この世の中に、他人の愚かさを笑える人は、いったい、どれだけいる
のかということになる。あるいは、ひょっとしたら、いないのかも? いろいろ考えさせられる。


●いかりやCさんの死去

 人気コメディグループ「D」のリーダーだった、いかりやCさんが数日前になくなった。そのCさ
んには、こんな思い出がある。

 私が金沢で学生だったころ、私は、下宿の近くにあった観光会館というところで、よくアルバイ
トをしていた。

 そこへ三波春夫という歌手の歌謡ショーがやってきた。私の記憶では、最前列よりも前に立
って(座って?)、上を見あげていたので、警備のようなアルバイトだったかもしれない。その三
波春夫ショーの前座だったか、途中だったかで、「D」が、一列に並んで、何かしらコントを披露
していた。

 まだ「D」が、かけだしのころだったかもしれない。当時は、三波春夫の全盛期でもあった。

 私には、高木Bさんという、やけに太った人のほうが、強く印象に残った。(名前は、ずっとあ
とになってから、知った。)ほとんど舞台装置もないような状態で、どこか寸劇風なコントをして
いた。そうそう今、思い出した。私がしていたのは、警備ではなく、そのときは、何か舞台の飾り
つけをするようなアルバイトだった。その飾りつけを操作するために、そこにいた。

 「おもしろかった」という印象はなかったが、「私も仲間に入れてもらおうかな」と思った。当時
は、まだそんな雰囲気だった。

 つぎに記憶のあるのは、何かの拍子に、三波春夫の楽屋へ入りこんでしまったこと。狭い楽
屋で、4〜5畳くらいしかなかったのでは? そこに三波春夫が立っていて、私を何かの重要人
物とまちがえたのか、直立不動のまま、あいさつをしてくれたのを覚えている。

 そのあと、私は、三波春夫の話は、みなにしたのは、覚えている。「D」の話は、しなかった。
しかし今、その当時のことを思い出してみると、つまり今という時点でみると、三波春夫は、消
え、「D」のいかりやCさんだけが、残っている。

 だからどうというわけではないが、人気商売の流れのようなものを、私は感ずる。一つの流れ
がやってきて、そしてしばらくすると、つぎの流れがやってくる。そしてつぎの流れがやってくるこ
ろには、前の流れは、消えていく。「世の無常」というのは、少しおおげさかもしれないが、それ
に近い。

 私自身は、いかりやCさんのコントよりは、渋い刑事風の演技が好きだった。が、そのCさん
もなくなった。そのことについて、今朝、ワイフが、こう言った。

 「古い人が、どんどんとなくなっていって、さみしいわね」と。私は、それに答えて、「うん、そう
だね」と言った。そう言いながら、あの日、あのコントを見あげていた自分を思い出していた。


●集団の中の個人

 いつだったか、I県の県庁に勤める友人がこう言った。「官庁なんてものはね、規則で成りたっ
ているようのものだよ。規則を取ったら、組織はバラバラだよ」と。

 外から見ると、巨大な組織も、中身と言えば、無数の規則のかたまりでしかない、と。

 おもしろい見方である。心理学の世界でも、こうした規則の存在を認める。それを「規範」とい
う。

 たとえば街を歩いてみる。そこには無数の人がいる。しかし、たがいのつながりはない。こう
した人たちを、心理学では、「群集」と呼ぶ。しかしその群集が、何らかの規範を保ちながら集
まったとき、その「群集」は、「集団」となる。

 官庁は、その規範で成りたっている。

 が、この規範には、いろいろな側面がある。便利な面もあれば、不便な面もある。わかりやす
く言えば、従順に従うか、反抗するかということになる。もちろんその中間も、ある。

 そこでこの「規範」に対する、人間の反応を、つぎの4つに分ける。

(1)従順、順応型……集団の規範を、何ら疑うことなく、受け入れる。
(2)挑戦、改良型……規範に対して、いつも改良を加え、住みやすくしようとする。
(3)抵抗、反抗型……規範に対して抵抗し、いつも反抗的態度をとる。
(4)逃避、退行型……規範から逃避し、自分だけの小さな世界に住もうとする。

 こうした4つのパターンは、そのまま、その人の生きザマとなって反映される。もちろんその組
織は、官庁だけにかぎらない。「会社」という組織や、さらには「日本」という組織も、その組織で
ある。

 私は、この中でいう、(2)の挑戦、改良型タイプの人間である。どんな世界に入っても、すぐ
ワーワーと騒ぎ始める。「こうしたらいい」「ああしたらいい」と。今も、こうしてモノを書きながら、
そうしている。

 しかしときどき、(1)の従順、順応型であったら、どんなに気が楽になるだろうと思うことがあ
る。私の知人の中には、そういう人も多い。組織という組織を、すべて受け入れてしまっている
(?)。言われたことだけを、言われたようにやっている。

 で、今、ふと思ったのだが、画家や作家の中には、(4)の逃避、対向型の人が多いのではな
いかということ。かなり話が脱線するが、許してほしい。ここから先は、まったく別の話と思って
もらってもよい。

++++++++++

 最近でも、50万部を超えるベストセラーを出した人が、いる。しかし実際に会って話をしてみ
ると、完全な「お宅族」。社会や集団とのかかわりを、ほとんどもっていない。しかし本だけは、
売れた。

 そこでマスコミが担ぎ出し、その人の意見をあれこれ求める。しかし考えてみれば、これはお
かしなことだ。私は、この疑問を、かなり若いころにもった。

 日本を代表するような画家にせよ、小説家にせよ、ではそういう人たちが、社会的にすぐれ
た人物であるかどうかということになると、疑わしい。何かの研究家も、そうだ。むしろどこか
「?」な人ほど、そういう世界では、成功をおさめやすい? このことは、たとえば教育の世界で
も、言える。

 私が20代のころ、東京のA大学から、一人の教授が、このH市にやってきて、子育て講演会
をもった。題して「幼児教育とは」。しかし話の内容は、まったくチンプンカンプン。あとでその教
授の経歴を調べたら、その教授は、「赤ん坊の歩行のし方を研究し、その歩行のし方から、人
間の進化論を証明した人」ということだった。

 人間の赤ん坊は、ある時期、ワニやトカゲと同じような這(は)い方をする。

 それ自体は、すばらしい研究だが、ではその研究者が、どうして幼児教育を説くことができる
のか。たまたま赤ん坊が研究テーマだったにすぎない。こうした誤解と、錯覚は、ほかにもあ
る。

 たとえば昔から、このH市は、楽器の町で知られている。それは事実だ。しかしそのH市は、
いつの間にか、音楽の町にすりかわってしまった。楽器と、音楽の間には、超えがたいほど、
大きな距離がある。以後このH市は、「音楽の町」として懸命に売りだそうとしている。が、今イ
チ、パッとしない。

 楽器と音楽。それは印刷機と文学と、同じくらい、離れている。印刷機の町だからといって、
文学の町ということにはならない。同じように、楽器の町だからといって、音楽の町ということに
はならない。どこか話が、おかしい?

 さてさて話が脱線してしまったが、こうしたそれぞれの人の特性を見きわめないと、ときとし
て、私たちは、その幻想と錯覚に振り回されてしまう。たとえば数年前、人間国宝となっている
歌舞伎役者が、若い愛人の前で、チンチンを出した事件があった。その写真は、写真週刊誌
にフォーカスされてしまった。

 しかしその役者が、人間国宝を返上したという話は聞いていない。その歌舞伎役者は、役者
としては、すぐれた人物かもしれないが、人間的には、「?」と考えてよい。つまり私たちは、そ
れぞれの人がもつ特性を、そのつど混濁してしまう傾向がある。端的な言い方をすれば、有名
人になれば、それだけ人格も高邁(こうまい)であると、誤解してしまう。

しかしそういうことは決して、ない。ないという意味で、ここに集団における人間の特性を4つの
パターンに分けてみた。もっとわかりやすく言えば、(4)の逃避、退行型の人が、その世界で成
功をおさめたあと、ついで、(2)の挑戦、改良型、あるいは(3)の抵抗、反抗型の人間に化け
ることは、よくある。

 「さてあなたはどうか?」「私はどうか?」という視点で考えてみると、おもしろいのでは……?
(はやし浩司 集団 群集 規範)


●精神病は、危険か?

 神戸で起きた、『淳君殺害事件』は、いまだに多くの場所で語られている。そのため、自分の
子どものことで、それについて心配する親も多い。たとえば自分の子どもが、精神科へ通うよう
な状態になると、「うちの子は、だいじょうぶでしょうか」「うちの子どもも、ああいう事件を引き起
こすのではないかと心配です」と。

 しかしその事件を引き起こした少年Aが、そうであったかどうかという話は、別として、一般論
としては、精神病の患者(統合失調症※を含む)が事件を引き起こす割合が、そうでない人が
引き起こす割合より大きいというデータは、今のところ、存在しない。

 インターネットを使って、あちこちと調べてみたが、そういう事実は、浮かんでこない。むしろご
くふつうの子どものほうが、凶悪事件を引き起こす割合が、高い。だから精神的に何か問題が
あるからといって、すぐそれを、「危険」と考えてはいけない。それこそ、まさに、偏見ということ
になる。

 日本人は、精神的に何か問題があると、それを隠そうとする。恥ずかしいこと、悪いことと考
える。しかし精神も、肉体と同じように、病気になる。なっても、まったくおかしくない。

 非公式な意見だが、アメリカ人の3分の1は、うつ病だという学者もいる。あるいは3分の1の
人は、一生の間に、一度は神経症になるという説もある。40%が、何らかの精神的病(やま
い)をかかえているという説もある。内科へくる患者の、3分の2が、すでにその段階で、心身症
になっているという説もある。つまり今では、精神病というのは、軽い風邪のようなもの。大げさ
に気にするほうが、おかしい。

 私も精神科の世話にはなったことこそないが、かかりつけの内科医師には、それに近い相談
をいつもしている。一応、睡眠薬とかそういう薬ももらっている。(めったに使ったことはないが
……。)若いころは、偏頭痛にも苦しんだ。

 むしろ、私のばあい、気をつけているのは、「ふつうに見える、ふつうでない人」だ。とくに、執
拗にからんでくる人には、注意している。アルツハイマー型痴呆症の人の、初期のそのまた初
期症状として、そういう症状を示すこともあるという。妙にかたくなになったり、がんこになったり
する。感情の繊細さが消えることもある。ズケズケとものを言うのも、その症状の一つである。

 40歳のはじめで、その症状を示す人は、5%(20人に1人)とみるそうだ。

 親でも、こういう親にからまれると、とことん神経をすり減らす。その人が、ふつうでないと気づ
くまでに、時間がかかるからだ。このタイプの人は、ものの考え方が、自己中心的。ある日、突
然教室へやってきて、「ウソをつくな!」と怒鳴ったりする。理由を聞くと、「夏になったら、紫外
線がふえるから、帽子をかぶろう」と私が言ったことが、「ウソだ」と。つまり「帽子では、紫外線
は防げない」と。

 自分勝手な妄想をふくらませてしまうため、会話そのものが、かみあわなくなってしまう。

 で、40歳というと、ちょうど中学生の子どもをもっている親の年齢ということになる。また5%
というと、生徒でいえば、10人に1人ということになる。(親の数は、20人になる。)

 学校の教室では、30人クラスでは、何と、3人は、このタイプの親がいるとみてよい。そういう
親が、これまた先頭に立って、教室そのものを引っかきまわしてしまう。だから最初から、警戒
したほうがよい。

 このことは、親どうしのつきあいについても言える。

あなたの子どもが中学生なら、あなたの周辺にも、このタイプの親が、1人や2人は、必ずい
る。(しかしあなたは、絶対に、そのタイプの人ではない。なぜなら、アルツハイマー痴呆症の初
期の初期症状を示す人は、こうしたマガジンを読まない。読んでも、すでに理解できない。)

 ともかくも、精神病が危険であるという考え方は、まちがっている。根拠がない。偏見である。
むしろ、まじめな人ほど、精神病になりやすい。

 またまた原稿を書いているうちに、大きく話が脱線してしまった。このところ、こうして脱線する
ことが多くなった。ひょっとしたら、これは痴呆症の始まりか……? ゾーッ!

 そんなわけで、この話は、ここまで!
(※……統合失調症。少し前まで、「精神分裂病」という診断名が使われていた。)


●催眠商法

 子どものころ、催眠商法というのを目撃したことがある。祖父だったか、だれかに連れていっ
てもらった。その催眠商法が、今でも、あるという。昨日、その催眠商法をしていた会社が、S
市で、警察によって、摘発された。

 方法は、ご存知の方も多いと思うが、こうだ。

 まず安い商品で、相手をつる。タワシや歯ブラシから始まって、鍋やフライパンなど。で、客
が、鍋を買うと、その価格の2〜3倍近い景品を、それにつける。「おめでとう。鍋を買ってくれ
た方には、この3000円の包丁をつけます!」と。

 こうして徐々に、高額商品へと客を誘導していく。すると客たちは、買わなければ損だという
意識をもつ。ある種の興奮状態になる。

 そういう状態にしたあと、その最後に、30〜50万円にフトンを持ちだす。客たちは、「高額の
フトンだから、それなりのオマケがあるにちがいない」と錯覚する。しかしそのフトンには、おま
けはない。「買った」と手をあげた客は、そのまま、その高額なフトンを買わされてしまう。

 ……という話を、ここに書くのが、目的ではない。

 昔、私が20歳の後半のころ、私は一人のゴーストライターに出会ったことがある。名前は、
MK氏といった。当時、MK氏は、40歳くらいだった。

 いろいろなゴーストライターがいたが、MK氏の力は本物だった。相手に合わせて、たくみに
文章を書いた。文体も、その人に合わせた。

 しかしそういう生活を長くしてきたためか、自分では自分の文章を書けなかった。おかしく思う
人がいるかもしれないが、モノを書くということには、そういう側面がある。が、そのMK氏の人
生が狂うきっかけとなったのは、彼が一年間、交通刑務所に入ったことだった。

 MK氏は、それまでに二度、飲酒運転で逮捕されている。そして三度目。そのときも、飲酒運
転だった。(本当は、だれかの身代わりになったという話も聞いたことがある。)

 それで、交通刑務所に、一年間、入った。

 そのMK氏は、出所後も、しばらくはゴーストライターをしていたが、この浜松市では、その仕
事も少ない。で、MK氏は、先に書いた、催眠商法に手を出した。

 私が一度、「今は、何をしていますか?」と聞いたことがあるが、そのときMK氏は、どこかは
にかんだ様子で、「フトンを売っているよ」と言った。

 で、それを最後に、MK氏とは、会っていない。ただMK氏をよく知る人とは、何度か会ったこ
とがある。その人の話では、今でも、MK氏は、今回、摘発された会社とはちがうが、その催眠
商法をしているらしい。

 ……という話を書くのも、この原稿の目的ではない。

 私はそのMK氏を思い出すたびに、こんなことを考える。人間の運命は、どこでどう決まるの
か、と。

 MK氏は、もともとまじめな人だった。才能もあった。もし彼が、東京とか、そういうところで仕
事をしていたら、今ごろは、何かの賞でもとって、著名な作家になっていたかもしれない。しかし
この浜松市では、モノを書いて生計を立てるのは、不可能。

 だからMK氏は、ゴーストライターをするようになった。彼は、衣料品販売会社の社長の自伝
を書いたり、いろいろなドクターの本を書いたりしていた。美容の本も書いたことがある。

 が、そのMK氏の運命は、交通刑務所へ入ったところで、大きく変わった。そしてそのあと、こ
こに書いた、催眠商法に手を出すようになった。

 もちろん催眠商法は、「悪」である。そしてそれをするMK氏は、「悪人」である。しかしMK氏
が、本当に悪人であるかどうかということになると、どうも、そうではないような気がする。MK氏
は、運命に翻弄(ほんろう)されるまま、いつしか、やがて、悪人に育てられていった。

 実は、私が書きたいのは、このことである。

 世の中には、善人もいれば、悪人もいる。しかしその「差」は、ほとんど、ない。わずかなチャ
ンスに恵まれた人は、善人になり、そうでない人は、悪人になっていく。私やあなただって、もし
MK氏と同じ立場になっていたら、そのまま悪人になっていたかもしれない。

 反対に言いかえると、今、善人ぶっている人だって、一皮むけば……ということにもなる。

 だからこのところ、私は、悪人を見ても、どうしてもその人が悪人には、見えない。「かわいそ
うな人だ」とまでは、思わないが、それに近い感情をもつ。その摘発された会社の社長は、顔を
隠しながらも、どこかうなだれていた。私はそれを、テレビでかいま見たとき、即座にあのMK
氏を思い浮かべ、ついで私を思い浮かべた。私だって、一歩、道をあやまっていたら、今ごろ
は、ああなっていたかもしれない、と。

 どこがどうちがったのか、私にはわからない。あるいは、本当のところ、ちがいなど、どこにも
なかったのかもしれない。日々の、ほんのわずかな積み重ねが、MK氏をMK氏にした。そして
私を私にした。それだけのことかもしれない。

 そのニュースを、テレビでみながら、私は、そんなことを考えた。


●別れのニヒリズム

 教えるという仕事をしていると、いつも、出会いと別れが、ペアでやってくる。出会いも、たい
へんだが、別れは、つらい。

 そこで教えながらも、子どもには、感情を入れ過ぎない。入れすぎると、別れが、もっとつらく
なる。

 では、どうするか?

 これはあくまでも私のばあいだが、別れると同時に、その子どものイメージを、つぎの子ども
に焼きつけてしまう。A君ならA君が去ったら、そのA君のイメージを、A君によく似た、B君に焼
きつけてしまう。

 親にしてみれば、「入会も、退会も自由」と思うかもしれないが、教育は、ものの販売とはちが
う。サービス業とはいうが、そのサービス業ともちがう。当然、教える側と、学ぶ側は、一本の
人間関係という「糸」で結ばれる。

 それはたとえて言うなら、親が子どもを手放すのに、似ている。そこまでは深刻ではないにし
ても、その何百分の一くらいの、さみしさはある。

 それと同時に、「退会」というのは、一般の会社でいえば、「クビ切り」にほかならない。親は簡
単に、「今月いっぱいでやめます」と言うが、私には、それが「今月いっぱいで、あなたのクビを
切ります」と言っているように聞こえる。

 だから長い間、こういう仕事をしていると、自分の心を守るため、いつも心のどこかで自分の
心にブレーキをかける。いつ別れがやってきてもよいように、心の準備だけはしておく。

 しかしおかしなもので、その別れが近づいてくると、それとなく雰囲気でわかる。子どもによっ
ては、どこか投げやりな態度を示すようになる。私の指示に従わなくなることもある。そういうと
きは、「ああ、この子との別れも、近いな」と、自分で覚悟する。

 もちろんだからといって、その親や子どもを、責めているのではない。もともと私がしている仕
事というのは、その程度の仕事。自分でもわかっている。いつだったか、同業のI先生も、こう
言った。「ぼくらは、教え子の結婚式に呼ばれることは、まずありまあせんから……」と。

 とくに私は、幼児を相手にしている。人間関係が、育たない。それに自分のしたことが、いくら
その子どもの(土台)になっていることがわかっていても、そこまで私を理解してくれる親は少な
い。この仕事には、そういさみしさが、いつもついてまわる。

 だからこの世界には、「20%のニヒリズム」という言葉がある。昔、だれかが、そう教えてくれ
た。「どんなに、教育に没頭しても、最後の20%(10%でもよい)は、自分のためにとってお
け」と。それがないと、こういう仕事をしているものは、あっという間に、身も心も、ボロボロにさ
れてしまう。


●マガジンが400号!

 やっとマガジンが、第400号を超えた。やっと、だ。目標は、1000号。あと、2倍半! まだ
まだ道は遠い。がんばろう!

 一番苦しかったのは、200〜300号あたりか。よく覚えていないが、何度もくじけそうになっ
た。が、そのたびに、多くの人に励ましてもらった。もしそれがなければ、この400号まで、つづ
けられなかったと思う。

 しかしまだ、600号もある! が、このところ、少し自信がなくなってきた。ワイフはときどき、
こう言う。「無理をしないでね」と。

 そう、どこか無理をしている感じがする。それに、どうしてこんな無理なことを、自分に課してし
まったのか、よくわからない。だれかに頼まれたわけでもないのに……、とよく思う。

 趣味なのか? 道楽なのか? それとも自分との戦いなのか? よくわからない。わからない
まま、毎日、こうしてヒマを見つけては、原稿を書いている。

 読んでくれる人に申し訳ないので、できるだけ役にたつことを書きたいと思っている。しかし本
当に、読んでくれる人がいるのだろうか。そういう不安もある。まあ、できるところまで、やって
みよう。その先に何があるかわからないが、やれるところまでやってみる。そのあとのことは、
そのときに考えればよい。

(今夜の私は、かなり弱気になっている……? 多分?)

 しかしここは、すなおに喜ぼう。やったぞ、400号! 原稿用紙にすれば、400x25=1000
0枚! 単行本にすれば、80冊! よくも、ここまで書いたものだ。ホント! みなさん、ありが
とう!
(040324)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(128)

●知能テスト

+++++++++++++++++++++

春休みが終わって、あちこちの園で、知能テスト
が実施されている。

それについて、M県にお住まいの、AAさんから、
「知能テストについて、詳しく教えてほしい」
「うちの子(年長児)は、IQ・105と診断さ
れたが、どういう意味か」という質問をもらった。

+++++++++++++++++++++

 現在、「ビネー式知能検査法」と呼んでいるものは、フランスの心理学者ビネーによって開発
された知能テスト法をいいます。

 それがアメリカで改良され、現在広く使われている、「スタンフォード・ビネー検査法」という知
能テストになりました。私たちが、「知能テスト」と呼んでいるものは、この「スタンフォード・ビネ
ー検査法」のことをいいます。

 この「スタンフォード・ビネー検査法」の特徴は、子どもの知能を、(IQ、intelligent Quality)で、
評化した点です。「うちの子のIQは……」というときの、「IQ」です。つぎのような計算式で求め
ます。

  精神年齢
    IQ(知能指数)=-――――――――――x100
               生活年齢

 (精神年齢)というのは、検査テストの結果。(生活年齢)というのは、満6・0歳であれば、6x
12=72ということになります。満10・0歳であれば、10x12=120ということになります。

 たとえば満6・0歳(精神年齢が72)の子どもが、テストで、80点をとったとします。すると、そ
のIQは、80÷72x100=111ということになります。

 このスタンフォード・ビネー検査法で、130を超えると、天才、69以下だと、精神遅滞と判定
されます。ただし、いくつかの問題点があります。

(1)訓練によって、点数が伸びる……幼児教室によっては、こうしたテストを事前に実施してい
るところがあります。ずるいですね。たとえばこの時期、慎重な子どもは、丸を描くときも、ゆっ
くりと、ていねいに描きます。つまりそれだけ時間がかかります。そこでその丸をはやく、描か
せます。少しだけ、時間がかせげるようになります。

ですから実際、ある程度訓練すると、10〜30点くらいは、点数が伸びるのは事実です。しかし
……??? 

(2)知能テスト、イコール、頭の性能ではない……知能テストで、よい成績をおさめたからとい
って、その子どもの頭がよいということにはなりません。この種のテストは、要領のよい子ども
が、よい成績をおさめます。

またこの時期大切なのは、思考の柔軟性(やわらかさ)です。頭のやわらかい子どもは、その
まま伸びつづけます。そうでない子どもは、伸び悩みます。さらに空想力、想像力、創造力とな
ると、こうしたテスト法では、測定できません。たとえば一定のオブジェ(形)を与え、その形を利
用した絵を描かせるというテスト法(ドローイング・オブジェ法)があります。

このテスト法は、子どもの創造力を知るには、すぐれた方法ですが、しかし採点方法が定型化
できないという欠陥があります。採点は、あくまでも教える側の直感力が基準になります。

(3)あくまでも標準値と比較しての話……スタンフォード・ビネー検査法は、あくまでも標準値
(生活年齢)と比較して、どうだというテスト法をいいます。ですから、約3分の2の子どもは、85
〜115の範囲に入るといわれています。必ずしも、絶対的なものではないということです。

たとえば仮に、満6歳のとき、IQが、120と診断されたとしても、生活年齢があがれば、それが
110になり、100になることもありえるわけです。もっとわかりやすく言えば、どこか早熟タイプ
の子どものほうが、よい成績をおさめるということです。

「子どものころは神童。二十歳を過ぎたら、ただの人」(失礼!)ということも、ありえないことで
はないということになります。

 このように知能テストというのは、あくまでもそのときの、能力のある部分を測定するにすぎな
いということです。ですからそれで仮に悪い点を取ったからといって、それほど深刻に考える必
要は、(まったく)ありません。

 もし子どもの知能を伸ばそうと考えたら、それよりも大切なことは、「考える習慣」を身につけ
させることです。(もの知りで要領のよい子ども)ではなく、(深く、よく考える子ども)です。

 つぎに大切なのは、(思考のやわらかさ)です。

 ところで、こんなことがありました。

 先日、あるところで、ある女性に会いました。年齢は、32歳ということでした。その女性に、私
は、こんなジョークを言ったのです。

 「ある男性が、バイアグラと、鉄分の入った錠剤を飲んで寝たら、翌朝、体は、北をさしてい
た」と。

 しかしその女性は、キョトンした顔で、まったく反応を示しませんでした。ジョークを話した私の
ほうが、驚いたほどです。内容を説明するといっても、きわどい話なので、それもできませんで
した。

 そのとき私は、「この女性は、頭のかたい人だな」と思ってしまいました。ふつうなら、ゲラゲラ
と笑うはずなのですが……。

 子どもでも、伸びる子どもは、頭がやわらかいです。ずいぶん前ですが、ワールドカップのと
き、私はふと、こんなことを口にしてしまいました。「アルゼンチンのサポーターの中には、女の
人はいないんだってエ」と。

 すると子どもたち(年長児)が、「どうしてエ?」と。

 そこで私が、だって、「アル・ゼン・チンだもんね」と。

 このジョークは、幼児には無理かなと思った瞬間、一人だけ、ニヤニヤと笑った子どもがいま
した。そういう子どもは、伸びます。

 この時期、大切なことは、子どもの頭をやわらかくする訓練です。具体的には、私の教室のコ
マーシャルになって恐縮ですが、「同じことを、同じパターンでは教えない」です。いろいろな角
度から、いろいろな方法で刺激していきます。

 たとえばBW(私の教室)では、年間、44のテーマに分けて、一度たりとも同じレッスンをしな
いように心がけています。そういう刺激が、子どもの頭をやわらかくします。子どもたちのもつ
自由な発想を、うまく集約しながら、それを一つの考え方に結びつけていきます。

 というわけで、あくまでも知能検査(IQ)は、一つの目安にすぎません。

 最後に一言。書店などには、こうしたテストの訓練用のワークがおいてありますが、風邪薬を
いくらのんでも、風邪の予防にはならないと同じように、こうしたテストをしたからといって、頭が
よくなるとは限りません。大切なのは、生活の場で、無数の刺激を受けながら、深く考える習慣
です。どうか、それを大切にしてください。

 方法としては、いつも、子どもに向かって、「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたらいいと
思う?」と、話しかけることです。ぜひ、応用してみてください。

 参考までに、前に書いた原稿(中日新聞掲載済み)を、添付しておきます。

++++++++++++++++

子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。(1)好奇心が旺盛、(2)忍耐力がある、(3)生
活力がある、(4)思考が柔軟(頭がやわらかい)。

(1)好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、
身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、多芸多
才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。

何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いついてくる。
反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ〜ウ」
とか言ったりする。

(2)忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているからといっ
て、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなこ
とをする力」のことをいう。

たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。そういう仕事でもいやがら
ずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。あるいは欲望
をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、手を出さないなど。こん
な子ども(小三女児)がいた。

たまたまバス停で会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こう言っ
た。「これから家で食事をするからいいです」と。こういう子どもを忍耐力のある子どもという。こ
の忍耐力がないと、子どもは学習面でも、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますで
きない)の悪循環の中で、伸び悩む。

(3)生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹
の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせれ
ばできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン
(アメリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教育に秘法があるとするなら、そ
れは生活を尊重することである』と書いている。

(4)思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたずら
でも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬい
てトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カ
ラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分の座
る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうとしなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意
固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現
が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態
になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示を
かけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あ
なたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返す。

もしあなたが、「うちの子は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。まずいのは
「あなたはダメになる」式のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あなたはやっぱりダメな
子ね」式の、その子どもの人格の核に触れるような「格」攻撃は、タブー中のタブー。

その上で、(1)あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むようにする
(好奇心をますため)。また(2)「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、家事の手伝い
はさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう誤解は捨てる
(忍耐力や生活力をつけるため)。そして(3)子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場
では、「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。

よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことによる。マンネリ
化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のためには、好ましい環境とは言えない。
(はやし浩司 ビネー スタンフォード 知能検査 知能テスト IQ 生活年齢 精神年齢 子ど
もの知的能力 知的能力 知能)
(040325)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(129)

●白い顔

 我が家を改築してからのこと。ワイフが、いつもまっ白な顔をして、洗面所から出てきた。
「ナ、何だ、その白い顔は!」と言うと、ワイフは、「どこがア?」と。

 理由は、すぐわかった。

 洗面所に、二つの暖色系のランプがつけた。だいだい色の、明るいランプである。そのランプ
のもとで化粧をしていると、どうしても、白味を帯びた化粧になる……らしい。

私「化粧をするときは、自然光の中でしたほうがいい」
ワ「そうね」と。

 以来、街をいっしょに歩いていて、まっ白な化粧をした人を見ると、私はワイフにこう言う。「き
っと、あの人の家の洗面所も、だいだい色のランプだよ」と。

 で、その化粧。

 私は、昔から、日本人は、化粧のしすぎだと思っている。どうごまかしても、日本人は日本
人。アジア人。黄色人種。肌の白さが、白人とは、基本的にちがう。少し前、「私、ファンデーシ
ョン、使ってません!」と叫ぶ、どこかの化粧品のコマーシャルがあった。だいたいにおいて、フ
ァンデーションなど、使うほうが、おかしい(?)。

 こんな事件があった。

 ある日のこと。私の二男の妻が、近くのデパートへ、服を買いにいった。そこでのこと。二男
の妻が、試着室で、泣き出してしまったという。二男の妻は、生粋(きっすい)のアメリカ人。い
わく、「私が服を着ようとしたら、店員さんが、私の顔に袋をかぶせた。私は伝染病など、もって
いないのに……」と。

 それで私のワイフが、こう説明したという。「服に、ファンデーションがつくからよ。決して、あな
たを差別したからではないのよ」と。

 で、二男の妻に聞くと、アメリカ人の女性は、ほとんど化粧などしないという。使っても口紅程
度らしい。

 が、この日本では、もとの顔がわからないほどまでに、化粧をする。色を塗って、ツヤを出し、
その上にまた色を塗る。マユや、鼻の線を描いて、さらにいろいろなものを、顔や目につける。
私のワイフなんかも、若いころは、原型をとどめないほどまでに、厚化粧をしていた。アフリカ
の原住民にも、そういう種族がいるそうだ。顔から足の先まで、白いドロを塗る。(まだ、そのほ
うが、わかりやすい?)

 つまり戦後、日本人は、あの過激ともいえる化粧品メーカーのコマーシャルに、踊らされすぎ
た。S堂だの、K王だの、Pーラだの、いろいろある。

 で、今は、それが整形へとつながった。

 化粧にせよ、整形にせよ、それが悪いとは思わない。しかしものごとには、程度というものが
ある。限度というものがある。最近では、子どもに整形をほどこす親もいるという。いいのかな
あ?

 みなさん、もっと中身で勝負しようよ。……と言うのは、ヤボなこと。しかし世の女性たちは、
その化粧で、いかに多くの時間を浪費していることか。一人がすると、みながする。みながする
と、われもわれもと、さらにみながする。こうして日本の化粧会社は、ほかの産業と比べても、
特異な成長を遂げた。

 ところで話はかわるが、先日、100円ショップへ行ったら、100円化粧品というのが、ズラリ
とあった。そこらの化粧品屋に売っているものなら、おおかた、すべてそろっていた。

 私も、ためしに、つまりだまされたと思って、いくつかを買ってみた。整髪クリームやひげそり
クリームなどなど。で、その結果だが、何も問題ない。ないというより、まったくふつうの化粧
品。

以来、私が使う化粧品は、すべて100円ショップのもの。そこで改めて、私は、こう思った。

 「もともと100円程度のものを、莫大な広告費と宣伝費を上乗せされて、1000円以上で買
わされていたのではないか」と。

 とにかく日本の女性たちは、化粧のしずぎ。それだけは、国際的にみても、事実だと思う。


●尖閣諸島(中国名・釣魚島)

日本と中国、台湾が領有権を主張する尖閣諸島に、中国人7人が上陸した。そこで日本政府
は、その中国人を逮捕し、沖縄まで連行した(3・25)。

 これに対して、日本のK首相は、「逮捕は、法治国家として当然!」(3・26)と。

 地図で見ると、その尖閣諸島は、まさに台湾のすぐそば。率直な疑問として、「どうしてそこが
日本の領土なのかなあ」と思う。それはちょうど、北海道の東のはずれにある、クナシリ島、エ
トロフ島を見て、「どうしてそこがロシアの領土なのかなあ」と思うのに、似ている。

 だれも住んでいないのなら、よけいに、そう思う。「台湾のものだ」「いやちがう、日本のもの
だ」「やあやあ、そこは中国のものだ」と争っても意味はない。何かしっかりとした根拠でもあれ
ば話は別だが、もともとあのあたりは、台湾に昔から住む部族(高砂族)が活躍していたとこ
ろ。沖縄の住民も、もともとは、その高砂族の一派だったという。あるいは、日本本土というよ
り、台湾に住む部族に近かったという。

 (こういうことを軽々に書くと、そのスジの人たちから、猛烈な反発がある。不勉強をお許しい
ただきたい。今度、しっかりと調べておく。)

 ただ私は、こういうことが原因で、近隣の国の人たちと争い、それが戦争ということになれ
ば、バカげていると思う。「小さな島だから、みんなで仲よく使いましょう」というわけには、いか
ないのだろうか。

 どうもこのところ、日本のK首相の言動は、過激になってきたように思う。私もどちらかという
と過激になりやすい人間だが、私のばあいは、いつも温厚で、穏便なワイフが、私の言動にブ
レーキをかけてくれる。しかしK首相には、そういう人もいないようだし……。

 だれかがK首相にブレーキをかけないと、この日本は、たいへんなことになるぞ!……と、私
は、心配する。

 
●歩く

 ときどき、運動をかねて、自宅から浜松市内まで歩く。距離は、直線にして6〜7キロ。やや
速く歩けば、1時間と少し。ふつうに歩けば、1時間半の距離である。

 で、今日(3・25)も歩いた。今、その心地よい疲れが、下半身をおおっている。汗も少しかい
た。途中、パラパラと雨が降ってきた。万が一のときは、ワイフに助けを求めるつもりだった。し
かしその雨も、すぐやんだ。

 今日は、とくにこれはというドラマはなかった。道路工事をしている人や、学生たち、そういう
人たちとすれちがった。低い雲を見ながら、「あの雲の上は、銀色に輝いているのだなあ」と
か、そんなことを考えた。

 あとはただひたすら、大手を振って、前に向かって歩いた。そうそう一台、大型のベンツが横
を通りすぎたとき、「ぼくの足は、ベンツだ。体は、BMWだ。頭は、IBMだ」と思った。その車は
対向車を避けるため、私の右肩をかすめていった。あぶなかった。

 あとはいつものコンビニで、お茶を買った。いつもの店員さんではなかったので、「いつものメ
ンバーは?」と聞くと、その店員さんは、こう言った。「今日だけ、交代です」と。

 で、その店を出て、ここへ来た。時刻は2時。今日は3時から、4月からの新年中児たちの説
明会。もうこんなことを繰りかえして、30年以上になる。少し疲れた感じ。しかしやるしかない。
これが私の仕事なのだ。

 もう一度、簡単に掃除をして、イスを並べなおして、教材を置く。こうして私の新年度は、毎
年、始まる。


●本能

 本能は、意思の力によってコントロールできるか。

 本能といっても、内容は、一様ではない。しかし本能というのは、もともとは、生存に関するも
のがほとんど。もしその本能を否定するようなことがあると、人間は、子孫を後世に残せなくな
る可能性もある。

 そのため本能が悪いのではない。要は、どうすればその本能におぼれないですむかというこ
と。そういう意味で、本能は、恐ろしい。人間の本性そのものを、狂わす。

 たとえば私は、「男」だから、男としての本能をもっている。で、そういう自分を振りかえってみ
て言えることは、「この本能ほど、やっかいなものはない」ということ。つまり本能を、意思の力
でコントロールするのは、たいへんむずかしい。

 今年度も、このS県でも、校長以下、7〜8人の教職関係者が、懲戒免職になっている。全員
が、ハレンチ行為が理由である。で、そのたびに、マスコミは、「教師にあるまじき行為」と非難
する。

 しかし本当にそうだろうか。私は、こうした問題は、「油断」の問題だと思う。油断したときに、
その教師は、本能におぼれる。その教師自身の欠陥というより、心のスキの問題である。

 正直に書く。本当に正直に書く。

 私は、22歳のときまで、ガールフレンドを何人ももち、遊びまくった。セックスが好きだった
し、楽しかった。しかしある夜を境に、それをやめた。

 以後、ただの一度も、本当にただの一度も、キャバレーとか、クラブへ、入ったことがない。も
ちろんその当時はやった、ピンクサロンへも、だ。そして少なくとも、それ以後は、20歳以下の
女性と、遊んだことはただの一度もない。本当にない。

 唯一の趣味は、ときどきストリップを見に行くことだった。しかしそれとて、裸の女性を見ると
いうよりは、その雰囲気を楽しむためだった。年に、数回は行っただろうか。しかしここ15年
は、一度も、行っていない。

 そういう私を見て、「教育評論家が、ストリップ?」と思う人はいるのだろうか。もしそう言って
私を非難する人がいたとしたら、私は、こう叫ぶ。「私は、評論家である前に、男だ。人間だ」
と。

 だから正直に書くと、こうしたハレンチ行為で教職を追われた教師は、お気の毒としか言いよ
うがない。たまたま教職だったから、職場を追われた。それとも、ほかの公務員の人たちも、同
じように、懲戒免職になっているとでもいうのだろうか。

 私がたまたま品行方正なのは、それだけ自律心が強いからではない。たまたま、そういう本
能におぼれる機会が、なかったからにすぎない。だからマスコミが騒ぐように、頭からそういう
教師をたたくことが、どうしてもできない。

 本当に、本能というシロモノは、やっかいなものだ。

 これから先、もう少し、この問題は掘りさげて考えてみたい。


●パソコン漬け

 ある雑誌に、こう書いてあった。「一日に、10回以上、メールをのぞくようなら、ビョーキ」と。

 しかし私は、毎日、5〜7時間は、パソコンと向かいあっている。文章を書くためである。そし
てときどき、疲れたようなとき、ふと手があいたようなとき、メールをのぞく。

 ……ということで、私は回数にすれば、毎日、10回以上、メールをのぞいていた。だから私
は、「ビョーキ」ということになった。

 そこであるとき、私は、自分の行動を、つぎのように決めた。

 まずパソコンを使い分ける。

 ワープロ用、インターネット用、そしてホームページ用、と。

 ワープロ用と、インターネット用とで、同じパソコンを使うから、一日に10回以上もメールをの
ぞくことになる。しかし分ければ、そういうことはできない。

 つぎに、不要な情報には、どんどんフィルター(送信者禁止処分)をかけた。サーバー(プロバ
イダー)からのウィルス情報、不要なスタンドからの宣伝、あやしげなサイトからのメールなどな
ど。容赦なく、フィルターをかけた。

 こうすることで、私のところに届くメールがぐんと減った。同時に負担が、ぐんと軽くなった。そ
のため、メールをのぞくことも、少なくなった。

 そして最後に、自分に決めた。午前中は、2回。午後は、3回、と、メールをのぞく回数を、計
5回までに制限した。それ以上は、ビョーキ!

 携帯電話にせよ、パソコンにせよ、ハマると、本当にこわい。私は昔、パソコン通信(今のイ
ンターネットの全身)で、ハマってしまったことがある。そのとき、パソコンのこわさを、イヤという
ほど、思い知らされた。だから、今、パソコンに対して、自分でブレーキをかけるようにしてい
る。

 「10回以上は、ビョーキ」というが、本当のところ、その「10回」の根拠は何か。よくわからな
いが、その道の専門家がそう言うのだから、従うしかない。


●ふんばり勝ち

 この不況を逆手にとって、成功する道は何か? 

 こういう不況であるからこそ、ふんばる。こんな例がある。

 N県S市。人口が10万人足らずの小さな町である。

 その町には、昔は、10軒近い、自転車屋があったという。しかし平成時代に入ってから、つ
ぎつぎと、店をたたんだ。で、今、残っているのは、3〜4軒。

近くに大型スーパーができ、そこでも自転車を売るようになった。それで、また1〜2軒が、開
店休業に追いこまれた。

 が、ここで興味深いことが起きた。残ったのは、2軒だけだが、その2軒が、かえって、繁盛し
始めたというのだ。つまり同業者というライバルがいなくなった分だけ、その2軒の自転車屋
に、客が集まり始めた!

 値段的には、もちろんスーパーで売る自転車には、かなわない。しかし自転車には、修理が
必要である。あとあとの修理のことを考えると、自転車屋はやはり専門店で買ったほうがよい。
……と、客のすべてが考えているわけではないが、そういうふうに考える客も、少なくない。

 バイクをやめて、自転車に乗る人もふえた。健康のために、自転車に乗る人もふえた。どこ
か粗悪品の自転車がふえたため、修理もふえた、などなど。知人の男(その残った自転車屋
の主人)は、こう言う。

 「ふんばり勝ちですよ」と。

 苦しいときもあったらしい。「うちも来年は、店を閉めよう」と思ったこともあったという。しかし
がんばった! その結果、生き残った。いくら不況になっても、自転車は必需品。パンクの修理
などは、残る。

 今、日本中が不況の嵐の中で、もがき苦しんでいる。政府は、さかんに「景気は好転した」と
騒いでいるが、実際には、85%近い人は、「その実感はない」(Y新聞・3・25)と答えている。

 こういう時代だから、ふんばる。ふんばった人が、勝ち。土俵のまぎわまで追いつめられた人
が、ふんばる。そのとき足をゆるめれば、それでおしまい。今の不況は、そういう不況と考えて
よい。

 ただ、ふんばるといっても、職種のちがいもあるようだ。何がなんでも、ふんばればよいという
ものでもない。

 どんなに不況になっても、(なくては困る)という職種の人は、ふんばればよい。必ず、勝つ。
しかしもともと(なくても困らない)という職種の人は、ふんばっても、あまり意味はない? たと
えば私の仕事。

 ハハハ! (笑って、ごかます。)

 みなさん、がんばって、ふんばりましょう! 


●友人、城下君を、悼む。

昨夜(3・25)、学生時代の友人、本多君(旧姓、城下君)の訃報を、聞く。金沢で弁護士をして
いるK君と、本多君が住む、羽咋市で司法書士をしているA君から、ほとんど、同時に、連絡が
届く。

 聞いたとたん、背骨が抜けたかのような衝撃を受けた。ひざが、ガクガクした。

 本多君は、3年前、石川門の前で、会ったばかりだった。翌年の、02年にも、同窓会で会っ
ている。元気だった。私とタイプが似ていたので、ふつう以上の親近感を覚えていた。その本多
君が、死んだ!

 K君に電話する。しかし不在。つづいてA君に電話する。

私「どうしてだ?」
A「あいつ、10年前に、一度、脳腫瘍で手術をしてね。一度は、完治したんだ。で、また頭痛が
あったのでみてもらったら、再発だよ。全身に転移していたよ。それでね……」
私「もう一人、脳腫瘍の人がいたじゃないか?」

A「そう、ぼくだよ」
私「知っていたよ。お前は、だいじょうぶか?」
A「つぎは、オレだろうな。これからは、みんな、バタバタと死んでいくと思うよ」と。

 浜松市に住んでいる同窓生の、I君に連絡をする。しかし夜10時ごろまで電話をかけつづけ
たが、不在。

私「葬式は、どうしたらいいだろうか?」
A「無理をするな。遠いから……」と。

 実家の私の母も、このところ寝たきりになっている。で、週末には、実家へ戻ることになって
いる。しかしそれは言わなかった。「葬式には、行けたら行くよ」と、そんないいかげんな言い方
も、したくなかった。

 本多君。

 この前会ったときは、ダジャレばかり言って騒いでいた。学生時代は、そうは思わなかった
が、心の広い、大きな人間になっていた。その心の暖かさが、そのまま、まわりのものを包んで
しまうような男になっていた。

 「彼も、いろいろあったんだなあ」とは思ったが、しかし脳腫瘍を経験していたとは……! 

私「急だったのか?」
A「頭が痛いというからみてもらったら、おかしな影が写ってね。それでね……。手術中になくな
ってしまったよ。肺は、ガンが転移して、穴だらけだったそうだ」
私「……」
A「脳腫瘍は、急にくるよ。急だよ。症状がね」と。

 もう少し若いころの私だったら、心のどこかで、「ぼくでなくてよかった」と思ったかもしれない。
しかし今は、そうは思わない。私の中の、私の一部が、死んで消えてしまったかのように感ず
る。この喪失感は、どうしようもない。

 (このまま原稿が書けなくなってしまった……。)


●今日で、旧年度、終了! 3月26日!

 今日は金曜日。朝から曇天。昨日降った雨が、地面をぬらしている。

 やっと、昨日までに、いろいろなゴタゴタが片づく。おかげで今朝は、8時ごろまで、ぐっすりと
眠ることができた。

 昨日、書店で、アメリカやオーストラリアに住む友人たちに、いろいろな本や雑誌を買う。花
の本が好きな、Jさん。汽車が好きな、R君。それに孫の誠司に、英語の絵本。DVDも買った。
これはオーストラリアのB君のため。

 今日は、最後のレッスンが終わったあと、大掃除。気分は悪くないから、そのままワイフとど
こかで、打ち上げ式をするつもり。「今年度も無事に終わった」と。と、同時に、来年度の態勢も
整った。

 教室も往年の活気はないが、それはそのまま私の体力の限界。もう昔のようには、仕事はで
きない。これからは、自分の健康気づかいながらの、仕事となる。

 しかしこのぼんやりとした感覚は何だろう。友人の死か、それとも、春先の陽気か? 何かし
ら気(け)だるい。

 明日、三男が、もう一度、グライダーに乗るという。昨日は、オーストラリア500キロレースの
出場選手たちの壮行会があったそうだ。三男は、そこで何かしらのアルバイトをしたようだ。い
くらか、お金を稼いだのだろうか。

 今度の日曜日に、バスか、セスナ機で、アデレードに戻る予定だという。天気がよければ、セ
スナ機で、遊覧飛行をしながら戻るという。あの国は、何かにつけて、日本とはスケールがちが
う。

 長男の再就職先も決まった。「お祝い会をしようか」と声をかけると、「もう、いい」と。誕生日
が近いので、その日に、祝賀会は、まとめてするつもり。

 さてさて私も、春休みに入る。こういう長期の休みの最大の課題は、どうやって運動をつづけ
るかということ。数日も運動をしないでいると、すぐ体がナマってしまう。毎日、数時間は、自転
車に乗ろう。……と、今、覚悟した。

 ああ、それにしても、はっきりしない朝だ。昨日の雨で、このあたりの桜も散ってしまったかも
しれない。

今、ハナ(犬)が、遠慮がちにほえたところ。きっと散歩の犬が通ったのだろう。

 これから何人かに電話して、友人の葬儀に香典を届けてもらわねばならない。

 では、みなさん、Happy Spring−Time!
(040326)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(130)

●本能

 本能、つまり本能的行動には、(1)種別性、(2)生得性、(3)固定性、(4)不可逆性の4つが
あるという(深堀元文氏ほか)。

(1)種別性……同じ鳥でも、水をこわがる鳥もいれば、こわがらない鳥もいる。このように種別
によって、本能的行動がちがうことをいう。

(2)生得性……だれに習わなくても、クモは、クモの巣の作り方を知っていることをいう。

(3)固定性……一定のパターンで行動し、学習によって変えることができないことをいう。

(4)不可逆性……一つのパターンで行動していたとき、途中でじゃまが入ったようなとき、その
パターンがこわれることをいう。つまり途中から、もとの行動パターンにもどることができないこ
とをいう。(以上、同氏、「心理学のすべて」より。)

 そこで最大の命題。本能を、自分の意思でコントロールできるかということ。こんなジョークが
ある。(これは私が学生時代に、人から聞いた、ジョーク。)

++++++++++++++

 ある寺の僧侶が、寺の後継者をだれにするかで、悩んでいた。自分の命が、それほど長くな
いことを知っていた。

 そこで目立った、7人の弟子たちを本堂に集めて、こう言った。

 「これから、お前たちの中から、一人を選ぶ。お前たちの中で、もっとも、煩悩(ぼんのう)に
わずらわされないものを、わしの後継者とする」と。

 そこでその僧侶は、7人の弟子たちに、ペニスの先に、鈴をしばりつけるように言った。弟子
たちは、言われたとおりに、自分のペニスの先に、鈴をつけた。

 そしてしばらく僧侶と弟子たちが、瞑想(めいそう)にふけっていると、そこへ素っ裸の女性
が、入ってきた。美しい女性だった。そして弟子たちの前で、足を広げて、踊りだした。

 すると、どうだろう。あちこちから、かすかだが、鈴の音が聞こえてきた。チリチリ……、チリチ
リ……と。

 その音を聞いて、僧侶は、がっかりした。「何たることよ!」と。

 が、一人だけ、鈴の音が聞こえてこない弟子がいた。僧侶はそれを知って、その弟子のとこ
ろにきて、こう言った。

 「お前こそ、この寺を継ぐべき男だ」と。

 するとそれに答えてその弟子は、申しわけなさそうな顔をして、こう言った。

 「いえ、ご僧侶様。私の鈴は、とっくの昔に、どこかへ飛んでいってしまいました……」と。

+++++++++++++++

 聖職者は、性的関心をもってはならないとされる。少し前まで、教職者も、聖職者とみなされ
ていた。しかしそんな話は、とんでもない幻想。ウソ。どこかの学校の校長だって、夜な夜な、う
らビデオを見ながら、マスターベーションしている。

 本能的行動というのは、そういうもので、その人の意思の力で、どうこうなるものではない。い
わんや、コントロールできるものではない。

無理に、自分に『ダカラ論』をかぶせて、「私は教師だから」とがんばる人も、中にはいるにはい
る。

 たとえばだれかが、ヒワイな話をしたりすると、露骨にそれを嫌ってみせたりする。しかしそう
いうのを、心理学の世界では、「反動形成」という。つまりは、大仮面。『ダカラ論』をかぶせるて
いるうちに、自分でまったく別の自分をつくりあげてしまう。

 むしろこうした本能的行動が、人間のあらゆる活力の源泉になっている。あのフロイトだっ
て、リピドーという言葉を使ってそれを説明している※。「リピドー」つまり、生きる力は、性的エ
ネルギーである、と。

 女がいるから、男はがんばる。男がいるから、女はがんばる。一見、複雑にみえる人間社会
だが、すべては、そこから始まり、そこで終わる。もしその人から、性的エネルギーを奪ってし
まったら……。その人は、もう生きるシカバネでしかない。

 そこで結論。

 私たちは本能的行動によって、日々の生活の中で生かされている。しかしその本能的行動
は、いわば「無」から、「有」を生む行動といってもよい。そのことがわからなければ、森に立つ
木々を見ればよい。

 森に立つ木々には、本能的行動はない。だから、何と、その世界は、殺風景なことよ。ドラマ
など生まれる余地がない。(人間が木々を見て感動するのは、それは人間の勝手。木々たち
には、そういう感動はない。)

 一方、動物は、その「無」から、「有」を生みだす。その原動力が、性的エネルギーである。

 もっとわかりやすく言えば、人間は、ほかの動物たちもみなそうだが、一見無意味な本能的
行動に支配されながら、その中から、「生きる」という「有」を生みだしているということになる。も
し映画『タイタニック』の中の、ジャックとローズが、男と女でなかったら、あの映画は、ただの船
の沈没映画。

 しかしジャックとローズは、本能的行動に支配されて行動した。そしてあのドラマをつくりあげ
た。そしてその結果として、観客を、感動させた。つまり私たちが生きる意味は、そこにある。

 本能とは何か? ……それをつきつめていくと、実は、それが、「無」から「有」を生み出す、
原動力となっていることを知る。つまりは、動物と、この自然界を分ける、壁であることを知る。
気が遠くなるほどの長い進化の過程で、人間は、(あるいはその前の動物としての人間は)、
ただの物質としての生命体から、意思をもった生命体として、自らを区別することができた。

 ……どこかの哲学者が書くような、わかりにくい文章になってしまって恐縮なのだが、要する
に、本能的行動こそが、私たちが人間であるという証拠、そのものにほかならない。

 大切なのは、そうした本能を前向きのとらえるということ。そしてその前に、何が本能で、また
本能的行動であるかを、冷静に知るということ。つまりは、いかに意思の力でコントロールして
いくかということ。たとえて言うなら、本能は、野生を走る野生馬のようなものかもしれない。

 その馬に乗る私たちは、その馬をうまくコントロールする。野生馬そのものは、悪でも何でも
ない。むしろ野生馬を否定すれば、私たち自身の存在もあやうくなる。

 今日までの結論は、そういうことになる。このつづきは、もう少し頭がすっきりしてから、考え
てみたい。今朝の私は、どこかぼんやりとしている。頭がうまく働かない。
(はやし浩司 本能 本能的行動 本能論)
(040326)

(※)フロイトのこの学説に対して、ユングなどは、それを否定している。ここではフロイトの学説
にそって、話をすすめてみたが、だからといって、私がフロイトの信奉者というわけではない。
誤解のないように!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(131)

●金正田コメディ

 A新社という出版社から、また「マンガ金正田入門」(2)が、発売になった。赤本の(1)は、私
も買った。今度のは、青本。立ち読みしているうちに、思わず、笑ってしまった。本当かウソか
は知らないが、こんなエピソードが載っていた。

 (内容は、コメディ映画風に、私がかなり脚色した。チャップリンなら、こういうふうに脚本を書
いただろうというように、書きなおしてみた。どうか、お許しいただきたい。)

+++++++++++++++++

 金正田が、自分とそっくりの替え玉をつくった。本物の金正田を、金正田Aとする。替え玉を、
金正田Bとする。

 で、金正田Bが、金正田Aのところに、あいさつにきた。

 それを金正田Aが見て、びっくり。自分とウリ二つだったからだ。ホクロの数、位置、大きさは
もちろんのこと、髪の毛の生え際まで、同じだったという。K国の整形技術も、相当なものらし
い。が、一番むずかしかったのは、体型だったとか?

 あのスイカの入ったような腹をつくるのに、金正田Bは、わざと便秘にさせられ、嫌いな酒を
飲まされたという。

 が、ここで金正田Bは、失敗する。本物の金正田Aが、金正田Bをほめたとたん、金正田B
が、体を直角に曲げて、頭をさげてしまったというのだ。「ありがとうございます!」と。

 これを見て、金正田Aが激怒。「金正田は、だれにも、頭はさげない! お前は、思想強化所
で、精神も、オレになりきってこい」と。

 そこで金正田Bは、思想強化所へ、送り込まれた。いわば収容所である。

 で、二か月後。思想強化所で徹底的に訓練を受けた金正田Bが、また金正田Aのところへ連
れられてやってきた。そのとき、金正田Aは、金正田Bに、こんなことを言ったという。

 「アメリカ軍が来て、どちらが、本物の金正田だと聞かれたら、お前は、最後の最後まで、私
が、本物の金正田だと言わなければならない。殺されても、そう言いつづけるのだ。わかった
かア!」と。

 が、またまた金正田Bは、失敗をしてしまう。金正田Bは、こう返事をした。「わかりました、将
軍様」と。

 これがまた金正田Aを激怒させた。金正田Aは、金正田Bに、こう叫んだ。「バカモン! 様な
んか、つけるな。様をつければ、オレが本物だと、バレてしまうだろ。だれが何と言っても、私
が、金正田だと言うのだ。わかったかア!」と。

 そんなわけで金正田Bは、再び、思想強化所へ、二か月間、送りこまれた。

 金正田Bは、今度は、さらに徹底した訓練を受けた。そしてかっこうばかりではなく、心まで金
正田になりきって、金正田Aのところに、もどってきた。

 金正田Aは、それを見て喜んだ。「ようし、今日から、お前が執務室へ入れ。そしてオレのか
わりに仕事をしろ。オレは、24時間、毎日、ぶっつづけで仕事をしていることになっている」と。

 そして金正田Aは、金正田Bに、執務室で仕事をさせることになった。仕事といっても、たいし
た仕事はない。毎日、ハンをつくだけの仕事。で、本物の金正田Aはというと、そのまま、秘密
の地下道を通って、喜ばし組の女たちが待ている、歓楽会館へ。

 が、数日後、事件が起きた。

 ニセモノの金正田Bが、執務室でヒマをもてあましていると、そこへ喜ばし組ナンバーワンと
呼ばれている女性がやってきた。美しい女性だった。そして金正田Bを見ると、欲情をこらえき
れず、そのまま金正田Bに抱きついていった。

 金正田Bは、見たこともないような美人に抱きつかれ、すっかりその気に。いや、どんなこと
があっても、自分は本物であると言わなければならない。そういうつもりで、その美人と、数時
間にわたって、やりまくった。

 一方、本物の金正田Aは、歓楽会館で、女ざんまい、酒びたりの生活。そういうところへ、金
正田Bと、やりまくったその女性が、その翌日、もどってきた。そしてこう言った。「将軍様、昨日
は楽しかったです……」と。

 これを聞いた金正田Aは、これまた激怒。「オレの女に手を出すとは、許せない!」と。金正
田Aは、秘密の地下道を通って、執務室へ。が、ここでハプニングが起きた。

 執務室の前には、4人の警護兵がいたのだが、金正田Aと、金正田Bを見て、区別がつかな
くなってしまった。

警備兵「どちらが本物の将軍様ですか?」
金正田A「オレだ。オレに決まっている」
金正田B「オレだ。オレに決まっている」と。

 金正田Bも、必死である。ここでニセモノとバレれば、また思想強化所送りである。

 が、歓楽会館から帰ってきたばかりの金正田Aは、どこかやつれ顔。風格もない。一方、ニセ
モノの金正田Bには、風格があった。それで警備兵は、なんと、本物の金正田Aを、逮捕してし
まったというのだ!

 みなさんは、この話を信ずるだろうか。この話には、まだつづきがある。

 収容所へ送られた、本物の金正田Aは、ワイロをくばりまくって、その収容所から脱出して、
首都ピョンピョンにもどってくる……。そこでもまた、ハプニングが……。

 ここのつづきは、本のほうでまた読んでみてほしい。ありそうで、ありそうでなく、しかしそれで
いて、ありそうな話であるところが、何とも、おもしろい。

 『すべてをもつ独裁者は、すべてのものを恐れる』とは、どこかの哲学者が残した言葉。何も
恐れるものもなく、のんびりと暮らせる、私たちの生活に、私たちは、感謝しようではないか。
(040327)

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(132)

●ホームレスの男

 私の教室から、数十メートル離れたところに、小さな公園がある。昔は、市役所がそこにあっ
たという。今は、記念公園のようになっていて、中央に、消防夫の銅像が建っている。なかなか
の力作である。

 で、昨日、その公園を横切って教室へ行こうとすると、一人のホームレスの男が目に止まっ
た。ちょうど青いビニールシートを広げて、何やら、並べるところだった。

 私はどういうわけか、このところ、ホームレスの人たちに、親近感を覚えるようになった。もと
もと私の生きザマも、彼らのそれに近いこともある。

 で、そのとき視線が合ってしまった。私がニコリと笑うと、その男も、どこかニコリと笑った。顔
の細い、60歳くらいの男だった。私が近寄ると、親しげに話しかけてきた。

 「これ、300円だよ。これがあると便利だよ。これは、200円でいい……」と。

 どこかはにかんだような、力ない、オドオドした言い方だった。

 みると、ゴミというか、どこかで拾ってきたようなものばかりを並べていた。実際、どこかで拾
ってきたものだろう。使い古しのローソクとか、皿とか、栓抜きなどが並べてあった。

 その間に、観葉植物も並べてあった。私が買うとした、それしかない。

私「これはいくら?」
男「ああ、これね、500円でいいよ。いや、300円でもいいよ」
私「根はついているの?」
男「砂地にさしておけば、根はつくよ」と。

 観葉植物もどこかの庭から、引きぬいて盗んできたものだろう。それがありありとわかるよう
な観葉植物だった。

私「名前は何ていうの。この植物?」
男「知らないよ。でも、きれいな花が咲くよ」
私「こっちのは、いくら?」
男「これも、300円でいいよ」と。

 男はどこか遠慮がちだったが、必死だった。懸命に、観葉植物を並べなおして、それを私に
売りつけようとした。

私「おじさんは、生まれはどちら?」
男「ああ、おいらね。おいらはね、周智郡のM町だよ。あのM町から、バスで、30分くらいのと
ころだよ」
私「フウーン。ここ数日は、暖かくなってよかったね」
男「そうだね。やっと暖かくなったね」と。

 私は一つの植木バチを指差して、「それをもらうよ」と。

 男は、瞬間、輝くような喜びを見せて、「ああ、これね。300円でいいよ」と。

 が、男は、その植木バチから、一本だけを、引きぬいて、別の植木バチに植え替え始めた。
少し話がちがう? が、私は、何も言わなかった。

 男は、その一本だけを、別の植木バチにぐいと押し込んだあと、それを手で高くもちあげなが
ら、「これでいいかなあ?」と。本当は、「一本だけとは思わなかった」と言いたかったが、言え
なかった。人なつこそうな男の表情が、それをはばんだ。

私「どうせ、すぐ別の植木バチに植え替えるから……」
男「包まなくてもいいかい?」
私「いいよ」
男「ありがとうね」と。

 私がバッグからお金を出すと、男は、「その皿の上に置いてくれればいいよ」と。時刻は、午
後2時ごろだった。で、私が、「おじさん、今日は何か食べたの?」と聞くと、下を向いたまま、だ
まってしまった。

 私は型どおりのあいさつをして、つまり左手に植木バチをつかんだまま、その場を離れた。と
たん、右手にあの消防夫の銅像が見えてきた。左の石段では、先ほどから男女の高校生が、
何やら、たがいの体に触れあいながら、いちゃついていた。

 のどかな昼だった。雨がやんで、空気も澄んでいた。私は仕事の前に、どこかで昼食を食べ
るつもりだった。しかしこのところ、太りぎみ。瞬間、私はふりかえった。男は、私を見ていた。

 私は男のところにもどった。

 「おじさん、これぼくの昼飯代だけど、おじさん、何か買って食べナ」と。私はバッグから1000
円札を取り出すと、男に渡した。「断られるかな」と思ったが、男は前にもましてうれしそうな顔
をした。

私「チップだよ」
男「ありがとうよ」と。

 心のどこかで「こんなことしていいのかなあ」と思いつつ、その場を離れた。今度は、もう振り
かえらなかった。

 公園を出るとき、ハトの一群が足元から、バタバタと飛び去った。
(はやし浩司 ホームレス ホームレスの男 随A)
(040327)


+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(133)

【心を考える】

●回避性障害

 人と会いたくない。ひとりで、部屋の中に閉じこもっていたい。どこか気分が重い。人と会う
と、疲れる。こわい。自分がそのままボロボロになっていくように感ずる。

 これが回避性障害である。

 この状態のとき、本人が何も考えていないかというと、それはウソ。無数の「考え」というより、
無数の「感情」が同時に、自分の中でわき起きてくる。もう少し具体的に説明しよう。

 引きこもっている人を見ると、一見、その人は、何も考えていないように見える。ぼんやりと、
時間が流れていくのに身を任せているように見える。実際、外から観察すると、そう見える。

 しかし実際には、そうではなく、そのとき、その人を、無数の感情(考えではなく、感情)が、襲
っている。

 悲しい思い。楽しい思い。こわい思い。つらい思い。それぞれに何らかのエピソードが付着す
ることはある。そういった、とりとめのない感情が、つぎからつぎへとわき起こり、その人を支配
する。

 平常なときというのは、つまりそうでない(ふつうの人)は、そうした感情の中から一つを選び、
それに身を任すことができる。しかしこのタイプの人には、それができない。「自分が何を考え
ているかわからない」というのではなく、そのため、「自分がどこにいるかわからない」という状
態になる。

 だから世間との接触が、できなくなる。本当に、こわいのだ。

 そこで回避性障害を起こす人は、昼間の日の光を恐れるようになる。その光の向こうに、人
の気配を感ずるからだ。無数の人の気配イコール、自分のバラバラになった感情ということに
なる。

 だからただひたすら、目を閉じて眠る。眠くなくても、目を閉じる。遠くで聞こえる車の走る音。
人の声。歩く音。家族の動静。すべてが気になる。そしてそのつど、別々の感情が心の中で起
きてくる。

 そういう意味では、まさに心のビョーキということになる。感情のコントロールそのものができ
なくなる。一つの妄想がつぎの妄想を、呼び起こす。そしてそれらが混ぜん一体となって、頭の
中をかけめぐる。

 それがこわい。

 こうして回避性障害の人は、見た目には、昼と夜を逆転した生活をするようになる。夜のほう
が安心できるというのは、それだけ人の気配を感じないからだ。

 ……と、私もときどき、気分が落ち込むと、瞬間だが、回避性障害のような状態になることが
ある。そういう自分を静かに観察してみると、そういう人たちの心の状態が、理解できる。

 私がたまたま回避性障害と言われないですんでいるのは、その期間が、「瞬間的」であるか
らにすぎない。しかし一歩、まちがえば、いつその障害にとりつかれるか、わかったものではな
い。この文を読んでいる、あなただってそうだ。

 大切なことは、だれにでも、そういう兆候はあるということ。何も、特別な人が、回避性障害に
なるわけではない。ごくふつうの人が、ふとしたきっかけでそうなる。

 つぎに大切なことは、そういう状態になる前に、できるだけ自分の心を静かに観察する習慣と
能力を身につけておくということ。そしてそういう状態になる前に、「今の私は、おかしいぞ」と、
自分の心にブレーキをかけるようにする。

 繰りかえすが、だれだって、心のビョーキになるのだ。回避性障害にだって、なる。同じ人間
だから……。


●夫の仕事、妻の仕事

 毎日、じっと何かに耐えながら、仕事をする。いやなことも、つらいことも、ぐいとがまんしなが
ら、仕事をする。

 仕事には、いつもそういう側面がある。ないとは言わない。この世界で、自分の仕事を楽しん
でしている人など、いったい、どれだけいるというのか。

 芸術家? 作家? 研究家? ……こういう人たちは、それなりに苦しいこともあるだろうが、
しかしサラリーマンのようなことはない。私のように、自営業者のようなことはない。

 私の恩師のT教授は、いつもこう言っている。「研究生活ほど、楽しい仕事はない。クリエイテ
ィブだし、もっともすばらしい仕事だ」と。

 そういう仕事にめぐりあうことができた人は、幸福だ。しかし大半の、つまり99%の人は、そ
うではない。もししなくてもよいということになれば、今のこの瞬間から、その仕事をやめてしま
うだろう。

 私たちは仕事をしながら、その中に、ほんのわずかな「生きがい」を見出そうとする。それは
(あとから理由)かもしれない。(こじつけ)かもしれない。何であれ、そこに何らかの意味をもた
せないと、仕事など、できない。

 もっともわかりやすいのは、(金儲け)である。お金を手に入れることを生きがいにすればよ
い。仕事イコール、金儲け。そのお金で、人生を楽しむ……。これならわかりやすい。

 ところでアメリカでは、外科医たちが、手術中に、音楽をかけながら手術をしているという。今
では、ごく当たり前の光景らしい。少し前の日本人なら、そうした行為を「不謹慎」と、非難した
だろう。

 事実、最近、マスコミで、こんな録音テープが暴露されて、問題になっている。何でもその外
科医たちは、手術中に、たこ焼きの話をしていたという。「あそこのたこ焼きは、うまい」「タレが
悪い」と。

 当然のことながら(?)、マスコミや、当の近親者たちは、その外科医たちを、まるでケダモノ
のように批判していた。

 しかしいくら尊い仕事とはいえ、あの外科医たちのしている仕事ほど、過酷で、いやな仕事は
ない。……と思う。私など、床に血が落ちているのを見ただけで、ゾーッとしてしまう。それにそ
の仕事には、いつも「死ぬ」「生きる」という問題がつきまとう。明るい日向(ひなた)で、幼児を
相手に遊ぶ仕事とは、根本的にちがう。

 で、あるとき、外科医を父親にもつ高校生とこんな会話をしたことがある。その外科医は、そ
のあと、しばらくしてその総合病院の院長になっている。

私「君のお父さんは、毎日、人間の生死を見つめているような人だから、ほかの人とは、ちがう
だろうね」
高校生「ううん、別に……」
私「夜中でも、自分の患者の様態がおかしくなったら、病院へかけつけるんだろ?」
高「ううん、行かないよ」

私「どうして?」
高「だって、そんなことをすれば、翌日の手術に、さしさわりが出るから……」
私「さしさわりって……?」
高「居眠りしたら、たいへんだよ。手術で、失敗するよ」

私「じゃあ、そういうときは、どうするの?」
高「ちゃんと、担当の宿直医がいるよ。その人に任すことになっている」
私「じゃあ、休みの日は……?」
高「休みの日は、パパは、ジョギングに行くよ。水泳に行くこともある」
私「急患で呼ばれることはないの?」
高「ないよ。そういうときは、学会に行っていると、居留守を使うことになっている」と。

 私は何も、その医師を責めているのではない。むしろプロと呼ばれる人は、そういう人のこと
を言うと思っている。でないというのなら、だれがあんな不気味な仕事(失礼!)など、するだろ
うか。これは別の外科医師の息子(小5)から聞いた話だが、その子どもの父親は、決して、焼
き肉を食べないそうだ。

 その気持ちは、痛いほど、よく理解できる。

 つまり考えようによっては、あの外科医のする仕事ほど、忍耐が必要な仕事はないというこ
と。3K(きつい、きたない、苦しい)ということになれば、その「3K」の上に「超」がつく!

 だれしも、みな、じっと何かに耐えながら、仕事をする。いやなことも、つらいことも、ぐいとが
まんしながら、仕事をする。仕事というのは、そういうもの。

 ……実のところ、私もこのところ、ふと、そう思うようになった。あるいは気がつき始めている
と言ったほうがよいのか。「こんな仕事をいつまでも、していて、それが何になるのだろうか?」
と。これはこのところ、少し疲れてきたせいかもしれない。収入にしても、それほど、魅力的でな
くなってきている。

 まあ、もう少し、がまんしてみるか……。みんな、がんばっているし……。


●山荘にて……

 今日は友人のお通夜があるという。一度は、行こうと思って、電車までは乗った。もしそのと
き金沢までの切符を買っていたら、金沢まで行ったかもしれない。しかし発車直前ということ
で、乗車証明書だけをもらって、電車に飛びこんだ。

電車の中であれこれ考えているうちに、とても無理だと感じた。体がだるかった。それに気分が
晴れなかった。

 昨日、友人に頼んで、香典だけは届けてもらうことにした。弔電も打った。しかし石川県H市と
なると、どこかで一泊しなければならない。どこか風邪(花粉症)ぎみの私には、つらい。

 途中、愛知県のS市でおりる。そこから浜名湖線にのって、金指(かなさし)まで。

 そこからバスに乗って、井伊谷(いいのや)まで。そこから地元のタクシーにのって、山荘へ。

 山荘では、風邪薬をのんで、ベッドに横になる。寒気が全身を襲う。はじめは「山は、まだ寒
い」と思ったが、そのうち寒さが違うのにきづいた。温度計は、20度を示していた。ふとんを2
枚かぶって寝たが、寒かった。また風邪薬をのむ。

 こうして3時ごろまで、眠る。わけのわからない眠り方だった。起きてからも、寒かった。ワイフ
に電話をすると、「今、どこにいるの?」と。「山荘だ」と答えると、驚いていた。私も、バツが悪く
て、山荘へ来ているとは言いづらかった。

 一度、のび過ぎたアカメガシを切ろうと、小屋をのぞいたが、電動ノコも、コードもなかった。
内心では、かえって「よかった」と思った。

 夕方、ワイフに山荘まで迎えにきてもらう。途中、「J」というイタリアン・レストランで、スパゲッ
ティを食べる。悪寒は消えなかった。「焼き肉が食べたかった」と、ワイフに言った。今夜は、フ
トンをうんと暖かくして寝るつもり。

 GOOD−NIGHT!
(040327)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(134)

●家庭内宗教戦争

 こういう時代なのかもしれない。今、人知れず、家庭内で、宗教戦争を繰りかえしている人は
多い。夫婦の間で、そして親子の間で。

 たいていは、ある日突然、妻や子どもが、何かの宗教に走るというケースが多い。いや、本
当は、その下地は、かなり前からできているのだが、夫や親が、それを見逃してしまう。そして
気がついたときには、もうどうにもならない状態になっている。

 ある夫(43歳)は、ある日、突然、妻にこう叫んだ。

 「お前は、いったい、だれの女房だア!」と。

 明けても暮れても、妻が、その教団のD教導の話ばかりするようになったからである。そして
夫の言うことを、ことごとく否定するようになったからである。

 家庭内宗教戦争のこわいところは、ここにある。価値観そのものが、ズレるため、日ごろの、
どうでもよい部分については、それなりにうまくいく。しかし基本的な部分では、わかりあえなく
なる。

 その妻は、夫にこう言った。

 「私とあんたとは、前世の因縁では結ばれていなかったのよ。それがかろうじて、こうして何と
か、夫婦の体裁を保つことができているのは、私の信仰のおかげよ。それがわからないの
オ!」と。

 そこでその夫は、その教団の資料をあちこちから集めてきて、それを妻に見せた。彼らが言
うところの「週刊誌情報」というのだが、夫には、それしか思い浮かばなかった。

 が、妻はこう言った。「あのね、週刊誌というのは、売らんがためのウソばかり書くのよ。そん
なの見たくもない!」と。

 こうした隔離性、閉鎖性は、まさにカルト教団の特徴でもある。ほかの情報を遮断(しゃだん)
することによって、その信者を、洗脳しやすくする。信者自身が、自ら遮断するように、しむけ
る。

だからたいていの、……というより、ほとんどのカルト教団では、ほかの宗派、宗教はもちろん
のこと、その批判勢力を、ことごとく否定する。「接するだけでも、バチが当たる」と教えていると
ころもある。


●ある親子のケース

 富山県U市に住む男性、72歳から相談を受けたのは、99年の暮れごろである。あと少し
で、2000年というときだった。

 U市で、農業を営むかたわら、その男性は、従業員20人ほどの町工場を経営していた。そ
の一人息子が、仏教系の中でもとくに過激と言われる、SS教に入信してしまったという。

 全国で、15万人ほどの信者を集めている宗教団体である。もともとは、さらに大きな母体団
体から分離した団体だと聞いている。わかりやすく言えば、その母体団体の中の、タカ派と呼
ばれる信者たちだけが、別のSS教をつくって独立した。それがSS教ということになる。

 教義の内容も過激だったが、布教方法も過激であった。毎朝、6時にはその所属する会館に
集まり、彼らが言うところの、「勤行」を始める。それが約1時間。それが終わると、集会、勉強
会。そして布教活動。

 相談してきた男性は、こう言った。

 「ひとり息子で、工場のほうを任せていたのですが、このところ、ほとんど工場には、姿を見せ
なくなりました。週のうちの3日は、まるまるその教団のために働いているようなものです。

 それに困ったのは、最近では、従業員はもちろんのこと、やってくる取り引き先の人にまで、
勧誘を始めたことです。

 何とか、やめさせたいのですが、どうしたらいいですか」と。

 部外者がこういう話を聞くと、「信仰の自由がある」「息子がどんな宗教を信じようが、息子の
勝手ではないか」と思うかもしれない。しかし当事者たちは、そうではない。その深刻さは、想
像を絶するものである。

 「本人は、楽しいと言っていますが、目つきは、もう死んだ魚のようです。今は、どんなことを
言っても、受けつけません。親子の縁を切ってもいいとまで言い出しています」とも。


●カルトの下地

 よく誤解されるが、カルト教団があるから、信者がいるのではない。それを求める信者がいる
から、カルト教団は生まれ、そして成長する。

 だから自分の家族が、何かのカルト教団に入信したとしても、そのカルト教団を責めても意味
はない。原因のほとんどは、その信者自身にある。もっと言えば、そういう教団に身を寄せね
ばならない、何かの事情が、その人自身に、あったとみる。

 冒頭に書いた、ある夫(43歳)の例も、そうだ。妻の立場で、考えてみよう。

 どこか夫は、権威主義的。男尊女卑思想。仕事だけしていれば、男はそれでよいと考えてい
るよう。その一方で、女は育児と家庭という押しつけくる。そういう生活の中で、日々、窒息しそ
うになってしまう。

 何のための人生? なぜ生きているのか? どこへ向えばよいのか? 生きがいはどこにあ
る? どこに求めればよいのか? 何もできないむなしさ。力なさ。そして無力感。

 しかし不安。世相は混乱するばかり。社会も不安。心も乱れ、つかみどろこがない。何のた
めに、どう生きたらよいのか。心配ごともつきない。自分のことだけならともかくも、子どもはど
うなるのか? 国際情勢は? 環境問題は?

 そんなことをつぎつぎと考えていくと、自分がわからなくなる。いくら「私は私だ」と叫んでも、そ
の私はどこにいるのか? 生きる目的は何か? それを教えてくれる人は、どこにいるのか?
 どこにどう救いを求めたらよいのか?

 ……そういう状態になると、心に、ポッカリと穴があく。その穴のあいたところに、ちょうどカギ
穴にカギが入るかのように、カルト教団が入ってくる。

 それは恐ろしく甘美な世界といってもよい。彼らがいうとところの神や仏を受け入れたとた
ん、それまでの殺伐(さつばつ)とした空虚感が、いやされる。暖かいぬくもりに包まれる。

 信者どうしは、家族以上の家族となり、兄弟以上の兄弟となる。とたん、孤独感も消える。す
ばらしい思想を満たされたという満足感が、自分の心を強固にする。

 しかし……。

 それは錯覚。幻想。幻覚。亡霊。

 一度、こういう状態になると、あとは、指導者の言いなり。思想を注入してもらうかわりに、自
らの思考力をなくす。だから、とんでもないことを信じ、それを行動に移す。

 少し前だが、死んでミイラ化した人を、「まだ生きている」とがんばった信者がいた。あるいは
教祖の髪の毛を煎じてのむと、超能力が身につくと信じた信者がいた。さらに足の裏を診断し
てもらっただけで、100万円、500万円、さらには1000万円単位のお金を教団に寄付した信
者もいた。

 常識では考えられない行為だが、そういう行為を平気でするようになる。

 が、だれが、そういう信者を笑うことができるだろうか。そういう信者でも、会って話をしてみる
と、私やあなたとどこも違わない、ごくふつうの人である。「どこかおかしのか?」と思ってみる
が、どこもちがわない。

 だれにでも、心の中にエアーポケットをもっている。脳ミソ自体の欠陥と言ってもよい。その欠
陥のない人は、いない。


●どうすればよいか?

 妻にせよ、子どもにせよ、どこかのカルト教団に身を寄せたとしたら、その段階で、その関係
は、すでに破壊されたとみてよい。夫婦について言うなら、離婚以上の離婚という状態になった
と考えてよい。親子について言うなら、もうすでに親子の状態ではないとみる。親はともかくも、
子どものほうは、もう親を親とも思っていない。

 しかしおかしなことだが、あるキリスト系の教団では、カルト教団であるにもかかわらず、離婚
を禁止している。またある仏教系の教団では、カルト教団であるのもかかわらず、先祖の供養
を第一に考えている。

 そして家族からの抵抗があると、「それこそ、この宗教が本物である」「悪魔が、抵抗を始め
た」「真の信仰者になる第一歩だ」と教える。

 こうなったら、もう方法は、三つしかない。

(1)断絶する。夫婦であれば、離婚する。
(2)家族も、いっしょに入信する。
(3)無視して、まったく相手にしないでおく。

 私は、第3番目の方法をすすめている。富山県U市に住む男性(72歳)のときも、こう言っ
た。

 「息子さんには、こう言いなさい。『ようし、お前の信仰が正しいかどうか、おまえ自身が証明し
てみろ。お前が、幸福になったら、お前の信仰を認めてやろう。ワシも入信してやろう。どう
だ!』と。

 つまり息子さん自身に、選択と行動を任せればよいのです。会社の経営者としては、すでに
適格性を欠いていますので、クビにするか、会社をつぶすかの、どちらかを覚悟しなさい。夫婦
でいえば、すでに離婚したも同然と考えます。

 そしてこう言うのです。『これは、たがいの命をかけた、幸福合戦だ』とです。そしてあとは、ひ
たすら無視。また無視です。

 この問題だけは、あせってもダメ。無理をしても、ダメ。それこそ5年、10年単位の時間が必
要です。頭から否定すると、反対に、あなたの存在そのものが、否定されてしまいます。

 あなたは親子の関係を修復しようと考えていますが、すでにその関係は、こわれています。
今の息子さんの信仰は、あくまでもその結果でしかありません」と。


●常識の力を大切に!

今の今も、こうしたカルト教団は、恐ろしい勢いで勢力を伸ばしている。信者数もふえている。
つまりそれだけ心の問題をかかえた人がふえているということ。

 では、それに対して抵抗する私たちは、どうすればよいのか。どう自分たちを守ればよいの
か。

 私は、常識論をあげる。常識をみがき、その常識に従って行動すればよい、と。

 むずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思えばよい。たったそれだけのことが、
あなたの心を守る。

 家族、妻や子どもに向かっては、いつもこう言う。「おかしいものは、おかしいと思おうではな
いか。それはとても大切なことだ」と。

 そしてそのために、常日ごろから、自分の常識をみがく。これも方法は、簡単。ごくふつうの
人として、ふつうの生活をすればよい。ふつうの本を読み、ふつうの音楽を聞き、ふつうの散歩
をする。もちろんその(おかしなもの)を遠ざける努力だけは、怠ってはいけない。(おかしなも
の)には、近づかない。近寄らない。近寄らせない。

 あとは、自ら考えるクセを大切にする。習慣といってもよい。何を見ても、ふと考えるクセをつ
ける。そういうクセが、あなたの心を守る。

 さあ、今日も、はやし浩司は戦うぞ! みなさんといっしょに、戦うぞ!

 世の正義のため、平和のため、平等のために! ……と少し力んだところで、このつづき
は、またの機会に! 同じような問題をかかえていらっしゃる方は、どうか掲示板のほうに、書
き込みをしてください。

 掲示板……  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより!
(はやし浩司 カルト カルト信仰)
(040328)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(135)

【近況・あれこれ】

●忘れることの大切さ

 人は、忘れることを、「悪」と考える。しかし本当に、そうか?

 人は、楽しいことは、すぐ忘れる。しかし悲しいことや苦しかったことは、なかなか忘れない。
そのため、時間がたつと、いやな思い出ばかりが、脳を満たすようになる。これは人の脳がも
つ、欠陥のようなものかもしれない。

 ある夫婦は、(私たち夫婦もそうだが)、夫婦喧嘩をするたびに、10年とか、20年とか前の
話をもちだす。ときには、結婚当初の、30年以上も前の話をもちだす。

 もうとっくの昔に忘れてよいはずなのに、そういう思い出ばかりが、脳の中に残る。

 私は、今、少し、自分の考え方を変えつつある。つまり「忘れる」ということは、むしろ大切なこ
とではないか、と。

 話は飛躍するが、頭のボケた老人をみていると、あの人たちは、あの人たちで、あれでいい
のではないかと思うことがある。ボケることで、死の恐怖からのがれることができる。何も考え
ないというのは、それ自体、快感でもある。だから「あれでいい」と。

 しかし私は、ボケたくない。だから、それにかわって、「忘れる」という操作が、どうしても必要
になる。

 今まで、私たちは、「どうすれば忘れないですむか」ということばかり、考えてきた。「忘れるこ
とは、悪だ」と。しかしそういうふうに、決めつけて考えてはいけない。

 いやなことは、忘れる。不愉快なことは、忘れる。……そういう心の操作を、する。そして自分
の心を、そういったものから解放していく。

 つまり忘れたほうがよいことは、私たちの身のまわりには、山のようにある。それらをじょうず
に忘れていくというのは、この社会でじょうずに生きていくためには、とても重要なことである。

 今夜、私は、それに気づいた。


●藤枝・蓮花寺池

 春うららかな日曜日。ワイフと、藤枝市の蓮花寺(れんげじ)池まで行ってきた。3月28日。

 浜松駅から藤枝まで、片道、950円(おとな)。駅からはバスに乗って、20分ほど。藤枝小学
校の前を歩いていくと、目の前に蓮花寺池が見えてきた。

 蓮花寺池というから、寺があると思いきや、寺などない。近くに蓮正寺(れんしょうじ)という寺
があるが、その寺とは関係ないとのこと。売店でお菓子を売っていた女性が、そう言った。

 私とワイフは、一時間ほどをかけて、その池を一周した。しかし桜はなし、名物の藤の花もな
し。ただのにぎわいだけ。「佐鳴湖※のほうが、よっぽどいいね」「灯台、もと暗しというのは、こ
のことだ」と言いあいながら、歩いた。

 帰りもバス。よい運動になった。

 が、帰りの電車の中で、こんなハプニングがあった。

 ほとんど満員の電車だった。乗車率150%程度というのか。ほとんど自由に歩けないほど、
車内は混んでいた。が、シルバーシートを見ると、ボーイスカウトの子どもたちが、キャーキャー
と騒ぎながら、席を陣取っているではないか!

 とたんいつもの、私の正義感。

 指導者らしき、その服装をした女性に、にこやかに、しかしはっきりとわかる言い方で、こう言
った。

 「あのう、あの席は、シルバーシートですよ。指導なさったら、いかがですか?」と。

 しかしその女性は、私の言葉を無視した。明らかに、「いらぬお節介」という表情をして見せ
た。年齢は、40歳くらいだっただろうか。スポーツマンらしい、りりしい顔立ちをしていた。

 が、私は、そういう状態になると、絶対に、あとへは引かない。

 再度、にこやかに、さらにはっきりとした言い方で、こう言った。

 「だからね、あの席は、シルバーシートだと、私は申しあげているのです。お年寄りの人たち
も立っていることですから、指導なさってはいかがでしょうか?」と。

 今度は、その女性は、明らかに不機嫌な顔をした。そして私のほうには視線を合わせようと
もせず、シルバーシートを陣取っている子どもたちのほうへ向かって、人をかきわけながら、歩
いていった。

 すぐに5、6メートル離れた人垣の向こうで、子どもたちが、不満そうに何かを言っているのが
聞こえた。「疲れたよオ〜」「すわりたいよオ〜」と。

 それにしてもうるさい。ジャンケンゲームでもしているのか、キャーキャーというより、ギャーギ
ャーと騒いでいる。グリーンの帽子をかぶった男も二人いたが、注意する様子でもない。

 私とワイフは、あまりの騒々しさにあきれて、その場を離れた。そして電車の後部のほうへ移
動した。

 で、見ると、一人の女性の横があいているではないか。黄色いジャンパーが、そこに置いて
あった。私が、「そこは、あいてますか?」と聞くと、一度、ムッとした表情をしてみせたあと、「あ
いてます」と。

 これだけ電車が混んでいれば、わかりそうなものである。自分の荷物を置いたまま、平気で
いられるとは……! 年齢は60歳くらいの女性だった。私はそのジャンパーと、その下にあっ
たバッグをどかしてもらい、そこにワイフを座らせた。

 何とも、お粗末な光景である。隣では、先ほどから、20歳くらいの女性が、立ったまま、携帯
電話をかけていた。

 言いたいことは、山ほどある。

 まず第一、その女性の指導員。自分の不注意を指摘されて、不愉快な顔をする人というの
は、それだけ性格がヒネクレていることを示す。ボーイスカウトには、3つの誓いがある。私だっ
て、それくらいは知っている。

(1)神(仏)と国に誠を尽くす。
(2)いつも他人を助ける。
(3)体を強くし、心を健やかにし、徳を養う。

 3本指をたてて敬礼するのも、そのためだ。

 つぎに、混雑した電車の中で、平然と荷物を置いている人の神経を、私は疑う。他人に「あい
ていますか?」と聞かれるまで、その席に荷物を置いておく? しかも人生も晩年に近い、女性
が、である。

 またあれほど車内アナウンスで、「携帯電話を使わないでください」と言っているにもかかわら
ず、それを守る人は、ほとんどいない? いや、ほとんどの人は守っている。がまんしている。
しかしそういうルールを平然と破る人もいる。

 まさに電車の中は、この日本の社会の縮図。しばらくすると、左側の高架を、新幹線が、もの
すごいスピードで、電車を追いぬいていった。私はそれを見ながら、「文明とは何か」「文化とは
何か」と、改めて考えさせられた。

 電車を出ると、ワイフが、こう言った。「やっぱり、家庭教育よ」と。しかし私はこう言った。

 「家庭教育といってもね、親がなっていないんだよ。その親がなっていないのに、どうして家庭
教育など、期待できるの?」と。

悲しいかな、これが日本の現実である。
(※佐鳴湖……私の家から歩いて、10分ほどのところにある湖)


●回転式ドアで事故

 東京の六本木ヒルズで、6歳の男の子が回転式ドアに挟まれて死亡するという事故が、起き
た(04年3月)。

何とも痛ましい事故である。その場で、その地獄のような光景を、母親が、目の当たりに見て
いたという。母親のそのときの気持ちを察すると、本当に、ぞっとする。

 原因は、センサーが、子どもを感知できなかったことだという。センサーに盲点があったとい
う。まさに文明の機器の盲点といってもよい。一見、完ぺきに見える最新機器かもしれないが、
「完ぺきではなかった」ということになる。

 で、いくつかの点で、考えさせられる。

 一つは、その子どもは、一瞬のスキをつき、母親の手をふりほどいて、回転ドアに飛びこんだ
という。こうした突発的な衝動的行為は、この時期の子どもによく見られる現象である。

つまりそういう突発的な衝動的行為に、その回転ドアは、対応していなかったということになる。
こうした機器は、そうした突発的な衝動的行為も、当然のことながら、計算に入れて設計しなけ
ればならない。

 しかし、それは可能なのか。それとも不可能なのか。つまりあらゆる可能性に対応することが
可能なのか。もしそれができないというのであれば、こうした機器の設置には、そのつど慎重で
なければならない。

 私も、あの回転ドアが、あまり好きではない。タイミングをズラすと、どこかで体をぶつけそう
になる。手動でも、自動でも、事情は、同じ。毎日使って、なれている人には、そうでないかもし
れないが、たまに使う人には、こわい。

 私はドアの設計士ではないが、そこで、つぎのような方法を考えたら、こうした事故は、防げ
ると思う。

 その子どもは、回転ドアのドアと、左右の固定した壁の間にはさまれて死んだという。だった
ら、その固定したカベのほうが、力が加わったとき、開くようにすればよい。かりに万が一、だ
れかがはさまれ、センサーが不調であっても、ぐいと押すことで、壁が動けば、何も問題は、な
い。

 あるいは回転ドア部分を、やわらかい素材にするとか……。さらに回転ドアの部分も、力が
加わったら、動くようにしてもよい。そういう二重、三重の安全策を講じておく。

 壁をしっかりと固定した状態で、風車のように回転ドアが回れば、理屈の上では、こうした事
故はいつ起きてもおかしくはない。ある意味で、起こるべきして起きた事故と言える。

 こうして考えてみると、同じような危険性は、いたるところにある。たとえばエスカレーター。

少し前までは、よく、エスカレーターのすき間に靴をはさまれ、子どもがけがをするという事故が
あった。そのせいかどうか知らないが、私はあのバリカンの歯のようなエスカレーターが、いま
だに好きになれない。小さい子どもをつれてエスカレーターに乗るようなときには、何とも言えな
い緊張感を覚える。

 ほかに最近では、駐車場のシャッターがある。

 タワー式の駐車場では、車を一度、車庫に格納してから、エレベーター方式であちこちに移
動する。その車庫の前に、シャッターがついている。そのシャッターが、ものすごい勢いで、上
下する。あれは、本当に危険。あぶない。

 どこかですでに事故が起きているのかもしれない。しかしいつ事故が起きても、おかしくない
のでは……? 私も、一度、あるところで、不用意に車庫の中をのぞいていたら、突然、上か
ら、ギロチンのようにシャッターが、ドスンと落ちてきた。そんな経験がある。

 ほかにもいろいろある。

 本当に、この世界、危険だらけ。どうやって子どもを守ったらよいのか。今度は回転ドアだっ
たが、新しい機器が登場するたびに、こうした危険は、つぎからつぎへとやってくる。そしてその
たびに、犠牲者が出る。

 大切なことは、『見慣れない最新の機器には近づかない』ということ。こうした指導を、私もこ
れから先、子どもたちに徹底していくしかない。


●時の積み重ね

 自分の老後を、いかに予想していくか。これはとても重要なことだと思う。

 賢人は、何ごとも前もって用意する。愚人は、その場になってあわてる。

 最近、とくに気になるのは、脳梗塞を起こした人たちである。たいていは体半分の運動神経
がマヒする。

 それなりに不健康そうな人がそうなるというのであれば、まだ話もわかる。しかし見たところ、
それをのぞいて、まったく健康そうな人を見ると、いろいろ考えさせられる。昨日も、海辺で見
た男性がそうだった。年齢は、60歳くらいだっただろうか。その男性は、右腕だけをダラリと下
へ落したまま、ジョギングをしていた。

 「ああは、なりたくない」と思う。しかし同時に、「明日は、わが身」と思う。私だけが例外という
ことは、ありえない。だれにでも、老いは確実にやってくる。そして体のあちこちが、故障してく
る。

 若い人たちから見ると、20年先、30年先は、遠いありえない未来かもしれない。しかし50
歳、60歳の人たちから見ると、20年前、30年前は、つい昨日のような過去でしかない。

 そういう現実に、いつ気づくかということ。そう、最近、私は、「時」というのは、流れるものでは
なく、積み重ねられるものではないかと思い始めている。「流れる」という感覚でとらえると、過
去、現在、未来という概念が生まれてくる。

 しかし「積み重ねる」という感覚でとらえると、少なくも、過去、未来という概念は、消える。ある
のは、現実。どこまでも現実。過去があるとすれば、それは記憶や記録の中だけ。未来にして
も、その現実の中にある。

 つまり過去は、どこかへ行ってしまったのではない。同じように、未来は、どこからか、やって
くるものではない。過去も、未来も、そこにある。

 さて、そう考えていくと、子ども時代のあなたが、今のあなたの中にあるように、老後のあなた
も、あなたの中にあるということになる。その老後を、今、しっかりと見据えていく。それが賢い
生き方をする、賢人ということになる。

 たいへん、むずかしいことだが……。

 それにしても、脳梗塞は、恐ろしい病気である。脳細胞そのものを破壊する。もしそういうこと
になれば、過去や未来を知る、「私」自身もなくなってしまうことになる。

 改めて、予防法を考える。


●とんでもない詭弁(きべん)

 どこかの国の、どこかの宗教団体の指導者が、若者たちを集めて、こんなことを言っていた。
若者といっても、10代はじめの子どもたちである。

 「アラーの神のために、殉教せよ。神のために死ぬことを恐れるな。たとえ死んでも、今とまっ
たく同じ世界が、その向こうで待っている」と。

 その指導者は、要するに自爆テロをする子どもを養成していたようだ。

 しかし考えてみれば、これはとんでもない詭弁である。ウソ。インチキ。でまかせ。

 どうして死後の世界のことが、そこらの指導者にわかるのか。その指導者が、さも自信あり
げに、堂々と話していたのが、気になる。

 それにそんな子どもたちに死を教えるくらいなら、まず、自分が先に死んでみせればよい。恐
れることはない。あの世は、今の世とまったく同じなのだから……。

 こうした「思いこみ」は、そこらの宗教団体の信者でも、よくする。たとえば「あの世はある」と
説く人がいる。そこで私が、「本当にあるのか。あなた自身は見たことがあるのか」と言うと、
「神がそう言った」とか、「経典にそう書いてある」とか言って、逃げてしまう。

 私にはそれ以上のことはわからないが、やはり子どもたちには、自分で確かめた以上のこと
は話してはいけない。明らかにファンタジーとわかる話は別として、それ以上の話は、してはい
けない。それは今を生きるものが、つぎの世代に生きる人たちに対する、責任のようなもので
はないか。

 私自身は、あの世を見たこともないし、確認したわけでもないから、子どもたちには、「ある」
と言ったことは、一度もない。あの世があれば、もうけものだが、それは死んでからのお楽し
み。今は、「ない」という前提で、生きている。


●突発的な衝動的行為

 この回転ドア事件の子どもの話とは別に、突発的に衝動的な行為に走る子どもが、ここ10
年、20年と、10年単位でふえているように思う。

 ADHD児にかぎらない。どこかゲーム感覚というか、突然、あるとき、突飛もないことをする。

 脳の微細障害説を唱える学者もいる。最近のテレビゲームの影響を唱える学者もいる。環
境ホルモン(内分泌かく乱物質)説を唱える学者もいる。もちろん生来の遺伝子の問題をとらえ
る学者もいる。

 以前、こんな原稿を書いた。中日新聞で発表してもらったら、何人かの先生から、電話をもら
った。反響の大きかった原稿である。

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子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。

頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一
貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔
をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感
情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほ
うがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、そ
れだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒
ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一
名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子
どもについては、九〇%以上の先生が、経験している。

ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)などの友だちへの攻撃、
「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五二%)などの授業そのも
のに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。

ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師
はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。

そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「や
や感ずる」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。

家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、
そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じよ
うな現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビや
ゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし
ませんでした」と言った母親もいた。

たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきり
なしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くこと
ができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮
城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろ
いが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳であ
る(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。

こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えてい
ることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということに
なる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

++++++++++++++++++++

●予測できない、今の子どもの行動

 いつなんどき、事故が起きるかわからない……。しかもまったく予想外のことで……。

 それが今の、教育現場の現状である。

 突発的な行動。衝動的な行動。突飛もない行動。またそういう行動を繰りかえす子どものほう
が、仲間でも受けがよい。たいていはリーダー格というより、中心格。ワーワーと騒ぎながら、
ほかの子どもたちを、自分のリズムに引き込んでいく。

 この段階になると、「なぜ事故が起きるか?」という疑問は、あまり重要ではない。「どうしたら
事故を避けられるか?」が、重要である。もっと正直に言えば、「どうすれば、その責任を回避
できるか」が、重要である。

当然のことながら、ひとたび事故が起きれば、その責任は、すべて教師におおいかぶさってく
る。

 ある教師(小学校)はこう言った。「帰校するとき、子どもたちどうしが、けんかをしました。そ
のとき、A君がB君に、けがをさせました。そういうけがでも、『学校の責任だ』と怒鳴りこんでく
る親がいます」と。

 この事件にはつづきがある。

 そこでその教師が、「帰校時のことまでは、私は責任は負えない」と言った。常識で考えれば
当然の意見である。その教師は、正直な人だった。しかし母親は、それに納得しなかった。「学
校でのいじめがベースにあって、それが原因で、今回の事件が起きた」と。

 そこで校長をまじえて、三者で、話しあうことになった。……という話をここで書くのは目的で
はない。

 学校での行事はともかくも、今では、生徒を連れて出歩くなどということは、まさに自殺行為
(ほかに適当な言葉がない)としか、言いようがない。以前は、どこのおけいこ塾でも、夏になる
と、キャンプに行ったり、登山に行ったりした。しかし、今は、そういうことをする塾は、ほとんど
ない。よほど無頓着な塾は別として、もし事故でも起きたら……。それだけで、その塾は、閉鎖
に追いこまれてしまう。

 私もこういう仕事をして34年になる。そして最初の10年間ぐらいは、毎年、夏休みは春休み
には、キャンプや、登山、ハイキングなどに子どもたちをつれていった。しかしそんなとき、埼玉
県で学習塾を開いていた仲間のT氏(当時、私と同年齢)が、事故を起こした。その話を聞いて
から、そうした行事は、やめた。

 キャンプをしていたテントに、上から石が落ちてきた。だれかが上から投げたという話もある。
幸い命には別状がなかったが、一人の女生徒が、頭におおけがをして、1か月以上も入院し
た。そのとき請求された補償額が、3000万円(当時)!

 T氏は、あちこちからお金を借りて、その3000万円を用意した。が、そのあと、T氏は、塾を
たたんだ。最後に電話で話したとき、T氏はこう言った。

 「林さん、よけいなことはしないほうがいいよ。無料奉仕の野外活動でも、責任を問われるよ」
と。

 たしかに最近の子どもたちの行動は、つかみどろこがない。予想が立たない。こうした質的な
変化に加えて、わがまま。ぜいたく。自分勝手。「手のつけようがない」というのは、少し大げさ
かもしれないが、それに近い。

 だからその結果として、教育現場の教師たちは、ますます萎縮し始めている。隣のS市の小
学校で校長をしているW氏は、こう言った。

 「総合的な学習を利用して、いろいろなことをしたいのですが、あれこれ考えていくと、どうして
も小さくならざるをえまぜん。

たとえば近くに、結構広い池があるのですが、いかだ遊びはもちろん、模型の船を浮かばせて
遊びたいと思っても、そんな遊びは、不可能です。学校の外へつれていくことさえ、できませ
ん。事故でも起きたら、それこそたいへんです」と。

 子ども様々(さまさま)となった今、むしろおとなのほうが、子どもに頭をさげるようになってし
まった。ウソだと思うなら、電車の中を見てみればよい。子どもが席に座って、親やおとなたち
が、通路に立っている!

 何かがおかしい。何かが狂っている。そういう状態のまま、子どもたちだけがどこか、別の方
向へ進み始めている。その結果、教育現場の教師たちは、ますます萎縮し始めている。

 そうそうI町のI小学校の校長も、こう言っていた。

 「今では、生徒の頭をポカリとたたいても、親が、体罰だと怒ってきます。そういう時代です」
と。

 私も子どもが嫌いではない。しかしここ20年近く、こうした野外活動をしていない。


●英語の失敗
 
 学生時代に、イギリス人の家庭に食事に招かれたことがある。そこでのこと。家人が、何か
の料理をもってきて、「もっと食べるか?」と、すすめてくれた。

 それに答えて、私は、こう言った。「I have already had enough. 」と。「もうじゅうぶんいただき
ました」という意味で、そう言った。

 それを横で聞いていた友人(イギリス人)が、プッと笑って、こう言った。

 「ヒロシ、そういうときは、I have already had sufficiently.(じゅうぶん、いただきました)と言う
よ」と。「I have already had enough.」というのは、「もう、たくさん!」という意味になる? あわて
て言いなおしたら、みなが、ドッと笑った。

 英語は、むずかしい。

 昨夜も、こんな失敗をしてしまった。

 三男を二週間、とめてくれた友人がいた。オーストラリアに住む、オーストラリアの友人であ
る。その間、あちこちへつれていってくれたりもした。

 そこで一言、礼をと思って、電話をした。電話には、友人の奥さんが、出た。

私、「Thank you very much for what you have done too much to my son.」と。

 私は「息子にいろいろしてくれてありがとう」という意味で、そう言った。しかし「too much」とい
う部分が、まずかった。

 そう言った直後に、「いろいろ、やりすぎてくれて、ありがとう」という意味だということを知っ
た。「もう、うんざり」というときも、「too much」という。

奥さんは、すかさず大声でケタケタと笑いながら、「ヒロシ、あなたの言っている意味、わかる。
あなたを理解できる」と。

 「しまった!」と思ったが、私には、どうすることもできなかった。

 やはり英語は、いつも使っていなければならない。しばらく日本だけにいると、どうしてもカン
が鈍る。「私としたことが……」と思いつつ、電話を切った。


●春休みの運動

 春休みは、二週間近くある。今日(3月29日)は、その春休み、二日目。

 まず起きて、ハナ(犬)と、散歩。佐鳴湖まで行ってきた。それからワイフとドライブ。豊橋の先
にある、伊良湖(いらこ)岬をめざす。しかし途中で横道へ入って、海岸まで。そこで昼食。「伊
良湖岬までは、あと1時間くらい」と、コンビニの店員に言われて、あきらめた。遠すぎる……。

 伊良湖岬……愛知県豊橋市の南にある、島状の半島。

 夕方は、ワイフと散歩。一時間以上をかけて、佐鳴湖畔から、団地の北側を回る。このとこ
ろ、急に、足腰が弱くなったように感ずる。とくに、ヒザが弱くなった? 自転車だと、10キロくら
いなら、平気で走ることができる。しかし走ったり、歩いたりするのは、どうも苦手。

 「春休みの間は、毎日運動しよう」と言うと、ワイフも、スンナリと同意してくれた。

今夜は、これから山荘へ行き、明日は、木を切る。もう少し暖かくなると、ハチが出てくる。それ
からでは、遅い。


●山荘にて

 朝は、いつも鳥たちの大合唱で目がさめる。けたたましく、チョットコーイ、チョットコーイと鳴く
のは、コジュケイ。それにウグイス。今朝は、じょうずに、ホーケキョと鳴いていた。それにヒヨド
リ、カラス……。ときおり、ヒューイと鳴く鳥もいる。名前はわからない。あとは、何種類かの小
鳥たち。チッチッと時折鳴いては、どこかへと去っていく。

 時計を見ると、6時半。そのまま風呂に湯を入れて、ドボーン!

 あとは、何も考えない。窓の外の景色を見ながら、時の流れるまま、身を任す。谷のはずれ
に住むKさんの庭先から、青い煙が立ちのぼっているのが見える。空は曇天。低い雨雲が、す
ぐそこに見える。

 しばらくするとワイフも起きてきて、「もう、入っているの?」と。

 順に家族のことを思いやる。まず、三男。昨日から、授業が始まったはず。それに二男。孫
の誠司。そして長男。あとはもろもろのこと。脳の表層部分に、ランダムな光景が現れては消
える。そして忘れる。

 しばらくすると、ワイフが風呂に入ってきた。身をどかして、席をあける。

 「今朝、朝のチャイムが鳴った?」と、ワイフが聞いた。このあたりでは、朝の7時と夕方の5
時に、村のチャイムが鳴ることになっている。私は「聞こえなかった」と答えた。春休みは、チャ
イムも、お休みか……?

 相変わらず、ウグイスが窓の外で鳴いている。先週、山荘へ来たときは、まだうまく鳴けず、
ケキョケキョケキョと鳴いていた。少しは練習したらしい。あるいはこのあたりの新米?

 ウグイスは、縄張りを誇示するために、鳴くのだそうだ。そのせいか、谷あいの向こうからも、
聞こえてくる。そしてたがいに、かけあいながら鳴いている。

 考えてみれば、4日ぶりの風呂? ……ゾーッ。理由はともかくも、いろいろ重なって、風呂に
入る時間がなかった。

 バスタブから出て、いつもより念入りに石鹸をつけて、体を洗う。

 「ぼくはね、足の裏が油っぽくなると、夜、よく眠られないんだよ」
 「どうして?」
 「何となく、ベタベタした感じになって、気持ち悪い」
 「知らなかった……」と。

 意味のない会話がつづく。

 「朝風呂で気をつけなければいけないのは、心筋梗塞と、脳梗塞だそうだ。朝は、そうでなく
ても、血液がドロドロになっているからね。だから水分を補給しないと、いけないそうだ」
 「私、この水を飲むわ」
 「待て、今、もってきてあげるから」と。

 風呂から出て、台所へ急ぐ。つんとした冷気を感ずる。ペットボトルを手にもったまま、再び、
風呂の中にドボーン。

 水は、500メートルほど、パイプで山の中腹から引いている。水自体は問題ないが、その水
を一度、タンクにためてから配水している。そのタンクの中で、水が腐ることは、よくある。

 暖かいフトンに包まれているような心地よさ。こうして春の一日は、始まった。

 「今日は、何をする?」
 「ごはんを食べてから、考えましょう」と。

 あとは、ひたすら目を閉じて、ぬるい湯に身をまかす。ときどき、水を飲む。時は、3月30
日。火曜日。「今日も、思いっきり遊ぶぞ」と、おかしな誓いを立てる。
(040330)

++++++++++++++++++

【読者の方へ、お願い】

●メールには、ご住所とお名前を!

 毎日、たくさんの方から、メールや相談をいただきます。
 ありがとうございます。

 で、そのメールや相談なのですが、どうか、ご住所、お名前をお書きくださるよう、お願い申し
あげます。

 件名(RE)のところには、お名前と、簡単なご住所を!
 本文には、とくにはじめての方は、お名前(フルネーム)と、正確なご住所をお書きくだされ
ば、うれしく思います。

 このところ、ご住所、お名前のない方からのメールが、たくさん届きます。メールをいただくこ
と自体は、うれしいのですが、しかし受け取る私の方は、言いようのない不安にかられます。

 「男性なのかな」「女性なのかな」
 「この町の方なのかな」「遠方の方なのかな」
 「マガジンの読者なのかな」「ホームページをご覧なった方なのかな」などと、いろいろ考えて
いるうちに、返事が書けなくなってしまうこともあります。

 それ以上に、「ウィルス入りのメールだったら、どうしよう」と、考えることもあります。めったな
ことはないことは、よくわかっていますが、こういう世界のことですから、どうしても慎重にならざ
るをえません。

 またこのところいただくメールが多いため、返事を書かねばと思いつつ、それもままならなくな
ってきました。どうか当方の事情も、ご理解の上、ご協力くださいますよう、お願い申しあげま
す。

 「この前、相談した件は、どうなりましたか」という、返事の催促メール。あるいは「この前相談
した件で、あの問題は解決しましたが……」というメールをいただくと、本当のところ、たいへん
困ります。このところ、頭のボケも、少し進んでいるのかもしれません。

 一両日中に、返事がないばあいは、どうか、返事はないものと思ってください。いただいたメ
ールは、一、二日程度保存したあと、削除しています。どうか当方の勝手をお許しください。

 以上、よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(136)

【近況・あれこれ】

●ポール・ニューマンの「ノウバディズフール(Nobody's Fool)」を見る。

久々に、よいビデオを見た。若いころから、ポール・ニューマンが好きだった。私が世話になっ
た、友人の父親に似ていたこともある。名前を、キースさんと言った。5、6年前になくなった
が、本当にすばらしい人だった。

 それはともかくも、このビデオには、笑いと涙と、そして感動があふれている。好き好きもある
ので、私の好みを一方的に押しつけることは、避けたい。しかし見終わったあとの、さわやかさ
が、何とも言えなかった。

 このビデオは、ポール・ニューマンの遺作になったという。そのせいか、ポール・ニューマン
は、どこか元気がなかった。ブルース・ウィルスが脇役になり、ポール・ニューマンの演技を光
らせていた。★は五つ!

 なおこの映画の中で、おとなたちが、子どもに接するシーンが、あちこちに出てくる。そのシー
ンを見ていて、こんなことを思いだした。

 私の二男も、その妻も、孫に接するとき、同じような接し方をしている。「そこまで、おとなあつ
かいしなくてもいいのに」と思うほど、おとなあつかいをしている。賛否両論があろうかと思う
が、子どもの人格を守るということがどういうことか、それがわからない人は、このビデオを見
たらよい。

 たとえばポール・ニューマンが、孫を、数分間、ひとりだけ家の外に待たせるところがある。

 それに対して、息子が怒る。「子どもにとっての数分間は、一生に感ずるほど長いのだ」と。

 祖父役のポール・ニューマンは、それにあやまる。そしてそのあと、孫に懐中時計を渡す。
「一分間だけ、勇気をもて。それができたら、二分間、もて」と。そしてその懐中時計が、そのあ
と、一つの大役をこなす。キメのこまかさに、脱帽!

 ただ、翻訳が、いいかげん(失礼)! 会話のやりとりのおもしろさを、半減させている。字幕
に翻訳するのに限界があったのだろう。それはわかるが、もう少し、何とかならなかったもの
か。ときどき、字幕を見ながら、「そんなこと言ってないのになあ」とか、「ちょっとハズれている
ぞ」と思ったりした。


●家庭内暴力

 子どもの家庭内暴力に悩んでいる人は多い。福岡市に住む、TEさんから、それについての
相談のメールをもらった。

 子どもは、高校1年生。男子。学校では、成績もよく、優等生ということになっている。が、5歳
年上の姉に、暴力を振るう。そのことが理由で、姉が、今度、アパートを借りて、別居すること
になったという。

 はげしい家庭内暴力は、別として、何らかの感情のハケ口として、家庭内で、子どもが、だれ
かに暴力を振るうというケースは、少なくない。たいていは母親が攻撃対象になる。このタイプ
の子どもは、外の世界では、おとなしく、(いい子)であることが多い。

 つまり外の世界で、良好な人間関係を結べず、そしてさらにその結果として、慢性的な抑うつ
感がたまり、子どもは、突発的に家庭内で、暴力を振るうようになる。心理的には、「うつ病」の
一形態と考えるのが、一般的である。

 このタイプの子どもの暴力の特徴としては、(1)外の世界では、(いい子)であることが多い。
先生の指示には従順で、集団の中では、どちらかというと、おとなしい。(2)良好な人間関係が
結べず、外の世界では、仮面をかぶったり、がまんしたりすることが多い。(3)突発的に、暴れ
たり、暴力を振るったりする。かんしゃく発作のように、突発的に激怒して、叫んだり、ものを投
げつけることもある。

 そんな中でも、とくに注意しなければならないのは、(4)何を考えているか、わからなくなると
いうこと。

 初期段階としては、感情の表現が鈍化し、一見、静かでおとなしくなる。しかしその一方で、
心がつかみにくくなり、何を考えているか、わからなくなる。喜ばせようとしても、喜ばない。不
愉快に思っているはずなのに、それを顔に出さない、など。

 このタイプの暴力には、明確な一線がある。暴力といっても、子ども自身が、心のどこかで限
界をもうける。だから、つまりはギリギリのところまでは暴力を振るうが、その一線を超えること
はない。

 原因は、ここにも書いたように、外の世界で、良好な人間関係を結べないことと考えてよい。
そしてさらにその原因はといえば、乳幼児期の母子関係の不全とみてよい。あるいは親(とくに
母親)の溺愛、過干渉、過関心などが原因となることもある。

 「ウッセー! このヤロー。オレを、こんなオレにしやがってエ!」と、母親を足蹴りにしていた
子ども(中学男子)がいた。

 その子どものばあい、小学3、4年生くらいまでは、「静かで、おとなしい子ども」(母親の言
葉)だった。

 外の世界で、自分をあるがままに、(さらけ出す)ことができない。そのため、心は、いつも緊
張状態におかれる。仮面をかぶったり、(いい子)ぶるのは、あくまでも、その結果と考えてよ
い。

 そしてその結果として、つまりは、そうしてたまりにたまった、抑圧状態を解放させるため、家
庭内で暴力を振るうようになる。その暴れ方が、どこか狂人的であるため、家の人は心配した
り、悩んだりするが、「狂人」ではない。まずそれをしっかりと、理解する必要がある。

 私はこのタイプの子どもに、ある種の二重人格性を感ずる。暴れていながらも、別の子ども
がどこかにいて、それをコントロールしている。そんな感じがする。だから子どもが暴れたら、
親は、もう一人の子ども(道理がわかり、すなおな子ども)に、ていねいに話しかけるようにする
とよい。

 「今は、本当のあなたではないのよ」と。

 もちろん抜本的な原因追求と、その是正も必要である。高校1年生といえば、受験にまつわ
る重圧感に苦しむ年齢でもある。子どもの心の中では、不安と心配が、うずを巻いている。そう
いうものから受けるストレスが、子どもの心をゆがめているとも考えられる。

 こうした家庭内暴力は、子ども自身の自己意識が高まれば、表面的には消える。そういう意
味では、一過性のものだが、しかしそれでこうした問題が解決されるわけではない。

 ここにも書いたように、もともとは良好な人間関係が結べない子どもとみるため、おとなにな
ってからも、繰りかえし、症状が現れることがある。妻や子ども、反対に夫や子どもに、突発的
に暴力を振るうケースも、少なくない。
 
 そこで早期発見、チェックテスト。

【家庭内暴力型子どもの早期診断テスト】

(  )学校での様子(評価)と、家の中での様子(評価)が、おおきくちがう。
(  )学校では、おとなしく、いい子。しかし家の中では、横柄、乱暴、態度が粗雑。
(  )集団教育が苦手。運動会や遠足を楽しまない。ときにいやがる。

(  )どこか母親対子どもの関係が強く、父親不在の子育てをしてきた。
(  )親の前でも、言いたいことを言ったり、したいことをしなかった。
(  )一見、がまん強い子どもに見えたが、その実、生活態度がよく乱れた。
(  )ときどき、何を考えているか、わからないときがある。感情の表現が鈍化した。

(  )カーッとなると、興奮状態になり、手がつけられないことがあった。
(  )キレた状態になると、すごみ、まるで人が変わったかのようになることがある。
(  )ときどき、沈んだり、何かのことでクヨクヨ悩んだりする。

 この質問項目のほとんどに当てはまるようなら、要注意。こうした状態に、受験勉強の重圧、
さらに思春期の不安定要素が重なると、子どもの心は一気に、緊張状態におかれる。そしてそ
の結果として、ここでいう家庭内暴力に走ることも少なくない。

 ……と、きわめて大雑把(ざっぱ)に考えてみたが、全体としてみると、家庭内暴力を起こす
子どもは、ほかの精神的障害(引きこもり、摂食障害、回避性障害)を示す子どもよりも、予後
がよい。適切な対処の仕方さえ守れば、短期間ですむことが多い。

 対処法については、また別のところで考えてみたい。
(はやし浩司 家庭内暴力 診断テスト 早期発見)


●宇宙のロマン

 火星にも生物がいた? ……その可能性は、きわめて高い。しかも最近、火星の大気の中
に、微量ながらも、メタンガスまで検出されたという。

 一説によると、あくまでも一説だが、かつて火星にも、人間のような知的生物がいたという。
そしてその生物は、今の地球上の人間のように、化石燃料(石油、石炭)を使い、火星そのも
のの環境を破壊してしまたっという。

 その結果が、今の火星というわけである。

 ……となると、その知的生物は、どこへ消えてしまったのだろうか。化石燃料を使うほどの生
物だから、その知的能力は、私たち人間のそれと、それほどちがわなかったと考えるのが正し
い。

 方法はいくつかある。つまり火星の知的生物たちが、生き残る方法は、いくつかある。

 ひとつは、地底深くに、もぐるという方法。もうひとつは、宇宙に逃げるという方法。あるいは
その二つを同時に、してもよい。

 つまりこの問題は、地球人の未来の問題と言ってもよい。

 このまま地球温暖化が進めば、やがてこの地球も、火星と同じ運命をたどることになる。世
界の学者は、西暦2100年までに、地球の気温は、平均で、4〜5度、上昇すると言っている。

 しかしその2100年で、温暖化が停止するわけではない。そのあとも、さらに加速度的に、気
温は上昇しつづける。仮に4〜5度あがっただけでも、地球全体が、灼熱(しゃくねつ)地獄の
ようになるという。

 現に、今年の冬(オーストラリアでは夏)、あのメルボルン市ですら、気温が、40度を超える
猛暑がつづいたという。「今日は、45度になった」と、一度、友人が、メールを送ってきてくれた
ことがある。

 45度!

 たった35年前には、世界一、気候が温暖な都市として知られていた、あのメルボルン市が、
である!

 が、今では、2100年までに、4〜5度なんて数字を信ずる人は、ほとんどいない。すでにこ
の20年間だけで、1〜2度上昇している。

 つまり今の火星の姿は、地球の近未来の姿ということになる。そのせいか、科学者の中に
は、「火星を知ることは、地球の未来を知ることである」と唱える人もいる。「火星を研究するこ
とによって、地球の破滅的な未来を回避できるかもしれない」と。

 何ともクラーイ話になってしまったが、私は、人間の英知を信ずる。それに火星と地球は、ち
がう。大きさもちがう。地球には、広大な海がある。そう簡単に、火星のようにはならない。

 温暖化を地球規模で止める方法も、すでにいろいろ考えられている。地球上に、亜硫酸ガス
の傘(かさ)をかけるという方法もある。大気に穴をあけて、宇宙へ熱を逃がすという方法もあ
る。さらにそれでもダメなら、地下都市の建設や、宇宙基地の建設をするという方法もある。

 人間は、そう簡単には、滅びない。

 ただ、それには、一つ、大きな条件がある。

 ケータイ電話とやらをつかって、日夜、意味もない交信をしているようでは、ダメということ。意
味もないバラエティ番組を、家族で、ギャーギャーと笑って見ているようでは、ダメということ。交
差点で赤信号になっても、「まだ走れる」と、突っ切っていくようでは、ダメということ。(あまり、
関係ないかな?)

 要するに、地球の環境が破壊されるか、人間の英知が、その先を行くか、その競争というこ
とになる。人間の英知が負ければ、人類は、地球のあらゆる生物もろとも、絶滅する。

 しかし人間の英知が、勝てば、この地球は、未来も、安泰ということ。今、その競争が、始ま
ったばかりである。

 さて、その火星にいたかもしれないという知的生物だが、私は、ひょっとしたら、彼らは私たち
人間の遠い先祖ではないかと思っている。あくまでも、私が考える、SF(空想科学)でしかない
が、その可能性はないとは言えない。

 今夜の夕刊(3・31)によれば、火星の大気が、大きく変動したのは、数億年とか、そういう遠
い昔ではなく、ひょっとしたら、一万年単位の、それほど遠くない昔だったかもしれないという。

 もしそうなら、その時期は、人間がサルから分かれたころの時期に重なる。火星の知的生物
が、火星から逃れてやってきて、自分たちの遺伝子を、サルに組みこんだ……?、ということ
も、考えられる?

 あああ。私は、とんでもないことを書いている。こういう話を書くと、私の脳ミソが疑われる。以
前、ま顔で、「林君は、教育評論家を名乗っているから、そういう話はしないほうがいい。君の
教育者としての資質が疑われる」と忠告をしてくれた人がいた。東大を出て、ある出版社の研
究部長をしていた人である。

しかしこういう話は、嫌いではない。眠られぬ夜に、よく、そういう話を、ワイフとよくする。フトン
の中で、いつまでも時間を忘れてする。

ワイフ「宇宙人も、バカね。サルなんかに、遺伝子を入れるもんだから、こういうことになってし
まったのよ」
私「そう、私なら、イヌか、馬に組みこんだだろうね。そのほうが、ずっと、平和的な動物をつくる
ことができた」
ワ「魚なら、よかったのに……。魚なら、火を使うこともなかったでしょう」

私「しかし宇宙人は、自分たちによく似た仲間がほしかったのかもしれないよ」
ワ「そうね。宇宙では、孤独でしょうし……」
私「地球上で、一番、頭がよかったのは、サルだったしね」
ワ「じゃあ、私の遺伝子を、オラウータンに組みこんだら、どうなるかしら?」

私「きっと、美人のオラウータンが、生まれると思うよ」
ワ「それはすてきね」
私「ただし、オラウータンのオスが見て、そう思うだけだよ」
ワ「あら。いやだ。それならいいわ。やはりオラウータンは、オラウータンのままで……」と。

 火星のことを考えると、ロマンが、数限りなく、広がる。話題は、つきない。ひょっとしたら、私
たち人間は、その火星人の子孫かもしれないのだ。

昨夜も、遅くまで、そんな会話をした。そしていつの間にか、おたがいに眠ってしまった。いや、
ワイフのほうが、先だった。私は、ワイフがイビキをかき始めたのを覚えている。


●若き、女性ドライバーたち

 最近、気になるのは、若き女性ドライバーたち。はっきり言えば、運転がメチャメチャ。大半
の人はそうではないが、メチャメチャな運転をする人を見ると、たいてい若き女性ドライバーた
ちである。

 信号無視なんてものではない。完全に信号が赤になってからも、グイーンと、加速して、交差
点を横切っていく。あるいは、横道から、一旦停止もせず、大通りに飛び出してくる。その様子
は、何かしら世にうらみでもあるのかというような、走り方である。 

 昔、幼稚園で、園児に向って、こう怒鳴っていた年配の女性教師がいた。園児たちが、「ババ
ー先生!」とからかったときのこと。

 「私が結婚できないのはね、男たちが、みんなバカだからよ!」と。

 おかしなことだが、そういう若き女性ドライバーを見ると、私は、あのとき、そう叫んだ、あの
女性教師を思い出す。

私「女性というのは、今、複雑な立場にある」
知人「……?」
私「小学校の高学年くらいまでは、すべて女性上位で、ことが運ぶ」
知人「今は、そういう時代だからな」

私「ところが中学校へ入ることから、立場が逆転する。体力的にも、肉体的にも、男には、かな
わなくなる」
知人「なるほど……」
私「さらに高校から、大学へ入るころになると、そのちがいが、大きく出てくる」

知人「どうしても、この世の中、男に有利だからな」
私「そうなんだ。しかし最大の悲劇は、結婚後にやってくる」
知人「ぼくも、それを感じていた」
私「たいていの女性は、結婚と同時に、家庭の中に押しこめられてしまう。それはものすごい重
圧感であると同時に、挫折感でもある。欲求不満から、気がヘンになる女性だっている」

知人「男からみれば、『何が文句あるんだ!』ということになるんだけどね」
私「それは、男側の勝手な論理だ」
知人「そこで女性の中には、悶々とした気持ちを、うらみに変える人も出てくるというわけか?」
私「そうなんだ。メチャメチャな運転をする若き女性ドライバーを見ていると、ぼくは、そんなふう
に感ずる……」と。

 かなり前のことだが、そんな会話をしたことがある。相手は、同じ山荘仲間のT氏という人だ
った。

 実は、こうした「うらみ」は、私も経験している。

 私は、過去30年以上、自転車通勤をしている。健康のためには、よいことだが、しかしその
一方で、年に数回は、「あやうく……」というようなことを経験する。数年に一度は、死んでもお
かしくないというような事故を経験する。

 自転車は、道路では、まさに弱者。日陰者。車の流れの中を、チョロチョロと遠慮がちに走ら
なければならない。

 そういう私だから、横断歩道を自転車で渡るとき、ふと、車に対して、ある種の敵意を感ずる
ことがある。「横断歩道くらい、こちらを優先させろ」と。と、そのときである。いつもはそうではな
いのだが、その瞬間、自転車をこぐ私が、乱暴になることがある。

 ときに、強引に、車の前に突っ込んでいくことがある。つまり、若き女性ドライバーの心理は、
それに近いものではないか? 「車を運転するときぐらい、一人前に運転させろ」と。

 しかしあぶないのは、あぶない。昨日も、ドライブから帰ってくるとき、交差点で、車どうしがぶ
つかっていた。見ると、やはり、一方は、若き女性ドライバーだった。事情はよくわからないが、
多分、原因は、その若き女性ドライバーにあったのでは? そんな雰囲気だった。

 そうそう、自転車で走っているとき、一番、あぶないのが、その若き女性ドライバーたちであ
る。うしろから猛スピードで走ってきて、右肩をビューンとかすめていく。対向車がやってくると、
ギリギリまで車を路肩へ寄せてくる。

 ホント! 運転がメチャメチャ。

 ところで最後に一言。

 こういう私の意見に対して、ワイフもこう言う。「女は、運転がヘタだから」と。そこで私が、「お
前も、その女だろ」と言うと、ワイフは、「私は女ではない」と。私はそのつど、「……?」と、だま
ってしまう。

【追記】

 私はときどき、「私のワイフは、女性の姿をした男だ」と思うときがある。ワイフもよく、「私は
子どものころ、男としか遊ばなかった」「私も、男に生まれたかった」などと、言う。どうやら、ワ
イフは、母親の胎内で、男になりまちがえたようだ。これは余談。


●さらけ出し

 北海道にお住まいの、YSさんより、こんな相談をもらった。
 「うちの子(小5男子)は、集団活動が苦手です。集団活動になれさせるには、どうしたらいい
ですか」と。

 「サッカークラブもいや。運動会も嫌い。遠足も行きたくないと言います」と。

++++++++++++++++++

 「さらけ出し」については、もう何度も書いてきた。そこで、ここでは、私自身の子ども時代につ
いて書いてみる。

 私は、家の中では、結構、わがままな子どもだったと思う。しかし外の世界では、いつも何か
に、じっと耐えていたような感じがする。

 たとえば私は毎日、真っ暗になるまで、近くの寺の境内で遊んでいた。そこでのこと。私は、
追いかけたり、追いかけられたりしながら、走り回るのは、好きだった。しかし、どうしても好き
になれない遊びが、一つ、あった。

 だれかが空き缶を蹴る。その空き缶が蹴られた間だけ、みなは逃げて、身を隠す。鬼(おに)
になった子どもは、隠れた仲間をさがして、「○○君、見つけ!」と言って、空き缶を踏む。

隠れんぼうの一種だが、ほかの子どもは、スキを見て、その空き缶を蹴る。あるいは、鬼よりも
早く、空き缶のところにやってきて、空き缶を蹴る。するとそれまでに鬼につかまった仲間も、
いっせいに、逃げることができる。

 その遊びの、名前は忘れた。しかし私は、どういうわけか、その遊びだけは、好きになれなか
った。しかしその遊びだけ、ぬけるわけにはいかなかった。私は、その遊びになると、言いよう
のない重圧感を覚えた。こわいというより、いやだった。

 そういうとき、「ぼくは、したくない」とはっきり言えば、それなりに自分の心を軽くすることがで
きたかもしれない。しかし私には、それが言えなかった。

 ……という視点で、子どもたちの世界を見ると、日常的に同じようなことが起きているのを、
知る。

 遊びにせよ、勉強にせよ、いつも何かにじっと耐えているような子どもがいる。楽しまないとい
うより、こちらの用意する「輪」の中に、入ってこない。心のどこかで拒絶しながら、それでいて、
従順に従ってしまう。

 一般的には、「心の開けない子ども」とみる。そこで何らかの方法で、その子どもが、自分の
心をさらけ出せるようにしむける。方法としては、どっと笑わせるのがよい。しかし学年が進め
ば進むほど、子どもの心は、ますますかたくなになる。がんこになる。一時的には笑っても、す
ぐまたもとに戻ってしまう。

 そこで私自身は、どうだったのかと考える。

 私は、もともと、他人に対して心を開くことができないタイプの子どもだった。仮面をかぶり、
愛想のよい子どもを演じてはいたが、心の中は、いつも孤独だった。

 しかしそれに気づいたのは、私が40歳を過ぎてからではなかったか。そういう自分を、本気
でなおそうと考えたのは、50歳を過ぎてからではなかったか。

 いわんや、子どもに、「みなに、心を開きなさい」「いやだったら、いやだと言えばいい」などと
いっても、わかるはずがない。当時の私を思い出しても、私は私だったし、私に問題があるな
どとは、思ってもみなかった。いわんや、さらにその原因が、私と母との間の、母子関係にあっ
たとは、知る由もなかった。

 で、北海道のYSさんからの相談だが、こうしたケースでは、無理をすればするほど、逆効果
ということ。すでにYSさんの子どもは、小学5年生になっている。思春期も近い。「なおそう」と
考える時期は、もうとっくの昔に、終わっている。

 では、どうするか?

 私の経験で言えることは、そういう子どもであると認めた上で、その子どもにあった方法で、
これからのことを考えるしかないということ。もっとわかりやすく言えば、「うちの子は、集団教育
が苦手」と思って、あきらめる。

 多くの親は、「集団訓練の中にほうりこめば、子どももなれるはず」と考えるが、そんな単純な
問題ではない。ないということは、私自身の子ども時代を思い出してみても、わかる。

 あえて言うなら、どこかで、子ども自身が、自分をさらけ出せるように、しむけること。ワーッと
声を出させたり、笑わせるのがよい。しかしそれも、もうこの時期になると、一時的な効果しか
ない。そういう前提で、気長に考える。

 だれにでも、得意、不得意はある。子どもを伸ばすコツは、得意分野をどんどんと伸ばし、不
得意分野には目をつむる。「一つや、二つ、苦手なことがあってもいいではないか」と、そういう
大らかさが、子どもを伸ばす。


●運動

 今日は、家のフェンスをなおすことにした。予算は、一万円。浜松市の北にある、「J」という大
型DIY店へ行って、材料をそろえる。

 防腐剤加工をした木材と、セメントを買って、しめて9800円。ここまではうまくいった。が、そ
れからがたいへんだった。セメントの袋だけで、20キログラム。それに木材。1・8メートルの板
を14枚に、丸太の支柱など。

 家へ帰ってくるころには、もうそれだけでヘトヘト。15年前には、山荘の土木工事のほとんど
をした、私が、である。

 「体力がなくなったなあ」とこぼすと、ワイフも、「ホント。あなたも弱くなったわね」と。

 しかたないので、1時間ほど、休息をかねて、昼寝。

 で、それから作業開始。

 フェンスの修理そのものは、2時間ほどですんだ。が、それにしても、ものすごい疲労感。

 そこで一念発起。夕食をすますと、ハナ(犬)と、散歩に行くことにした。「こんなことに負けて
たまるか」という思いが、私をそうさせた。

 私は自転車に乗り、ハナをひもで制御する。そして1時間ほど、近くの山坂を走り回る。ほど
よい汗が、体中からにじみ出てくるのがわかる。

 家に帰ってから、ワイフとこんな話をする。

私「やはり、自転車だと、疲れないよ」
ワ「体が、そうできているのね」
私「お前だって、テニスだといいかもしれないが、ソフトだとだめかもしれないよ」
ワ「そうね」と。

 私が疲れたのは、重い荷物を運んだから。その部分の筋肉は、使ったことがない。しかし自
転車は、疲れなかった。むしろ気持ちよかった。それは毎日、その部分の筋肉を、鍛えている
から。

 人間の体というのは、どうやら、そういうものらしい。

 脳ミソについても、同じことが言える。私のばあい、こうして文章を書くのは、苦痛ではない。
英語で文章を書くのも、それほど苦痛ではない。しかし翻訳となったとたん、ものすごい重圧感
を覚える。なぜか。

 それは恐らく、日本語から英語、英語から日本語への連絡網が、すでにサビついてしまって
いるからではないか。

 50歳を過ぎると、こういう現象が、頻繁(ひんぱん)に起こるようになる。つまりそれだけ、柔
軟性をなくすということ。これも、老化現象の一つと考えてよい。言いかえると、いかにして、体
と脳ミソを鍛えていくかということ。それを、50歳前から始めておく必要がある。

 つぎの60代になったは、また考え方が変るかもしれない。それに、さらに体力が、弱くなる。
そのとき、私はどうなっているのか。あるいは今から、どうやってそれを予想し、予防したらよい
のか。

 できあがったフェンスを、道路から、ワイフと見あげながら、私は、そんなことを考えた。
(040401)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(137)

●家の間取り

 九州に住んでおられる、FKさんより、家の間取りについての相談を受けた。「建築設計士を
している友人から、相談を受けた。子どものしつけを考えると、家をどんな間取りにしたらいい
か」と。

 基本的は、子どもが、一度は、家族全員が集まる部屋を通って、自分の部屋に行けるような
間取りにすること。

 まずいのは、子どもが、家族の目が届くこともなく、(外)から、(自分の部屋)に、直行できる
ような間取りにすること。極端な例としては、(そういう家は少ないと思うが)、子ども部屋だけ
に、別の出入り口をつけることがある。

 そこで間取りの基本は、

 (外)→(家族全員が集まる部屋)→(子ども部屋)とすること。

 家族全員が集まる部屋というのは、居間であったり、台所であったりする。その部屋を中心
に考え、その居間や台所を通らないと、子どもが自分の子ども部屋に行けないようにする。

 私も息子たちが大きくなって、家を増築したとき、この点に気を配った。20畳程度の居間兼
台所と、その二階部分に、子ども部屋を二つ用意した。

 そのときのこと。アイデアは、二つあった。

 一つは、

 (外)→(廊下)→(階段)→(子ども部屋)という考え方。

 もう一つは、

 (外)→(廊下)→(居間兼第所)→(階段)→(子ども部屋)

 最大のポイントは、「階段をどこにつけるか」だった。廊下につければ、子どもたちは、私たち
の目にとまることなく、(外)と(子ども部屋)を、自由に行き来できる。

 しかし居間兼台所の中につければ、子どもの出入りを、いつも見ることができる。

 それで最終的には、居間兼台所の中に、階段をつけることにした。(いろいろ設計上、問題
はあったが、そうした。)

 その結果だが、それから15年以上。今から思うと、あのときの判断は正しかったと思う。子
どもたちが大きくなり、友だちをつれて出入りするときも、一度は必ず、私たちの目の前を通ら
なければならなかった。

 私とワイフは、そういう動きを見ながら、子どもたちが、どんな友人と、どんなことをしている
か、かなり正確に知ることができた。

 そうでなくても、子どもが大きくなると、会話が少なくなる。交流も、減る。だからこそ、物理的
な方法で、つまり自然な形で、親子が触れあう機会を用意するのは、とても大切なことだと思
う。

 家の間取りは、そういう意味で、重要なポイントとなる。

 そこでいくつかのポイントを、箇条書きにしてみる。

(1)子どもが子ども部屋へ行くとき、必ず、家族の前を通っていくようにする。
(2)子ども部屋は、できるだけ二階に用意する。
(3)子ども部屋は、採光がポイント。日当たりのよい部屋で、窓を大きくする。
(4)皆が集まる、居間や台所を、家の中心に置く。

 なお、子ども部屋の間取りについては、今までに書いた原稿を、ここに添付する(地元タウン
誌発表済み)。

++++++++++++++++++++

●子どもの部屋

 以前、高校の図書室で、どの席が一番人気があるかを調べたことがある。

結果、ドアから一番離れた、一番うしろの窓側の席ということがわかった。

子どもというのは無意識のうちにも、居心地のよい場所を求める。その席からは、入り口と図
書室全体が見渡せた。このことから、子ども部屋について、つぎのようなことに注意するとよ
い。

(1)机に座った位置から、できるだけ広い空間を見渡せるようにする。ドアが見えればなおよ
い。ドアが背中側にあると、落ち着かない。

(2)棚など、圧迫感のあるものは、できるだけ背中側に配置する。


(3)光は、右利き児のばあい、向かって左側から入るようにする。窓につけて机を置く方法も
あるが、窓の外の景色に気をとられ過ぎるようであれば、窓から机をはずす。

(4)机の上には原則としてものを置かないように指導する。そのため大きめのゴミ箱、物入れ
などを用意する。

 多くの親は机をカベにくつけて置くが、この方法は避ける。長く使っていると圧迫感が生じ、そ
れが子どもを勉強嫌いにすることもある。

 また机と同じように注意したいのが、イス。イスはかためのもので、ひじかけがあるとよい。フ
ワフワしたイスは、一見座りごこちがよく見えるが、長く使っているとかえって疲れる。

また座ると前に傾斜するイスがあるが、たしかに勉強中は能率があがるかもしれない。しかし
そのイスでは、休むことができないため、勉強が中断したとき、そのまま子どもは机から離れて
しまう。

一度中断した勉強はなかなかもとに戻らない。子どもの学習机は、勉強するためではなく、休
むためにある。それを忘れてはならない。
 
子どもは小学三〜四年生ごろ、親離れをし始める。このころ子どもは自分だけの部屋を求め
るようになる。部屋を与えるとしたら、そのころを見計らって用意するとよい。それ以前につい
ては、ケースバイケースで考える。

++++++++++++++++++++

ついでに、子どものプライバシーは、どのように
考えたらよいか。それについて書いたのが、つぎ
の原稿である。この原稿は、中日新聞に掲載して
もらったが、かなり反響のあった原稿である。

++++++++++++++++++++

●逃げ場を大切に

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがある。動物はこの逃げ場に逃げ込むことによっ
て、身の安全を確保し、そして心をいやす。人間の子どもも、同じ。

親がこの逃げ場を平気で侵すようになると、子どもの情緒は不安定になる。最悪のばあいに
は、家出ということにもなりかねない。

そんなわけで子どもにとって逃げ場は、神聖不可侵な場所と心得て、子どもが逃げ場へ逃げ
たら、追いかけてそこを荒らすようなことはしてはならない。説教をしたり、叱ったりしてもいけ
ない。

子どもにとって逃げ場は、たいていは自分の部屋だが、そこで安全を確保できないとわかる
と、子どもは別の場所に、逃げ場を求めるようになる。A君(小二)は、親に叱られると、トイレ
に逃げ込んでいた。B君(小四)は、近くの公園に隠れていた。C君(年長児)は、犬小屋の中
に入って、時間を過ごしていた。電話ボックスの中や、屋根の上に逃げた子どももいた。

 さらに親がこの逃げ場を荒らすようになると、先ほども書いたように、「家出」ということにな
る。

このタイプの子どもは、もてるものをすべてもって、家から一方向に、どんどん遠ざかっていくと
いう特徴がある。カバン、人形、おもちゃなど。D君(小一)は、おさげの中に、野菜まで入れ
て、家出した。

これに対して、目的のある家出は、必要なものだけをもって家出するので、区別できる。が、も
し目的のわからない家出を繰り返すというようであれば、家庭環境のあり方を猛省しなければ
ならない。過干渉、過関心、威圧的な子育て、無理、強制などがないかを反省する。激しい家
庭騒動が原因になることもある。

 が、中には、子どもの部屋は言うに及ばず、机の中、さらにはバッグの中まで、無断で調べ
る人がいる。しかしこういう行為は、子どものプライバシーを踏みにじることになるから注意す
る。

できれば、子どもの部屋へ入るときでも、子どもの許可を求めてからにする。たとえ相手が幼
児でも、そうする。そういう姿勢が、子どもの中に、「私は私。あなたはあなた」というものの考え
方を育てる。

 話は変わるが、九八年の春、ナイフによる殺傷事件が続いたとき、「生徒(中学生)の持ちも
のを検査せよ」という意見があった。しかしいやしくも教育者を名乗る教師が、子どものカバン
の中など、のぞけるものではない。

私など結婚して以来、女房のバッグの中すらのぞいたことがない。たとえ許可があっても、サイ
フを取り出すこともできない。私はそういうことをするのが、ゾッとするほど、いやだ。

 もしこのことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あるいはあなたが子ども
のころを思い出してみればよい。あなたにも最後の逃げ場というものがあったはずだ。またプ
ライバシーを侵されて、不愉快な思いをしたこともあったはずだ。それはもう、理屈を超えた、
人間的な不快感と言ってもよい。自分自身の魂をキズつけられるかのような不快感だ。

それがわかったら、あなたは子どもに対して、それをしてはいけない。たとえ親子でも、それを
してはいけない。子どもの尊厳を守るために。
(はやし浩司 家の間取り 子ども部屋 プライバシー 子どもの尊厳 家出)
(040401)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(138)

●言論の自由

 週刊「B」が、発刊停止処分になった。元国会議員の娘の記事が問題になった。が、それに
対して、東京高裁は、発刊停止を、無効とした。当然である。

 言論の自由は、あらゆる権利の中でも、神聖不可侵な権利である。国民の権利として、最大
限尊重されねばならない。たかがこの程度の離婚問題で、言論の自由が制限されたら、たま
らない!

 しかしなぜ、その娘の記事が、週刊「B」に載ったか? 理由など、述べるまでもない。それが
わからなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 あなたの周辺にも、離婚した人がいるだろう。しかしそういう人の記事が、週刊「B」に載るこ
とはあるだろうか? ぜったいに、ない! その娘の記事が週刊「B」に載ったのは、あの元国
会議員のT氏の娘だからである。

 娘は公人か、公人でないかという議論もある。しかしその娘のことは、私でさえ、よく知ってい
る。母親のT氏と、よくマスコミにも、顔を出してきた。一方で、そうしてマスコミをさんざん利用し
ておきながら、「私生活を暴かれた」は、ない。

 ただ私にも、言いたいことはある。

 週刊「B」側は、言論の自由を盾(たて)にとって、自分たちの正当性を主張している。しかしこ
ういうくだらない記事は、「言論の自由」というときの言論とは、意味がちがう。ただのゴシップ
記事。そういう記事が問題になったからといって、言論の自由が侵害されたと騒ぐのも、どうか
している。

 週刊「B」側は、著名な文士をズラリと並べ、反論記事を掲載した。どの文士も、週刊「B」の
息のかかった、イエスマンばかりである。東京あたりで、週刊「B」に嫌われたら、メシを食って
いかれない。

 言論の自由。

 本当に、この日本には、言論の自由はあるのかという議論から、始めねばならない。もちろ
ん、くだらないことを、そのレベルで、ギャーギャー騒いでいる間は、問題ない。元国会議員の
娘の離婚記事など、その範囲の話題でしかない。

 しかしその範囲をひとたび超えて、たとえば、天皇制の問題、国歌、国旗の問題となると、そ
うはいかない。さらに日本にはびこる宗教団体の問題。政治と宗教の問題となると、さらにむ
ずかしい。

 こうした問題について、率直な意見を書いたりすると、私のところでさえ、いやがらせの電話
などがかかってくる。教室へ怒鳴り込んできた人さえいる。

 まあ、あえて言うなら、週刊「B」も、もう少し、高い視点から、日本をながめたらよいというこ
と。今回の事件は、週刊「B」が、くだらないゴシップ記事を載せた。だから、書かれた人が、待
ったをかけた。それだけの事件である。

 それを仰々しく、「言論の自由が侵害された」と騒ぐことのほうが、おかしい。週刊「B」は、たく
みに問題をすりかえようとしている。しかし、そうはいかない。

 こうした軽薄なゴシップ記事を書かれた人は、ウソやまちがいがあれば、そのつど、名誉毀
損(きそん)か何かで、出版社をどんどん訴えればよい。それは正当な権利である。決して、泣
き寝入りしてはいけない。


●消費税がわからない(?)

 4月1日から、値段の表示が、消費税込みの総額表示になった。だからたとえば「100えん・
ショップ」は、4月1日から、「105えん・ショップ」になった。

 消費税がいくらか、わかりにくくするための措置ということらしい。消費税をあげるための、ワ
ンステップと考えてもよい。

 が、問題は、このことではない。

 問題は、こうした一方的な措置が、恐らく通産省の課長クラスの通達一つで、なされたという
こと。そしてそれに、全国のスーパー、デパート、小売業界が、そのまま従ったということ。

 昨日のテレビ報道によれば、(値札の張りかえが間にあわなかった)という理由で、休業した
大型店もあったという。

 なぜだろう?

 なぜ、今ままでどおり、価格と消費税を別に表示してはいけないのだろう?
 なぜ、こうまで、通産省の指導に、厳格に従わねばならないのだろう?
 なぜ、「うちの店だけは、今までどおり、消費税は、別に表示します」と言ってはいけないのだ
ろう。
 なぜ「100えん・ショップです。消費税は、別です」と言ってはいけないのだろう。

 つまりそれほどまでに、通産省の権限は、絶大なのだろうか。あるいはそういう指示に従わな
いことで、何か、不都合なことが生ずるのだろうか。不利益があるのだろうか。

 まさに日本は、官僚主義国家。上から下へと、一方的に、ものごとが決められていく。その一
端を、私は、改めて垣間見たような感じがした。

 何としてでも、自分たちの失政を棚にあげて、国民をだまして、その国民から、金をまきあげ
ようとする官僚たち。そして何ら疑うこともなく、あやつられるまま、あやつられている国民た
ち。

 それが今の日本の基本的な構図と考えてよい。


●うかつだった……!

 おとといの夜、風呂に入るとき、肉まんを食べた。私は、あんまんは好きだが、肉まんは好き
ではない。そこで肉まんをふかしたあと、それに、ミルクとマーガリン、それにチョコレートをつ
けて食べた。おいしかった!

 その味が忘れられず、昨日の朝、同じようにして肉まんを二個、食べた。ワイフが、テニスに
でかけていたこともある。

 が、……。

 昨日の朝、起きたときから、軽い、頭痛。「?」と思いながら、肉まんをふかし、それにミルクと
マーガリン、それにチョコレートをつけて食べた。おいしかった!

 が、それから1、2時間後から、頭痛がはげしくなった。偏頭痛である。しかし今回は、前兆な
しの頭痛。「?」と思っているうちにも、症状がはげしくなった。

 昼ごろにはダウン。ふとんの中で、苦しんだ。しかたないので、医師からもらった薬を、のむ。
しかしほとんど効果なし。ますます「?」。

 結局、夕方まで、ふとんの中。頭のシンが割れるように痛かった。夕食はラーメンだけ。何だ
かんだとしているうちに、時計を見ると、夜9時。またふとんの中へ。

 少し偏頭痛はおさまったが、薬のせいで、胃の中がムカムカする。心配してやってきたワイフ
と話しているうちに、原因がわかった。

 今回の偏頭痛には、思い当たる理由がない。平穏無事な生活をしていた。神経をつかうこと
もなかった。それに春休みになって、一週間が過ぎていた。

 が、やはり、原因があった。

 「チョコレートだ」と私は、つぶやいた。ワイフもそれに応じた。「あんた、バカね。チョコレート
を食べたの?」と。

 私は肉まんに、たっぷりとチョコレートをつけて食べた。それがよくなかった。若いころは、「バ
レンタイン頭痛」に苦しんだ。ちょうどバレンタインの季節になると、きまって偏頭痛が起きた。
それでそう呼んだ。

 職業柄、その時期、女の子(女の子といっても、幼児からの子どもだが……)から、たくさんの
チョコレートをもらった。それをあまり考えないで、当時は、パクパクと食べていた。

 理由はよくわからないが、私はチョコレートを食べると、偏頭痛が起きる。ホント!

私「バカだな。ぼくも……」
ワ「わかっているなら、食べなければいいのに……」
私「うかつだった。本当に、うかつだった」と。

 改めて、私が食べてはいけないものを、列挙する。

(1)酒類……ビールは、コップ3分の1、飲んだだけで、三日酔い。
(2)チョコレート……アーモンドチョコ、5.6個で、偏頭痛。
(3)コーヒー……飲んだ直後に、ゲーゲーとあげてしまう。

 ほかに、とくに悪いものは、ない。しかしこの三つだけは、だめ。改めて自分に言ってきかせ
る。「二度と、チョコレートは、食べないぞ」と。

 それにしても、昨日は、最悪だった。そのお返しに、今日は、ワイフと、近くの山へ登るつも
り。


●不良書き込み

 Y新聞の投書欄に、不良書き込みのことが書いてあった。「ホームページの掲示板に、不良
書き込みをやめてほしい」と。

 その投書をした人は、身体障害者の福祉のためのホームページを開いているという。そうい
うホームページの掲示板にさえ、不良書き込みをする人がいるという。しかしそういう書き込み
をする人のことを、本物のバカという。

『バカなことをする人を、バカというのよ。頭じゃないのよ』(フォレスト・ガンプ)と。

 実のところ、私のホームページにも、その種の書き込みが、よくある。

 「コスプレ、格安販売」
 「幼い子、全裸写真」
 「若奥様の、楽しいアルバイト」
 「秘密クラブで、ちょっと息抜き」などなど。

 私は、掲示板に、TEACUP社の無料サービスを使っている。このT社のばあい、書き込みが
あると、即、メールで、その内容を知らせてくれる。で、そのつど、私は、こまめに削除してい
る。

 こうした不良書き込みがあったばあい、やはり、無視するのが、一番。こういったことをする
バカは、いわば、インターネットのゴミのようなもの。そういうバカは、ある一定の比率でいる。
そういう前提で、インターネットをするしかない。

 へたに抗議したり、相手にしたりすると、かえっていやがらせがふえるという。何かの雑誌
に、そう書いてあった。つまり無視するのが、一番よい。

 と、言っても、その投書を書いた人の気持ちが、よくわかる。私も、最初のころ、そういう書き
込みをされると、本当にイラだった。いくら「不良書き込みは、お断り」と注意書きを書いても、
意味はない。堂々と書き込んでくる。

 で、そうした私の心理を分析してみると、こうなる。

(第1期)……書き込みをした連中を、たたきのめしたい衝動にかられる。
(第2期)……イライラしながら、削除を繰りかえす。
(第3期)……あきらめの時期。「勝手にしやがれ」という心境になる。
(第4期)……淡々と削除して、その直後には忘れてしまう。

 今は、もうその(第4期)。新聞に投書してきた人は、多分、まだインターネットを始めたばか
り? まだ(第1期)の段階ではないかと思われる。ほんの少しだけ、先輩の立場で言うと、こう
なる。

 「そのうちなれますから、無視しなさい」と。

 とは言いつつも、掲示板への書き込みだけではない。私のばあい、メールアドレスを公開して
いることもある。ホームページには、Q&Aコーナーももうけてある。そのため、心ない人からの
いやがらせが、あとを断たない。

 で、最近では、そういった人からのメールは、一度でも、そういうことがあったら、着信と同時
に、本文はもちろんのこと、件名ごと、削除することにしている。アウトルック・エクスプレスに
は、「送信者禁止処理」という便利な機能がある。それをうまく使っている。

 この処理を使うと、直進と同時に、件名と本文を、削除できる。

 要するに、無視するのが一番。どうせ自分の名前も堂々と言えない、気が小さい人たちであ
る。表だっては、何もできない。だから、相手にしない。そこらにころがっている、石の上に書か
れたグラフィティ(落書き)と思えばよい。


【追記】

 今日(4・2)、ワイフと二人で、愛知県境にある(とんまく山)に登った。そのあたりは、この地
方にだけしかないという、渋川(しぶかわ)つつじの群生地として知られている。

 地元の人たちがしかっりと管理していてくれるため、普段着のまま登れる山でもある。が、そ
の道すがら、両側は、穴ぼこだらけ。不届きな人たちが、花木を掘って盗んでいった、その跡
(あと)である。

 いたるところに、立て札が立っていて、それには、「山草をとらないでください」「花木は、山に
咲いていてこそ、美しいのです」「みんなで山の花を守りましょう」と書いてある。

 にもかかわらず、花木を抜いて、もっていく!

 一部の人とはいえ、こんな世界にも、そういう人がいる。つまりこういう心ない人というのは、
どんな世界にもいるということ。決してインターネットの世界だけのことではない。


●盗んだ花は、美しい?

 4月2日、土曜日。今日は、ワイフと二人で、引佐町(いなさちょう)と、愛知県の県境にある、
とんまく山(富幕山)という山に登った。(写真は、マガジンの4月号の中で紹介。)

 標高700メートル弱の山である。途中までは、車で行ける。そこからは歩いた。山頂まで、片
道、2キロ。なだらかな山道で、5、6歳の幼児でも登れると思う。実際、道すがら、その年齢前
後の子どもたちが山頂方面から、おりてくるのを見かけた。

 春の、うららかな日で、ちょうど吹き始めた新芽の香りが、心地よかった。少し前、別の登山
で失敗したため、今日は、急がず、無理をせず、体をいたわりながら、登った。

++++++++++++++++++

とんまく山へ……浜松市から北西へ、車で30〜40分のところに、奥山高原がある。ふもとに
は、半僧坊(はんそうぼう)という、禅宗の総本山がある。

その半僧坊の下から、道をどんどんと登っていくと、「奥山高原レジャーパーク」がある。そのあ
たりが、標高550メートルくらいだそうだ。そのレジャーパークの中の駐車場で車を止めて、徒
歩で富幕山(とんまく山)の山頂をめざす。

初夏のハイキングコースとしては、最適の高原といってもよい。

++++++++++++++++++

 が、私たちは、大きな失敗をした。

 その失敗。途中のコンビニで弁当を買っていくつもりだった。しかし国道からはずれて、半僧
坊にいたる道中に、コンビニはなかった。

 しかたないので門前町の中にある八百屋で、弁当を調達した。が、弁当は、なかった。さらに
しかたないので、パンを二個、それにバナナを数本、ミカンの缶詰などを買った。

 何とも、ハイキングらしからぬ弁当である。この段階で、高原の頂上で、弁当を広げて……と
いう夢は、シャボン玉のように、はじけて消えた。

 で、奥山高原レジャーパークの駐車場に車を止めてから、歩くこと、1時間と少し。意外と楽
に、頂上に着くことができた。土曜日ということだったが、すれちがった人は、10人前後。自分
たちのペースで、のんびりと登山を楽しむことができた。

 が、残念なこともあった。

 山道の両側には、このあたりにしか生えないという、渋川(しぶかわ)つつじが群生している。
そのつつじを、株ごと引き抜いていく人が、いるということ。山道に沿って、道端は、穴ぼこだら
け。場所によっては、たがやしたばかりの畑のようになっているところもあった。

「木を抜かないでください」「自然の花は、自然の中でこそ、美しいのです」という立て札が、悲し
い。そのそばで、むなしく、そよ風にゆれていた。

 ハイキングコースといっても、地元の人たちによって、しっかりと管理されている。途中には、
細いが、いたるところロープが張ってある。分かれ道には、道案内の標識も立っている。また
頂上の休憩所には、みなが楽しめるようにと、写真集まで置いてある。

 そういうハイクングコースで、盗採する人がいるとは! 

 とても楽しい一日だったが、帰りの車の中で、ワイフとこんな会話をする。

私「盗んだ木を見て、あとで楽しいのかねエ?」
ワ「盗んだとは思っていないのよ、きっと……」
私「自然を愛する心と、その自然の中に生える木を盗むという行為は、矛盾すると思うヨ」
ワ「あのね、そういうことをする人は、そんなふうには考えないと思うワ」

私「いいか。たとえばその木を盗んできて、自分の家で、植木鉢に植えたとするよね」
ワ「……」
私「その木を見ていて、そういう人は、気分が悪くならないのかねエ?」
ワ「だから、そういうふうには、考えないってばア」

私「じゃあ、どう考えるんだ?」
ワ「自分のモノになったと、喜んでいるだけヨ」
私「やっぱり、木を愛する心と、盗むという行為は、矛盾すると思うんだけどナ」
ワ「それは人間性の問題ね。その人間性が、狂っているのよ」と。

 私が言いたかったことは、こんなことだ。

 自然に生える美しい花木があったとする。それを「美しい」と思うのは、いわば人間がもつ、純
粋な心の作用ということになる。

 一方、「盗む」という行為は、邪悪な心の作用ということになる。まずこの段階で、純粋な心
と、邪悪な心が、まっ向から対立する。

 つぎに、その花木を自分の家にもってきて、植木鉢に植えたとする。しかしその花木は、いわ
ば、自分の邪悪な心の象徴のようなもの。つまりその花木を見るたびに、自分の邪悪な心を思
い知らされる。「この花木は、盗んできたものだ」と。

 私なら、そんな花木など、見たくもない。どこかへ捨ててしまう。しかし多分、その盗んできた
人は、その花木を見ながら、「きれいだ」「美しい」と楽しんでいる?

 私は、それを「矛盾」と、とらえる。

私「一度、そういうことをする人に会って、話を聞いてみたい」
ワ「何て、聞くの?」
私「盗んできた花木を見て、本当に楽しめますか。罪の意識を感じませんか、とね」
ワ「聞くだけ、ヤボよ」
私「そうだな……」と。

 私にも、邪悪な心がある。ないわけではない。銀行へ行き、そこで待たされるたびに、頭の中
で、銀行襲撃のプランを練る。もちろん、頭の中で想像し、それを楽しむだけである。そんな私
だが、しかし自然の中に生える花木を盗むという発想は、まったくない。相手は、まったく無防
備な、植物だ。そういうものを盗んでもってくるというのは、卑怯(ひきょう)というもの。

 しかし何とも、心のさみしい話ではないか。……ということで、この話は、これでおしまい。とに
かく、楽しい一日だったことには、ちがいない。あまりむずかしく考えないで、今日は、終わりた
い。
(はやし浩司 富幕山 とんまく山)


●夫と妻

 夫と妻の関係といっても、絶対的なものではない。それゆえに、決して安定的なものでもな
い。「夫だから……」「妻だから……」と、相手をしばっても、あまり意味はない。たとえば浮気
心。

 こんなことワイフに聞いても、絶対に本当のことを言わないだろうから、聞いたことがない。し
かし、私のワイフだって、浮気をしたいと思ったこともあるはず。あるいは実際に、私の知らな
いところで、浮気をしたことがあるかもしれない。

 ただ私が知っているのは、若いころ、しかし私と結婚したあとのことだが、俳優のN村A夫とい
う男に、うつつをぬかしていたこと。N村A夫がテレビに顔を出したりすると、ワイフは、いつも目
を輝かせて、画面を見つめていた。

 ずっとあとになって、つまりN村A夫が、本当は頭が、かつらをかぶっていることを知り、幻滅
してからのことだが、「私、N村A夫が、大好きだった。ああいう人に声をかけられたら、浮気し
ていた」と、ワイフが、告白したことがある。

 実は、N村A夫が、かつらをかぶっているということは、私が調べて、私がワイフに話してやっ
たことである。嫉妬(しっと)心もあった。

 「お前の好きな、あの男な。本当は、ツルツル、ピカピカの、ハゲ頭だア!」と。

 ワイフは、かなりのショックを受けたらしい。それからしばらくは、N村A夫の話を、まったくしな
くなった。ワイフが、「ああいう人だったら、浮気してもいいと思ったことがある」と告白したの
は、そのあとのことだった。

 だいたい、俳優なんかと、浮気などできるはずがない。また、あんなかっこいい男なんか、そ
うはいない。ザマーミロ!

 かく言う私だって、いつも、心の中では、浮気している。ただ、残念ながら、相手にしてもらえ
ないだけ。それにその度胸もない。正直に言えば、浮気をしたことがあるとも書けないし、浮気
をしたことはないとも、書けない。その立場は、ワイフと、同じ。読者のみなさんと、同じ。

 今、自分の文章を読んで気がついたが、もう一度、この文章を読んでほしい。私は、こう書い
た。

 「浮気をしたことがあるとも書けないし、浮気をしたことはないとも、書けない」と。

 この文章は、よく読むと、「私は浮気をしたことがある」という意味になる。論理的に考えると、
そうなる。ゾーッ。もし浮気をしたことがないのなら、「浮気をしたことがない」と書けば、それで
すむはず。

私は、どちらとも書けないという意味で書いたのだが……。「日本語というのは、おもしろいな
あ」と、へんなところで、へんに感心している。

 それはともかくも、しかし、長い人生。いろいろなことがある。あって当然。夫婦だからといっ
て、たがいに、変らぬ感情をもちつづけるなどということは、ありえない。私たち夫婦にしても、
定期的に、「別れてやる」「別れましょう」と、喧嘩をしている。

 そういうときというのは、本当に、ワイフのことを、殺したいほど憎く感ずる。恐らくワイフにし
ても、同じだろうと思う。愛情の一かけらも、感じない。「どこかで死んでしまえばいい」と思うこと
さえある。

しかし数日もすると、たいていのばあい、私のほうが白旗をあげる。「ぼくが、悪かった。またい
っしょに、寝よう」と。

私はおかしなことに、ワイフの肌のぬくもりを横に感じないと、よく眠られない。恐ろしい夢ばか
り見る。だから私のほうが、白旗をあげる。33年も、夫婦をつづけていると、そういうクセの一
つや二つが、身についてしまう。

 いや、夫婦というのは、そういうものかもしれない。みんなどこの夫婦も、外から見ると、うまく
いっているように見える。しかしどこの夫婦も、それぞれが、いろいろな問題をかかえて、四苦
八苦している。問題のない夫婦はいない。問題をかかえていない夫婦も、いない。

 大切なことは、たがいに、期待しすぎないこと。ほどほどのところであきらめて、納得するこ
と。

 あとは友として、遠くの前だけを見ながら、いっしょに歩く。しょっちゅう喧嘩ばかりしている私
たちだから、偉そうなことは言えないが、それが夫婦円満のコツではないか。

 まあ、ときには、寄り道をしたり、道草をくったり、ここに書いたように、浮気心をもつこともあ
るだろ。しかしそういうものがあっても、夫婦は夫婦。やっぱり同じ道を歩く。そして気がついて
みると、やっぱり夫がそこにいて、妻がそこにいる。

 夫と妻というのは、そういうものかもしれない。


●伝染するうつ病

 その人本人が、うつ病になるのは、ある意味で、その人の勝手。しかしこのうつ病には、もう
一つ、問題がある。こんな話を聞いたことがある。

 ある会社のある課の課長が、うつ病になってしまった。それはそれだが、1、2年もすると、そ
の課全体の社員も、うつ病になってしまったという。課長がもつ、クラーイ雰囲気が、社員にも
移ってしまったというわけである。

 こういうことは、家庭でも、よく起こる。

 夫がうつ病になり、妻もうつ病になるケース。
 母親がうつ病になり、子どもも、うつ病になるケース。
 反対に、子どもがうつ病になり、それを看病している間に、家族もうつ病になるケースもある。

 うつ病の症状としては、つぎのようなものがあるという(深堀元文「心理学のすべて」より)

( )憂うつな気分
( )興味や喜びの著しい減退
( )体重や食欲の減退
( )睡眠の増減
( )行動や動作が鈍くなる
( )落ち着きがない
( )疲れやすい
( )集中できない
( )自信がない
( )自殺を考える

 こうした症状が思い当たれば、うつ病ということになるが、このほかにも、(1)仮面うつ病や、
さらに最近ふえているのに、(2)軽症うつ病というのがある。

 仮面うつ病というのは、「身体的な症状が前面に出ていて、(精神的な)うつの症状が隠れて
いるもの」(同)。「軽症うつ病は、うつ病より症状より症状が軽いので、こう呼ばれている」(同)
と。

 深堀氏は、つぎのような症状があれば、軽症うつ病を疑ってみろと書いている(同)。

( )朝起きたときに、気分が落ちこむ
( )朝いつものように新聞やテレビをみる気になれない
( )服装や身だしなみに、いつものように関心がない
( )通勤の途中で、戻りたくなる
( )同僚と話をしたくない
( )夕方になると、気分が楽になる
( )「いっそのこと消えてしまいたい」と思うことがある

 こうした心の病気は、本人にその自覚があれば、あるいはまだあるうちは、症状も軽いと言
える。しかし重症になると、その自覚そのものがなくなる。

 最近でも、私の知っている女性(38歳)が、そのうつ病になった。ここに書いたような症状が、
すべて当てはまった。そこで夫(43歳)が、病院へつれていこうとしたが、その女性は、がんと
して、それに応じなかったという。「私は、何ともないから、病院へは行かない」と。

 しかしうつ病はともかくも、仮面うつ病にせよ、軽症うつ病にせよ、今では、薬で簡単になおる
時代である。深堀氏も、「薬物を中心とした治療によって、簡単に治る」(同)と書いている。内
科を訪れる患者の3分の1は、仮面うつ病によるものという説もある。

 わかりやすく言えば、うつ病は、まさに現代人がかかえる、心の風邪のようなもの。だれだっ
てなりうるし、またなったからといって、罪悪感を覚えることはない。

 で、私のばあいだが、私はもともとは、うつ型人間。ストレスを受けると、そのストレスをうまく
処理できず、よく落ちこむ。ただ幸いなことは、自分がそうなったとき、その自覚があるというこ
と。これを「病識」というが、その病識がある。

 さらに幸いになことに、私の仕事は、幼児と接すること。この幼児には、おとなの心をいやす
という、不思議な力がある。いくら落ちこんでいても、私のばあい、幼児と接したとたん、あるい
はその幼児と接している間は、気分が、ウソのように晴れる。

 今も、初老の、あぶない時期にあるが、むしろ職場そのものが、そんなわけで、私にとって
は、ストレス発散の場所になっている。幼児とワイワイと騒いでいるときだけ、自分でいられる。
「どうも自分はおかしい」と感じたら、子どもと、童心にかえって、ワイワイと遊んでみる……。こ
れも、うつ病治療には、効果的かもしれない。……と、今、勝手にそう考えている。

 ともかくも、うつ病は、決して、その人本人だけの問題ではすまない。(だからといって、その
人にそう言うと、ますます落ちこんでしまうので、そうは言ってはいけないが……。)そういう問
題も、あるということ。このつづきは、またの機会に!
(参考文献……深堀元文、日本実業出版社「心理学のすべて」)


●『レインマン』

 少し前、『レインマン』という映画があった。自閉症の患者を演ずる、ダスティ・ホフマン(レイモ
ンド)と、その遺産をねらう弟役を演ずる、トム・クルーズ(チャーリー)の映画だった。よい映画
だった。

しかしあの映画の中のダスティ・ホフマンが、自閉症の患者を正確に描写していたかどうかとい
う点については、疑問がないわけではない。

 やはり、演技は演技で、そのあたりに、私は、ひとつの限界を感じた。

 それはともかくも、最近、こんな相談をもらった。大阪府T市に住む、ある男性からのものであ
る。彼の兄(50歳)が、その自閉症だという。しかしその男性は、こう言う。

「レインマンという映画の中では、兄のレイモンドは、それでもどこか、ものわかりのよい兄とい
うことになっていましたが、実際には、あんなものではありません」と。

 「映画の中でも、兄(ダスティ・ホフマン)は、テレビを見ると言い出し、同じテレビを繰りかえし
見たりします。思ったとおりにならないと、パニック状態になったりします。私の兄もそうで、変
化をとくに嫌います。何でも、自分の思いどおりに、かついつもどおりになっていないと、パニッ
ク状態になります。

 日常の生活も正確で、昼の12時きっかりに、昼食を用意していないと、それだけで、不機嫌
になったり、イラだったりします。

 部屋の中の机すら、そんなわけで、動かすことができません。本一冊、動いていても、気がヘ
ンになります。そんな兄ですが、一つ、深刻な問題をかかえています。それは、性欲問題です」
と。

 ときどき、その兄を、自分の家へつれてくるのだが、その兄が、その男性の妻に抱きついた
り、キスしようとしたりするという。

 さらに妻がひとりで風呂に入っていたりすると、わざとさがしものをしているようなフリをしなが
ら、となりの脱衣所でうろついてみたり、さらには、タンスから妻の下着を引き出して、それを手
でもって、じっとながめていたりするという。

 「いくら心に障害があるとはいえ、許せることと許せないことがあります。そんなわけで、妻
は、兄が私の家にいるときは、かた時も、私から離れようとしません。兄を、こわがっていま
す。

 レインマンの中では、こういった障害をもつ人の、ある意味で、美しい部分しか描いていませ
んが、実際には、そうではないということです」と。

 男の性(さが)というか、そういうものは、「障害」とは、別の次元で、性は、その人を支配する
らしい。心が健康なら(こういういい方は不適切かもしれないが)、弟の妻には、いくら情欲を覚
えても、手を出さないもの。しかしその「心の健康」が欠けると、そうではなくなるということもあ
るということ。

 こんな例もある。

 ある男の子(当時、15歳くらい)は、今で言う、LD(学習障害児)で、知恵の発達もかなり遅
れていた。そのためいつも、どこか、ぼんやりとした様子を示していた。人前ではおとなしく、ハ
キもなかった。

 しかし15歳くらいになったときのこと。こんな奇行をするようになった。道を歩いていて、前か
ら女の子がやってきたりすると、突然、勃起したチンチンを出して見せたり、ときには、女の子
に背後から抱きついたりするなど。

 そこで近所の人が、その男の子の母親に、それとなく抗議をすると、その母親は狂乱状態に
なって、こう叫んだという。

 「うちの子は、おつむ(頭)は弱いが、そんなことをする子どもではありません。どうしてうちの
子を、そういうふうに、悪者扱いするのですかア!」と。

 その男の子は、母親の前では、まさに借りてきたネコの子のように、従順で、おとなしかっ
た。

 これだけではないが、私の印象では、たとえば性欲というような(本能)は、もろもろの障害と
は、別次元で働くのではないかと思っている。もちろん、(心が健康な人)でも、である。

 大学の教授でさえ、若い女子学生に手を出して、クビになった人はいくらでいる。学校の先生
となると、ごまんといる。人間国宝となっているような歌舞伎役者でさえ、二十歳未満の愛人を
もち、別れ際、チンチンを見せていた。

 心が健康だから、性欲が正常ということもないし、心が健康でないから、性欲がないというこ
とでもない。ただ心が健康でない分だけ、その性欲のはき出し方も、ゆがみやすいということ。
コントロールがきかないこともある。あるいは、性欲だけが、特異に強くなることもある。

 精神と本能は、どこかで分けて考えたほうがよいということ。『レインマン』という映画を思い出
しながら、ふと、そんなことを考えた。
 
 ついでに一言。……こういうことを書くと、自閉症の子どもをかかえている親は、心配するか
もしれない。が、こうした(心の問題)は、大きく二つの部分に分けて考える。

 ひとつは、(基本的な問題)。もうひとつは、(こじれた問題)である。

 軽い風邪でも、こじらせると、肺炎になる。中耳炎から難聴になることもある。同じように、(心
の問題)も、不適切な対処などが原因で、こじらせると、症状がひどくなり、さらに別の症状を示
すことがある。

 自閉症にしても、最初からそれと認めた上で、適切に対処すれば、こうした(こじれた問題)
を、最小限におさえることができる。ここに書いたような、(ゆがんだ性欲)の部分は、(こじれた
問題)に属する。

 だから大切なことは、仮に子どもの心に、何か問題があったとしても、それをこじらせないよう
にすること。よくあるのは、無理や強制、あるいは強引な方法で、子どもの心をなおそうとする
ような行為。

 こういう行為が重なると、ここでいう(こじれた問題)が起きることがある。

たとえばLD(学習障害児)にしても、本当の問題は、本来の学習障害があるということではな
く、それまでの無理な学習が原因で、勉強嫌いになってしまっていることが多いということ。

 よく親は、学習障害であることだけを問題にするが、自分が、その一方で、子どもを、勉強嫌
いにしてしまっていることには、気づいていない。そういうケースは、本当に多い。

 同じくADHD児にしても、乳幼児期のうちから、日常的に叱られてばかりいるため、親や先生
の指示に対して、免疫性を身につけてしまっていることが多い。

 こうした(こじれた問題)が大きくなると、当然のことながら、そのあとの指導がむずかしくな
る。

 ほかにも、不登校児の問題がある。最初の段階で、つまりある日突然、子どもが「学校へ行
きたくない」と言った段階で、適切に対処していれば、同じ不登校でも、もっと軽くすんだかもし
れない。

 しかし一度、こうした症状を子どもが示すと、大半の親は、まさに狂乱状態になる。この狂乱
ぶりが、子どもの症状を、一気に悪化させる。

 ここに書いた(性欲)の問題は、あくまでも、(こじれた問題)と考えてよい。自閉症児の子ども
がみな、同じような症状を示すというわけではない。
(はやし浩司 自閉症 こじれた問題 こじれる LD児 ADHD児 こじらす)


●カルトの布教番組

 昨夜(4・3)、心霊写真についてのテレビ番組を見た。見たというより、チャンネルをかえてい
たら、目に飛びこんできた。それで見るともなしに、しばらく見てしまった。

 実にくだらない番組だった。

 私が垣間見た部分では、ちょうど、こんな写真を取りあげていた。

 一人の女性(20歳くらい)が、どこかへ旅行に行ったときのこと。そのときとった、スナップ写
真の顔に、黒いシミが現れていた。そのシミは、鼻の、向って右側から、ほおの右側部分にま
で、広がっていた。

 それはたしかに、不気味な写真だった。

 で、いつもの、霊媒師のような女性が登場して、実にもっともらしく、こう説明していた。

 「これは、この女性の家の仏壇に、ほこりがたまっていることが原因で起きた現象です。この
女性の家、もしくは実家の仏壇の清掃をすれば、こうしたシミは消えます。墓参りも、きちんと
するように」(記憶に基づいて書いたので、不正確)と。

 まったくもって、「?」な回答だった。

 多分、その写真は、デジタルカメラか何かでとったものだろう。もしそうであれば、顔に塗った
化粧品に、カメラが、特殊な反応をしたことが考えられる。あるいはひょっとしたら、その女性
は、UV(紫外線)カットクリームか何かを使っていたためかもしれない。

 フィルムカメラでも、同じような反応を示すことがある。

 どちらにせよ、こうしたインチキな情報を流す前に、テレビ局側は、現場やカメラ、そのときの
状況を検証すべきである。科学的な検証もしないまま、一方的に、霊媒師の説明だけを、全国
に報道するというのは、きわめて危険な行為といってもよい。

 現にその番組の中では、4〜5人の小学生たちが、コメンテイターとして(?)、それぞれの意
見を述べていた。春休み中の番組ということで、子どもたちを並べたのだろうが、そんなこと
は、許されるべきことではない。その子どもたちは、その番組を見て、どのような死生観をもつ
だろうか。それを考えたとき、私はむしろ、そちらのほうに、ゾッとした。

 だいたいにおいて、仏壇にほこりがたまったくらいで、死者が、(霊なら霊でもよいが)、生き
ている人の顔写真に、そんな細工などしない。実に、低劣。くだらない。お粗末。バカげている。

(もし、そうなら、その根拠を示せ!)

 その霊媒師は、霊を尊重しているフリをしているが、その実、死者を、そして人間を、とことん
バカにしている。この文明国、日本にあって、そして21世紀にもなった、今、こうした人間が、
堂々と出てきて、こういう意見を述べること自体、私には信じられない。

 そういう人間をテレビに登場させて、意見を言わせるテレビ局側も、テレビ局側である。まさ
にカルトの布教番組と言ってもよい。あるいは、どこがどうちがうというのか。

 ここではっきりと、確認しておきたい。

 この世には、心霊写真などというものは、存在しない。今では、映像技術によって、どんな映
像でもできる。そこらの素人でもできる。それに可視光線だけが、(見える世界)ではない。カメ
ラやフィルムは、見えない光線にも反応する。冒頭にあげた、黒いシミなどは、その一例と考え
てよい。

 こういうアホな下地を、一方でつくるから、あのOM真理教のような、わけのわからない教団
が、つぎからつぎへと生まれる。テレビ局側も、少しは、自分たちのしていることに対して、もう
少し責任を自覚してほしい。
(はやし浩司 心霊写真)


●YM新聞の社説

04年4月4日。YM新聞に、『靖国問題を対日カードにするな』と題して、こんな社説が載ってい
た。

いわく、「一国の指導者がいつ、どのような形で、戦没者を追悼するかは、その国の伝統や慣
習に根ざす、国内問題である」

「首相は、これからも参拝を続ける意向を表明している。国内で、参拝の賛否をめぐる議論が
あってもいいが、外国に干渉される筋合いのものではない」(原文のまま)と。

私はその社説を読んで、「そういうふうに考える人も、まだ多いのだな」と、へんに感心した。

 話は変るが、今、二男は、アメリカに住んでいる。日本人はもとより、アジア人が極端に少な
い、中西部の小さな田舎町に住んでいる。その二男の親友は、韓国人のK氏である。

 また今、三男はオーストラリアに住んでいる。オーストラリア人の家庭にホームステイしている
が、もう一人、同居人がいる。数歳年上の、やはり韓国人である。私が電話をするたびに、流
暢(りゅうちょう)な英語で、その電話を三男に渡してくれる。

 少し心配して、しかし遠慮がちに、二男や、三男に、「韓国の人たちは、日本人のお前たちに
意地悪しないか?」と、私が聞くと、二男も三男も、「どうして?」と言う。つづいて、「いい人だ
よ」と言う。

 私は、そういう韓国の人の話を聞くと、心のどこかで「よかった」と思うと同時に、何かしら申し
訳ない気持ちにさせられる。

 日本よ、日本人よ、同じ仲間よ、もう少し、自分たちがしたことについて、謙虚に反省しようで
はないか。私たちが、戦前、韓国や、中国の人たちに対して、何をしたかを、だ。そういう反省
もないまま、「外国に干渉される筋合いのものではない」というのは、少し言いすぎではないの
か。

 心理学の世界でも、人格の完成度は、内面化の完成度ではかる。そしてその内面化の完成
度は、その人の同調性や協調性ではかる。つまりいかに相手の立場になって、相手の悲しみ
や苦しみが理解できるかによって、人格の完成度は決まる。

 自己中心的で、自分勝手な人は、それだけ人格の完成度は、低いということになる。自分の
立場でしか、ものを考えられない人もそうだ。

 同じように、国としての完成度も、その内面化の完成度によってはかることができる。たしか
に先の戦争で、日本人は、300万人も死んでいる。しかし同時に、その日本人は、同じく300
万人の外国人を殺している。

 そういった、日本軍に殺された人たちのことを思いやってこそ、はじめて日本は、国としての
完成度の高い国ということになる。

 繰りかえすが、この300万人というのは、日本へやってきた外国人を殺したのではない。日
本が外国へ行って、そこで相手の人たちを殺した。いかに弁解しようとも、あるいはいかに正
当化しようとも、この事実は、隠しようがない。むしろ、戦争で死んでいった300万人の日本人
ですらも、犠牲者だったかもしれない。一部の軍部という官僚に洗脳され、あやつられるまま、
戦場へと駆りだされていった。

 私は1968年に、UNESCOの交換学生として、韓国に渡った経験がある。今でこそ、日韓
の間には国交もあり、親交も深まったが、当時は、そうではない。行く先々で、私たちは、日本
攻撃の矢面に立たされた。

 日本軍が、韓国や中国で何をしたかって? そんなことは、向こうへ行って、自分で調べたら
よい。私は日本軍のあまりの蛮行に、私の目と耳を疑った。私はそのとき、「日本の教科書
は、ウソは書いてない。しかしスベテを書いていない」と実感した。

 今、韓国や中国の人が、さかんに「歴史認識問題」と取りあげるのは、そういうことをいう。

 で、日本の川口外務大臣は、「(日本の小泉首相は)、戦没者の犠牲の上に日本の平和と発
展がある。戦争を二度と起こさないという願いを込めて参拝している」(同)と説明したという。

 日本がいう戦争というのは、つまりは侵略戦争をいう。そういう戦争であれば、「二度と起こさ
ない」などということは、当たり前のことである。わざわざ「願う」ようなことではないはず。

 私は何も、靖国参拝に反対しているのではない。しかし「首相」という国家元首の立場で参拝
するというのは、問題だと言っている。その靖国神社には、A級戦犯として処刑された人たちの
遺骨も祭られている。

 いうなれば、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなものである。……と
いうのは、言い過ぎかもしれないが、少なくとも、韓国や中国の人たちは、そういう目で、日本
を見ている。

 仮に百歩ゆずって、戦前の日本の行為が正しかったとするなら、いつか、韓国や中国が、そ
の反対のことを日本にしたとしても、日本よ、日本人よ、文句は言わないことだ。

 今、日本は、アジアの中でも、たいへん微妙な立場にある。北朝鮮とは、まさに一触即発の
状態といってもよい。そしてその北朝鮮は、日本に対して使うためにと、毎年、5〜6個の核兵
器を製造している。

 こういう危機的な状況の中で、かえって北朝鮮の無謀な野望を正当化してしまうような言動を
繰りかえしてよいものかどうか。韓国のノ大統領ですら、「日本よ、だまっているからといって、
いい気になるな」と発言している。

 私たちは、このノ大統領の言葉を、もう少し、真剣に聞かねばならない。

 さらに百歩譲って、戦前の日本の行為が正しかったとするなら、なぜ、今、アメリカに対して、
抵抗運動を始めないのかということにもなる。日本は、そのアメリカに、日本中を焼け野原にさ
れ、その上、二発も原爆を落とされている。

 私に言わせれば、日本のしていることは、まさに矛盾だらけ。この私ですら、何がなんだか、
さっぱりわけがわからない。

 最後に、小泉首相には、首相なりの思いもあるのだろう。そういう思いの中で、靖国神社へ
参拝しているのだろう。それはわかるが、しかしここは、もう少し慎重であってほしい。今、北朝
鮮の核問題で、日本は、たいへん微妙な時期にある。わかりやすく言えば、韓国や中国の協
力なしでは、この問題は、解決しない。

 こんな時期に、あえて韓国の人や中国の人の神経を、逆なでするようなことをすることは、本
当に賢明なことなのか。小泉首相も、このあたりのことをよく考えてみてほしい。あるいはな
ぜ、今、彼らが、こうまで靖国参拝を問題にしているのか、それにはもう少し、謙虚に耳を傾け
てもよいのではないだろうか。

 言うまでもなく、繰りかえすが、私たち日本人は、少なくとも韓国や中国の人に対しては、加
害者であって、被害者ではないからである。

 ……しかし、YM新聞は、タカ派とは知っていたが、それにしても、ここまでタカ派とは、思って
もみなかった。5年近く購読してきたYM新聞だが、私には、もうついていけない。今月いっぱい
で、購読を中止することにした。ごめん!


●愛人問題

 このエッセーが、マガジンに載るころには、かなり情勢が変っているかもしれない。しかし数
日前(4・1)、こんな事件があった。

 日本の国会議員のH氏と、元国会議員Y氏の二人が、中国で、K国の高官と接触し、日本人
の拉致(らち)問題を話しあったという。

 しかしこれに対して、「救う会」(北朝鮮による拉致被害者の支援団体)のメンバーが、猛反
発。救う会のN常任副会長は「平沢氏は『もう北朝鮮と接触しない』と言っていたのに事前に何
の相談もなく訪中した。2人は拉致問題を政治利用している」(中日新聞)と非難した。当然で
ある。

 話は、ぐんと生臭くなるが、そのY氏は、いわば愛人問題で、政治の世界から失脚した人であ
る。ほかの世界の人ならともかくも、私は、そういう政治家を信用しない。理由は簡単。

 自分の妻でさえ、平気で裏切るような人である。国民を裏切ることなど、もっと平気なはず。

 問題は、現役のH氏である。「救う会」の副会長も言っているように、「政治利用している」の
は、明白。もっとはっきり言えば、売名行為。自分の手がらにして、「逆転ホームラン」(週刊
誌)をねらった。……と疑われても、しかたない。

 H氏が、もともとそういう活動をしていたのなら、話はわかる。しかし「救う会」ですら、「(H氏)
は、被害者の救出運動に無関心で、かつては北朝鮮へのコメ支援に熱心な人だった」「家族
のためとは思えない抜け駆け的な行動だ」と、酷評している。

 愛人問題を中心に書くつもりが、どんどんと別の話になっていく。つまり、私が書きたいのは、
拉致問題のことではない。

 つまり人間の脳ミソは、それほど器用にはできていないということ。一方で妻や夫を平気で裏
切りながら、国民には、忠誠を尽くす。そういうことは、できないということ。むしろ事実は、反
対。

 この世界には、一事が万事という鉄則がある。誠実な人というのは、何ごとにつけても、また
どんな世界でも、誠実なもの。反対に、不誠実な人というのは、何ごとにつけても、またどんな
世界でも、誠実なもの。つまりH氏はともかくも、あんなY氏を信用するほうが、どうかしている。

 かく言う私も、若いころ、愛人の数を自慢するような男に、お金を貸して、失敗したことがあ
る。そういう自分を今、振りかえってみたとき、「どうしてあの男の本性を、もっと早く見抜けなか
ったのか」と、残念でならない。

 妻さえ平気で裏切るような男である。私のような「友人」(彼は、そう言っていた)を裏切ること
など、平気。朝飯前。だから私も、裏切られた。

 話はあちこち飛ぶが、今回のH氏やY氏の行動は、その延長線上にある。何ともお粗末な茶
番劇としか、言いようがない。……というのが、私の実感である。
(040404)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(139)

●テレビの悪影響

 こんなショッキングな報告がなされた。

「乳幼児期にテレビを多く見た子供ほど7歳の時に集中力が弱い、落ち着きがない、衝動的な
どの注意欠陥障害になる危険性が大きい、との調査報告が、米小児科学会機関誌『ペディアト
リックス4月号』に掲載された。報告は、乳幼児のテレビ視聴は制限すべきだと警告している」
(協同・中日新聞)と。

 「テレビの1日平均視聴時間は1歳で2・2時間、3歳で3・6時間。視聴時間が1時間延びる
ごとに、7歳になった時に注意欠陥障害が起こる可能性は、10%高くなっていることが判明し
た」(ワシントン大学(シアトル)小児科学部のディミトリ・クリスタキス博士ら。1歳と3歳の各グ
ループ、計2623人のデータを分析)とのこと。

 これを読んだとき、まず最初に頭に思い浮かんだのは、私自身が、ほぼ4年前に書いた原稿
(中日新聞投稿済み)である。

 以前にも、何度もマガジンにとりあげた原稿だが、それをそのまま掲載する。

+++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。

頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一
貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔
をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感
情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほ
うがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。

気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、こ
こ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人に二人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、そ
れだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒
ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一
名以上いる」と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上
の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)
などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五
二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。

「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なく
なった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味も
なく突発的に騒いだり暴れたりする。

そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子ど
もを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていた
のがわかる。

ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているとき
は、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。

たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきり
なしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くこと
ができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮
城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。

一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどる
のは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲーム
は、その右脳ばかりを刺激する。

こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えてい
ることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということに
なる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

++++++++++++++++++++

 この原稿を中日新聞で発表したとき、反響は、ほとんど、なかった。つまりまったく相手にされ
なかった。無視された。

もっともこの日本では、私のような、無肩書き、無権威のものが、こういうことを言っても、相手
にされない。そういうしくみが、もうできあがっている。

 しかしアメリカから来た情報となると、みなが、飛びつく。そしてことさら大発見でもしたかのよ
うに、驚き、騒ぐ。

が、だからといって、私がひがんでいるというのではない。もうとっくの昔に、あきらめた。……
という話は、ここまでにして、私は、改めて、こう思う。

 乳幼児には、不自然な刺激は、与えないほうがよい、と。与えるとしても、慎重にしたらよい。

 よい例が、『ポケモン事件』である。アニメのポケモンを見ていた全国の子どもたちが、光過
敏性てんかんという、わけのわからないショックを受けて倒れてしまった。

 1997年の終わりの、12月16日(火曜日)の夜のことであった。

 人気番組『ポケモン』を見ていた子どもたちが、はげしい嘔吐と、けいれんを起こして倒れてし
まった。

その日の午後までにNHKが確認したところ、埼玉県下だけでも、59人。全国で382人。さら
に翌々日の18日には、その数は、0歳児から58歳の人まで、750人にふえた。気分が悪くな
った人まで含めると、1万人以上!

 中には、大発作を起こした上、呼吸困難から意識不明になった子ども(5歳児、大阪)もい
た。「酸素不足により、脳障害の後遺症が残るかもしれない」(大阪府立病院)とも。

 当初は、「原因不明」とされたが、やがて解明された。

 「テレビのチラツキではないか」(テレビ東京の広報部長)ということから、光過敏性てんかん
という言葉が浮上した(はやし浩司著「ポケモン・カルト」より)。

 この一例からもわかるように、脳の反応には、まだ未知の部分が多い。未解明の部分といっ
てもい。人間は、数十万年という長い年月を経て、ここまで進化してきた。しかしそれは自然の
変化に歩調を合わせた、ゆるやかな進化だった。

 が、人間を包む環境は、ここ50年、100年、急速に変化した。人間の脳が、そうした変化
に、不適応を起こしたからといって、何ら不思議なことではない。その一つが、ここでいうテレビ
ということになる。

 私はこの34年間、幼児の変化を、間近で見てきた。その経験だけでも、子どもたちが、大き
く変化したのを感じている。三段跳びに結論を急ぐが、「乳幼児に与える刺激には、慎重に」と
いう結論は、そうした経験から引きだした。

 私の本音を言えば、「そら、見ろ!」ということになるのだが……。
(はやし浩司 光過敏性てんかん ポケモン事件 乱舞する脳 テレビの悪影響 ポケモンカル
ト)
(040405)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(140)

【近況・あれこれ】

●うるさい女性

 電車に乗った。浜松から豊橋まで。その豊橋から、岐阜まで。もちろん、その帰りも……。

 しかしどの車両にも、たいてい一組、あるいは二組の女性がいて、これがまことに、騒々し
い。かしましく、ペチャクチャ、ペチャクチャと、間断なく話しつづける。

 うるさいなんていうものではない。耳障(ざわ)り。眠ることさえできない。で、その話の内容は
といえば、実にたわいもない、どうでもよいことばかり。まさに脳の表面に飛来した情報を、そ
のまま口にしているだけといったふう。

 「会員がやめて、それで会員が少なくなって……どうすれば会員がふえるかって、それはそ
のときの運ね……でも、どこの着付け教室も、今たいへんでね……先生はいくらでもいるんで
すが、今は着物を着る人も少なくなって……」と。

 もともと女性は、おしゃべりである。大脳生理学の分野でも、女性のばあい、大脳の右半球
にも、言語機能をつかさどる部分があることが解明されつつある。(これに対して、男性のばあ
いは、左半球にしかない。だから脳血栓や脳出血で、左半球を損傷を受けたときでも、男性に
比して、女性のほうが言語機能の回復が早いとされる。)

 また同じウエルニッケの言語中枢部分でも、女性のほうが、その部分の神経細胞の密度が
濃いこともわかっている。つまり女性は、その分、おしゃべりということになる。

 名前を出して恐縮だが、そういう会話を聞いていると、タレントの黒YT子さんのよう。まさに
「しゃべらなければ、損」「黙っていることは失礼」といったふうに、しゃべりまくる。会話というよ
り、ひとりごとに近い。

まあ、もっとも、しゃべるのは、その人の勝手だが、そのまわりの人が迷惑をする。女性によっ
ては、甲高い声で、キャッキャッとしゃべりつづける。それがときには、ノコギリで、ものを切るよ
うな音にさえ聞こえることがある。

 男性にもうるさい人はいる。いないわけではない。しかし世の、女性たちよ、電車の中では、
もう少し、静かにしようよ! 携帯電話ですら、「迷惑になるから、ひかえてくれ」とアナウンスさ
れる。その携帯電話より、はるかに、う・る・さ・い。

 で、子どものばあい、同じように騒々しい子どもに、ADHD児がいる。男子と女子とでは、多
少、症状が異なる。その女子の症状として、第一にあげられるのが、多弁性である。
 
 このタイプの女子は、本当に、よくしゃべる。うるさいほどに、よくしゃべる。制止しても、効果
は一時的。強く叱ったりすると、瞬間的に涙を出すこともあるが、しかしその直後には、もうしゃ
べりだしたりする。おさえがきかない。

私「あのね、10分だけ、口を閉じていてくれない?」
女「10分ね、10分でいいの?」
私「そう、10分でいい……」
女「でも、10分って、すぐよ。それでもいいの?」

私「だから、10分でいい。静かにしていてくれない?」
女「わかった。でも、そのあと、どうなるの。しゃべってもいいの?」
私「だからね、今から、静かにしていてよ」
女「でも、聞いてほしい話があるの」

私「何?」
女「私、だまっていると、気がヘンになるの」
私「だから、お願いだから、10分だけ。わかった?」
女「どうして、10分でいいの? そのあとはいいの?」
私「……」と。

 こういう会話が、延々とつづく。これはある中学2年生の女子とした、実際の会話である。
(はやし浩司 言語中枢 女性のおしゃべり 言語機能)


●夢のような美しさ

 04年4月6日、火曜日、ハナ(犬)と、佐鳴湖へ、散歩に行く。が、驚いた。本当に、驚いた。
まさに夢のような、美しさ! うっとりするような、美しさ!

 桜が満開。新緑の若葉が、水色の空にはえる。そしてその下では、青い、佐鳴湖が、春の陽
光を浴びて、静かに輝いていた。

 私は散歩していることを忘れて、携帯電話のカメラで、写真をとりつづけた。

 私は、美しい景色を見たりすると、「生きていてよかった」と思う。少しおおげさな感じがしない
でもないが、そう思う。とくに好きなのは、黄緑色の若葉が、水色の空に映える景色。色のコン
トラストが気持ちよい。今日は、その景色に、桜の淡いピンクが、色を添えた。

 ホント!

 もし生きることに意味があるとするなら、その一つが、「景色」と言ってもよい。人は、いつかど
こかで、美しい景色に出会うために生きている。それは、「私」という人間が、この世に生まれて
きたという、証(あかし)ということにもなる。

 こうしたものの見方は、たとえば、キリスト教や仏教でいう、天国観や極楽観につながる。昔
から多くの画家が、自分の空想の中で、天国や極楽を描いてきた。つまり今を生きる最終的な
目標の一つは、死んだあと、極上の世界に住むこと。そういう意味でも、私がここに書いている
ことは、それほどまちがっていないと思う。

 つまり、私たちは、いつかどこかで、美しい景色に出会うために、生きている!

 私は家に散歩から帰ると、ワイフにこう叫んだ。ワイフは、夕食のしたくをしていた。

「おい、夢みたいだったそ。夢みたいに、美しかったぞ。明日は、佐鳴湖で、お弁当を食べよ
う!」と。

 そう、もし天国や極楽があるとするなら、私にとっての天国や極楽は、そういう世界をいう。ま
っ白な雲の上とか、蓮(はす)の花の上とか、そういうところではない。私が今、見た、佐鳴湖の
ような景色のある世界をいう。

 もちろん、この地球上のどこかには、もっと美しい世界があるだろう。私が知らないだけかも
しれない。いや、知っているが、やはり私が日本がよい。その日本の中でも、住みなれた、この
浜松がよい。

私は、あまりぜいたくは言わない。もし天国や極楽があり、その天国や極楽が、今日見た、佐
鳴湖のようだったら、私はそういう世界へ行きたい。それでじゅうぶん。

 いや、ちょっと待て! 私は、天国や極楽へは、行けそうもない。悪いことばかりしてきた。い
や、悪いことはあまりしなかったが、よいこともしなかった。ごくふつうの、平凡な人間として、今
まで生きてきた。もし私のような人間でも、天国や極楽へ行けるとなったら、それこそ、天国や
極楽は、山手線のラッシュアワーのように混雑することになる。

 だったら、今、生きている間に、美しい景色を、脳の中に刻みつけておこう。それでよい。そし
もし、できれば、ときどきは、夢の中で、そういう景色を再び見てみたい。あるいは写真でもよ
い。死ぬ間際に、そういう世界が、脳の中をかすめたら、最高! 

 で、私は、今日、佐鳴湖でとった写真を、自分のホームページに載せることにした。(トップ・
ページ→はじめての方へ、ごあいさつ→春)

 ただ写真は、携帯電話のカメラでとったため、色が、よくない。ホームページに載せたあと、
自分で見てみたが、どうも、よくない。何というか、色が沈んでしまっている。残念! 携帯電話
は、S社製の「SO505i」(ドコモ)。

どうかそういうこともお含みおきの上、興味のある方は、写真を見てほしい。


●生きることの意味

 生きることの意味について、考えた。

 その意味は、いくつかある。それらを分類すると、こうなる。

(1)人との触れあい
(2)自然とのかかわり
(3)未来への展望性

(1)の「人との触れあい」というときの「人」には、家族、兄弟、親類、友人、社会人、その他、も
ろもろのすべての人が含まれる。

 こうした人たちと、心豊かな関係を結ぶ。それが第一。

 つぎに(2)「自然とのかかわり」。この世に生きるということは、すなわち、この世とのかかわ
りをいう。五感で感ずる世界、すべてをいう。「自然」という言葉を私は使ったが、その世界とい
うのは、私たちの体や心を包む、すべての世界をいう。

 三つ目に、(3)「未来への展望性」。私たちがなぜ生きるかといえば、私たちの経験や知識
を、つぎの時代の人たちのために、生かすことである。子育ては、その中でも、もっとも身近
な、一つの例ということになる。が、それだけでは、足りない。

 今の「私」や、「あなた」が、なぜ心豊かに生きることができるかといえば、それはすなわち、
先人たちが、その経験や知識を私たちに、残してくれたからである。

「先人」といっても、100年前、1000年前の人たちをいうが、つまり、今度は、私たちが、それ
をつぎの世代のために残す。そうすることによって、つぎの世代が、さらに心豊かな人生を送る
ことができる。

 私たちは、数十万年という、まさに気が遠くなるほどの年月を経て、ここまで進化した。しかし
その進化は、ここで完成されたわけではない。言うなれば、まだその途中。あるいはやっと、大
きな山のふもとにたどりついたような状態かもしれない。

 しかし不完全で、未熟であることを、恥じることはない。大切なことは、不完全で、未熟である
ことを、自ら認めることである。決して、傲慢(ごうまん)になってはいけない。おごり高ぶっては
いけない。

 私たちは、不完全で、未熟なのだ! それをすなおに認め、謙虚に反省する。そしてその上
で、自分のあるべき姿を、組みたてる。

 これからも人間は、うまくいけば、このあとも、何千年、何万年と生きていかれる。決して今
を、最高と思ってはいけない。頂点と思ってもいけない。さらに人間は、前へ前へと進む。

 しかし、この地球には、実にオメデタイ人がたくさんいる。

 まるで自分が、神や仏にでもなったかのように、ふるまう人たちである。しかしそんなことは、
ありえない。1000年後でも、1万年後でも、ありえない。ありえないことは、人間というより、地
球、地球というより、宇宙の歴史をみればわかる。あるいは、この宇宙の広大さをみれば、わ
かる。

 ……と考えていくと、生きる意味の中で、もっとも大切なのは、この三番目の「未来への展望
性」ということになる。

 もし私やあなたが、私だけの人生を生き、あなただけの人生を生きたとしたら、それはほとん
ど意味がない。ないことは、そういう生き方をした人をみれば、わかるはず。そういう生き方をし
て、死んだ人をみれば、わかるはず。彼らはいったい、何を残したか?

 つまりその「残す」部分に、生きる意味がある。

 悲しいかな、もっとはっきり言えば、私たちは、たとえていうなら、リレー競技で使う、バトンに
過ぎない。過去の人たちから受け取り、そしてそれを、つぎの世代の人たちに渡していく。それ
以上の意味はないし、またそれができれば、まさに御(おん)の字。じゅうぶん。たくさん。いや、
それを超えて、私たちは、いったい、何を望むのか。何を望むことができるのか。

 そこで私たちが、今すべきことは、先人たちの経験や知識に、謙虚に耳を傾け、よりよい人
間関係をつくり、よりよい環境を、身のまわりにつくることである。

 もっとも、これは100年単位、1000年単位の話である。30年とか60年とかいう、一世代、
二世代単位の話ではない。身のまわりの、ささいな変化にだまされてはいけない。私たちが考
えるべきことは、「100年前の日本人より、より心豊かな生活ができるようになったか」というこ
と。「1000年前の人間より、より心豊かな生活ができるようになったか」ということ。そういう視
点で、ものを考える。

 若い人は、その年齢に達すると、いきおい、「生きる意味」を求める。私もそうだった。多分、
あなたもそうだったかもしれない。「なぜ、私は、ここにいるのか」「なぜ、私は、生きているの
か」と。

 しかしその答は、永遠に人間は、知ることはないだろう。が、もし、視点を変えて、「私はバト
ンだ」と思えば、その答は、何のことはない、すぐ私やあなたのそばにあることを知る。

 私やあなたは、今、ここにこうして生きている。少なくとも、この文章を読んでいる、あなたは、
ここにこうして生きている。もし生きる意味があるとするなら、今を懸命に生きて、そしてそれか
ら得られた知識や経験を、ほんの少しでもよいから、つぎの世代に伝えることである。

 いつか、その時期はわからないが、いつか、人間が、すべて神や仏のようになる日が、やっ
てくる。必ず、やってくる。1万年後か、10万年後か、それはわからない。しかしその日をめざ
して、私たちは、とにかく前に向って進む。進むしかない。それが「生きる意味」ということにな
る。

 このつづきは、もう少し、時期をおいてから考えてみたい。
(はやし浩司 生きる意味 意義 生きる目的)


●三つの自己中心性

 自己中心性は、それ自体が、精神の未発達を意味する。(精神の完成度は、他人への同調
性、他人との協調性、他人との調和性で知ることができる。自己中心性は、その反対側に位
置する。)

 つまり自己中心的であればあるほど、その人の精神の完成度は、低いとみる。

 これについては、もう何度も書いてきたので、ここでは、その先を書く。

 この自己中心性は、(1)個人としての自己中心性、(2)民族としての自己中心性、(3)人間
としての自己中心性の三つに、分かれる。

 たとえば、「私が一番、すぐれている。他人は、みな、劣っている」と思うのは、(1)の個人とし
ての自己中心性をいう。つぎに「大和民族は、一番、すぐれている。他の民族は、みな、劣って
いる」と思うのは、(2)の民族としての自己中心性をいう。そして「人間が宇宙の中心にいる、
唯一の知的生物である」と思うのは、(3)の人間としての、自己中心性をいう。

 この中でも、一番、わかりやすいのは、(3)の人間としての、自己中心性である。

 しかし人間は、宇宙の中の、ゴミのような星に、かろうじてへばりついて生きている、つまり
は、(カビ)のような生物にすぎない。だれだったか、少し前、(地球に張りつく、がん細胞のよう
なもの)と表現した人もいる。

 (だからといって、人間がつまらない生物だと言っているのではない。誤解のないように!)

 たとえば、今、私たちの視点を、宇宙へ置いてみよう。すると、ものの見方が、一変する。

 この広大な宇宙には、無数の銀河系がある。そしてそれぞれの銀河系には、これまた無数
の星がある。その数は、浜松市の南にある、中田島砂丘にある、砂粒の数より多いといわれ
ている。(実際には、その数は、わからない?)

 太陽という星は、その中の一つにすぎない。

 で、私たちが住む、この地球は、その太陽という星の、これまたチリのような惑星に過ぎな
い。

 これが現実である。疑いようもない、現実である。

 こういう現実を前にして、「人間が宇宙の中心にいる、唯一の知的生物である」と言うのは、
実にバカげている。

 で、こういう視点で、こんどは、民族としての自己中心性を考えてみる。……と、考えるまでも
なく、民族としての自己中心性は、実にバカげているのが、わかる。こんな小さな地球上で、大
和民族だの、韓民族だの、さらには、白人だの黒人だのと言っているほうが、おかしい。

 さらに、個人の自己中心性となると、バカげていて、話にならない。

 そこで話をもとにもどす。

 宇宙的視点から見ると、細菌とアメーバの知的レベルが、私たち人間には、同じに見えるよ
うに、人間とサルの間には、知的レベルの差は、まったくない。人間は、「自分たちはサルとは
違う」と思っているかもしれないが、まさにそれこそ、人間が、人間としてもっている自己中心性
にすぎない。

 人間としての完成度は、人間が、他の動物たちと、どの程度までの同調性、協調性、調和性
をもっているかで決まる。

たとえば森に一本の道を通すときでも、どの程度まで、そこに住む、ほかの動物たちの立場で
ものを考えることができるかで、その完成度が決まる。「ほかの動物たちのことは、知ったこと
か!」では、人間としての完成度は、きわめて低いということになる。

 さらに話を一歩進めると、こうなる。

 私たち人間は、バカである。アホである。どうしようもないほど、未熟で、未完成である。「万
物の霊長類」などというのは、とんでもない、うぬぼれ。その実体は、まさに畜生。ケダモノ。

 そういう視点で、私たちが自らを、謙虚な目で、見なおしてみる。たとえば人間としての、欠
陥、欠点、弱点、盲点、そして問題点を、洗いなおしてみる。少なくとも、私たち人間は、(完成
された動物)ではない。そういう視点で、自分を見つめてみる。

 つまりは、それこそが、人間としての自己中心性を打破するための、第一歩ということにな
る。

【追記】

 『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソクラテスに
まつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないということを知ること」を、無知の
知という。

 ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出発点だと
言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな未知の
分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、こんなことも知
らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 少し前だが、こんなことがあった。

 子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーといいます」
と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャーではなく、カレン
ダーだよ」と。

 で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見ているんだ
ろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カレンダーも知ら
ないのオ?」と。

 私はま顔だったが、冗談のつもりだった。しかし子どもたちは、真剣だった。その真剣さの中
に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。

 しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだって、無数
の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そしてその状態は、庭
に遊ぶ犬と変らない。

 そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのではない
か。利口で賢く、すぐれた生物である、と。

 しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわない?
 「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわないと思って
いる。

 同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったとしても、
自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、気づいていない
からである。

 何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見ればよいと
いうこと。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、結局は、自分を知
ることの第一歩ということになる。
(はやし浩司 ソクラテス 無知の知)


●未熟な言語、日本語

 私は、このところ、日本語に、大きな幻滅をいだき始めている。「ひょっとしたら、私たちは、と
んでもない言語を使っているのではないか」と。

 昔、だれだったか、私にこう言った。「日本語は、すぐれた言語である」と。

 しかし、本当に、そうだろうか。たしかに「今」というこの時点においては、日本語というのは、
少なくとも英語よりも、微妙な表現ができるように思う。(そう思うのは、私の英語力の限界かも
しれないが……。)

 が、その一方で、私は、最近の若い人たちの書いた文章を読んでいると、大きな不安にから
れる。とくにインターネットの世界が、そうである。ときどき意味不明の言葉に接する。「ときど
き」というよりは、「しばしば」と言ったほうが、正しいかもしれない。

 たった一世代しかちがわないのに、どうしてこんな現象が起きるのか?

 実は私も、その反対の立場で、若いころ、年配の人たちの書いた文章が、読めなかったこと
がある。「します」を、「しませう」と書いている人もいた。「考える」を、「考へる」と書いている人
もいた。そういう文章に出会うたびに、大きな違和感を覚えた。

 しかしこれは、文化の蓄積という意味では、たいへんな損失である。

 たとえば今、私たちは、明治時代や大正時代の人が書いた文章を、そのまま理解できない。
文体そのものが変ってしまっている。さらに江戸時代の人が書いた文章となると、辞書なしで
は、理解できない。

 言いかえると、私が今、書いているこうした文章も、つぎの世代に人には、おかしな文章に見
えるかもしれないということ。さらに50年とか、100年もすると、そのときの人たちは、私の文
章を読むのに、辞書を使うようになるかもしれない。

 つまりその時点で、今、私がこうして書いている文章は、まるで外国語のように、遠くの世界
へ、追いやられることになる。もちろんその文章に含まれる、私の知識や経験も、である。

 この点、中国語はすぐれている。ある中国人がこう言った。「私たちは、1000年前、2000
年前に書かれた中国だって、理解できる」と。「本当ですか?」と念を押すと、「本当だ」と。

 もっとも、中国語というのは、微妙な言い回しができない言語である。「私は思う」を、「我想」
というが、日本語のように、「思うかしら」「思ってね」「思っちゃった」「思うよオ」などという微妙な
表現ができない。(これも、私の中国語力の限界かもしれないが……。)

 しかし言葉というのは、現時点において、他人と思想や信条を交換するためだけのものでは
ない。時間を超えて、過去から未来へ、思想や信条を伝えるという意味も含まれる。むしろ、こ
ちらのほうが、重要である。

 そういうことを考えあわせると、言葉が、これほどまでに変化してよいものかと考える。さらに
方言となると、日本語ほど、これだけ狭い範囲で、方言のある言語も少ないのでは……? 地
域によっては、同じ町の中でも、その使う言葉がちがうところがある。つまりその変化したり、ち
がっている部分が、冒頭に書いた、「とんでもない言語」ということになる。

 そこでやがていつか、こんな操作が必要になるかもしれない。

 たとえば一度、日本語に書いた原稿を、保存するため、英語なら英語に翻訳する。ちょうど
書いた原稿を、CDか、DVDに焼いて保存するようにである。

 そして500年後とか、1000年後に、その文章が必要なときは、その英語をもう一度、日本
語に翻訳して使う。こんなに急速に日本語が変化しているのをみると、決して笑いごとでは、す
まされないような気がする。ある意味で、これは深刻な問題である。

 ……と書いて、今の若い人たちに警告。

 どんどん日本語を変えていくのは、若い人たちの勝手かもしれないが、しかし同時に、あなた
がたが年をとったとき、反対の立場で、同じ現象が起きるということ。それだけは、覚悟してお
いたほうがよい。
(はやし浩司 日本語の限界)
(040407)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(141)

【近況・あれこれ】

●交通事故

 山荘からの帰り道、交通事故を目撃した。国道から、半僧坊(はんそうぼう)へ曲がる道のと
ころで、細い道をふさぐように、大型トラックが停止していた。

 瞬間その前を見ると、一人の女性が、そこに倒れていた。体を、毛布のようなものでくるまれ
ていた。私たちは道路に立った一人の男に誘導されて、その場を離れた。

 このあたりでは、いつ起きてもおかしくない事故だった。そのトラックもそうだったかどうかは、
知らないが、このあたりの自動車は、ほとんど信号を守らない。信号が赤になっても、左右に
車がいなければ、猛スピードで交差点を横切ったりする。アクセルを踏んで、交差点を強引に
曲がろうとする。

 私も何度か、ヒヤリとさせられた。ヘタに信号を守ろうものなら、うしろからクラクションを鳴ら
される。追い抜かれる。そういう土地がらである。

私「浜松では、信号が青になっても、すぐ車を出してはいけない。ひと呼吸おいてから、左右を
確かめたあと、車を出す」
ワイフ「おかしなことになったわね」
私「そうだね……」と。

 立派な警察署もできた。KOBANも、つぎつぎと近代的なビルに建てなおされた。しかし私
は、この30年間、警察官が交差点に立って、車の交通指導をしている姿を見たことがない。

 全国、どこでも、そうなのだろうか。それとも、この静岡県の浜松市だけなのだろうか。ちなみ
に、この静岡県は、交通事故、全国ワーストワン。その静岡県の中でも、この浜松市は、ワー
ストワン。

 翌朝、新聞を見ると、はねられたのは、市内のK高校に通う、高校三年生に女の子とわかっ
た。新聞報道によれば、「胸を強く打ち、まもなく死亡」とあった。

 あの道路に寝ていた女性が死んだ。髪の毛が大きく乱れていたので、年配の女性かと思っ
たが、高校生だった。「部活の帰りで、今日(4・7)は、始業式だった」(新聞)と。

 何とも痛ましい事故である。おかしな胸騒ぎがおさまったころ、私の心の中には、怒りが充満
し始めた。まさに起こるべきして、起きた事故。

 その事故を目撃したあと、200メートルも進むと、救急車とすれ違った。救急車は、反対車線
を走っていたが、その救急車に、道をあけたのは、私たちの車だけだった。救急車の前を走っ
ていた軽トラックは、まさに悠然(ゆうぜん)と、そのまま走りつづけていた。

 さらに5、600メートル進み、角を曲がったところでのこと。何と、警察官が、4、5人立ってい
るではないか。私は窓をあけ、うしろ方面を指さしながら、大声で叫んだ。

 「交通事故ですよ! 事故ですよ!」と。

 私たちは走っていたので、それだけ叫ぶのが精一杯だった。が、それらの警察官は、「わか
ってます」というようなことを言って、手を払った。私は何度もうしろを振りかえった。しかし警察
官たちは、立ち話をしたままだった。どこにも、緊張感は、なかった!

 大型トラックの運転手よ!
 軽トラックの運転手よ!
 警察官たちよ!

 女子高校生は、死んだ! わかるか、この事実の重大さが! バカヤロー!


●Sさんからの相談

 K市に住む、Sさん(女性、50歳くらい)から、こんな相談のメールが入った。

 「ほとんど、行き来はないのですが、70歳の叔父の様子が、このところ、おかしい。叔父のめ
んどうをみている叔母がたいへんそうで、どうしたらいいですか」と。

 メールには、こうあった。「昔から几帳面な人とは聞いていましたが、叔父は、朝は、必ず5時
起き。それから雨戸をあけ、朝食の用意をします。どれも、5分単位で、時刻が決まっていて、
それが夏でも、冬でも、同じです」

 「驚いたのは、庭でかぶる帽子の置いてある場所すら、決まっていることです。10年前と、ま
ったく同じ位置なのです。それも、どこかボロボロになった帽子です。会って話をすると、気む
ずかしい面はありますが、ふつうの人という感じです。どこがおかしいのでしょうか」と。

 私は、「老人のことは、わかりません」と返事を書いた。

 しかし子どもの世界でも、同じようなことは、よくある。たとえば毎朝、同じズボンでないと、幼
稚園へ行かないとか、その幼稚園でも、同じ席でないと、座らないとか。

 子どものばあい、こうした(がんこさ)は、あまり好ましいものではない。心のどこかに問題の
ある子どもとみる。たとえば自閉傾向(自閉症ではない)を示す子どもは、ものごとに、ふつうで
ない(がんこさ)を見せることが多い。

 ふつうこうした(がんこさ)を見せたら、相手にせず、その子どもがいいようにしてやる。説教し
たり、叱ったりしてはいけない。かえって症状をこじらせてしまう。

 で、その老人も、同じように考えてよいのでは……? よくわからないが、このところ、老人
も、子どもと同じと思うことが多くなった。だからといって、同一レベルで考えることはできない
が、しかし共通点は多い。

 そのSさんには、こんな返事を書いた。

 「老人のことは、よくわかりません。もともとそういうタイプの人だったと考えてよいのではない
でしょうか。ただ青年期や壮年期には、自己意識で自分をコントロールしていただけだと思いま
す。

 だから外の世界では、あまり目立たなかった。

 それが定年退職して、その必要がなくなり、またもとの自分に戻ったのではないでしょうか。

 よくわかりません。どうしたらいいのか、またどこへ相談したらいいのかも、わかりません。何
しろ、私自身、そうした老人を、よく知りません。ごめんなさい」と。

 そこで、このSさんの話を参考に、あなた自身の心の中をのぞいてみるとよい。あなたの中に
は、(あなた)がいる。その(あなた)は、子どものときのまま。今は、多分、壮年期で、そうした
(あなた)が、顔を出すことは、あまりない。

 しかしその(あなた)は、やがて、また、外に出てくる。年をとり、自己意識が弱くなり、ごまかし
がきかなくなると、また、外に出てくる。自分の中の(自分)というのは、そういうもの。

 たとえば子どものころ、わがままだった人は、年をとり、自分で自分をコントロールできなくな
ると、また、わがままになる。青年期や壮年期に、そうしたわがままが見た目には消えるのは、
その時期は、まだ自己意識が強く、そういう自分を、コントロールしているからにすぎない。「わ
がままにしていると、人に嫌われるぞ」と。

 そういう意味でも、人間がもっている性質などというものは、そんなに簡単には変らない。まさ
に『三つ子の魂、100まで』となる。言いかえると、幼児期の(心づくり)を、決して安易に考えて
はいけない。……ということになる。


●自分の中の(自分)

 子どもは、満4・5歳から5・5歳にかけて、幼児期から、少年少女期への移行期を迎える。ど
こか赤ちゃんの面影を残していた子どもも、この時期を過ぎると、今度は、反対に、少年ぽさ、
少女ぽさを感じさせるようになる。

そしてそのころ、子どもは、自分の「核」をもつ。自分の中の(自分)といってもよい。人格の
「核」である。

 言いかえると、この時期に子どもの方向性は決まるということになる。そしてその方向性は、
それ以後、変えようとして、変えられるものではない。この時期を過ぎたら、その子どもは、そう
いう子どもと認めた上で、子どもの未来を、その上に組み立てるしかない。

 たとえばこの時期を過ぎて、静かな子どもは、ずっと静かなままだし、運動が得意な子ども
は、ずっと得意なままで大きくなる。

 これは子どもの話だが、実は、あなた自身の中の(あなた)も、このころできたと考えてよい。
私はそのころできた、(あなた)を、「基本的性質」と呼んでいる。ひょっとしたら、心理学の世界
にも、同じような考え方があるかもしれない。

 人間は、この「基本的性質」の上に、今度は、自分の意識で、「自己的性質」(この言葉は私
が考えたもの)を作りあげる。そしてこの自己的性質が、基本性質に干渉したり、あるいは突
発的に、基本的性質が、前面に出てきたりすることはある。

 この自己的性質を鍛錬(たんれん)することによって、見た目には、基本的性質を変えること
は可能である。しかしそれはあくまでも、「見た目」。

 一つの例をあげて、考えてみよう。

 たとえばあなたが短気で、カッとなりやすい性質だったとしよう。そしてひとたびカッとなると、
興奮状態になり、自暴自棄になりやすい性質だったとしよう。

 そういう基本的性質は、ここにも書いたように、満5・5歳くらいまでに決まる。

 が、そういう性質は、自分や他人を不愉快にすることを、あなたは学ぶ。そこで「そうであって
はいけない」と、自分で自分をコントロールするようになる。その「そうであってはいけない」「な
おそう」と考える部分が、自己意識ということになる。

 いろいろな活動や、いろいろな経験をとおして、あなたは「なおそう」とする。そしてその結果、
あなたは自分で自分をコントロールする術(すべ)を身につける。自分で作りあげたこの部分
が、「自己的性質」ということになる。

 で、青年期や壮年期には、この自己意識が優勢となり、あなたは、あなたの中に潜む、邪悪
な自分を抑えこむことができる。しかし、基本的性質が消えるわけではない。基本的性質という
のは、そういうもので、生涯にわたって、あなたの中の「核」として、あなたの中に残る。

 よく「頭の中ではわかっているのですが、ついその場になると、カーッとして……」という母親
がいる。子育ての場で、しばしば母親が口にする言葉である。

 このカーッとしたときなどに、基本的性質が前面に出てくることがある。あるいは、自己意識
が混乱したとき、弱くなったとき、不安や心配が、自己意識をゆるがしたようなとき、前面に出
てくることがある。

 ともかくも、この基本的性質は、そんなに簡単には、なおらない。なおらないというより、消え
ない。

 そしてやがて、自己意識が老齢とともに弱くなってくると、再び、相対的に、基本的性質が、前
面に出てくるようになる。よく老人になってから、短気になる人がいる。しかしそれは老人になっ
たことが理由で、短気になるのではない。もともと短気な人だったということになる。

 だから一見すると、老齢になればなるほど、幼児がえり的な症状を示すことがある。精神医
学の世界でも、概して、そうとらえている。しかしそれは「かえる」のではない。基本的性質が、
自己的性質というカバーをはずして、前面に出てくると考えるのが正しいのではないか。

 こうした例は、多い。

 私にこのことを気づかせてくれた事例に、こんなのがある。

 A氏は68歳のときに、心筋梗塞で倒れた。幸い、症状が軽く、またその後の治療で、畑仕事
ができるほどまでに回復した。

 しかし、である。そのころから、おかしな症状が現れた。A氏は、かたときも、妻のそばを離れ
ようとしなくなったのである。

 まさに四六時中、いっしょ。A氏に言わせると、「いつなんどき、つぎの発作が起きるかもしれ
ない。こわくて、妻のそばを離れることができない」と言う。しかしその症状を見ていて、私は気
がついた。

 あるとき、いっしょにお茶を飲んでいたときのことである。妻が、隣の家に、何かの用事で行
こうとしたその瞬間、そのA氏が、混乱状態になってしまったのである。

 その様子は、母子分離不安で見せる、幼児の姿そのものであった。

 もちろん私はA氏の幼児期のことは知らない。しかしA氏は、父親を戦争でなくし、母親の手
だけで、育てられた人である。そのためA氏は、幼いころ、一時期、戦争もあって、親戚の家に
預けられて育った。

 そういう生育環境から、A氏が、幼児期に、母子分離不安になったとしても、おかしくはない。

 そのA氏を見ていたとき、、私は、ここに書いた、「自己的性質」という言葉を思いついた。

 「人間というのは、基本的性質の上に、自己意識で、自己的性質を組みたてるだけだ」と。

 もちろんこの意見は、私のオリジナルな意見である。しかしそう考えると、はじめて、幼児から
老人までの、心の変化を、矛盾なく、連続的に説明することができる。またその途中に見せる、
さまざまな人間の心の症状も、説明することができる。

 さてあなたは、どんな基本的性質をもっているだろうか。そしてその基本的性質の上に、あな
たはいったい、どのような自己的性質を組み立てているだろうか。一度、そういう視点から、自
分をながめてみると、おもしろいのでは……?


●リッチな町

 私が住む、この浜松市は、リッチな町だと思う。今日も、最近開発された、近くの住宅街の中
を歩いてみた。そして驚いた。

 ある一角だが、しかしどの家も、豪華というより、超豪華。驚くほど、豪華。そういう家々が、
ずらりと並んでいる。

 浜松市は、工業の町として、栄えた町である。HONDAやSUZUKI、YAMAHAやKAWAIな
どの大企業は、みな、この町で生まれ育った。ほかにも、大企業をめざしてがんばっている会
社が、いくつかある。

 だからこうした住宅街があったところで、何ら、おかしくはない。しかしそれにしても……! 
土地は、ゆうに、150〜200坪はある。そういう土地の上に、住宅の専門誌から飛び出たよう
な家々ばかり。

 ワイフが、「こんなふうになっているなんて、知らなかった!」と。

 そのあたりは、昔は、佐鳴湖から抜ける、竹ヤブになっていたところである。このあたりに住
み始めたころ、よく散歩で通ったところでもある。そんなところが、今は、大邸宅地になってい
る。

 帰る道すがら、通りにあった不動産屋で、土地の値段を聞く。「いくらくらいですか?」と聞く
と、「場所にもよりますが、坪、30万から40万円くらいですかね」とのこと。

 バブルのころは、坪100万円以下の土地は、なかった。ざっと計算しても、約3分の1になっ
たということか。それでも、高い?

 「今の土地と家を売って、ここに移り住もうか」と言うと、ワイフが、「いいわね」と。「どこか、外
国の住宅団地に入り込んだみたいだね」と言うと、「そうね」と。ワイフも、少なからず、ショック
を受けたようだ。どこか呆然(ぼうぜん)とした様子で、あたりを見回していた。

 もっとも、このあたりは、浜松市内でも、今、最高級住宅地として売りに出されている。地名
は、「OH団地」。20年前までは、畑とヤブだけの、どうしようもない荒地だったのだが……。


●毎月44万枚!

 有料マガジン「まぐまぐプレミア」を発刊して、今日で1か月になります。読者数は、15人。

 発刊直後、Y・BB社の個人情報漏洩(ろうえい)問題が起きました。2人の読者から、「有料
マガジンを購読したいが、(個人情報の漏洩が)心配で……」というメールをいただきました(浜
松市のOさん、仙台のSさん)。

 で、読者数は、15人。この世界も、なかなか、きびしいです。「あんたのマガジンね、お金を
出してまで読みたくないわ。量も多すぎるし……」と、私のワイフまで、そう言っています。ナル
ホド!

 一方、無料マガジン(Eマガ、メルマガ)のほうは、今日(4・7)で、読者の数が、1351人にな
りました。読者のみなさん、ありがとうございます。ときどき「どうしてマガジンを出しているのだ
ろう」と思うときもあるのですが、みなさんのおかげで、今日までつづけることができました。

 そのせいか、今(4・7)、有料マガジンを出して、1か月たったのですが、再び、Eマガのほう
に、力を入れるようになってきました。内容は、有料版とほとんど同じです。そんなわけで、有
料版を読んでくださっている方には、どこか申しない気持ちになってきました。

 もっとも有料版には、HTML版(カラー・写真つき)を、付録としてつけています。どうかこれか
らも、お楽しみください。

 本当のことを言えば、みなさんにも、有料版を、購読してほしいと思っています。この1年半、
本は出版していません。そのエネルギーを、マガジンに注いできました。(どこが泣きごとみな
いですね?)

何かしらムダなことをしているのかもしれないという思いは、いつもあります。あるいは、はかな
い抵抗? よくわかりませんが、ここまできた以上、あとは迷わないで、前に進むだけです。

 その先には、きっと何かがあるはず。そう信じて、前に進みます。

 しかしね、みなさん。

 1351人というのは、すごいと思います。(自分でこんなことを言ってはいけませんが……。)
毎回、A4サイズの原稿用紙で、25枚平均の分量のマガジンを、配信しています。それで計算
すると、

 25(枚)x1351(人)=約3万4000(枚)!

 つまり毎回、3万4000枚も、印刷して、配信していることになります。月に13回発行するとし
て、何と、月になおすと、44万枚も配信していることになります。44万枚ですよ!

 私は職業柄、すぐ、こういう計算をしてしまいます。テキストを毎回、印刷機で印刷しているか
らです。44万枚といえば、2500枚入りのダンボールケースで、176箱ということになります。
176箱ですよ!

 つまりそれだけの枚数のマガジンを、瞬時に、しかもペーパーレスで、配信していることにな
ります。私はそれを、「すごい」と思うのです。考えてみれば、出版社で、本を出版して、書店で
売るなどということが、どこかバカげてみえるようになってきました。今は、もうそういう時代で
は、ないのかもしれません。

 いろいろ考えさせられます。

 しかし正直に告白すれば、15人という数字に、少なからず、ショックを受けたのも事実です。
「私のしてきたことは、こんな程度のことだったのか」と、です。

 が、私は負けません。私の目的は、「成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと」
です。私はその15人の方のために、全力を尽くします。

 読者のみなさん、これからも、よろしくお願いします。読者の数が、毎回、2人、3人……とふ
えていくのは、本当に大きな励みになります。みなさんのお近くで、このマガジンに興味をもって
くださいそうな人が、いらっしゃれば、どうかよろしくお伝えください。

 これからも、がんばって、マガジンを配信していきます。どうか、どうか、よろしくお願いしま
す。


●子どもの読解、理解力

 子どもの読解、理解力のテスト法として、よく知られているのに、田中ビネー知能検査法があ
る。これは簡単な文章を読んで聞かせ、どこがどのようにおかしいかを、子どもに言い当てさ
せるテスト法である。

 著作権の問題もあるので、ここでは、そのまま紹介することができない。そこでいくつか、類
似した問題を、ここでは考えてみる。もしあなたの子どもが、6歳〜12歳なら、一度、家庭で、
利用してみてほしい。(ただし無断、転用、転載は禁止。)

 田中ビネー知能検査法では、7歳で、正解率は、約50%。11歳で、約95%とみる。

【テスト法】

 軽く子どもの前で問題を読み、どのような反応を示すかをみる。「あれ、おかしいよ」というよう
な反応をみせたら、「どこが?」と聞く。そのとき、子どもの言っていることが、的を得ているよう
なら、正解とする。

 問題の内容を説明したり、正解を押しつけてはいけない。子どもに、テストと意識させないよう
にするのがコツ。

++++++++++++++++

【テスト1】

 お姉さんは、今、10歳です。私より、2歳、年上です。でも、あと5年すると、私のほうが、年
上になります。

【テスト2】

 犬のケンは、ネコのタマより、体が大きいです。ニワトリのコッコは、ネコのタマより、体は小さ
いですが、犬のケンよりは、大きいです。

【テスト3】

 公園の中を、二人のおじいさんが、歩いていました。一人は、男の人でしたが、もう一人は、
女の人でした。

【テスト4】

 魚屋さんへ、お母さんといっしょに、買い物に行きました。私は、たまごを3個買いましたが、
お母さんは、何も買いませんでした。

【テスト5】

 朝起きてから、お父さんと、魚釣りに行きました。お父さんは、ラケットをもっていきました。ぼ
くは、ボールをもって行きました。

【テスト6】

 りんごが、5個ありました。そこへお兄さんがきたので、ぼくと、二人で分けました。お兄さん
が、3個。ぼくも、3個もらいました。

【テスト7】

 お母さんのお姉さんが、ぼくの家にあそびにきました。「おじさんは、何歳?」と聞くと、お姉さ
んは、笑いながら、「40歳だよ」と言いました。

【テスト8】

 今日は、日曜日です。で、明日の土曜日までに、ぼくとお兄さんは、近くの図書館へ、本を返
しに行かねばなりません。

【テスト9】

 おばあさんが、杖(つえ)をもって歩いていました。右手には、買い物袋、左手には、バッグを
さげていました。

【テスト10】

 A子さんの家は、山の上にあります。私の家は、山の下にあります。私の家から、A子さんの
家へ行くときは、下り坂で楽ですが、帰りがたいへんです。

++++++++++++++++++

 このテストでは、子どもの読解、理解力を知る。もしこうしたテストで、正解率が低いようであ
れば、日常的な会話に問題がないかを、反省する。

 頭ごなしの言い方、過干渉など。子どもとの会話の中に、「なぜ」「どうして」をふやすとよい。

【追記】

 こうした論理性のあるなしは、何も、子どもだけの問題ではない。先日も、こんなことを言う、
女性(50歳くらい)がいた。

 「祖父は、心筋梗塞で、なくなりました。二回目の発作が起きたとき、私の手をしっかりと握っ
て、『あとを頼む』と言いました。そしてそのまま眠るようになくなりました」と。

 その女性は、祖父のその言葉を盾に、「祖父の残した財産は、すべて私のもの」と主張して
いたが、その女性の言った言葉は、おかしい。

 あなたは、そのおかしさが、わかるだろうか。

 私が知るところでは、心筋梗塞という病気は、ふっつの病気ではない。「焼けひばしを、心臓
に突き刺されるような痛みを感ずる」(体験者)ということだそうだ。つまりふつうの痛さではな
い。

 その心筋梗塞の発作が起きているときに、「しっかり手を握って……」ということはありえな
い? 私はそう思った。(あるいは、本当に、その祖父は、そう言ったのかもしれないが……。)

 たまたま昨日(4・7)、小泉首相の靖国参拝が、憲法違反であるという裁判所の判断がくださ
れた。靖国参拝が、宗教的行為と認定されたわけである。

 それに対して、小泉首相は、「私は、そうは思わない。これからも靖国参拝はする」と言明して
いる。

 靖国参拝が憲法違反であるかどうかは別として、つまり、さておいて、この小泉首相の発言
は、自ら、三権分立の大原則を否定していることになる。「私は、そうは思わない」では、すまさ
れない。

 このように、私たちの身のまわりには、サラッと聞くとおかしくない話でも、よく考えてみると、
「?」という話は多い。こうした能力を判定する力が、ここでいう読解、理解力ということになる。


●手のこんだ、悪質メール

 メールを送信してもいないのに、「Mail delivery system」(送信者:配送システム)から、「Re. 
Undelivered Mail returned to Sender」(件名:あて先不明で、返送)で、メールが返送されてく
る。偽装メールである。

 見ると、添付ファイル付!

 さっそく、OE(アウトルック・エキスプレス)の、フィルタリング機能を使って、「送信者禁止処
理」をして、そのまま削除。

 しかし軽い不安が、心を横切る。「もし、本当に、あて先不明のメールだったら、どうしよう」「こ
れから先、すべて削除してしまったら、本当にあて先不明のとき、それがわからなくなってしま
う」と。

 つまり「送信者禁止処理」をすると、私から出した、本当にあて先不明のメールも、そのまま、
削除されてしまうことになる。だから、あて先不明で、メールが返送されてきても、それがわから
なくなる心配がある。

 そこでテスト。

 「送信者禁止処理」はそのままにしておいて、わざと、あて先をまちがえたメールを、何通か、
出してみる。私のアドレスあてのメールである。アドレスの中の一文字を変えてみたり、抜いて
みたりした。

 もしこれらのメールまで、「送信者禁止処理」にひかかれば、ここで心配していることが、本当
に起こることになる。

 で、「送信」。しばらくして、今度は、「送受信」。

 すると、プロバイダーから、「あて先不明で返送」の連絡が、入った。つまりプロバイダーから
の返送については、正常になされたことになる。

 と、いうことは、やはり、メールも出していないのに、「あて先不明の返送連絡」という先のメー
ルは、偽装メールということになる。

 どこのだれが、こうした手のこんだいやがらせをしているのか知らないが、それにしても、悪
質だ。

プロバイダーのウィルスチェックサービスに、ひかからないというのは、恐らく添付ファイルの中
に、ウィルスを忍ばせているのだろう。あるいは、最近では、メールをプレビュー画面に表示し
ただけで、感染するウィルスもあるという。

 私は、改めて、自分にこう言って聞かせた。

 あやしげなメールは、何も考えず、即、削除。また削除。さらにあやしげなメールは、即、「送
信者禁止処理」にして、削除。また削除、と。

 あとで冷や汗をタラタラとかくよりは、そのほうが、ずっとよい。みなさんも、こういう悪質メー
ルには、くれぐれも、ご用心!

 なお、メールを送信したあとは、念のため、数秒おいて、「送受信」をもう一度、クリックするよ
うにするとよい。そうすれば、本当にあて先不明のメールであれば、その時点で、即、返送され
てくる。

 10分とか、1時間もおいて、「あて先不明」で返送されてくるようであれば、ここでいう偽装メ
ールと考えてよいのでは……。(まちがっているかもしれないが、疑ってみてよい。)

【追記1】

 パソコンは、便利だし、インターネットは、まさにこの世界を、変えつつある。第二の産業革命
に、たとえる人もいるが、あながち、まちがってはいないと思う。

 しかし今は、黎明期(れいめいき)。失敗も多い。試行錯誤もある。中には、失敗が理由で、
「もう、パソコンは、こりごり」と、投げ出してしまう人もいる。

 私も、こうして何も考えずに、あやしげなメールを削除できるようになったのは、ごく最近のこ
とではないか。

 私の掲示板やチャット・ルームに、いたずら書きをするバカは、あとを絶たない。いくら注意書
きをしても、効果がない。

さらにこうした悪質、偽装メールを送りつけてくるバカも、あとを断たない。だから、要するに無
視すること。相手にしないこと。一見、利口そうな連中だが、脳ミソは、昆虫のそれより、低劣。

 しかしいつか、こういう連中は、自分の愚かさに気づくときがあるのだろうか。時間をムダにし
たことに、気づくときがあるのだろうか。

 生きたくても生きられない人は多い。刻々と流れる時間を、金の砂時計が落ちるように感じて
いる人は多い。しかしそういうバカには、それが、わからない。かわいそうな、そして、どこまで
も、あわれな連中である。

【追記2】

 念のため調べてみたら、これは、多分「W32.Netsky.Q」という名前のウィルスということがわか
った。WINDOWを、UPDATEしていないパソコンでは、メールをプレビュー画面に表示しただ
けで、感染することもあるという。

 対策としては、(1)WINDOWをUPDATEしておく。(2)あやしげなメールは、その場で、即削
除するしかないようだ。現に、私はプロバイダー(サーバー)のウィルスチェエクサービスに加入
し、かつ、パソコンごとに、アンチウィルス対策をしているが、それでも、こうしたメールが、届
く。

 いったい、いつまで、こうした意味のないイタチごっこは、つづくのか。
(040407)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(142)

●意識のちがい

 タクシーの運転手が、どこかノロノロ走っている前の車を見ながら、こう言った。「俺たちは、
道路でメシ食ってるんだ。ああいう運転は困るんだよ」と。

 一方、ある男性が、強引な走り方をするタクシーを見ながら、こう言った。「タクシーの運転手
ら、道路で仕事をさせてもらっているんだから、もっと遠慮がちに運転しろよ」と。

 同じ「運転」でも、立場がちがうと、その見方も、180度ちがう。こういう例は、少なくない。

 たとえば先の戦争で、300万人もの日本人が死んだ。それについて、「そうして国のために
死んでいった人たちの死を、ムダにしてはいけない」と考える人。こういう考え方は、右翼的思
想の基本となる。

 一方、「300万人もの人たちが戦争の犠牲になった。そういう戦争を二度と起こしてはいけな
い」と考える人。こういう考え方は、左翼思想の基本となる。

 つまり、意識というのは、そういうもので、大きくちがうように見えるかもしれないが、たがい
に、中身は、それほど、ちがわない。

●意識の変化

 こうした意識は、絶対的なものでは、ない。その人自身の思想の変化、環境の変化によって
も、変りうる。

 たとえば今、アメリカが、イラクで戦争をしている。昨日も、海兵隊員が、10数人、死んだ。

 こういうニュースを聞くと、私のばあい、鮮烈な衝撃が、走るようになった。恐らく3、4年前の
私には、予想もできなかった衝撃である。

 私の二男の妻は、アメリカ人である。孫もアメリカ人である。二男も、アメリカ国籍を、今、申
請している。そのうちアメリカ人になる。

 3、4年前までの「アメリカ」「アメリカ人」と、今の「アメリカ」「アメリカ人」は、私にとっては、明
らかにちがう。

 たとえば今、世界で一番、危機的な状況にあるのは、実は、日朝関係である。「つぎの紛争
地域」として、世界の政治学者たちは、この極東地域を、あげる。

 もちろん戦争を望むものではないが、しかし仮に、日朝戦争になり、あるいは、米朝戦争にな
っても、私は、孫のセイジには、このアジアまで、来てほしくない。もし戦争に来るというなら、私
は、孫のセイジに、こう言うだろう。

 「わざわざ極東まで、来なくてもいい。ぼくらのほうで、何とかするから」と。

 多分、こうした意識のちがいというのは、日本だけに住み、日本人だけの家族をもっている人
には、理解できないかもしれない。つまり今、自分でも気がつかなかったが、私自身の意識も、
明らかに変化してきている。

●絶対的な意識はない
 
絶対的な意識というのは、ない。普遍的な意識というのも、ない。わずか130年前には、この
日本では、「薩摩だの」「長州だの」と言っていた。「幕府」だの、「朝廷」だのと言っていた。

 しかし時代が変った今、こうした「国」のなごりは、せいぜい高校野球に残っているくらでしか
ない。「静岡県代表」「東北勢」「九州男児」などという言葉が使われる。

 わずか130年前には、日本人も、その地域のために、命までかけた。しかし今、「県」のため
に、命までかける人はいない。戦争をする人はいない。

 言いかえると、今、「日本」だの、「中国」だのと言っているほうが、おかしい。いつかやがて、
あのジョン・レノンが、『イマジン』の中で歌ったように、世界は一つになる。そうなったとき、人
間の意識は、これまた一つ上のレベルまでいくことになる。

 そこで私たちが、未来の子どもたちのためになずべきことは、この意識のレベルをあげるこ
と。決して、今の意識に安住してはいけない。今の意識を絶対視してはいけない。

 ……と書くと、決まって、「君には、愛国心はないのか」と言ってくる人がいる。とんでもない。
私にも愛国心はある。

 しかしその愛国心というのは、「国」という体制を愛する愛国心ではない。郷土を愛し、文化を
愛し、子どもたちの未来を愛するという愛国心である。あえて言えば、愛郷心、愛人心、愛日本
人心ということになる。が、日本の政府は、さかんに、愛「国」心という言葉を使う。

 しかし仮にK国が日本を攻めてくるようなことがあれば、私だって、そのK国と戦う。しかしそ
れは日本の体制を守るためではない。日本の郷土を守り、家族を守り、そして子どもたちの未
来を守るためである。いくら強要されても、私には、「天皇陛下、バンザーイ!」などと言って死
ぬことはできない。できないもは、できないのであって、どうしようもない。

●さあ、意識を高めよう!

 さあ、みんなで、力をあわせて、意識を高めよう。できるだけ広い視野で、高い視野で、自分
や地域や、そしてこの日本を見よう。そして考えよう。

 いつか世界の人が日本という国をみたとき、彼らが本当に尊敬するのは、私たち日本人がも
つ、広くて高い意識である。「日本や、日本人は、こんなにすばらしい国だったのか」と。

 しかしそれは一部の、文化人や、哲学者がする仕事ではない。私たち一人ひとりの庶民が、
すべきことである。その底辺から、私たち自身の意識をもちあげる。

隣のおじさんや、おばさんが、堂々と、正解平和を口にし、人間の尊厳を口にしたとき、日本
は、そして日本人は、はじめて、世界に誇る意識をもつことになる。

 まずいのは、今の意識に安住し、それを絶対視することである。かつてアメリカのCNNが、
「日本人に、ワレワレ意識がある間は、日本人は、決して、世界のリーダーにはなれない」と酷
評したことがある。その「ワレワレ意識」も、その一つかもしれない。

 耳の痛い言葉である。が、大切なことは、その「痛さ」を、さらに広くて、高い意識で、克服する
ことである。繰りかえすが、決して、今の意識に安住してはいけない。
(040408)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【参考1】

かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのとも言っていた。
しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。

それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。

みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。

ただひたすら、その目標に向かって進むこと。

+++++++++++++++++

イマジン(訳1)

♪天国はないこと想像してみよう
その気になれば簡単なこと
ぼくたちの下には地獄はなく
頭の上にあるのは空だけ
みんなが今日のために生きていると想像してみよう。

♪国なんかないと思ってみよう
むずかしいことではない
殺しあうこともなければ、そのために死ぬこともなくない。
宗教もない
平和な人生を想像してみよう

♪財産がないことを想像してみよう
君にできるかどうかわからないけど
貪欲さや飢えの必要もなく
すべての人たちが兄弟で
みんなが全世界を分けもっていると想像してみよう

♪人はぼくを、夢見る人と言うかもしれない
けれどもぼくはひとりではない。
いつの日か、君たちもぼくに加わるだろう。
そして世界はひとつになるだろう。
(ジョン・レノン、「イマジン」より)

(注:「Imagine」を、多くの翻訳家にならって、「想像する」と訳したが、本当は「if」の意味に近い
のでは……? そういうふうに訳すと、つぎのようになる。同じ歌詞でも、訳し方によって、その
ニュアンスが、微妙に違ってくる。

イマジン(訳2)

♪もし天国がないと仮定してみよう、
そう仮定することは簡単だけどね、
足元には、地獄はないよ。
ぼくたちの上にあるのは、空だけ。
すべての人々が、「今」のために生きていると
仮定してみよう……。

♪もし国というものがないと仮定してみよう。
そう仮定することはむずかしいことではないけどね。
そうすれば、殺しあうことも、そのために死ぬこともない。
宗教もない。もし平和な生活があれば……。

♪もし所有するものがないことを仮定してみよう。
君にできるかどうかはわからないけど、
貪欲になることも、空腹になることもないよ。
人々はみんな兄弟さ、
もし世界中の人たちが、この世界を共有したらね。

♪君はぼくを、夢見る人と言うかもしれない。
しかしぼくはひとりではないよ。
いつか君たちもぼくに加わるだろうと思うよ・
そしてそのとき、世界はひとつになるだろう。

ついでながら、ジョン・レノンの「Imagine」の原詩を
ここに載せておく。あなたはこの詩をどのように訳すだろうか。

Imagine

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace…

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one.

【参考2】

日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、たとえば中
国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。

日本では、「愛国心」と、そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ人も、オー
ストラリア人も、「国」など、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「patriotism」という。こ
の単語は、ラテン語の「patriota(英語のpatriot)、さらにギリシャ語の「patrio」に由来する。

 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patriotism」というのは、日
本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは「父なる大地を愛する主義」という
意味である。念のため、いくつかの派生語を並べておくので、参考にしてほしい。

●patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
●patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
●Patriots' Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦いを記念した記念日。こ
の戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近い。あるいは
愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、考えていない。ここに日
本人と欧米人の、大きなズレがある。

(040406)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(143)

【父親VS母親】

●母親の役割

 絶対的なさらけ出し、絶対的な受け入れ、絶対的な安心感。この三つが、母子関係の基本で
す。「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味です。

 母親は、自分の体を痛めて、子どもを出産します。そして出産したあとも、乳を与えるという
行為で、子どもの「命」を、はぐくみまず。子どもの側からみれば、父親はいなくても育つという
ことになります。しかし母親がいなければ、生きていくことすらできません。

 ここに母子関係の、特殊性があります。

●父子関係

 一方、父子関係は、あくまでも、(精液、ひとしずくの関係)です。父親が出産にかかわる仕事
といえば、それだけです。

が、女性のほうはといえば、妊娠し、そのあと、出産、育児へと進みます。この時点で、女性が
男性に、あえて求めるものがあるとすれば、「より優秀な種」ということになります。

 これは女性の中でも、本能的な部分で働く作用と考えてよいでしょう。肉体的、知的な意味
で、よりすぐれた子どもを産みたいという、無意識の願望が、男性を選ぶ基準となります。

 もちろん「愛」があって、はじめて女性は男性の(ひとしずく)を受け入れることになります。「結
婚」という環境を整えてから、出産することになります。しかしその原点にあるのは、やはりより
優秀な子孫を、後世に残すという願望です。

 が、男性のほうは、その(ひとしずく)を女性の体内に射精することで、基本的には、こと出産
に関しては、男性の役割は、終えることになります。

●絶対的な母子関係VS不安定な父子関係

 自分と母親の関係を疑う子どもは、いません。その関係は出産、授乳という過程をへて、子
どもの脳にしっかりと、焼きつけられるからです。

 しかしそれにくらべて、父子関係は、きわめて不安定なものです。

 フロイトもこの点に着目し、「血統空想」という言葉を使って、それを説明しています。つまり
「母親との関係を疑う子どもはいない。しかし父親との関係を疑う子どもはいる」と。

 「私は、ひょっとしたら、あの父親の子どもではない。私の父親は、もっとすぐれた人だったか
もしれない」と、自分の血統を空想することを、「血統空想」といいます。つまりそれだけ、父子
関係は、不安定なものだということです。

●母親の役割

 心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って、母子関係を説明します。この信
頼関係が、そのあとのその子どもの人間関係に、大きな影響を与えるからです。だから「基本
的」という言葉を、使います。

 この基本的信頼関係を基本に、子どもは、園の先生、友人と、それを応用する形で、自分の
住む世界を広げていきます。

 わかりやすく言えば、この時期に、「心を開ける子ども」と、「そうでない子ども」が、分かれる
ということです。心を開ける子どもは、そののち、どんな人とでも、スムーズな人間関係を結ぶ
ことができます。そうでなければ、そうでない。

 子どもは、母親に対して、全幅に心を開き、一方、母親は、子どもを全幅に受け入れる…
…。そういう関係が基本となって、子どもは、心を開くことを覚えます。よりよい人間関係を結
ぶ、その基盤をつくるということです。

 「私は何をしても、許される」「ぼくは、どんなことをしても、わかってもらえる」という安心感が、
子どもの心をつくる基盤になるということです。

 一つの例として、少し汚い話で恐縮ですが、(ウンチ)を考えてみます。

 母親というのは、赤ん坊のウンチは、まさに自分のウンチでもあるわけです。ですから、赤ん
坊のウンチを、汚いとか、臭いとか思うことは、まずありません。つまりその時点で、母親は、
赤ん坊のすべてを受け入れていることになります。

 この基本的信頼関係の結び方に失敗すると、その子どもは、生涯にわたって、(負の遺産)
を、背負うことになります。これを心理学の世界では、「基本的不信関係」といいます。

 「何をしても、心配だ」「どんなことをしても、不安だ」となるわけです。

 もちろんよりよい人間関係を結ぶことができなくなります。他人に心を開かない、許さない。あ
るいは開けない、許せないという、そういう状態が、ゆがんだ人間関係に発展することもありま
す。

 心理学の世界では、このタイプの人を、攻撃型(暴力的に相手を屈服させようとする)、依存
型(だれか他人に依存しようとする)、同情型(か弱い自分を演出し、他人の同情を自分に集め
る)、服従型(徹底的に特定の人に服従する)に分けて考えています。

どのタイプであるにせよ、結局は、他人とうまく人間関係が結べないため、その代用的な方法
として、こうした「型」になると考えられます。

 もちろん、そのあと、もろもろの情緒問題、情緒障害、さらには精神障害の遠因となることも
あります。

 何でもないことのようですが、母と子が、たがいに自分をさらけ出しあいながら、ベタベタしあ
うというのは、それだけも、子どもの心の発育には、重要なことだということです。

●父親の役割

 この絶対的な母子関係に比較して、何度も書いてきましたように、父子関係は、不安定なも
のです。中には、母子関係にとってかわろうとする父親も、いないわけではありません。あるい
は、母親的な父親もいます。

 しかし結論から先に言えば、父親は、母親の役割にとってかわることはできません。どんなに
がんばっても、男性は、妊娠、出産、そして子どもに授乳することはできません。そのちがいを
乗り越えてまで、父親は母親になることはできません。が、だからといって、父親の役割がない
わけではありません。

 父親には、二つの重要な役割があります。(1)母子関係の是正と、(2)社会規範の教育、で
す。

 母子関係は、特殊なものです。しかしその関係だけで育つと、子どもは、その密着性から、の
がれ出られなくなります。ベタベタの人間関係が、子どもの心の発育に、深刻な影響を与えてし
まうこともあります。よく知られた例に、マザーコンプレックスがあります。

こうした母子関係を、是正していくのが、父親の第一の役割です。わかりやすく言えば、ともす
ればベタベタの人間関係になりやすい母子関係に、クサビを打ちこんでいくというのが、父親
の役割ということになります。

 つぎに、人間は、社会とのかかわりを常にもちながら、生きています。つまりそこには、倫理、
道徳、ルール、規範、それに法律があります。こうした一連の「人間としての決まり」を教えてい
くのが、父親の第二の役割ということになります。

 (しなければならないこと)、(してはいけないこと)、これらを父親は、子どもに教えていきま
す。人間がまだ原始人に近い動物であったころには、刈りのし方であるとか、漁のし方を教え
るのも、父親の重要な役目だったかもしれません。

●役割を認識、分担する

 「母親、父親、平等論」を説く人は少なくありません。

 しかしここにも書いたように、どんなにがんばっても、父親は、子どもを産むことはできませ
ん。また人間が社会的動物である以上、社会とのかかわりを断って、人間は生きていくことも
できません。

 そこに父親と、母親の役割のちがいがあります。が、だからといって、平等ではないと言って
いるのではありません。また、「平等」というのは、「同一」という意味ではありません。「たがい
の立場や役割を、高い次元で、認識し、尊重しあう」ことを、「平等」と、言います。

 つまりたがいに高い次元で、認めあい、尊重しあうということです。父親が母親の役割にとっ
てかわろうとすることも、反対に、母親の役割を、父親の押しつけたりすることも、「平等」とは
言いません。

 もちろん社会生活も複雑になり、母子家庭、父子家庭もふえてきました。女性の社会進出も
目だってふえてきました。「母親だから……」「父親だから……」という、『ダカラ論』だけでもの
を考えることも、むずかしくなってきました。

 こうした状況の中で、父親の役割、母親の役割というのも、どこか焦点がぼけてきたのも事
実です。(だからといって、そういった状況が、まちがっていると言っているのでは、ありませ
ん。どうか、誤解のないようにお願いします。)

 しかし心のどこかで、ここに書いたこと、つまり父親の役割、母親の役割を、理解するのと、
そうでないのとでは、子どもへの接し方も、大きく変わってくるはずです。

 そのヒントというか、一つの心がまえとして、ここで父親の役割、母親の役割を考えてみまし
た。何かの参考にしていただければ、うれしく思います。
(はやし浩司 父親の役割 母親の役割 血統空想)

【追記1】

 母子の間でつくる「基本的信頼関係」が、いかに重要なものであるかは、今さら、改めてここ
に書くまでもありません。

 すべてがすべてではありませんが、乳幼児期に母子との間で、この基本的信頼関係を結ぶ
ことに失敗した子どもは、あとあと、問題行動を起こしやすくなるということは、今では、常識で
す。もちろん情緒障害や精神障害の原因となることもあります。

 よく知られている例に、回避性障害(人との接触を拒む)や摂食障害などがあります。

 「障害」とまではいかなくても、たとえば恐怖症、分離不安、心身症、神経症などの原因となる
こともあります。

 そういう意味でも、子どもが乳幼児期の母子関係には、ことさら慎重でなければなりません。
穏やかで、静かな子育てを旨(むね)とします。子どもが恐怖心を覚えるほどまで、子どもを叱
ったりしてはいけません。叱ったり、説教するとしても、この「基本的信頼関係」の範囲内でしま
す。またそれを揺るがすような叱り方をしてはいけません。

 で、今、あなたの子どもは、いかがでしょうか。あなたの子どもが、あなたの前で、全幅に心を
開いていれば、それでよし。そうでなければ、子育てのあり方を、もう一度、反省してみてくださ
い。

【追記2】

 そこで今度は、あなた自身は、どうかということをながめてみてください。あなたは他人に対し
て、心を開くことができるでしょうか。

 あるいは反対に、心を開くことができず、自分を偽ったり、飾ったりしていないでしょうか。外
の世界で、他人と交わると、疲れやすいという人は、自分自身の中の「基本的信頼関係」を疑
ってみてください。

 ひょっとしたら、あなたは不幸にして、不幸な乳幼児期を過ごした可能性があります。

 しかし、です。

 問題は、そうした不幸な過去があったことではありません。問題は、そうした不幸な過去があ
ったことに気づかず、その過去に振り回されることです。そしていつも、同じ、失敗をすることで
す。

 実は私も、若いころ、他人に対して、心を開くことができず、苦しみました。これについては、
また別の機会に書くことにしますが、恵まれた環境の中で、親の暖かい愛に包まれ、何一つ不
自由なく育った人のほうが、少ないのです。

 あなたがもしそうであるかといって、過去をのろったり、親をうらんだりしてはいけません。大
切なことは、自分自身の中の、心の欠陥に気づき、それを克服することです。少し時間はかか
りますが、自分で気づけば、必ず、この問題は、克服できます。
(040409)

+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(144)

【近況・あれこれ】

●老齢によるボケ

 小便をしたあと、ズボンのチャックをあげ忘れても、ボケではない。しかし小便をする前に、チ
ャックをさげ忘れたら、ボケである。

 この話を、ワイフに言って聞かせると、ワイフがこう言った。

「部屋に入ったとき、ドアを閉め忘れても、ボケではない。しかし部屋に入るとき、ドアを開け忘
れたら、ボケよね」と。

 ナルホド! なかなかうまいことを言う。

 で、そのボケだが、50歳を過ぎると、がぜん、深刻な問題となってくる。そこで一つのバロメ
ーターになると思うが、こんなことが言える。

 同年齢の皆が、自分と同じように愚かに見えるようであれば、ボケではない。しかし同年齢の
皆が、自分と同じように賢く見えるようであれば、ボケである。

 この時期、人によっては、急速にボケ症状が進む。話し方が、かったるくなる。反応が鈍くな
る。繊細な話ができなくなる。

 しかしそれは相対的な変化で、仮に、自分も、同じように皆とボケ始めていたら、それはわか
らない。つまり、皆が、自分と同じように賢く見える。

 哲学の世界でも、「自分を知る」ことが、一つの大きなテーマになっている。ギリシャの哲学
者、キロンも、『汝自身を知れ』という有名な言葉を残している。

 そこで自分を知るための第一歩が、「自分の愚かさを知る」ということになる。決して、自分が
正しいとか、賢明であるとか、最上であると思ってはいけない。「私はバカである」という大前提
で生きる。

当然のことながら、この世界には、私たちが知っていることより、知らないことのほうが、はるか
に多い。そこで、こんなことも言える。

 「私はボケてきた。バカだ」と思ったら、ボケではない。しかし「私は賢くなった。何でも知って
いる」と思ったら、ボケである。

 要するに、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分がボケ始めたとしても、それに気
づくことは、まずない。だから自分の身のまわりの、相対的変化を見ながら、自分のボケを知
るしかない。

 私のばあい、こんなことが言える。

 数年前に書いた文章、さらに10年前に書いた文章を、ときどき読みかえす。そのとき、以前
書いた文章のほうが、つまらなく感じたら、私は、まだボケていない。しかし以前書いた文章の
ほうが、おもしろく感じたら、私は、ボケ始めた、と。

 内容というよりは、サエや鋭さをいう。

 で、その実感だが、少し前までは、「以前は、どうしてこんなヘタクソな文章を書いたのだろう」
と思うことが、しばしばあった。しかしこのところ、それがどうやら、逆転してきたようだ。「以前
書いていた文章のほうが、おもしろい」と思うことが、ときどきある。つまり、かなりボケが進み
始めたとみてよい?

 こういう例は、ほかにもある。

 かつて名映画監督として一世を風靡(ふうび)した人に、KS氏という人がいる。私はKS氏の
つくる映画が好きだった。だから、すべてを見た。

 しかしKS氏のつくる映画は、晩年になればなるほど、つまらなくなってきた。堅苦しくなってき
たというか、「これが映画だ」という気負いばかり、強くなったように感じた。もうそのころになる
と、無名時代の、あの燃えるような楽しさは、なかった。

 同じことは、作家の世界でも、よく起こる。同じように、直木賞作家に、IT氏という人がいる。し
ばらく金沢市にも住んでいたことがあり、強い親しみを感じていた。

 で、そのIT氏は、もう70歳を過ぎているが、毎月のように新刊書を発売している。で、昔は、I
T氏の本は、よく買った。しかしここ10年、マンネリ化したというか、たいてい立ち読みだけです
まし、どうしても買う気が起きない。

 KS氏は、すぐれた映画監督であった。IT氏も、すぐれた作家である。それはまちがいない
が、しかし老齢には、そういう問題も含まれる。

 このところ、恩師のT先生などと、ボケについて、よく話しあう。T先生は、80歳を過ぎている
から、私より、ことは、深刻である。

 「あのM先生(学士院賞受賞者)は、このところ、奥さんの顔もわからなくなりました」「あのS
先生も、このところボケが急速に進み、テニスにも来なくなりました」と。

 しかしそれがT先生にわかるということは、T先生は、まだボケていないということになる。「自
分もボケ始めている」と感ずるときは、まだボケていないということ。だからT先生への返事に
は、こう書いた。

 「先生は、まだだいじょうぶですよ」と。

 知力も、体力と同じように、50歳を過ぎると、急速に衰えてくる。30代、40代の若い人に
は、理解できないことかもしれないが、だれでもそうなる。例外はない。その一つが、ボケという
ことになる。


●ボケ症状

 義理の姉の母親は、今年、88歳になる。その母親が、5、6年前から、ボケ始めたという。義
理の姉は、「まだらボケ」と呼んでいる。実際に、そういう呼び名があるそうだ。その日の体調に
応じて、頭の働きがまあまあ、ふつうなときと、そうでないときが、まだらに現れる。

 困るのは、自分でモノをしまい忘れたくせに、義理の姉たちに向って、「盗んだ」「隠した」と騒
ぐことだそうだ。その当初は、近所の人たちにも、そう言いふらされたりして、義理の姉も、かな
り苦労したようだ。

 しかしこういう例は、少なくない。

 家族内どうしでのことならまだしも、近隣の人たちと、トラブルを起こすこともある。完全にボ
ケてしまえば、それなりに外の人にも、判断できる。しかしそうでないと、外の人には、それが
わからない。

 最近でも、こんな話を聞いた。

 Y氏(82歳男性)の趣味は、盆栽。庭中に、盆栽を作って、ところ狭しとそれを並べている。

 が、である。このところ、「近所のXが、またオレの盆栽を盗んだ」「Yが、こっそり、盆栽をもっ
ていった」などと、口走るようになった。

 どうやら昔もっていた盆栽を思い出しては、そう言うらしい。

 で、最初のころは、家族へのグチのようなものだったが、このところ、そのX氏や、Y氏に、手
紙を書くようになったという。「お前が、ワシの盆栽を盗んだ。返せ!」と。

 これには、X氏もY氏も、大激怒。「ドロボーと決めつけるとは、何ごとか!」と。

 こうした例は、多い。ひょっとしたら、あなたの周辺にも、こういう例は、多いはず。

 で、ボケについて調べてみると、行動面での変化をとらえて、その初期状態を知るという方法
が、一般的である。

( )モノをしまい忘れる。
( )電気製品が、使えなくなくなる。
( )名前が思い出せなくなる。
( )生活がだらしなくなる。
( )同じことを聞きかえしたりする。

 しかし精神面での変化については、あまり問題とされていない?

 で、あちこちのサイトを調べてみたら、老人性の痴呆症の中に、「ピック病」というのがあるの
が、わかった。聞きなれない言葉だったので、興味をもった。三宅貴夫氏の文献から、症状
を、列挙してみる。

( )当初は性格の変化が目立つ。几帳面な人がずぼらになり、下着が汚れても気にしなくなっ
たり、風呂に入るのを嫌がったりするようになる。
(  )仕事もいいかげんにしたり、約束を破っても気にしなくなることがある。しかし一人での生
活は難しくなる。
(  )病気が進行してくると物忘れや判断力の低下など、痴呆の症状が目立つようになる。
(  )本人は体力はあり、暴力もあり、ひととおりの理屈を言うので、対応はアルツハイマー病
以上に難しい。(医師:三宅貴夫)

 ピック病というのは、アルツハイマー病には似ているが、脳のある部分だけがしっかりとして
いる病気のことか。「ひととりの理屈を言うので、対応はアルツハイマー病以上に難しい」とあ
る。
 
 ボケにも、いろいろあるようだ。これから先、少しずつ、老人(私)のボケについて、書いてみ
たい。私のボケの進行状態を、マガジンで実況中継をするというのも、おもしろいかもしれな
い。

 「みなさん、今月は、要介護2になりました。お元気ですか?」と。ハハハ。


●子どもの不登校

 千葉県C市にお住まいの、DEさんより、子どもの不登校についての相談があった。

++++++++++++++++++
 
幼稚園の年長の秋頃から幼稚園に行けなくなりました。体操スクールでも突然、跳び箱が怖く
なり、無理やり連れて行ったりしてしまったので、吐くようになってしまい、卒園式だけいきまし
た。(親が一緒だといけるようなので……。)

小学校も入学式は、普通に行きました。翌日朝になって、通学班の6年生の男の子が、おむ
かえにきてくれたら、行かないと泣き出しました。主人がまだ出勤前だったので、主人が、無理
やり車で連れって行こうとしたので、私は、幼稚園の時のようにしては、いけないと思いそれ
は、それは、しないでと、お願いしました。

それでも、初日から休ませては、いけないかなと思い、ランドセルも、帽子もいいから、お母さ
んと一緒に学校に行こうと誘い、とにかく連れて行きました。

最初は、先生が、保健室にいたらといわれたのですが、子どもが廊下をうろうろしていたら、教
室を見てくると言い、家に帰ってランドセルを、取りに帰ると言いだしました。それで、そのまま
教室に入っていきました。でも、ひとりでは、教室には入られず、ずっと廊下から見ていました。

それから、毎日学校に一緒にいます。これから、ずっと、一緒について、行かなければ、いけな
いのでしょうか? どうして、うちのこだけがという思いと、ついていてあげなくては、との思い
や、これが、何時までとの不安が、夜も眠れず、ご飯も食べられず、なんとか、日々過ごしてい
ると言う状態です。

このさき、いままでの子育てが、まちがっていたのの、どこをどのように、母親として、自分のど
こを変えていったらいいのか、わかりません。どのように、していったら、いいでしょうか?(千
葉県C市、DEさん、母親より)

+++++++++++++++++++++

 子どもの不登校については、何度も書いてきました。どうか私のサイトの、「テーマ別子育て
論」をご覧ください。トップページの中段あたりに、それがあります。その中から、「不登校」もし
くは、「学校恐怖症」を選んで、ご覧になってください。

 またヤフーもしくは、グーグルの検索機能を使って、「はやし浩司 不登校」もしくは、「はやし
浩司 学校恐怖症」を検索してみてください。いくつかの記事にヒットするはずです。(ちなみ
に、自分で「はやし浩司 学校恐怖症」検索してみましたら、ヤフーで、9件、ヒットしました。)

+++++++++++++++++++++

 決して、DEさんを責めているのではない。DEさんは、今、子どものことで、たいへん苦しんで
いる。悩んでいる。それはわかるが、こうした問題は、「下」から見る。

 DEさんは、今、「自分の子どもは最悪の状態」と思っている。それもわかる。しかし決して、最
悪ではない。

 DEさんという母親がいっしょだと、学校へ行くということ。また教室の中でも、すわっておられ
るということ。同じ不登校(?)でも、症状は、軽い。先生も、そのあたりの指導については、よく
心得ていると思うので、先生に任せたらよい。

 少しずつ、心をほぐしていけば、やがて今の症状は、ウソのように消える。ここはあせらず、
あくまでも子どもの立場になって考える。「いつまでもいっしょにいてあげるわよ」という、やさし
い心が伝わったとき、あなたの子どもは、安心する。

 この問題は、その「安心感」が、第一。

 DEさんには、子どもに対して、何かしら、大きなわだかまりがあるかもしれない。その(わだ
かまり)が姿を変えて、心配先行型、不安先行型の子育てになっていると考えられる。

 今も、そういう状態にあると考えてよい。子どものよい面を見るのではなく、悪い面だけを見
て、その上に、自分の不安や心配を、塗り重ねている。そして心のどこかで、(ふつうの子ども)
(標準的な子ども)を思い描き、その子どもに、無理に当てはめようとしている。

 こうした育児姿勢では、DEさんの、悩みは、いつまでたっても消えない。解決しない。「もっと
よくなるはず……」「さらに……」と、子どもを追い立てる。そしてそのたびに、DEさんは大きな
焦燥感を覚える。

 なぜDEさんは、子どもに向かって、こう言わないのか。

「あなたはがんばっているのよ」
「今日は学校へ、よく行ったわね」
「明日も、いっしょに行ってあげるよ」
「どんなことがあっても、ママは、あなたの味方よ」
「ママが、あなたを守ってあげるからね」
「ママも、あなたと勉強ができて、楽しいわ」と。

 繰りかえすが、今の症状は、同じ不登校の中でも、きわめて軽い。大切なことは、(今の状
態)を守り、これ以上、こじらせないこと。無理をすれば、「まだ前の症状のほうが、軽かった」と
いうことを繰りかえして、さらに症状は、重くなる。

 子どもが半日、学校へ行けるようになったら、「無理をしなくていいのよ。2時間で、おうちへ
帰ろうね」と言ってあげればよい。給食まで食べられるようになったら、「無理をしなくていいの
よ。午前中で、おうちに帰ろうね」と言ってあげればよい。

 そういう親側の心のゆとりというか、やさしさが、子どもの心を軽くする。

 この問題は、数か月単位でみること。「数か月前とくらべて、どうだ」と。

 まだ入学して、たったの数日(4月11日現在)!、なのに、もう「それから、毎日学校に一緒
にいます。これから、ずっと、一緒について、行かなければ、いけないのでしょうか? どうし
て、うちのこだけがという思いと、ついていてあげなくては、との思いや、これが、何時までとの
不安が、夜も眠れず、ご飯も食べられず、なんとか、日々過ごしていると言う状態です」とは!

 DEさん、少し、短気すぎませんか? 結論を急ぎすぎていませんか? あるいは妄想ばかり
ふくらませていませんか?

 お子さんは、心の緊張感がとれないで苦しんでいます。

 なぜ、心の緊張感がとれないか? つまりは、DEさん、あなた自身が、心を開いていないか
らです。つまるところ、これはあなたの子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということで
す。わかりますか?

 かなりきびしいことを書いてしまいましたが、数か月後の今ごろは、「そんなこともあったわ
ね」で終わるはずです。そういうたがいの明るい笑顔を想像しながら、ここは、どうか、「今」を
前向きに考えてください。

 何でもない問題ですよ! 不登校なんて!
(040410)


●パラグライダーに挑戦?

 I町の、R山に、パラグライダーのクラブがある。今日(4・10)、ワイフと二人で、そこへ行って
きた。

 4月中旬というのに、初夏を思わせる陽気。全国的に、気温は、平年より4〜5度も高かった
そうだ。あとでテレビのニュースを見て、それを知った。

 山頂へ着くと、4、5人の男性が、そこにいた。空には、二機というか、二枚というか、二つの
パラグライダーが、飛んでいた。私は、無我夢中で、写真をとりつづけた。うれしかった。

 私は、「飛ぶもの」は、みんな、好き。大好き。鳥も好きだし、飛行機も好き。模型の飛行機
も、大好き。「いつか、自分で空を飛んでみたい」と思っていた。そこで、今日は、ただひたす
ら、観察。

 山頂は、ゆるやかな斜面になっていた。広さは、テニスコートの4倍くらいか。代表の、K氏
が、たいへん親切な人で、あれこれ話しかけてくれた。

「こわくないですよ」
「気持ちいいですよ」
「安全ですよ」と。

 しかしパラシュートのような飛行機で、空を飛ぶ。どこか心もとない。で、何人かが、丘の上か
ら離陸していくのを、見送る。そのつど、言いようのない興奮というか、感動を覚える。それに
胸の動悸。自分が飛ぶわけでもないのに、ドキドキする。

 一人、今日が初飛行という人がいた。S郡のM町から来た人だという。どこか平然としてい
る。

「こわいですか?」と声をかけると、「いいや」と、そっけない返事。「緊張してますか?」と声をか
けると、また「いいや」と。

「そんなものかなあ……」と思いつつ、写真をとりつづける。「ひょっとしたら、この人の最後の
写真になるかもしれない」と、まあ、心のどこかで、とんでもないことを思う。

 で、私はといえば、さかんに「あなたも飛びなさいよ」と声をかけられる。で、私は、「保険に入
ってから」「遺書を書いてから」と、どこか冗談で、冗談と言い切れないような冗談を、連発す
る。

 しかし空を飛びたい。ワイフまで、「あなた、飛んでみたら?」と。すっかり、その気になってい
るようだ。つまり私が、近く、体験してみるとでも、思っているようだ。

私「お前こそ、飛んでみろ」
ワ「いやよ、私は。高所恐怖症だから」
私「だったら、そういうこと言うな」
ワ「あなた、飛びたいのでしょう?」
私「……うん」と。

 山の上には、1時間半ほど、いただろうか。M町からきた男性が、初飛行するというその瞬
間、私たちは、車で、下へおりた。下で、その男性を迎えるつもりだった。

 が、体験飛行用のパラグライダーは、いわゆる滑空専用。気流に乗って、上昇するようには
できていないという。わかりやすく言えば、パラシュートのようなもの。

 私たちが着陸点に着くと、その男性は、もう地面の上で、ベルトをはずしているところだった。

私「こわかったですか?」
男「ゼンゼン」
私「どんな感じでしたか?」
男「気持ちよかったア」と。

 そこで私は決心した。この夏には、パラグライダーに乗ってみる。死んでもよい。本望だ。一
度は、鳥のように、空を飛んでみたい。ああああ。

 今、改めて、そう決心した。

 なおこの日とった写真は、私のサイトの、「お楽しみスライド・ショー」の中に収録しておいた。
興味のある人は、見てほしい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(145)

【近況・あれこれ】

●DEPRESSION(落ちこみ)

 サウンド・オブ・ミュージクという映画の中に、「私の好きなもの(My favorite things)」という歌
がある。

 ある雷の落ちる夜、マリアが、大佐の子どもたちをなぐさめるために、子どもたちに、ベッドの
上で歌って聞かせる歌である。

「♪バラの上の雨粒、子猫のヒゲ
 ピカピカのやかんに、暖かい、手袋……」と。

 落ちこんでいるときは、楽しいこと、楽しい思い出を、頭の中にえがくのが、よい。最初は、脳
ミソが、抵抗するかもしれない。どこかすなおになれないかもしれない。しかししばらく、「私の好
きなもの」を思い描いていると、少し時間差をおいて、気分が楽になる。

 これは心の中の、不思議な現象と考えてよい。

 で、私のばあい、何かのことで落ちこんでいたりすると、ある特定のことで、悶々と悩んだりす
る。ささいなことである。まったくこちら側に非がなくても、どういうわけか、悩んでしまう。

 食欲が減退したり、ため息が多くなる。気分が晴れず、身の置き場がないように感ずることも
ある。ときどきワイフをぐいと抱きしめてみたりするが、(あるいは、反対に抱いてもらうのかも
しれないが……)、どうも居心地がよくない。

 そういうときは、奥の手を使う。

 「私の好きなもの」を、頭の中で思い描く。

★今までで、一番、楽しかったこと。
★今までで、一番、美しいと思った場所
★今までで、一番、おいしいと思った食べ物。
★今まで、一番、自分が輝いていたときのこと。
★今、自分が、一番、したいこと。

こういうことを、順に、頭の中で、思い描いていく。すると、そのときは、すぐには気分が晴れなく
ても、何かのことで、つぎの仕事や家事をしたりすると、そのあと、ふいと心が軽くなる。

 そういう意味では、人間の心は、単純なものだ。落ちこんでいるときの(自分)から見ると、そ
うでないときの自分が、信じられない。しかしそうでないときの(自分)から見ると、落ちこんでい
るときの(自分)が、信じられない。

 脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、どうしても、その時点において、そのときの脳の状
態を基準にして、ものを考えてしまう。

 しかし落ちこんでいるときの(自分)は、病気。心の病気。ちょうど、風邪で体が熱を出してい
るようなもの。その(熱)があるからといって、その熱が、永遠につづくわけではない。決して、そ
のように考えてはいけない。

 ……ということは、よくわかっているが、しかし風邪をひくときには、ひく。落ちこむときには、
落ちこむ。

 だから、そういうときの救済方法を、あらかじめ、こうして考えておくことは、決して、ムダでは
ない。その一つが、「私の好きなもの」ということになる。

 そうそう私は、映画、「サウンド・オブ・ミュージック」が、大好きだった。何度も見た。ビデオ版
もDVD版も、もっている。少し前まで、レーザーディスク版ももっていた。

音楽もすばらしかったが、私は、生まれてはじめて、日本を離れた夢のような世界に、この映
画を通して触れることができた。

 それにもう一つ、理由がある。

 あの映画の中に出てくる、長女役の女性(リーズル役、シャーミアン・カー)が、大好きだっ
た。この話は、だれにも話していない、私の秘密だった。(ここではじめて、秘密を暴露する。)

 ついでにインターネットで検索すると、その映画から35年後の7人の(子どもたち)の写真が
載っていた。私はうれしくて、それをすべてコピーした。(インターネットは、本当にすばらし
い!)

 で、レーズル役のジャーミン・カーは、すっかり、私と同年代ぽく変身していた。(当然だが…
…。)しかしこれは、あくまでも、余談。


●高コレステロール

 健康診断の結果、「高コレステロール」が指摘された。血圧は、上が105、下が65。だから、
「?」と思われるような結果である。

 実は、私の母方は、皆、血圧が低い。そのせいかどうかは知らないが、伯父、伯母たちは、
みな、よく水を飲む。本当に、よく飲む。

 私も、これから夏場になると、昼間だけでも、1日、2リットルは飲む。多いときは、3〜4リット
ルは飲む。

 今日(4・11)も、昼食に、近くの中華レストランで、ギョーザとライスを食べた。その食事の間
だけでも、私は、1リットル以上の水を飲んだ。ワイフが、「よく、それだけ飲めるわね」と、驚い
ていた。自分にとっては、ふつうの量なのだが……。

 で、検査の前というのは、お茶や水を飲むのが、限定される。「前日の夜9時から、食べる
な。お茶を飲むな」と指示される。それでどうしても、血が濃くなる。それでいつも高コレステロ
ールが指摘される。……のではないかと、自分では、勝手にそう思っている。

言うまでもなく、コレステロールの量は、血液、1デシリットル当たりの量をいう。血液が、水分で
薄くなれば、当然、コレステロール値も、低くなるのではないのか?

 もしこのあたりのことで、詳しい人がいたら、どうか教えてほしい。私のように、日ごろ、水分
を多くとっているものは、その水分を減らすと、コレステロール値は、その分、高くなるのではな
いのかということ。私は肉類は、ほとんど、食べない。サシミだったら、毎日でもかまわないとい
うほど、魚好き。
 
 しかし注意したほうが、よいことは確か。慢性的に高コレステロールになると、動脈硬化が進
み、心筋梗塞や、脳梗塞を引き起こすこともあるという。祖父は脳梗塞、父は心筋梗塞で死ん
でいる。遺伝的には、私も、あぶない。

 で、夕食の献立は、ざるソバ。それだけ。今日から、とりあえず、食事療法をすることにした。

 が、「腹」というのは、不思議なものだ。ある程度の空腹感を通りこしてしまうと、その空腹感
がなくなってしまう。夕食から数時間たっているが、今は、その空腹感が、ほとんどない。つい
先ほどまで、グーグーとおなかが鳴っていたのだが……。


●イラクの人質

 数日前、イラクで、日本人3人が、人質になった。今日(4・11)、その3人が解放されるかも
しれない。そんなニュースが、昼から、いっせいに、流されている。

 このマガジンが、みなさんの目に届くころには、その結果がわかっていると思うが、家族の気
持ちを思うと、本当につらい。私も、一度だが、似たような経験をしたことがある。

 二男が、アメリカから帰国する日、いつまで待っても、成田から連絡が入らない。もうとっくの
昔に、成田に着いていておかしくない時刻だった。

 そこで成田のD航空のカウンターに連絡すると、「夜9時以後は、問い合わせはできない」と
のこと。そこでしかたないので、今度は、ヒューストン空港(テキサス州)へ。が、そこでの返事
は、「その方は、搭乗予定でしたが、乗客名簿にはありません」と。

 そんなはずはない!

 そこで今度は、国内便のカウンターに電話。二男は、そこで飛行機に乗り換えているはずで
ある。が、国内便にも乗っていないことがわかった。二男の自宅に電話をしても、電話がつな
がらない。留守番電話が応答するのみ。

 そうなると、もう頭の中は、パニック状態! そこでさらに、二男が飛行機に乗りこんだはず
のリトルロック空港(アーカンソー州)に電話。乗客名簿を調べてもらう。そしてその答も、同じ。
「その方は、搭乗予定でしたが、乗客名簿にはありません」と。

 こうして電話をあちこちにかけつづけること、数時間。時刻は、真夜中の2時を過ぎていた。

 で、やっとのことで、リトルロックの国内線の予約カウンターと連絡がとれ、「その方は、飛行
機便を変更されました」と。つまり二男は、予定の飛行機には乗らず、一日ずらして、その日の
飛行機に乗ることがわかった。

 が、その直後、二男から電話。「パパ、日付を一日、まちがえてしまった。今日、これから帰る
から」と。

 アメリカと日本とでは、時差が一日ある。それで、帰国日を、一日、まちがえてしまったとい
う。実に二男らしい、ミスである。

私「で、これから○○便に乗るのか?」
二男「どうして、それを知っているの? たった今、予約したばかりだよ」
私「あのな、ぼくは、英語のプロだよ。お前の身に何かあれば、どんなことをしてでも、助けに行
くよ」と。

 少しかっこういいことを言ってしまったが、そのとき、私ははじめて、胸をなでおろした。

 しかしあのときのハラハラは、今でも忘れない。つまり、その何十倍も濃い、ハラハラを、人
質となった3人の家族は、感じている。テレビ画面からは、その憔悴(しょうすい)しきった様子
が、よくわかる。

 だから私は、あえて言う。

 どんな崇高な理念があるかは知らないが、こうした不安を、家族に与える可能性があるなら、
若者たちよ、イラクへは行くな! 「死ぬ覚悟はできている」と、言うのは、君たちの勝手かもし
れないが、親や家族は、そんなふうには、簡単に、割り切ることはできない。

 親孝行をしろとは言わないが、不要な心配はかけるな。病気や事故なら、しかたない。が、そ
うでないなら、行くな。とくに今回のように、人質になる危険性があるようなところへは、行くな。
君たちの無謀な行動で、日本中が、そして家族が、とんでもない迷惑をしている。心配をさせら
れている。

 はからずも、一人の母親はこう言った。「(無事帰ってきたら)、バカって顔をひっぱたいたあ
と、思いっきり、抱きしめてやりたい」と。それが親の気持だ! 日本人の気持ちだ!

 私は、家族の人たちが、涙ながらに無事を祈っている姿をテレビでかいま見たとき、別の心
で、そんなことを考えていた。

+++++++++++++++++++++

ついでに、以前、こんな原稿を書きました。

+++++++++++++++++++++

●不安の構造

 生きることには不安はつきものか。若いころは若いころで、自分の将来に大きな不安感をも
つ。結婚してからも、そして子どもをもってからも、この不安はつきることがない。それはちょう
ど健康と病気のような関係ではないか。

健康だと思っていても、どこかに病気、あるいはそのタネのようなものがある。本当に健康だと
思える日のほうが、少ない。言いかえると、その不安があるからこそ、人はその不安と戦うこと
で、生きる力を得る。

もしまったく不安のない状態に落とされたら、その人は生きる気力さえなくしてしまうかもしれな
い。いや、不安と戦うたびに、人は強くなる。とくに子育てにおいては、そうだ。こんなことがあっ
た。

 アメリカにいる二男からある日、こんなメールが英語で、届いた。「一六輪の大型トラックが、
ぼくの車にバックアップしてきて、ぼくの車はめちゃめちゃになってしまった(My car was 
backed-up by a 16-wheel truck.)」と。

「バックアップ」の意味を、私は「追突」ととらえた。私は大事故を想像し、すぐ電話を入れたが、
つながらない。ますます不安になり、アメリカ人の友人にも、様子を調べるよう依頼した。

当時ガールフレンドもいたので、そちらにも電話した。が、アメリカは真夜中のことで、思うよう
に連絡がとれない。気ばかりがあせって、頭の中はパニック状態になった。

 で、(アメリカの)翌朝、電話がやっとつながった。話を聞くと、「ガソリンスタンドで停車してい
たら、前にいた大型トラックがバックしてきて、自分の車の前部にぶつかった」ということだっ
た。

「バックアップ」の意味が違っていた。私はひとまず安心したが、それ以後、どういうわけか、二
男の運転のことでは心配にならなくなった。それまでの私は、「交通事故を起こすのではない
か」と、毎日のように、そればかりを心配していた。が、その事件以来、そういう心配をしなくな
った。

ほかに以前は、二男が日本とアメリカを往復するたびに、飛行機事故を心配したが、一度、二
男が乗るべき飛行機に乗らず、しかも乗客名簿に名前がないことを知って、おお騒ぎしたこと
がある。そのときも、二男はただ飛行機に乗り遅れただけということがわかって、安心したが、
以後、二男の飛行機では心配しなくなった。……などなど。

 親というのは、子どものことで心配させられるたびに、そしてその心配を克服するたびに、大
きく成長(?)するものらしい。「あきらめる」ということかもしれない。つまりそういう形で、人生
の一部、一部を、子どもに手渡しながら、子離れしていく。

 さて今、私は老後のことを考えると、不安でならない。あと一〇年は戦えるとしても、その先の
設計図がまったくわからない。へたをすると、それ以後は収入さえなくなるかもしれない。しか
し、だ。そういう不安があるから、今こうして、仕事をする。懸命に仕事をする。

安楽に暮らせる年金が手に入るとわかったら、恐らくこうまでは仕事をしないだろう。不安であ
ることが悪いことばかりではないようだ。

++++++++++++++++++

●老人のボケ

 家族の人たちには、それがわかる。しかし一歩、離れた他人には、それがわからない。

 私の近所で、こんなことがあった。

 あるときAさん(52歳女性)のところへ、近所に住むB氏(80歳男性)から、手紙が届いた。
読むと。「お前は、うちの盆栽を盗んだ。証拠が見たかったら、来い」と。

 実際には、支離滅裂な文面だった。Aさんが見せてくれた手紙の内容は、おおむね、こんな
ようなものだった。

「盗人、盆栽、告発状
 貴殿の汚れた手、
 天はすべてお見通し。
 
 今週までに返せ。
 証拠、見せてやる。警察、
 通報済みのはず。

 貴殿の悪行、地をはう、虫。
 盆栽、返せてくだされ」

 驚いて、AさんがB氏のところへ。ところが、どこかB氏は、にこやか(??)。玄関のチャイム
を鳴らすと、明るい声で、「今、開けます」と。

 しかしAさんは、怒った。「ドロボーとは、何ですか。私がいつ、あなたの盆栽を盗みましたか。
証拠があるのですか!」と。

 が、B氏は、「証拠はない」と。あっさりと、それを認めた。が、それでもAさんの怒りは、おさま
らなかった。B氏と30分ほど、大声でやりあったという。近くにB氏の妻もいたというが、その妻
は、昔からほとんど、人前ではしゃべらない人だった。

 Aさんが、「奥さん、何とか言ってください」と促しても、B氏の妻は、ただ「ウンウン」と、うなず
いているだけ……。

 実は、こういうケースは、たいへん多い。ボケるのは、本人の勝手だが、その結果、まわりの
人たちに、いらぬ迷惑をかけてしまう。もっとも、はっきりと、だれの目にもボケているのがわか
るようなボケ方なら、よい。そういうボケなら、まだわかりやすい。が、そうでないときに、困る。

 実際、そういうボケもあるそうだ。結構、言うことなすこと、まともなくせに、どこか、言動かお
かしくなる。理屈も、一応、通っている。道理も、わかっているような様子を見せる。しかしどこ
か、おかしい。

 こういうボケは、始末が悪いらしい。私も、何度か、そういう人たちにからまれたことがある。
一見、まともで、まともでない人たちである。

 本来なら、家族の人が、こういうことを、あらかじめ近所の人に知らさなければならない。しか
しこういうケースにかぎって、家族の人は、それを隠そうとする。だからそれを知らない、まわり
の人たちが、不愉快な思いをさせられる。ばあいによっては、キズつく。

 ところで、こんなボケ診断テストがあるそうだ。ある本で読んだが、そのまま使えないので、私
の方で、少し改変して、類似問題を考えてみた。

【あなたのボケは、だいじょうぶ?】

 一本のつり橋がある。ところどころ、板が抜けている。一度に、2人しか渡れない。しかも20
分後には、上流から土石流が流れてきて、橋は、つぶれる。

 時刻は、夜。真夜中。星はない。あたりはまっくら。手元にあるのは、懐中電灯、一個だけ。
懐中電灯がなければ、橋を渡ることができない。

 A氏はスポーツ選手。橋を渡るのに、1分。B氏は、腰を痛めている。橋を渡るのに、5分。C
氏は、足が不自由。橋を渡るのに、8分。Dさんは、女性。高所恐怖症。橋を渡るのに、4分か
かる。

 さあ、この4人は、どうやって、橋を渡ればよいか。繰りかえすが、懐中電灯は、一個しかな
い。

+++++++++++++++

 さあ、あなたはこの問題を、何分で解けただろうか。一度、読み終わった瞬間、(1)解きかた
の方向性が思い浮かべば、あなたの頭は、まだ健康。しかし(2)数回読んでも、その解き方が
わからないようであれば、あなたの頭は、かなりサビついていることを示す。

 解き方の方向性さえわかれば、あとは、その方向性に沿って、この問題を解けばよい。

【考え方】

 スポーツ選手のA氏に、懐中電灯をもって、そのつど、往復してもらう。A氏が、ポイントであ
る。

まずA氏とB氏が橋を渡る。所要時間は、5分。B氏が渡ったら、A氏が、もどる。もどったら、A
氏は、今度は、C氏と橋を渡る。これを繰りかえして、3回目に、A氏は、Dさんと、いっしょに橋
を渡る。

 計算すると、5+1+8+1+4=18(分)ということになる。この方法で、橋を渡れば、20分
以内に、4人は、無事、橋を渡ることができる。

+++++++++++++++++

 私は、こうして毎日、エッセーを書いているせいなのか、やはり「文章」が気になる。

 私が最初、B氏がAさんに出したという手紙を見たとき、「B氏は、まともな人ではない」と、直
感した。「支離滅裂」という言葉を使ったが、手紙の内容は、まさに支離滅裂!

 ふつう文章というのは、書いたあと、何度も読みかえす。とくに、こうした重要な手紙では、そ
うである。

 そのとき、つまり読みかえしたとき、自分が書いた文章の中におかしなところがあれば、それ
に気づくはず。その「気づく力」が、知力ということになる。言いかえると、その(おかしさ)に気づ
かないというのであれば、脳ミソは、かなりサビついているとみてよい。

 今、少子高齢化の問題が、世間で騒がれている。その高齢化には、こうした問題も、含まれ
ている。つまりボケの問題である。そしてその「ボケ」というと、そのボケた人だけの問題と考え
がちである。しかしそれだけでは、足りない。

今、全国で、全世界で、Aさんが直面しているような問題で、不愉快な思いをしている人は、多
いはず。決して、無視できない。

 そのB氏だが、なぜ、B氏は、B氏のようになってしまったのか?

 Aさんは、こう言う。

 「B氏は、近所づきあい、人づきあいを、まったくというほどしません。隣のCさんに聞くと、一
年のうちでも、訪問者が一人いるかいないかという程度らしいです。一人息子は、今、結婚し
て、大阪に住んでいますが、数年に一度くらいしか帰ってこないとのこと。あとは、奥さんの友
人が、2、3か月に一度くらい、遊びにくる程度とのことです」と。

 人づきあいをしないから、B氏のようになるというわけでもない。ボケたから、人づきあいをし
なくなったとも考えられる。が、しかし(人づきあい)が、ボケと、どこか関連性があるのは、事実
のようである。子どもの引きこもりと同じように、今、老人の引きこもりも、大きな社会問題にな
りつつある。

 そんなわけで、少し性急な結論かもしれないが、ボケを防止するためには、他人と積極的に
かかわっていく。それはとても重要なことのように思う。(新しい発見、ゲット!)

 そこであなたのボケ予兆診断。これは、Aさんから、B氏について聞いた話をヒントにして、ま
とめたもの。

【他人とのかかわり度診断】

( )この数か月、あなたの家へ、友人として、あなたをたずねてきた訪問者は、ゼロ。(セール
スや、御用聞きなどは、除く。)
( )この数か月、だれかの家へ、友人として、訪問したことは、ゼロ。(仕事で訪問するのは、
除く。)
( )近所や、町内の仕事など、ここ数か月から一年以上、したことがない。近所の清掃など、
奉仕活動をしたことがない。
( )属しているスポーツクラブ、地域活動、役職などは、まったくない。いつも家の中で、ひと
り、ぼんやりしていることが多い。
( )趣味は、ひとりでできるものばかり。買い物、やむをえぬ冠婚葬祭などをのぞいて、外出す
ることは、ほとんどない。

 ここに書いた症状に近い人は、かなり注意したほうがよい。

++++++++++++++++

 そこで私のこと。この数年間、休んでいましたが、この5月から、再び「子育て教室」を開講す
ることにしました。

今までは、あくまでも「子育て相談」でしたが、これからは、私の脳ミソのボケ防止のためです。
どこか、利用させてもらうようで、悪いのですが、よろしくお願いします。

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【子育て・月末会】

●みなさんの問題や、お子さんの問題を、いっしょに考えさせて
  いただきます。合わせて、最前線の育児論を!

      日時、4月30日(金曜日)
         5月31日(月曜日)
         6月30日(水曜日)
(以後、毎月、月末、予定。土日、祭日に重なるときは、その前日)

  場所……浜松市伝馬町311 TKビル3階、BW教室
  日時……10:00〜11:30AM
  費用……3回分、3000円、当日払い可能(3回分、まとめてお願いします。)

 申し込みは、前々日までに、電話053−452−8039まで、伝言を
 残してください。

 最小人数、5人。4人以下のときは、キャンセルし、前日までに、みなさんに
 連絡します。(希望者が5人以上になった、4月末から、もちます。)

 なお7月以降は、みなさんの動向を見ながら、決めさせてください。
 勝手なお願いですみません。

 BW教室への地図などは、インターネットでご請求ください。
 またBW教室には、駐車場がありませんので、車でおいでの方は、
 どうか、近くの駐車場(有料)へ、車を駐車してください。

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●友へ

 息子を、あちこち案内してくれて、ありがとう。ウィルペラ・パウンド(南オーストラリア州にある
峡谷)まで、つれていってくれたとか、ありがとう。ぼくが「どんなところだった?」と聞いたら、息
子は、こう言いました。「どんなところだったかってエ……? あまりにも壮大で、日本語では表
現できないヨ〜」と。かなり感動したようです。ありがとう。

 その峡谷が、フリンダーズ連峰がどんなところか知りたくて、それでインターネットで検索して
みました。が、驚きました。

 あのフリンダーズ連峰というのは、昔の君の家の近くから見えた連峰だったのですね。連峰
の先が、切り立った崖になっていました。その特徴のある崖を見たとき、「ああ、あの山だった
んだ」と思いました。

 ぼくは、君の牧場にとめてもらうたびに、近くの丘の上に立ち、その連峰の方も、よく見ていま
した。そのとき、君が、「あれがフリンダーズ連峰だ」と言ったのを、遠い記憶の中で覚えていま
す。

 ……ぼくが、丘の上に立って、四方を見たとき、南西の方角と、南東の方角に、それぞれ
別々の雷雲がありました。その間は、真っ青な空でした。それぞれの雷雲が、数100キロは離
れていて、その下に、チカチカと、稲妻が走るのが見えました。

 ぼくは、その景色を見たとき、オーストラリアの広大さというか、それに感動しました。日本人
は、よく「自然」という言葉を使います。「自然を大切にしよう」とです。しかしオーストラリアの自
然とくらべたら、日本の自然は、箱庭のようなものです。息子にも、それがよくわかったことと思
います。

 それはともかくも、ぼくが、三男の身になって、フリンダーズ連峰へ行ったような気分になりま
した。

 また息子を、君の古い家に連れて行ってくれたとか。息子が「廃墟になっていた」と言いまし
た。それを聞いて、ぼくは、さみしかった。何とも表現しようがないほど、さみしかった。

 ぼくは、君の家で、幸福な家庭というのがどういうものか、それを生まれてはじめて知りまし
た。君も知っているように、ぼくの少年時代は、みじめなものでした。戦後の混乱期というだけ
ではなく、暖かさ、まったく感じられない家庭でした。

 しかし君の家には、心底、愛しあう両親と、5人の子どもがいた。君はおかしく思うかもしれな
いが、今でも、ぼくのは、その5人の声が、すべて聞こえます。もちろん君の両親の声もです。

 いつだったか、キツネ刈りに行くとき、君のお父さんが、スコットランド民謡の『ロッホ・ローモ
ンド』を歌ってくれました。ぼくも、いっしょに、大声で歌いました。

 君の昔の家のことを思うと、ぼくはいつもあの歌を思いだします。

 そしてぼくは心の中で、「ぼくも、いつか、こういう家庭を、自分でつくるんだ」と、心に誓いまし
た。で、それ以後のぼくは、いつも、君の家庭を思い浮かべながら、自分の家庭づくりに心が
けてきたように思います。

 遠い昔ですが、今も、あのころのぼくが、さん然と、心の中で輝いています。

 先ほど、電話をしてみましたが、お留守のようだったので、留守番電話に伝言を入れておき
ました。で、改めて、こうして手紙を書くことにしました。

 無事、君が、ボーダータウン(南オーストラリア州の町)に帰っていることを、願います。ぼくら
は、もうあまり若くはないから、無理をしないほうが、よいですね。では、奥さんや、息子さん、お
嬢さんに、よろしくお伝えください。

 また近く、手紙を書きます。本当に、このたびは、ありがとう。心から感謝しています。

 ヒロシ


●被害妄想

 被害妄想のウラにあるもの。それはその人自身の、弱点と考えてよい。その弱点が反映され
て、その人の被害妄想につながる。私はこれを勝手に、『バック・ミラー現象』と呼んでいる。

 たとえば昔から、『泥棒の家は、戸締まりが厳重』という。なぜ厳重かと言えば、自分が泥棒
をしているから。そのため他人もみな、泥棒に見える。だから自分の家の戸締まりを厳重にす
る。つまり人は、自分の弱点をカバーする形で、妄想をもちやすい。もう少しわかりやすい例で
考えてみよう。

 たとえば年がら年中、浮気ばかりしている男がいる。そういう男にかぎって、妻の浮気を心配
する。交友関係を疑う。あるいは、自分の娘の帰宅時刻が少し遅れただけで、大騒ぎする。娘
を叱る。

 こんな例もある。

 近所に、X氏という人が住んでいる。そのX氏は、新築後まもない家の窓ガラスを、すべて不
透明な型ガラスにかえた。「隣人が、自分の家をのぞくから」というのが、その理由だった。

 しかし実際には、隣人の家々をのぞいていたのは、そのX氏自身だった。つまり自分が、い
つも、他人の家をのぞいていたから、自分ものぞかれていると思った。だから、型ガラスにかえ
た。

 こうした被害妄想の背景にあるのは、結局は、自分自身の「弱点」である。その弱点を、ちょ
うどバック・ミラーに映すようにして、人は、被害妄想をもちやすい。だから私は、『バック・ミラー
現象』と呼んでいる。

 そこで教訓。

 何かのことで被害妄想を感じたら、それは、あなた自身の弱点でないかと疑ってみるとよい。
これはあなた自身の弱点を知るためにも、有効な方法である。と、同時に、それに気がつけ
ば、その被害妄想から抜け出ることができる。

 以上、私が、今朝、発見したことである。ハハハ!

 
●大学教授が、手カガミで……

 今朝(4・12)、とんでもないニュースが、飛びこんできた。何でも、W大学の現役教授が、手
カガミで、女子高校生のスカートの中をのぞいていたというのだ。現行犯逮捕だという。弁解の
余地はない。

 しかしこの事件は、別の意味で、考えさせられる。その教授は、NHKテレビなどでも、経済評
論家として、よく顔を出す。民放では、レギュラー番組を、数本もっている。国立K大学の教授
も、経験している。分別も、理性も、知性も、すべて兼ね備えた人物である。もちろん地位も、
名声も。

 そういう人物が、ハレンチ行為!

 それはその人物の精神的な欠陥によるものか。それとも、それほどまでに、本能というの
は、やっかいなものなのか。

 正直に告白する。

 私も、もう少し若いころは、女性のスカートの中を、のぞいて見たいと思ったことがある。それ
は「男」にとっては、ごく自然な性欲だと思う。女性のスカートの下というのは、男にとっては、特
別な意味がある。

 しかし「想像する」ことと、「実行する」ことは、まったく、別問題である。それはたとえて言うな
ら、銀行強盗に似ている。簡単にお金が手に入るなら、銀行強盗でもしてみたい。しかし、実際
に、それを行動に移すとなると、二つも三つも、つぎのステップを踏まねばならない。

 同じように、女性のスカートに中を、のぞいてみたいと思っても、それを実行に移すには、や
はり二つも、三つもステップを踏まねばならない。

 しかし、だ。さらにその教授には、前科があった。一度、同じような行為をして、逮捕されてい
た。罰金刑を受けていた。この人物は、二つ、三つのステップどころか、四つも、五つも、先へ
と、ステップを踏んだことになる。

 問題は、ここである。

 仮に私が罰金刑を受けるようなことをしていたら、私は、恥ずかしくて、とても、テレビには、
顔を出せないだろうと思う。どこかで、だれかが、私を笑っていると思うと、とても、できない。

 罰金刑を受けたとき、担当の警察官なり、裁判官なり、そういう人たちと、顔を合わせている
はずである。そういう人たちを頭の中で想像するだけでも、ゾーッとする。

 が、その人物は、堂々とテレビに出て、経済評論家として、意見を述べていた。つまり、ここ
に、その人物の、精神的欠陥性がある。本来なら、「私は、それにふさわしい人間ではありま
せん。とてもテレビには、出られません」「教授として、ふさわしい人間ではありません。学生
に、ものを教える人間ではありません」と、人前に出ることを、辞退すべきであった。

 ともかくも、この事件には、いろいろ考えさせられる。どういうわけか、考えさせられる。

 が、問題は、ここで終わるわけではない。

 多分、こうしたことをしながらも、その教授は、しばらく身をひそめたあと、再び、マスコミに登
場するにちがいない。その人物自身が、そうするというよりは、マスコミがかつぎ出す。その人
物がその程度の人物なら、日本のマスコミは、さらにそれ以下と考えてよい。スカートの下どこ
ろか、女性を裸にしてしまうことさえ、朝飯前である。

 モラルも何も、あったものではない。ないことは、すでに、無数の場面で証明済みである。

 5、6年前、イスラム教の戒律のきびしいトルコで、全裸になって、踊ったお笑いタレントがい
た。この事件は、国際的にも、たいへんなヒンシュクを買ったが、そのタレントは、1、2年をお
いて、またテレビに出るようになった。今でも、活躍している。むしろそのときの事件を、逆手に
とって、利用している。日本のマスコミの世界というのは、そういう世界である。

 それはさておき、東京という、関東の、一地方都市の文化が、日本中を支配している。このお
かしさに、日本人も、もうそろそろ気づいてよい時期にきているのではないだろうか。

【追記】

 もう一つ、この事件で、こんなことに、気づいた。

 その教授は、逮捕された。そのこと自体は、その教授にとっては、きわめて不幸なことであ
る。

 しかし私が驚いたのは、その教授を、かばったり、擁護したりする意見が、まったく出てこな
かったこと。W大学のある学生は、こう言った。「なさけないですね。経済は見とおすことはでき
ても、女の子のパンツの中は見とおせなかったのですかね」(報道)と。

 一人くらい、「あの先生の意見は、すばらしい。経済理論は、まちがっていない。今まで、世話
になりました」と言う学生がいるかと思ったが、だれもいなかった。

 その教授は、ここにも書いたように、地位と名誉を、自分のほしいがままにした。しかしだか
らとって、まわりの人々は、その教授に、心まで許してはいなかった。

 このことは、あのテレビドラマの『おしん』についても言える。日本中が、『おしん』を見ながら
泣いた。しかしヤオハン・ジャパンが、倒産したとき、それで涙を流した人は、まったくいなかっ
た。ヤオハン・ジャパンのW社長の母親の「Kさん」が、その「おしん」のモデルであった。

 その教授は、経済評論家として、さまざまなテレビ番組に出て、そのつど、自分の意見を述
べてきた。しかしそうした行為のむなしさというか、意味のなさを、私は、今回の試験をとおし
て、まざまざと見せつけれた。


●私の中の二重人格性

 たとえば、通りを歩いていたとする。そのとき、だれかがカサを振りまわし、そのカサが、私の
体にバンと当たったとする。

 これはあくまでも例である。

 そのとき、私の中で、二人の「私」が、それぞれ顔を出す。そして、こう言いあう。

A「何て、不注意なヤツだ。許さない。怒鳴り散らしてやれ!」
B「相手も、悪意があってしたのではない。黙って見すごしてやろう」と。

 こういうケースのとき、どちらの「私」が優性になるかは、そのとき次第である。気分次第と言
ってもよい。Aの私が優性になって、怒鳴り散らすときもある。Bの私が優性になって、そのまま
笑って過ごすこともある。

 いいかげんといえば、そういうことになる。しかし、問題は、そのあとである。

 たとえばAの私のように、怒鳴り散らしたとする。しかしその直後から、私は、はげしい自己嫌
悪感に襲われる。そういうことをする、私を、もう一方の私が責める。「どうして、お前は、もっ
と、ものごとを穏やかに解決できないのか!」と。

 しかし反対にBの私のように、その場をがまんして、やりすごしたとする。そのときも、もう一
人の私が、顔を出し、私を責める。「なんて、お前は、情けないヤツだ。臆病者。意気地なし。こ
れから先も、ことなかれ主義で、お前は生きていくのか!」と。

 こうした現象は、私だけのものか。それとも、みなに、共通して起こることなのか。ワイフに言
わせると、そうした現象は、どうやら私だけのものらしい。ワイフは、こう言う。

 「そんなの争ってもしかたないでしょ。Bのあなたが、正しいに、決まっているでしょ」と。

 私のワイフは、本当に気が長い。性格も、穏やか。結婚して以来、30年以上になるが、大声
で人と争っているのを、見たことがない。

 そこで私は、こういう現象。つまり私の中の、「Aの私」と、「Bの私」が争う現象を、私の中の
二重人格性がなせるわざではないかと、気づいた。たしかに私の中には、二人の「私」がいる。

 攻撃的で、挑戦的な私。それに穏やかで、心のやさしい私。どちらか一人なら、私は、そのつ
ど、こうまで迷ったり、悩んだりしない。しかしいつも、中途半端(ちゅうとはんぱ)。そのため結
局は、そのあと悶々と悩んでしまう。

 では、なぜ、私がこうした二重人格性をもってしまったかということ。はげしい気性の私。それ
におだやかで、心やさしい私。

 そこでずらりと、生徒たちを見渡してみる。生徒たちの中には、私に似た子どもがいるのか。
それともいないのか。

 あえて言うなら、かんしゃく発作のある子ども(あるいは乳幼児期にそうであった子ども)に、
私に似た子どもがいる。ふだんは静かで、穏やか。しかし何かのことでキレると、突然人が変
わったかのように、大声を出して叫んだり、暴れたりする。

 私も、幼児のころ、記憶は確かではないが、そのかんしゃく発作があったかもしれない。泣い
たあと、その興奮から抜け出られず、よくしゃっくりをしたのを覚えている。泣いたあと、しゃっく
りが出るほどまで興奮する子どもは、それほど多くない。

 (注……私の3人の息子たちは、ワイフに似て、たいへん性格が穏やか。幼児のころから、
大声で泣き叫んだり、暴れたりしたのを、見たことがない。兄弟どうしで、暴力を振るったのも、
見たことがない。そのため、あとでしゃっくりが出るほど、興奮したこともない。

 そういう息子たちを今、思い浮かべてみると、やはり私だけが、特殊だったということが、わ
かる。)

 私の二重人格性は、どうやら、そういうところから、生まれたのかもしれない。(もちろん、ほ
かにも、いろいろ原因は考えられるが……。)

 カーッとなって、興奮する。そして見境なく、怒鳴ったり、叫んだりする。そういう繰りかえしの
中で、Aの私ができた。しかしこのAの私は、本来の私ではない。もともとの私は、私の息子た
ちのように、性格がおだやか。遺伝という視点で考えると、そうなる。)

 で、さらに問題はつづく。

 こういう二重人格性があると、ときとばあいによっては、心がバラバラになってしまうというこ
と。どちらか一方なら、そういうふうにバラバラになることもないのだろう。自分の中の二人が、
葛藤することによって、わけがわからなくなってしまう。

 それがここに書いた、二人の「私」である。

 私は、今でも、そういう自分と戦っている。もちろん、やさしくて、心穏やかな私が、本物の私
であり、本来の私である。そういう自分をベースにして、もう一人の私と戦っている。

 考えてみれば、おかしなことではないか。50歳もすぎたというのに、いまだにそんなことで、
戦っているとは! しかし言いかえると、こうした「私」は、実は、乳幼児期にできたことがわか
る。中学生や、小学生のときではない。もっと前である。すでに幼児のときには、私はそうなっ
ていた……。

 だからいきおい、結論ということになるが、つまり子育てエッセーとしてまとめると、こうなる。

 「子どもの興奮性は、とにかく抑えろ。子ども、なかんずく、乳幼児は、不必要に興奮させては
ならない」と。

 こうした二重人格性をもつと、苦労するのは、結局は、その子ども自身ということになる。どこ
かまとまりのないエッセーになってしまったが、この先は、また別のところで考えてみたい。
(はやし浩司 かんしゃく発作 興奮性 二重人格性)
(040414)

【追記】かんしゃく発作は、家庭教育の失敗が原因で起こる。子どもの心を無視した一方的な
押しつけ、過干渉、威圧的な育児姿勢など。

 よくデパートや大型店で、幼い子どもが、ギャーギャーと泣きわめきながら、母親のあとを追
いかけたり、床に寝転んだまま暴れたりするのを見かける。あれがかんしゃく発作である。

 子どもがかんしゃく発作を起こしたら、子どもを叱るのではなく、家庭教育のあり方を、反省す
る。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(146)

【近況・アラカルト】

●自営業
 
 ふつう(「ふつう」という言葉は、慎重に使わなければならないが……)、自営業というのは、家
族経営である。家族、なかんずく夫婦は、たがいに助けあって、仕事を支えあう。しかしその自
営業でありながら、まったく夫の仕事を手伝わない妻というのもいる。

 Yさん(65歳、女性)は、夫と、従業員5人の町工場を経営してきたが、手伝う仕事と言えば、
家計簿をつける程度。会社の帳簿はもちろん、結婚してから30年になるが、ただの一度も、
自分の手を油で汚したことがないという。

 Kさん(52歳、女性)もそうだ。夫は、K市の北で、司法書士の仕事をしているが、電話番すら
したことがないという。ときどき夫が、酒の勢いを借りて、「仕事を手伝ってほしい」と言うのだ
が、「はい」と返事をするのはそのときだけ。事務所の掃除すら、夫に言われないとしないとい
う。

 そうでない女性には、信じられないような話かもしれないが、実際には、そういう妻も、いる。

 こうした女性に共通するのは、どこかゆがんだ職業観。「仕事をするのは、男。女は家事だけ
していればいい」と、おかしな割り切り方をする? よくわからないが、どこか、やはりふつうで
はない。

 しかし夫婦というのは、そういうものか。何10年もいっしょに住んでいると、それぞれが独得
のパターンをつくる。一つとして同じ形はないし、それゆえに「ふつうの夫婦」というのもない。と
くに自営業の夫婦は、そうだ。

 ところで先日、NHKテレビを見ていたら、チンドン屋の夫を、半世紀以上にわたって支えてき
た妻が紹介されていた。妻自身は、俳句が趣味で、同人誌を出している。しかし夫が仕事に出
ると、自分では、そのうしろで、チラシを配って歩くという。私はその番組を見ながら、「いい夫
婦だなあ」と思った。そういう夫婦も、いる。

 ……やはり、ここで言えることは、「ふつう」というのを、無理にあてはめてはいけないというこ
とか。人は、みな、それぞれ? そういう前提で、夫婦を考え、家族を考え、自営業であれば、
自営業を考える。くだらないことのようだが、ふと、今、そんなことを考えた。


●フリップ・フロップ理論
 
 ぐうたらな夫。自分勝手な子どもたち。そういうとき妻は、「もう、どうにでもなれ!」と思う。思
うが、しかし投げ出すわけにはいかない。離婚できれば、それがよい。話は簡単。子どもを連
れて、家を出ればよい。しかしそれもできない。世間体もある。見栄もある。実家の両親にも心
配をかけたくない。何よりも大きな問題は、経済。お金。だから、がまんする。だから、苦しい…
…。

 今、こうした状態で、板ばさみになっている妻(夫)は、多い。

 しかし人間の心というのは、不安定な状態には、長くは耐えられない。そこでどちらか一方に
ころんで、安定しようとする。(あきらめて現状を受け入れるか)、さもなくば(離婚して清算する
か)、そのどちらかに、ころぼうとする。

こういうのを、心理学では、『フリップ・フロップ理論』という。もともとは、有神論者が、無神論者
に。無神論者が、有神論者に変化するときの、はげしい葛藤を意味する。(フラフラした状態)
を、「フリップ・フロップ」という。私は、勝手に「コロリ理論」を訳している。

 たとえばことさら大声をあげて、神の存在を説く人ほど、コロリと、無神論者になったりする。
心理的に不安定な人ほど、よく騒ぐということ。反対に、本物の有神論者や、無神論者は、静
かに、落ちついている。

が、コロリといっても、そこには、過程(プロセス)がある。その過程が、これまた苦しい。

 総じてみれば、人間の悩みや苦しみは、その中途半端な状態から生まれる。子どもの受験
期を例にあげて、もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 受験期を迎えると、たいていの親は、狂乱状態になる。子どもが長男、長女のときは、とくに
そうだ。二人目、三人目となると、多少の余裕もできる。しかしそれでも、「多少の余裕」にすぎ
ない。

 このとき、ほとんどの親は、「少しでもランクの上の学校を」と思う。C中学に入学できそうだ
と、「何とかB中学に」。そのB中学に入学できそうだと、「何とかA中学に」と。

 もちろんその反対のケースも、ある。B中学があぶなくなってくると、「何とか、B中学に」。C中
学もあぶなくなってくると、「せめて、C中学に」と。

 こうしてたいていの親は、はげしい葛藤(かっとう)を経験する。しかしこうした中途半端な状
態は、親の心理を、緊張させる。その緊張状態にあるところへ、不安や心配が入りこむと、親
の心理は、一気に、不安定になる。

 が、この状態は、長くはつづかない。つづけばつづくほど、精神の消耗がはげしくなる。それ
こそ、身も心も、もたない。そこで親は、どちらか一方に、ころぼうとする。いや、実際には、こ
ろばされる。

 やがて受験競争も終盤になってくると、子どもの方向性が見えてくる。「何とか……」「まだ、
何とかなる……」という思いが、「いろいろやっては、みたけれど、あなたは、やっぱり、この程
度だったのね」という思いに変る。

 そしてあきらめる。受け入れる。そして我が身を振りかえりながら、「考えてみれば、何のこと
はない。私だって、ふつうの親だ」と思い知らされる。

 こうして親は、コロリと人がかわったように、現状に納得するようになる。だから『フリップ・フロ
ップ理論』という。この理論は、私がオーストラリアにいるころ、大学の講義で知った理論であ
る。(そのため、日本では、まだ紹介されていないと思う。インターネットで検索してみたが、こ
の言葉のあるサイトは、見つからなかった。)

 なお、もう少し詳しくこの理論を説明しておくと、こうなる。

 ここにも書いたように、本物の有神論者や、無神論者は、静かに落ちついている。多少のこ
とでは、ビクともしない。動揺もしない。

 しかし中には、ワーワーと騒ぐ、有神論者や無神論者がいる。たとえばだれかが、神の存在
を否定したりすると、「君は、何てこと言う!」と、猛烈にそれに反発したりする。

 一見、強固な有神論者に見えるかもしれないが、それだけ心の中は、不安定。このタイプの
人にかぎって、何かのきっかけで、コロリと、無神論者になったりする。

 で、この理論を応用すると、こうなる。

 子どもの受験競争で、ワーワー騒ぐ親ほど、何かのきっかけで、今度は、受験競争否定論者
になるということ。子どもの受験期が終わったりすると、「受験なんて、無意味です」「私は、子ど
もに、勉強しろなんて言ったことはありません」などと、ことさら口に出して言うようになる。

 それが悪いというのではない。これも、親の一つの心理ということ。


●日米関係

 数日前の世論調査(Y新聞・04・04月)を見ると、日本国憲法改正に賛成している人が、5
0%近くもいることがわかった。

 賛成であるにせよ、反対であるにせよ、どちらにせよ、つまり、常識的に考えても、今の憲法
は、いろいろな意味で、現実にそぐわなくなってきている。そういう意味では、今の憲法あまりに
も、理想的すぎる? もう少し、広い視野で、憲法を考えてみよう。

 日本は、敗戦の日まで、世界に向けて、さんざん戦争をしかけていた。当時のナチス・ドイツ
に並んで、もっとも好戦的な国だった。

 しかしアメリカ軍に、こっぴどく叩かれて、敗戦。とたんに、日本は、平和国家(?)に変身し
た。まさに180度の大変身である。が、そのとたん、平和国家? 「もう、戦争はしません」と、
世界に向けて宣言した。

 日本は、それでよいとしても、日本を取り囲む、まわりの国は、それをよしとしなかった。とくに
スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・朝鮮などなど。こういった国々は、当
然のことながら、日本への報復を考えた。今も、考えている。

 が、戦後の日本の平和を守ったのは、平和憲法ではない。(そういうふうに主張している人
も、多いが……。)

日本の平和を守ったのは、皮肉なことに、日本に駐留する、アメリカ軍である。このアメリカ軍
がいるため、ほかの国々は、日本に対して手も足も出せなかった。もし、アメリカ軍が駐留して
いなかったら、あのドイツのように、日本は、今ごろは、こなごなに解体されていたことだろう。

 この点について、「今の平和憲法が、戦後の日本の平和を守った」と考える人がいる。しかし
いくら、日本が「もう戦争はしません」と宣言したところで、向こうから戦争をしかけてきたら、ど
うするのか。そのときでも、日本は、「戦争はしません」と、のんきなことを言っていられるだろう
か。

 日本を攻撃しようとする国にとっては、日本の平和憲法は、ただの紙切れでしかない。むしろ
それがあるほういが、つごうがよい。その国は、日本に対して、やりたい放題のことができる。
日本は、反撃することさえできない。

 一方、今のアメリカには、日本は、なくてはならない国である。膨大な貿易赤字で暴落しそう
なドルを、懸命に買い支えているのが、この日本だからである。もし日本が、アメリカのドルを
買い支えなかったら、今のアメリカは、そのまま奈落の底に落ちていく。

 日本は、貿易でせっこらせっこらと稼いで、そのお金で、アメリカのドルを買い支えている。言
うなれば、日本は、アメリカにとっては、大切な金庫番ということになる。そのため日本のこと
を、「アメリカの第51番目の州である」とヤユする人もいる。不愉快な言い方だが、しかし、現
実を見るかぎり、それほど、まちがっていない。

 で、今、日本は、K国問題をかかえ、戦後最大の危機に直面している。そのK国は、「日本向
け」と称して、核兵器を増産している。パキスタンのカーン博士は、「3個の核爆弾を見た」と、
証言している。

が、日本の味方は、アメリカをのぞいて、だれもいない。仮に日朝戦争ということになれば、韓
国はもちろんのこと、中国も、ロシアも、K国に加担するだろう。日本が、今、置かれている立
場は、それほどまでにきびしい。

 で、こういう状態のとき、どこのどの国が、K国の無謀な野心にブレーキをかけてくれるのか。
かけることができるのか。……ということになると、やはりアメリカしかいない。悲しいかな、今
の日本は、アメリカに頭をさげるしかないのである。

 政治は、どこまでも「現実」の問題である。とくに国際政治は、そうである。日本だけが、「私た
ちは戦争をしません」と叫んだところで、意味はない。

この極東においてさえ、徴兵制がない国は、日本だけ。「いい子にしていれば、外国が攻めてく
ることはないはず」と考えるのは、あまりにも甘い。甘いことは、実は、私たち日本人が、一番、
よく知っている。

かつての日本は、そういう甘い考え方をしている国々を、つぎつぎと占領していった。(だからと
いって、徴兵制に賛成しているのではない。どうか誤解のないように!)

 しかしもう戦後、60年近くになる。日本もいつまでも、自分たちの過去に恥じて、小さくなって
いる必要は、ない。言うべきことを言い、すべきことをする。多少の火の粉をかぶるかもしれな
いが、それはしかたのないことである。

 平和主義には、二つある。「殺されても文句を言いません」という平和主義。「いざとなった
ら、平和を守るために、戦うことも辞さない」という平和主義。私自身は、「いざとなったら、平和
を守るために、戦うことも辞さない」という平和主義を支持する。

 平和というのは、前向きに戦ってこそ、守ることができる。「戦争はいやです」と、逃げ回るの
は、平和主義でも何でもない。ただの臆病(おくびょう)という。卑怯(ひきょう)という。

 憲法改正。右翼思想的に考えれば、天皇中心の国家づくりということになる。それにそって、
憲法第9条を改正する。憲法改正に賛成する人たちの意見は、おおむね、そのような方向に
そっていると考えてよい。

 ……ということで、この話は、ここまで。どうも私は、「天皇制」についての話は苦手。子どもの
ころから、「天皇!」と呼び捨てにしただけで、父親に、なぐられた。伯父にも、なぐられた。そう
いう経験がある。だから今でも、この問題を論ずるときは、心のどこかでツンとした緊張感を覚
える。

 
●英会話教師
 
 2か月ほど前、東京の英会話教室の講師(アメリカ人)が、生徒の学生(女子大生)と、性的
な関係をもって、その英会話教室を解雇されるという事件があった。

 そこでその英会話講師は、「解雇は不当だ」と、英会話教室の経営者を訴えた。「仕事が終
わってからは、何をしようと、それは、私の勝手だ」と。

 これから私の意見を書く前に、あなたなら、この事件をどう考えるか、少しだけ考えてみてほ
しい。

 英会話教室の経営者の処分が正しいか。それとも、解雇された講師の言い分が、正しいか。

 あえて私は、ここでは私の判断を書かないようにする。しかし、これから書くことは、いわば同
業者の世界では、常識である。その常識を書く。

 まず第一。日本へ来る、英会話講師というのは、一応、向こうで、その種のテストを受けるこ
とになっている。いわば資格試験だが、資格試験と言えるほど、むずかしいものではない。大
卒程度の学歴があれば、だれでも合格できる。「外国における、英語講師認定講師」というよう
な資格である。教員免許とは、まったくちがう。そういう資格試験だから、当然のことながら、そ
の中には、「?」のつくガイジン講師も多い。

 で、こうしたガイジン講師の世界では、「日本の女性とは、やり放題」が常識になっている。1
5年ほど前、「イエロータクシー」という言葉が使われたが、まさにイエロー(黄色い)タクシー。
「日本の女の子は、簡単に、のせてくれる」と。

 女の子だけではない。家庭の主婦だって、似たようなもの。日本で英語を教えるようになって
5年目の、ある知人の、K氏(アメリカ人、52歳)はこう言った。私が、「ガールフレンドとは、う
まくいっているのか?」と聞いたときのこと。「ヒロシ、どのガールフレンドだい?」と。

 彼は、自宅のマンションで、3〜6人ずつのグループをつくって、家庭の主婦たちに英会話を
教えている。

 そのK氏が、「ぼくのことではない。ぼくも人から聞いた話だ」と断った上で、くどきの奥義(お
うぎ)を教えてくれた。

 「あいさつのとき、アメリカ流に、体を合わせて、相手の女性のほおに、軽く自分のほおをくっ
つけてみる。あるいはやはりアメリカ流に、ソファに腰かけたとき、それとなく腰をくっつけて座
ってみる。

 そのとき、何ら抵抗する様子を見せなかった女性は、1か月でモノにできる」と。
 
 こういう現実を、世の夫諸君たちは、どれほど、知っているだろうか。もっとも、そういう性的
関係を楽しむために、英会話を学ぶ女性も多い。だから、私のような人間が、とやかく言っても
はじまらない。男も、女も、しょせん、スケベ心は同じ。それぞれがそれぞれの方法で、人生を
楽しめばよい。

 それに幸いなことに(?)、日本には、道徳規範もなければ、宗教的制約もない。「エンコー
(援助交際)」という売春にしても、今では、珍しくもなんともない。今では、その先へと進んでい
る。そういう日本である。

 いわゆる不良ガイジン講師をクビにした、経営者。それはヨークわかる。しかし「何で、そんな
ことで!」と、開きなおるガイジン講師。それもヨークわかる。その間には、どこかおかしい、ど
こか狂っている、日本の現代の世相がからんでいる。

 さてあなたは、どちらの言い分が、正しいと思うか。


●バカは相手にしない

 バカなことをする人を、バカという。それはわかる。しかしそのバカな人が、あなたに対して、
バカなことをしたら、どうするか。

 方法は、簡単。無視すればよい。バカを相手にすると、自分も、そのバカにまきこまれてしま
う。そして気がついたときには、自分も、そのバカな人になってしまう。

 だから、無視。ただひたすら、無視。

 以前、自治会長に、こんな話を聞いたことがある。信じられないような話だが、事実である。

 町内の一角に、農地を宅地開発した小さな団地がある。その団地には、寄り添うようにして、
30軒ほどの家が並んでいる。その中の一軒の人が、夜な夜な、隣近所の家々に、石を投げる
というのである。

 理由はよくわからないが、車の駐車のし方が悪いとか、夜中に雨戸の開け閉めをしたとか、
木の枯れ葉が落ちてきたとか、そういうささいなことが理由で、そうするらしい。

 で、最初に、道路をはさんでその家の反対側にある家の人が、家を出ていってしまった。警
察にも相談したが、「証拠がない」「現行犯でないと……」ということで、話にならなかったとい
う。

 つぎに、その隣人も、家を出ていってしまった。カベにペンキを塗られたり、あるいは、生ゴミ
の袋を、窓にぶつけられたりしたからだ。

 実際、こういう少し頭の「?」な人が、近所にいると、本当に困る。これは別の人の話だが、こ
んな話を聞いたことがある。

その人は、道路の車が、異常に気になるらしい。近所の人が、ふいの用事で、車を道路にとめ
たりすると、それをいちいち写真にとって、警察に「告発」している、と。

 それにはちゃんと、「告発状」と書いてある。「法律違反だから、処罰せよ」と。

 工事のために、トラックがとまるのも、ダメ。その人は、すぐパトカーを呼ぶという。その話をし
てくれた人は、こう言った。「まともな人なら、喧嘩もしますが、どこか『?』な人だから、相手にし
たくありません」と。

 こういう「?」な人というのは、ある一定の確率で、現れる。しかし決して、少ない数ではない。
100人に一人とか、200人に一人とか……。程度の差もあるが、その程度の軽い人まで含め
ると、もっと多いかもしれない。

 しかしこういうバカな人は、相手にしない。石を投げられた人も、最初のころは、本気で、その
人を相手にしてしまった。そしてそういうトラブルがこじれにこじれて、結局は、家を出るハメ
に、なってしまった。

残念ながら、道理のわかる人が、道理のわからない人を相手にするときは、たいへん。道理の
わからない人よりも、はるかにエネルギーを消耗する。それにこの日本には、そういう被害者
を救済する手段も、方法もない。裁判で争うという方法もあるというが、実際には、それもわず
らわしい。

 そこで無視する。というのも、こういうバカな人は、必ず、自ら墓穴を掘る。ひとり芝居をしてい
るうちに、馬脚を現し、自分でころぶ。理由が、ある。

 人間の脳ミソというのは、それほど、器用にはできていない。一方で、バカなことをしながら、
他方で、善人ぶったり、常識人ぶることはできない。できなくはないが、やがてそのバカが優勢
になる。そしてまさに一事が万事といった状態になる。そして自滅していく。

 バカな人は、あらゆる場面で、バカなことをするようになる。そしてすぐに、だれからも相手に
されなくなる。先の近所の人の家に向って石を投げていた人も、廃品回収業らしき仕事をして
いたが、やがて仕事に行きづまってしまったという。

 そしてお決まりの自己破産。担当した不動産屋の社長は、こう言った。「一度、自宅を売ろう
としたのですが、権利関係がメチャメチャで、売るに売れませんでした」と。

 これらの話は、あなたには直接、関係のないことかもしれない。しかしこれだけは言える。

 こうしたバカな人が、生きづらい世界を用意するのも、私たちの役目だということ。あるいは
バカな人が、自分でそのバカに気づくように仕向けていく。そのためにも、あなたの周辺から、
常識豊かな世界をつくりあげていく。そういう力が集まったとき、この日本は、もっと住みやすい
国になる。


●人質、3人、無事、救出!

 4月15日。イラクの武装グループに捕らわれていた、日本人3人が、無事解放された。その
日の夜9時ごろのことだった。

 「よかった」と思うと同時に、何かしら、割り切れないものを感じた。当初、人質となった家族
は、テレビ画面に向って、こう叫んでいた。

「私たちを見捨てないでください」
「助けてください」と。それはわかる。しかし一人の男性は、こう言った。

 「政府は、全力で救出すると言った。だったら即時、自衛隊をイラクから撤退させろ。それもし
ないで、何が全力だ!」と。彼の家族は、バリバリの共産党一家だという(週刊S誌)。

 しかしこれは、いくらなんでも、少し、言い過ぎではないのか。人質の安否を心配するとはい
え、3人は、度重なる渡航自粛勧告を無視して、イラクに入った人たちである。今朝のY新聞に
よれば、「アラビヤ語はおろか、英語も、満足に話せないような人たち」(ある知人の弁)だった
という。

 そのせいか、マスコミの反応は、きわめて冷ややか。「よかった」と書きながら、どこかで「バ
カヤロー」と言っているような論調である。ある国会議員は、こう言った。「遊泳禁止の旗の立っ
ているところで、泳いで溺れたようなもの」(Y新聞)と。私の心情も、それに近い。

 率直に言えば、「甘い」の一言。こんな話もある。

 オーストラリアの友人が、こんなことを書いてきた。

 「ときどき、日本の若者が、自転車で、オーストラリアを横断するとか、一周するとか言ってや
ってくる。ヒロシ、君の力で、そういう無謀なことをやめるように、日本の若者たちに言ってくれ
ないか」と。

 その友人は、向こうで、ロータリークラブの理事などをしている。そしてそういう救出要請の連
絡が入るたびに、みなで救出に駆りだされるという。迷惑するという※。

 「それに、紫外線情報が出されている最中に、炎天下で自転車に乗っている。クレージー(狂
っている)」とも。オーストラリアでは、紫外線による皮膚がんの患者が、毎年10%前後の勢い
でふえている。

 冒険したい気持ちも、わかる。野心もあるだろう。しかしどこか、ピントがズレている。人質と
なった一人の若者は、劣化ウラン弾の取材のために、イラクに渡ったという。もう一人の女性
は、まずしい子どもたちの教育のために、イラクに渡ったという。

戦争が始まる前から、そういう活動をしていたという実績があるなら、まだ話はわかる。が、ど
こか、戦争にこじつけたような活動? 一見、理由があるようで、ない。私には、「?」な行為と
しか、思えない(失礼!)。

 今朝(16日)、あちこちのテレビを見たが、家族の人たちは、さかんに「ありがとうございまし
た」「よかったです」とは言っていた。しかしまだ私は、「みなさんに、ご迷惑と心配をかけて、す
みませんでした」という声を聞いていない(4・15日夜現在)。

 考えてみれば、これもおかしなことだと思うのだが……。

【追記】3人は、チャーター機(チャーター機!)で、ドバイへ向ったあと、政府専用機で、A外務
副大臣といっしょに帰国するという。しかしその費用は、だれが負担するのか。また日本政府
は、そこまでしなければならないのか。ただただ疑問。

 また3人のうち、女性のTさんと、写真家のK氏は、記者団の質問に答えて、「これからも活動
をつづけます」と明言したという。Tさんは、こうも言った。「どうしてもイラクが嫌いになれませ
ん」と。

これに対して、小泉首相は怒った。「みんな、寝食を忘れて救出活動をした。自覚してほしい」
と。私も同じ意見。その言葉を聞いて、私も、「もう、いいかげんにしろ!」と、思わずつぶやい
たが、それが、おおかたの日本人の気持ちではないのか。

(※)自転車で走っている間に、途中で動けなくなったり、自転車が故障したりするケース。病気
になって倒れるケースもあるという。さらにじゅうぶんな準備もしないでやってくるというケースも
あるという。紫外線などにより、外出自粛令が出ているようなときでも、日本の若者たちだけ
は、平気で自転車に乗っているという。友人は、それを「クレージー」という。

 
●年金、この不公平!

 官民の年金の不公平さについては、いまさら、言うまでもない。しかし、金額だけの問題では
ない。こんな事実も指摘されている(「文藝春秋」04・5月号・伊藤惇夫氏)。

 公務員には、「転籍特権」という、特権がある。

 たとえば公務員のばあい、それを受給していた夫が死亡したようなとき、その遺族が、ひきつ
づき、その年金の4分の3程度を、「遺族年金」として受給することができる。

 わかりやすく言えば、夫が死んだあとも、妻は、遺族年金を受け取ることができるということ。
が、それだけではない。さらに妻が死んでも、子どもが18歳未満のときは、今度はその子ど
も、もしくは、父母が、その遺族年金を受け取ることができる。

 そんなわけで、「官民格差は、死んでからも、生きている」(伊藤惇夫氏)と。

 もちろん、一般企業のサラリーマンや、自営業者には、こんな転籍特権はない。本人が死ん
だら、それでおしまい! ゼロ! 遺族は、1円も、もらえない。

 だれでもおかしいと思う。おかしいと思うが、何もできない。日本には、そういうしくみが、でき
あがってしまっている。官僚主義国家という「しくみ」である。

 こうしたしくみの中で、もっとも、「?」なのは、あの「審議会」という「会」。

 ほとんどの審議会は、担当の役人が、開く。方法は簡単。まず、イエスマンや、その道のド素
人だけを集める。人選に関する基準など、どこにもない。その指針もない。座長には、たいてい
著名人を起用する。

 審議会はたいてい数回程度で終わる。重要案件でさえも、10回を超えることは、まずない。

 シナリオは、最初から、役人によって用意されている。たいていは、「資料」という形で、委員
に配布される。あとは、それに添って、審議していくだけ。一応、議論という形をとるということも
あるが、ほとんどのばあい、一人の委員の発言は、一回、5〜10分程度。ふつうは議論にな
る前に、審議打ち切り。

 (議論になりそうな案件については、委員の数を多くする。こうして各自の発言時間を少なくす
る。)

 こうした審議会に多く参加してきたことのある、M東大元教授ですら、こう言っている。「テレビ
タレントやスポーツ選手ばかりを集めて、何が、審議会だ」と。もともと議論らしい議論ができる
連中ではない。

 で、こうした審議会から出される「答申」は、抽象的であればあるほど、よい。わけのわからな
いものであれば、あるほど、役人にとっては、よい。自分たちのつごうのよいよいに、どのよう
にでも解釈できる。

 で、あとは、役人たちは、その答申に従って、やりたい放題。まさにやりたい放題。

 ……これが、日本の官僚主義の基本になっている。そしてその結果が、今の日本である。年
金の官民不公平などは、氷山の一角の、そのまた一角にすぎない。

私「まさに、日本は、官僚主義国家。最終的には、『天皇』という最高権威をもちだすことで、民
を従わせる。この図式は、奈良時代の昔から、まったく変わっていない」
ワイフ「じゃあ、この日本を変えるには、どうしたらいいの?」
私「無理だろうね。与党の党首も、野党の党首も、皆、元中央官僚。主だった県の県知事も、
副知事も、皆、元中央官僚。大都市の市長も、皆、元中央官僚。そんな日本を変えるとなる
と、それこそフランス革命のような革命でも起こさないかぎり、無理」

ワイフ「役人の権限を小さくするとか、そういうことはできないの?」
私「それこそ、絶対に無理。国家公務員や地方公務員だけでも、今の今でさえ、ふえつづけて
いる。その数、450万人。日本には、このほか、準公務員と呼ばれる人たちが、その数倍は、
いる」
ワイフ「給料はどうなっているの?」

私「いまだかって、地方自治体ですら、その手当て額を公表したことがない。しかし予算から逆
算すると、公務員は、一人あたり、800〜1000万円の年収(伊藤惇夫氏)ということになるそ
うだ」
ワイフ「すごい、高額ね」
私「そうだよ。大企業でさえ、平均して、650万円程度だからね」

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなたも、公務員かもしれない。あなたの家族の中
に、1、2人に公務員がいるかもしれない。私は、何も、そういう一人一人の公務員が悪いと言
っているのではない。

 ただ、こんなバカな政治をつづけていたら、遅かれ早かれ、日本は、本当にダメになってしま
うということ。今の「あなた」は、それでとりあえずは、よいとしても、あなたの子どもは、どうす
る? あなたの孫はどうする? そういう視点で、日本の未来を考えてみてほしい。

ワイフ「公務員の人たちって、死んでからも、年金がもらえるなんて、知らなかった……」
私「そうだね。ぼくも、驚いた。そういうような、つまり、自分たちにとって、どこかつごうの悪い情
報は、絶対に公表しないからね……」
ワイフ「でも、ずるいわ。議会は何をしているのかしら? 日本は民主主義国家なんでしょ」
私「一応ね。しかし議会の議員は、もっと手厚く保護されている。いろいろな恩恵にもあやかっ
ている。だから、官僚主義社会を批判できない。批判したとたん、その世界から、はじき飛ばさ
れてしまう」と。

 私の親しい知人のS市(50歳)は、ある都市で、ある役職のある仕事をしている。そのS氏
が、こう言った。

 「林さん、市議会の議員たちね、自分で作文できる人は、まずいないよ。議会での質問書も、
それに対する答弁書も、みんな、ぼくたちが書いてやっているんだよ。ぼくたちに嫌われたら、
議場に立つことすらできないよ」と。

 日本のみなさんは、こういう現実を、いったい、どこまで知っているのだろうか。
(040417)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(147)

●武士道

トム・クルーズの『ラスト・サムライ』がヒットしたこともある。NHKの『新撰組』もそうだ。そのせ
いか、今、日本は、武士道一色といってもよい。お茶の水女子大教授の、FM氏などは、「日本
が誇るべき民族精神である」(「文言春秋」04・05)などと、賞賛している。

 しかし武士道とは、いったい何なのか。たとえば今、話題の、『新撰組』。

 あの新撰組が、京都の町に現れたとき、京都の町は、恐怖のどん底に叩き落された。新撰
組は、我がもの顔に刀を振り回し、自分たちの意に沿わない者を容赦なく殺していった。

そういう連中が、いかに恐ろしい存在であったは、数年前に佐賀県で起きた『バス・ハイジャッ
ク事件』を思い出してみればわかる。あのときは、刃渡り40センチ足らずの包丁をもった少年
に、日本中が震えた。

 そこで武士道。

 江戸時代には、士農工商という、明確な身分制度がしかれていた。この身分制度でいう、
「士」が、武士ということになる。つまりは、刀をもった、為政者。日本人全体としてみれば、数
パーセントに満たない人たちであった。

 大半の日本人は、その武士の圧制、暴力の影におびえながら、細々と生活をしていた。つま
り江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代
であった。私たちがいう武士とは、そういう時代の「武士」であったことを、忘れてはならない。

 こんな話を、15年ほど前、山村に住む90歳(当時)くらいの女性に聞いた。

 明治時代の終わりごろ。江戸時代が終わって、20〜30年近くもたっていたというが、そのと
きですら、まだ、旧武士たちは士族と呼ばれ、刀をさして歩いていたという。

 その人が歩いてくると、遠くからカチャカチャと、鞘(さや)が、当たる音がしたという。すると、
皆は、道の脇により、頭を地面にこすりつけるようにして、ひざまづいたという。

 「私が子どものころはそうだったよ」と、その女性は笑っていたが、武士道には、そういう側面
がある。

 私たち日本人は、こういう話を聞くと、自分の視点を、武士の目の中に置いて、考えがちであ
る。「頭をさげた平民」ではなく、「頭をさげさせた武士」の目を通して、日本を見る。

 これは日本人独特の、オメデタさと考えてよい(失礼!)。今でも、つまり2004年の今でも、
「私の先祖は、旧M藩の家老でした」「私の先祖は、官軍の指揮官でした」などと、自慢する人
は多い。残りのほとんどの先祖は、町民や農民であったことについては、目をつぶる。

 「私の先祖は、武家だった」と主張するのは、その人の勝手。またそれを誇りに思うのも、そ
の人の勝手。しかしそれがどうしたというのか? あるいは、そんなことは、そもそも、誇るべき
ことなのか。

 江戸時代が終わって、140年近くもたったいるのに、いまだに、そういうことを言うというの
は、つまりは、それくらい、あの江戸時代という時代が、恐怖政治の時代であったということを
意味する。民衆は、骨のズイまで、魂を抜かれた。一つの例をあげよう。

+++++++++++++++++

●新居の関所

 浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。関所の中でも唯一現存する関所という
ことだが、それほど大きさを感じさせない関所である。

江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、その「き
びしさ」。

関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。つかまれば死罪だ
が、その関所破りを助けたもの、さらには、その家族も同程度の罪が科せられた。

新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、そこで
さらにはりつけに処せられたという記録も残っている。移動の自由がいかにきびしく制限されて
いたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。が、さらに驚いたことがある。

 あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。その中の
随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでいた」とい
うような記述があったことである。

当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事はいっさいなかった。私と女房
は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまった。「江戸時代が自由な時代だ
ったア?」と。

 もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それをきゅうくつ
とは思わなかっただろうということは、私にもわかる。あの北朝鮮の人たちだって、「私たちは
自由だ」(報道)と言っている。あの人たちはあの人たちで、「自分たちの国は民主主義国家
だ」と主張している。(北朝鮮の正式国名は、朝鮮人民民主主義国家。)

現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パネルのコメン
ト)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことである。

私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかということ。
新居の関所はその象徴ということになる。たまたま館員の人に説明を受けたが、「番頭は、岡
崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町だけが舟渡しを許された」とか、どこか誇らしげであ
ったのが気になる。

関所がそれくらい身分の高い人(?)によって守られ、新居町が特権にあずかっていたというこ
とだが、批判の対象にこそなれ、何ら自慢すべきことではない。

 たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。(そういう
意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。それはまちがいない。)そしてその関所をと
おして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じてみるとよ
い。

何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。しかし決して美化して
はいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。そういえば関所の中には、これ
また美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎役者のように美しかった。

私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。

++++++++++++++++++++

もう一つ、こんなエッセーを書いたことがある。
(中日新聞、投稿済み)

++++++++++++++++++++

「偉い」を廃語にしよう
●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう
日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人(respected man)」と言う。よく似
たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。

日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう
言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信
長は天下を統一したから」と。

中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、……関所を廃止し
て、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読む
と、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?   
 

実際のところ、それから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ
恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生
活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は関係
者はもちろんのこと、親類縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの
小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、
これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた
自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが
地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心
のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がは
びこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用さ
れると、とんでもないことになる。

少し前、幼稚園児を前にして、「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識
がある間は、日本の民主主義は完成しない。

+++++++++++++++++++++

●武士道とは

 武士道を信奉する人たちのバイブルとなっているのが、新瀬戸稲造が書いた、『武士道』(明
治32年)である。新瀬戸稲造といえば、5000円札の肖像画にもなっているから、知らない人
はいない。明治時代の終わりごろ活躍した人物で、ほかにも『随想録』(明治40年)に書いたり
している。

 もともとは、幕末の南部藩(岩手県)の武士の子弟として生まれ、札幌農学校を卒業したあ
と、アメリカにも留学している。

 その武士道でもっとも重んじるのが、「名誉」ということになる。新瀬戸稲造も、『武士道』の中
で、こう書いている。

 「武士は、命よりも高価であると考えられることが起きれば、極度の平静と迅速をもって、命
をすてる」と。

 要するに、名誉のためには、死をも覚悟せよ、と。

 新瀬戸稲造が、いつの時代の武士を念頭に置いたのかはしらないが、幕末の武士たちは、
堕落し放題。権威と権力の座に安住し、その中身と言えば、完全にサラリーマン化していた。
サラリーマン化が悪いと言っているのではない。「名誉のために、死をも覚悟した」というのは、
あまりにも大げさ。

 もっともこの心は、やがて日本の軍国主義の精神的根幹にもなっていった。「死して虜囚(り
ょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」とういう、あれである。しかしその言葉の裏で、いかに多
くの日本人が、犠牲になったことか。あるいはいかに多くの外国人が、犠牲になったことか。

 もっとも愛国主義が最初にあり、それから生まれた名誉のために死ぬというのであれば、ま
だ納得できる。正義、あるいは、自由や平等のために死ぬというのであれば、まだ納得でき
る。しかし武士道でいう『名誉』とは、まさに主君もしくは、「家」に対する、忠誠心をいった。

 ほかにも、武士道には、「義」「勇」「仁」という三つの柱があり、さらに「礼節」「誠実」「名誉」
「忠義」「孝行」「克己」の、人が守るべき、徳目として、並べられている。「名誉」それに、それか
ら生まれる「恥」の概念も、こうした徳目から、生まれた。

 もちろんある側面においては、武士道は魅力的であり、それなりに納得できる部分もある。し
かし武士道が、封建時代というあの時代の「負の遺産」を支えたもの事実。「影の部分」と言っ
てもよい。もっとわかりやすく言えば、武士道がもつ「負の側面」に目を閉じたまま、武士道を、
一方的に礼さんするのは、たいへん危険なことでもある。

 たとえばここでいう「義」「仁」にしても、つきつめれば、「仁義の世界」。つまり、現代風に言え
ば、ヤクザの世界ということになる。

 また、名誉についても、『武士は食わねど、高楊枝(ようじ)』(武士というのは、食べるものが
なくて空腹でも、満腹のフリをして、名誉を守った)という、諺(ことわざ)も、ある。

 果たしてそういうメンツや見栄にこだわることも、武士道なのだろうか。武士道を礼さんする
人は、武士道を知らなければ、「人の正義」はないようなことを言う。しかしこの私などは、武士
道とはまったく無縁。しかしそんな私でも、礼節もあれば、名誉もある。誠実、忠義、孝行、克
己についても、自分なりに考えている。

 たしかに、今の世相は、混乱している。それはわかる。しかしそれは当然のことではないか。

 日本は、江戸時代という封建主義時代。明治、大正、昭和という軍国主義時代。そして戦後
の官僚主義時代。こういった時代を、それぞれ経験しながら、そのつど、過去の清算をしてこ
なかった。反省もしなかった。

 だから、今の若い人たちを中心に、「わけのわからない世界」になってきた。

 それはわかるが、で、こうした世相に対する考え方は、二つある。

 一つは、過去にもどるという考え方。よくても悪くても、そこには、一つの「主義」がある。最近
もてはやされている武士道も、その一つかもしれない。

 もう一つは、新しい主義を、創造していくという考え方。当然のことながら、私は、この後者の
考え方を、支持する。またそのために、こうしてモノを書いている。それについては、これからも
追々書いていくが、ともかくも、今の段階では、そういうことになる。

 最後に、忘れてならないのは、私の先祖も、あなたの先祖も、その武士階級にしいたげられ
た、町民や農民であったこと。もし仮に今でもあの封建時代がつづいていたとしたら、私やあな
たも、今でも、ほぼまちがいなく、町民や農民であるということ。

 そういう私やあなたが、武士のまねごとをして、どうなるというのか? 武士でもない私やあな
たが、武士道を説いて、どうなるのか。そのあたりを、じっくりと考えなおしてみてほしい。

今でこそ、偉人としてたたえるが、新瀬戸稲造にしても、武士という特権階級に生まれ育った人
物である。アメリカから帰ってきたあとも、京都帝国大学教授、第一高等学校校長、東京女子
大の初代学長、国際連盟事務局次長などを歴任している。まさにエリート中のエリート。時の
権力や権威をほしいままに手に入れた人物である。その事実を、忘れてはならない。
(はやし浩司 武士道 新瀬戸 義 勇 仁 仁義の世界 仁義)

【恥・名誉論】

 懸命に生きる。それがすべて。
 恥なんて、考えるな。そんなもの、クソ食らえ!
 あなたは、あなた。どこまでいっても、
 あなたは、あなた。

 懸命に生きる。それがすべて、
 名誉なんて、考えるな。そんなもの、クソ食らえ!
 あなたは、あなた。どこまでいっても、
 あなたは、あなた。

 恥や名誉があるとするなら、
 それは、自分に対してのもの。
 懸命に生きなかったことを恥じろ。
 懸命に生きたことを、名誉に思え。

 これからに私たちは、そういう生き方をしよう。
(040418)

【追記】

 現在の今でも、こうした武士道の片鱗(へんりん)は、ヤクザの世界に見ることができる。そこ
は、まさに仁義の世界。

 ここにも書いたように、武士道の世界にも、それなりのよさもある。それは否定しない。しかし
同時に、あの封建時代がもっていた、負の側面にも、目を向けねばならない。武士がいう、武
士道とやらの陰で、いかに多くの民衆が、しいたげられたことか。恐怖におののいたことか。一
部の特権階級を守るために、犠牲になったことか。

 決して、武士道を、無批判なまま美化してはいけない。それが私の考えである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(148)

【近況・あれこれ】

●老人百様

 ほとんどの老人たちは、美しく老いる。そういう老人たちを見ながら、「私もああなりたい」「あ
あいうふうに余生を送りたい」と思う。

 しかし中には、そうでない老人もいる。

 巨億の資産をもちながら、一方で、ささいな土地の権利を争っている老人がいる。あるいは
近所に人が、道路に車を駐車しただけで、それを写真にとって、警察へ送っている老人もい
る。ささいな見栄やメンツにこだわって、世間体ばかり気にしている老人もいる。みな、80歳を
過ぎた老人たちである。

 そういう老人たちを見ると、「生きるということはどういうことなのか」と、そこまで考えさせられ
る。「残り少ない人生を、どう考えているのだろうか」とか、「死ぬことで、宇宙もろとも、すべてを
なくす人が、なぜそんなことをするのだろうか」とか、いろいろ考えさせられる。私には、そういっ
た老人たちが、どうにもこうにも、理解できない。

 「残り少ない人生だから、もう妥協したくない」と考えるのだろうか。あるいは老人になればな
るほど、ますますガンコになるのだろうか。

 今夜もワイフと、そんなことを話しあう。

ワイフ「近所の、Hさんね、夫婦で歩いているところを見たことがないわ」
私「そう言えば、そうだな。二人とも、今年、80歳になるんじゃないかな?」
ワ「そういう夫婦もいるのね」

 Hさん夫婦は、この近くに住んで、もう25年になる。退職する前は、ずっと共働きだった。そ
れはわかるが、その25年の間、夫婦で買い物でも何でも、いっしょに歩いているところを、私
たちは見たことがない。

私「そうだな……。そう言えば、見たことないなア……。昔の人は、みな、そうだったみたい…
…」
ワ「でも、そんな夫婦生活、私なら、耐えられないわ」
私「しかし、夫婦には、形はないからね。どんな夫婦でも、夫婦だよ。自分たちのスタンダード
(基準)を、押しつけてはいけないよ」と。

 実際には、そういう夫婦もいる。

 少し話が脱線したが、老後になればなるほど、その生きザマも先鋭化する。極端になる。そう
いうことはある。もっとも、それまでにボケれば、それまで。

 では、どうするか。

 釈迦も『精進(しょうじん)』という言葉を使った。つまり死ぬまで、とにかく前向きに生きるとい
うこと。立ち止まってはいけない。休んでもいけない。いつも考え、そして行動する。そういう生
きザマそのものに中に、生きる意味がある。

 こうした、つまりあまり手本にならない老人たちの特徴といえば、いろいろある。まず、(1)世
間とのかかわりが、少ない。どこか家の中に引きこもり、好き勝手なことをしているといったふ
う。近所の清掃活動すら、しない。

 つぎに(2)5年単位、10年単位でみたとき、進歩や変化がない。どこか、生きザマそのもの
が、停滞している。ものの考え方や行動が、保守的。「私は完成された人間」というような、おご
りすら、感ずる。何かにつけて、過去の栄光や肩書きをひけらかす。

 もう一つは、(3)「何とかなる」式の、生き方をしているということ。全体としてみると、不幸に
向って、まっしぐらに進んでいるのに、1年先はおろか、自分の明日すら、見ようとしていないこ
と。生きザマが、どこか無責任。

 私たちはいつも、前に向って、何かに挑戦していく。開拓していく。戦っていく。新しいことを学
び、そして知る。まさに「精進」ということになるが、心豊かな老後は、そういう生きザマの中から
生まれてくる。

 老人がおちいりやすい罪悪に、10個ある。

(停滞)……今日は、昨日と同じ。明日も、今日と同じ。
(復古)……何でも過去がよかったと言う。
(固執)……がんこになる。他人の意見に耳を傾けなくなる。
(孤立)……他人との関わりをもたない。
(依存)……だれかに依存しようとする。そのために画策する。
(服従)……「老いては、子に従え」式の生きザマを正当化する。
(保守)……過去を繰りかえそうとする。
(怠惰)……ことさら体の不調を理由に、だらしなくなる。
(反復)……同じことを繰りかえす。
(失望)……夢や希望をもたない。未来への展望をもたない。

 老化は、だれにもやってくる。例外はない。しかし忘れてならないのは、人は、50歳を過ぎる
と、自分の「老い」を感ずるようになる。しかしそれから先、老後は、何と、35年近くもあるとい
うこと。(35年だぞ!)

 その老後は、あなたの少年少女期と、青年時代を加えたりよりも、長いということ。その長い
期間を、どう過ごすか。どう生きるか。これはだれにとっても、きわめて重要な問題である。
(はやし浩司 老人 老人問題)

【追記】

 昔、若いころ、私は東京のG社という出版社で、雑誌の編集を手伝っていた。そのとき世話に
なったのが、S氏という編集長だった。

 S氏は、G社を退職したあと、G社の子会社の出版社の社長を勤めた。が、その直後、「洗面
器いっぱいの血を吐いて」(S氏)倒れた。

 がんである。

 手術で、何とか一命をとりとめたが、それからのS氏の生きザマがすごかった。そのときすで
に55歳を超えていたが、運転免許を取り、車を買った。で、これはあとから奥さんに聞いた話
だが、S氏は、一年間に、何と10万キロ以上も日本中を走り回ったという。

 北海道のハシから、九州のハシまで、約2000キロだから、その50倍ということになる。

 S氏が、何を思い、何を考えて、そうしたのか、私は知らない。しかしその「10万キロ」という
数字に、私はS氏の生きることに対する執念のようなものを感じた。


●風R亭

 私とワイフは、山荘に名前をつけた。「風R亭」という名前である。どこか料亭風の名前であ
る。いや、本当は、「風R庵」もしくは、「風R荘」としようとも考えたが、どういうわけか、「風R亭」
とした。「庵」は、寺の名前みたい。「荘」は、老人ホームみたい。それで「亭」にした。それに
「亭」のほうが、どこかやさしい。

 で、世の中には、おもしろいもので、同じ名前のレストランというか、料亭が、たくさんある。今
朝も、インターネットで検索してみたのだが、何と、250件近くもヒットした。「同じように考える
人もいるんだなあ」と、ヘンに驚いた。

 で、その「風R亭」。実は、その名前のレストランが、この近くにもある。以前から、そのレスト
ランの前を通るたびに、「いつか、ここで食事をしよう」と考えていた。が、とうとうその日がやっ
てきた。

 朝起きると、ワイフが、こう言った。「今日は、浜名湖で船に乗ってみない? 帰りにあの風R
というレストランで、食事してみない?」と。

 私は、すぐ返事した。「いいよ」と。

 実は、私には、秘めた目的があった。私の山荘と同じ名前のレストランだから、マッチや小物
など、そういったもので、同じ名前が印刷されたものがあるはず。パンフレットでもよい。それを
もらって帰る、と。

 が、そのレストランは、行ってみると、どこかパッとしないレストランだった。座敷はあったが、
「土日は、座敷の部屋は使えません」とのこと。しかたないので、手前のテーブル席へ。サービ
スもあまりよくない。

 まわりを見渡しても、もらって帰るようなものもない。横を見ると、「風R」と印刷された、ナプキ
ンがあるだけ。私はそのナプキンを、何枚か取ると、ワイフに渡した。

私「これ、山荘に飾っておこうか」
ワ「……」と。

 ワイフは、どこか不満顔。明らかに私の行為を、批判しているような目つきである。

私「山荘に客が来たら。出してあげればいい」
ワ「どこかで盗んできたのが、まるわかりよ」
私「盗んできたわけではないよ」
ワ「同じようなものよ」
私「それも、そうだな」
ワ「それに、浜松の人だったら、このレストランの名前を、みんな、知っているわ」
私「それも、そうだな」と。

 結局、そのナプキンは、家に帰ってから、ゴミ箱に捨てた。どうも、気分が重かった。それに
そんなナプキンでもてなされても、客人が喜ぶはずがない。私が「やっぱり捨てるよ」と言うと、
ワイフは、うれしそうに笑った。それで捨てた。


●安楽死

 犬のクッキーが、17歳になった。たいへんな高齢である。人間にたとえると、9倍して、153
歳! (犬の年齢は、9倍するという。)

 目も、ほとんど見えない。耳も聞こえない。ウンチは、庭のいたるところで、少量ずつ、する。
歩くのがやっという感じで、一日の大半は、眠ってばかりいる。

 その話をすると、オーストラリアの友人も、アメリカ人の友人も、「ヒロシ、安楽死をさせてや
れ」と言う。

 彼ら牧畜民族は、すぐそういう発想で、ものを考える。私たち日本人とは、かなりちがう。

 昔、オーストラリアの友人の牧場で休暇を過ごしていたときのこと。何の気になしに、散歩をし
ながら家の裏手にある林の中に入っていった。が、そこで私は、ゾーッとしたまま、足が立ちす
くんでしまった。

 見ると、死んだ子羊が、木にぶらさげてあった。皮をはがれ、ところどころ、肉がむき出しにな
っていた。その子羊は、その家族の食用の子羊だった。

 つまり彼らは、そういうことが平気でできる。だから、発想がちがう。家畜を殺すということに
ついて、特別の罪悪感は、ない。もう一人のアメリカ人の友人も、馬を飼っているが、けがなど
で歩けなくなると、殺すという。しかも銃で、ズドンと。

 「日本人は、そんなことできないよ」と言うと、ワイフは、「でも、殺してあげたほうが、結局は、
その犬にとっても、幸福なのかもね」と。恐ろしいことを考える。残念ながら、私には、そういう
発想はない。

 「犬だって、自然に死ぬのがいいよ。あわてて殺さなくても、そのときがきたら、静かに死ぬ
よ。点滴や手術までして、生かしてやろうとは、ぼくも思わないけど……」と。

 考えてみれば、彼ら白人は、ブタの丸焼きを平気で食べる。私も一度、それを見たことがあ
るが、見たとたん、食欲が、どこかへ吹っ飛んでしまった。気味が悪かった。その話をすると、
ワイフは、こう言った。

 「白人って、目のついた魚を食べることができないでしょ。それと同じじゃ、ない?」と。そうか
もしれない。そうでないかもしれない。つまり、意識というのは、それぞれ、みな、ちがうというこ
と。日本人だけの意識で、ものを考えてはいけない。反対に、白人だけの意識だけで、ものを
考えてはいけない。

 その人がもっている意識などというのは、あくまでも、その人だけのもの。そういう前提で考え
る。

 しかし私のばあいは、そのときがきたら、安楽死でもかまわない。私自身は、最後の最後ま
で生きたいと思うが、へたに長生きをすれば、家族のみんなに、迷惑をかけてしまう。そういう
長生きだけは、したくない。

 だから……。とってつけたような結論になるが、今、精一杯、懸命に生きていく。そのとき、後
悔しなくてもよいように……。


●高齢者の虐待

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護
サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11
月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があっ
たということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。
 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。夫が虐待
するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということ
になる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。こうした虐待
は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。最近の若者のうち、「将来親の
めんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っ
ている世代はいない。飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。本来なら、親に
感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こ
んなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う。(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言
うのだが……。)子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場では
ない。心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。これはもう、立派な
虐待と考えてよい。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだい
ている。それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。子どもの心は、その受験期をさかいに、急速
に親から離れていく。しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。あなたの周辺には、心の暖かい人も
いれば、そうでない人もいる。概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、
今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、
連続して教えたことがある。そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期に
またがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライ
で、合理的になる。はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え
方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えな
い。つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろう
か。……言うことができるだろうか。あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目
で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

++++++++++++++++++++++

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

++++++++++++++++++++++

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子
どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続
くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小四男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも
他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつう
の子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」と
か、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血が
タラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、二時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノ
ルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり
出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事
件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男
児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをお
もしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊ん
でいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小三男児)もい
た。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干
渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で
発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人も
いれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいと
いうことを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、
それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。
(040419)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。それは事実だが、破壊された子ども、あるい
はそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。本当の問題は、「では、なぜ、親たち
は、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。学歴のある人は、とことん得をし、
そうでない人は、とことん損をした。こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通し
て、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。意識を変え、制度を変
え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。おかしいことは、「おかし
い」と言う。そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。しかしこれだけは言え
る。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、遅い
ということ。そのとき、気づいたのでは、遅いということ。今ここで、心豊かな親子関係とは、ど
んな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。
(040420)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

お元気ですか?

子育て・月末会をもちたいと思っています。
以前は、毎週、そののち、毎月開いていましたが、
久しぶりに、というより、5、6年ぶりに再開して
みることにしました。

もし、よろしかったら、おいでください。

以下のように、ご案内申しあげます。

++++++++++++++++++++++

【子育て・月末会】

●みなさんの問題や、お子さんの問題を、いっしょに考えさせて
  いただきます。合わせて、最前線の育児論を!

         5月31日(月曜日)
         6月30日(水曜日)
(以後、毎月、月末、予定。土日、祭日に重なるときは、その前日。)

  場所……浜松市伝馬町311 TKビル3階、BW教室
  日時……10:00〜11:30AM
  費用……2回分、2000円、当日払い可能(2回分、まとめてお願いします。)

 申し込みは、前々日までに、電話053−452−8039まで、伝言を
 残してください。必ず、あなた様の電話番号を、お残しください。

 最小人数、5人。4人以下のときは、キャンセルし、当日までに、みなさんに
 連絡します。(希望者が5人以上になった、4月末から、もちます。)

 なお7月以降は、みなさんの動向を見ながら、決めさせてください。
 勝手なお願いですみません。

 BW教室への地図などは、下のアドレスをクリックしてください。(静岡新聞社
 公式ガイドブックより)

 またBW教室には、駐車場がありませんので、車でおいでの方は、
 どうか、近くの駐車場(有料)へ、車を駐車してください。

(BW教室)

 では、多数の、ご参加をお待ちしています。

 なお定員は、12人に限らせていただきます。ご了承ください。

【内容】できるだけ、みなさんのご質問にお答えするという方法で、
進めていきたいと考えています。

はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


最前線の子育て論byはやし浩司(149)

【近況・あれこれ】

●受験競争の弊害

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、
他人の心情でものを考えられるかということ。つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調
和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それだけ
精神の完成度が、低いということになる。さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることに
より、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。しかしこれは遺伝
子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。が、ここ
でいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでし
まう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の
自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。この受験競争は、どこまでも個人的なも
のであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。子どもにかぎらず、利己的であればあるほ
ど、当然、「利他」から離れる。そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そういう側面
がある。ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をす
る子どももいるのはいる。しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化している
だけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高
邁な人たちかというと、それは疑わしい。疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。親自
身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれて
いる。それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができな
い。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的。迎合
的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。い
や、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。今でも、
農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか
心が冷たい。いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会
では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。しかしこうした印象をもつのは、私だ
けではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。避けてはとおれない
こと。それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな
違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほしい。


●「私は私」という意識
 
東京の小学校の男性教諭が、中学3年の男子生徒に現金をわたし、わいせつな行為をしたと
して警視庁に逮捕された(TBS・iNEWS)。

児童買春の疑いで逮捕されたのは、東京・杉並区の小学校に勤務するNM容疑者(32)。NM
容疑者は 去年10月、新宿公園で知り合った当時15歳の中学3年の男子生徒を渋谷区のま
んが喫茶に誘い、現金1万円を渡して下半身を触るなどの、わいせつな行為をした疑いがもた
れているという。
 
 NM容疑者は小学5年生のクラスを受け持ち、教育熱心な先生という評判だった。
 
 大学で性教育についての卒業論文を書いたのをきっかけに、男性に興味を持つようになった
という成田容疑者。新宿公園のことはインターネットで 知ったという。
 
  一方、「新宿公園で待っていれば、買ってくれる人が声をかけてくる」。男子生徒はインター
ネットでこうした書き込みを見て、小づかいいほしさに新宿公園に行っていたという。
 
 「一人でご飯とか食べていると、声はかけられますね。『暇なら一緒にどこか行かない?』と
か、『ホテル行かない?』とか」(公園の近所の男性)
 
 NM容疑者と男子生徒のわいせつ行為は、去年の8月以降5回に及び、NM容疑者はわい
せつ行為をデジタルカメラで撮影し、ディスクに保存していたという。
 
 NM容疑者は「男子生徒には申しわけないことをした。教え子に顔向けができない」と供述し
ているが、警視庁は、別の男子高校生らともわいせつ行為をしていたとみて、捜査していると
いう。(以上、TBS・iNEWSより)

 この事件で、私は、同性愛について、語るつもりはない。教師のハレンチ行為について、語る
つもりもない。

 こうしたおとなの行為で、キズつくのは、子ども。それはそれとして、私はこの事件を知ったと
き、「意識のズレというのは、こういうものか」と、思い知らされた。

 その男性教師は、中学生の男子に対して、お金を渡して、ワイセツ行為をしたという。どうい
う方法で、どういうことをしたかについては書いてないが、おおよその見当はつく。しかし、その
男子高校生は、男性教師とは、「同性」である。私が、どうにもこうにも、理解できないところ
は、ここである。

 私は、同じ「男」の中でも、「濃い男」である。この言い方は、私が発明した言い方だが、男に
もいろいろある。同性にまったく興味を示さない男もいれば、同性に興味を示す男もいる。同性
にはまったく興味を示さない男を、「濃い男」という。同性に興味を示す男を、「薄い男」という。
要するに、私は、「男にはまったく興味のない男」。

 そういう私から見ると、男子の下半身など、見たくもない。さわりたくもない。まったく興味がな
い。その男性教師は、デジタルカメラで、撮影したというが、私のばあい、「どうして?」と思うだ
けで、つぎの言葉が出てこない。

 一方、私は女性には、興味がある。あるものはあるのであって、どうしようもない。最近でこそ
元気がなくなってきたが、しかし今でも、ないわけではない。女性の体は、この年齢になっても、
魅力的に見える。すばらしい。

 問題は、ここである。

 その男性教師にしてみれば、男子生徒の下半身は、私にとっての女性の体と同じくらい、魅
力的に見えるらしいということ。私が女性の裸体を見たとき、ムラムラと感ずるような情欲を、
その男性教師は、男子中学生の下半身を見たときに感じたらしい。「らしい」というところまでは
わかるが、そこまで。その先が、理解できない。どうしてか? どうしてこんなちがいが生まれる
のか?

 言いかえると、私がもっている意識にしても、一つ立場がちがえば、180度変化することだっ
て、考えられる。その意識は、絶対的なものでもなければ、普遍的なものでもない。正常か、正
常でないかという判断すら、できなくなる。

 考えてみれば、男のばあい、射精する前と、射精するあととでは、女性、とくに女性の体に対
する思いは、まったくちがう。射精する前は、女性の体を、狂おしいほどに、いとおしく思う。し
かし射精したとたん、「どうしてこんなものに興味をもったのだろう」と思う。

 こうして考えていくと、意識とは何か。ますますわからなくなる。

 そこで先の男性教師の話。その男性教師は、男子中学生のそれを、デジタルカメラで撮影し
たという。実は、私は、ここでもわからない。もしそれほどまでに見たかったら、自分のそれを、
カガミか何かに映して見ればよいのではないのか、と。

 あのフロイトは、私たち人間の行動の原点には、「性的エネルギー」があると説いた。つまり
その性的エネルギーが、さまざまなバリエーションをもって、私たちの生活のあらゆる部分に作
用している、と。男性のスポーツ選手が、スポーツでがんばるのも、女性が化粧をするのも、心
の奥深いところで、その性的エネルギーの命令を受けているからである。

 となると、今、私がもっている意識のほとんどは、「?」となってしまう。男性教師は、教職を棒
に振るという危険までおかして、(実際、棒に振ってしまったが……)、男子中学生のそれをデ
ジタルカメラに収めた。それは、ものすごいエネルギーと言ってもよい。

 で、そういうエネルギーが私にもないかというと、実は、ある。こうして毎日、パソコンを相手に
原稿を書いているのも、心の奥深いところで、何かしらの性的エネルギーの命令を受けている
ためかもしれない。

 事実、男性の読者から、感想文をもらうより、女性の読者から、感想文をもらうほうが、うれし
い。これは隠しようがない、事実である。が、その意識も、ここに書いたように、絶対的なもので
もなければ、普遍的なものでもない。何かのきっかけで、180度、変ることだって、ありえる。

 ……と考えていくと、ますますわからなくなってしまう。意識とは何か、と。あるいは、私は、私
でない、もっと深遠なる意識によって、動かされているだけかもしれない。もっと言えば、「私は
私」と思っているのは、表面的な「私」でしかなくて、「私」でないかもしれない。その男性教師だ
って、そうだ。

 恐らく、「私は、男子中学生のそれが見たい」と思って、デジタルカメラで、写真をとった。その
ときその男性教師は、「私は私」と思って、そうしたにちがいない。しかし本当のところは、その
男性教師の意思というよりは、その男性教師の中の、性的エネルギーに命令されて、行動した
だけかもしれない?

 話が繰りかえしになってきたので、この話は、ここまで。私は、このハレンチ事件をインターネ
ットで知ったとき、意識とは何か。それを改めて考えさせられた。ホント!
(はやし浩司 意識 意思 性的エネルギー)

【追記】
 私たちは、「私は私」と思って行動している。しかしその「私」が、私ではなく、心の奥底に潜
む、別の「私」に命令されているとしたら……。

 たとえば若い女性が、化粧をして、ミニスカートをはいたとする。そのときその若い女性は、
自分の意思で、自分で考えてそうしていると思うかもしれない。

 しかし実際には、その女性は、さらに心の奥底に潜む、「性的エネルギー」の命令に従って、
そうしているだけかもしれない。ただ自分では、それに気づかないだけ。

 こうした例は、多い。つまり私たちが、「自分の意思」と思っていることでも、そうではないこと
も多いということ。そういう意味で、「意識」とは何か、それをつきつめていくと、わけがわからな
くなる。

 
●見苦しい老人たち

 こんな話を聞いた。

 Aさん(50歳)のグループは、ボランティア活動として、炊事が満足にできない老人たちのた
めに、昼の弁当を届けている。

 料金は、一食、500円。それを、老人たちに、毎日、配達している。利益など、まったくない。
配達の労費を考えるなら、赤字。

 そのAさんが、毎日、弁当を届けている人に、Xさん(83歳)と、Xさんの妹(76歳)がいる。X
さんと、Xさんの妹は、いろいろな理由があって、今は、同居している。

 が、Xさんと、Xさんの妹は、毎日のように、「私の弁当の残りを食べた」「いや、食べていな
い」「どこへやった?」「知らない」と、喧嘩ばかりをしているという。

 言い忘れたが、その500円の料金(二人分で1000円)は、Xさんの息子(53歳)が、負担し
ている。

 Aさんは、こう言う。「本当に、見苦しいですね」と。「ただで食べているんだから、文句を言っ
てはいけないと思うのです。でも、そういう感謝の念は、まったくないみたいですね」とも。

 この話をワイフにすると、ワイフも、こう言った。「もう先が長くないのだから、穏やかに生きる
ことはできないのかしら?」と。

 しかしそういう状態になればなるほど、老人によっては、我欲が強く現れるようになる。理由
は私にもわからないが、そうなる。巨億の資産をもちながら、わずかな土地の権利のことで、
裁判で争っている老人がいる。近所の人が、車を道路に一時的にとめるたびに、警察に電話
をかけて、パトカーを呼んでいる老人もいる。

ワイフ「歳をとればとるほど、その人の地が表に出てくるということかしら?」
私「ぼくも、そう思う。自分の中の悪い面を隠そうという意欲や気力が弱くなってくる。だから、
悪い面ばかりが外に出てくるようになる」
ワ「死ねば、すべてをなくすということが、わからないのかしら?」
私「そういう老人は、そうは思っていない。死後の世界を、しっかりと信じている」と。

 この一例だけではないが、老人が、人生の先輩だとか、経験者だとかいうのは、まちがい。
ウソ。幻想。もちろん大半の老人は、すばらしい人たちである。しかし老人になればなるほど、
Xさんや、Xさんの妹のように、むしろ見苦しくなっていく人も、少なくない。

 もっとも、それは本人たちの問題だから、部外者の私たちが、とやかく言う必要はない。本人
がそれでよいのなら、それでよい。

 しかし人生も晩年になって、弁当の残りを取りあって争うなどということが、本当にあるべき老
後なのかどうかということになると、だれも、そうは思わない。だれだって、静かで、穏やかで、
心豊かな晩年を送りたいと思うはず。死が近づけば、なおさらそうだ。

 で、そのちがいは、どこにあるかというと、私は、(前向きに生きる人)と、(そうでない人)のち
がいではないかと思う。「思う」というだけで、確信はないが、そう思う。これは老人にかぎらない
ことだが、人は、うしろ向きに生き始めたとたん、その生きザマは、見苦しくなる。

 わずかな財産にこだわったり、過去の名誉や地位にぶらさがり、それをいばって見せたりす
るなど。

 それに生きザマがうしろ向きになったとたん、その時点から、時間ばかりを浪費するようにな
る。はっきり言えば、いくら長生きしても、ムダ……という状態になる(失礼!)。「明日は、今日
よりも悪くなる」ということを繰りかえしながら、不幸に向かって、まっしぐらに進んでいく。

 で、Aさんは、ある日、見るに見かねて、Xさんにこう言ったという。「また明日、お弁当を届け
てあげますから、どうか喧嘩をしないでください」と。するとそれに答えて、Xさんは、つぎつぎ
と、Xさんの妹の悪口を言い始めたという。

 「でも、私が何も言わなかったら、K(=Xさんの妹)は、私の分まで、食べてしまう」「残ったの
を捨ててしまう」「この前も、冷蔵庫にしまっておいたおかずを、自分で食べてしまった」「妹は、
太りすぎだということがわかっていない」「胃が痛いと言って、夜中に泣かれるのは、困る」と。

 あまりにも低劣な話なので、Aさんは、思わず、耳をふさいでしまったという。そして私には、こ
う言った。「歳をとっても、ああはなりたくないです」と。

 最近、「じょうずに歳をとる」という言葉を、あちこちで耳にする。最初、その言葉を聞いたとき
は、私にはその意味が、よくわからなかった。が、このところ、少しずつだが、私にもわかるよう
になってきた。と、同時に、それがこれからの私にとっては、重要なテーマになるだろうというこ
とを知った。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(150)

【日本人論】

●復古主義

 当然と言えば、当然だが、ある文芸作家(MS氏、雑誌「B」)が、こう言った。「学校での、国
語教育の時間をふやせ」と。「最近の子どもたちは、ロクに満足な作文も書けない」と。

 しかしこの論法は、おかしい。その第一。何でもかんでも、問題があれば、「すぐ学校で」とい
う発想。授業時間をふやせば、それで子どもたちの作文力が向上するというものでもあるま
い。

 こうした考え方は、学校万能主義、学校神話の信奉者が、好んでする発想である。

 つぎに、最近の子どもたちの国語力が低下しているのは、国語(日本語)そのものが、質的
に変化しているからである。テレビや携帯電話。さらにはパソコンの影響も大きい。加えて日本
語そのものがもつ、欠陥もある。この日本では、わずか100年前に書かれた文章ですら、辞
書や翻訳なしでは、読むことができない。

 三つ目に、言葉というのは、民衆が決めるもの。一部の学者や、作家が、決めるものではな
い。もっとわかりやすく言えば、成り行きに任せるしかない。

 で、私は、その文芸作家の人が書いた原稿を改めて、読みなおしてみた。が、「作家」という
には、お粗末な文章。くどくて、しかも読みづらい。「こんな文章でも、作家なの?」というような
文章である。

 ということで、では、どうすればよいのか。

 私は、子どもの国語力は、親の会話能力によって決まると、かねてより、主張してきた。それ
について書いたのが、つぎの原稿である(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二五年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」と
いうような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛
隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこ
う言った。

「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か
聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま
あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ
うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に
イ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる
 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。
もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。
「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と
して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そ
んなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口
を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意
味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

+++++++++++++++++++++

 もう一つ、つけ加えるなら、こうも言える。

 その文芸家は、「最近の子どもの国語力の低下は、文部科学省と日教組がグルになって、
『ゆとり教育』をしたのが原因」(同・雑誌)と書いている。

 もしそうなら、自分自身は、明治時代に文体で、あるいは江戸時代や平安時代の文体で、文
章を書けばよい。自分自身も、大きな流れの中で、昭和の文体で、文章を書いている。明治の
文豪たちが、その文芸家の書いた文章を読んだら、きっと、同じことを言うにちがいない。

 「最近の文芸家たちの文章は、なっていない!」と。

 たしかに最近の子どもたちが使う日本語は、メチャメチャ。しかしそう思うのは、「私」であっ
て、「子どもたち」ではない。子どもたちにとっては、子どもたちの使う日本語のほうが、使い勝
手がよいのだ。

 私たちの価値観を、一方的に押しつけても意味はない。なぜなら、私たち旧世代は、やが
て、先に死ぬ。戦っても、勝ち目はない。

 で、これからの日本語は、さらに短文化する。漢字も少なくなる。感覚的な表現が、ふえてく
る。新語、造語も多くなる。たとえば、こうなる。

++++++++++++++++

 困るよな。言葉。押しつけられても。
 ジジ臭い文書。読みたくないよな。
 わかりやすく書けよ。でないと、読まない。
 文芸家の価値観。それは文芸家のもの。
 その気持ち、わかるけど。
 でもさ、日本語、みんなのものだし。
 上の人が決めても、意味ないよな。
 学校での国語の時間、ふやしても、
 変らないよ。
 だいたい、本なんて、読まないもん。

++++++++++++++++

 日本語というのは、もともと今のモンゴルあたりがルーツだという。そのあたりで生まれた言
語が、朝鮮半島を経て、日本に入ってきた。入ってきたというより、日本に渡ってきた朝鮮民族
とともに、日本にもたらされた。そのためモンゴル語、朝鮮語、それに日本語は、たいへんよく
似ている。

 たとえば朝鮮語で、「私は、はやし浩司です」は、「ナヌ(私)エ(は)、はやし浩司イムニダ(で
す)」となる。「は」も「です」も、音こそちがえ、語法は同じである。

 そこへ中国語が入ってきた。漢字である。今、私たちが使っている、ひらがなにせよ、カタカ
ナにせよ、その漢字の簡略版にすぎない。

 だから日本語という日本語は、もともと、ないに等しい。悲しいかな、これが事実であり、それ
ゆえに、日本語という日本語に、それほど、こだわる必要はない。自由に使って、自由に改良
して、自由に話せばよい。「日本語は、こうでなければならない」と考えるほうが、おかしい。

 ただ残念なのは、そうした変化の流れの中で、やがてすぐ、私がこうして今書いている文章で
すら、理解されなくなるだろうということ。100年後の人たちでさえ、私の文章を読むとき、辞書
を使うようになるだろう。つまり、私の文章の「命」は、この先、10年とか、20年程度しかないと
いうこと。

 考えてみれば、これほど、さみしいことはない。(もっとも、100年後まで残さなければならな
いような文章でもないから、私はかまわないが……。)

 つぎの世代の人たちが、私の文章を読み、その上で、ものを考え、また新しい文章を書いて
くれればよい。つまりこうして、何らかの形で、私の思想のかげろうのようなものが、つぎの世
代に伝わっていけばよい。

 私が今、こうして書いている文章だって、私を取り巻く多くの人たちから受けついだ、「かげろ
う」のかたまりのようなものではないか。だからあまり、ぜいたくは言わない。大切なことは、文
章ではなく、中身。中身ではなく、つぎの世代の人たちが、私たちの経験や知識を踏み台にし
て、よりよい人生をい送ること。

 言うまでもなく、文章は、そのための一手段でしかない。

 しかし、まあ、あえて言うなら、子どもの国語力を伸ばしたかったら、そしてその基礎をつくり
たかったら、親、とくに母親が、子どもの前では、正しい日本語で話すこと。「ほらほら、カバ
ン!」ではなく、「あなたはカバンをもっていますか」と。そういう会話力が、子どもの国語力の基
礎となるということ。
(はやし浩司 子どもの国語力 国語 会話能力)

+++++++++++++++++

以前、こんなことを書きました。

+++++++++++++++++

日本の教科書検定

●まっちがってはいない。しかしすべてでもない。
オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるもので、強
制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の二つの方面だけ。特に「歴史」について
は、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときには、ブラ
スバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻
撃の矢面に立たされた。

私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であったこともある。韓国を代表する歴史学者で
ある。

私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかしすべてを教えていない」と実感し
た。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。

「奈良は、韓国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書い
て、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もし氏の言うこと
が正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市ということになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本を出る
と、この種の話はゴロゴロしている。

事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部
に日本学がある。そして全体として、東洋史として教えられている。(フランスなどでは、日本語
学科は、朝鮮学部の中の一つに組みこまれている。)

 さらに、日本語では、「I」のことを、「ボク」という。「YOU」のことを、「キミ」という。

 これについても、もともとは、「朴氏朝鮮」の「朴(ボク)」、「金氏朝鮮」の「金(キミ)」が、ルー
ツだという説もある。日本へ渡ってきた朝鮮民族が、「私は、ボク氏だ」「あなたは、キミ氏か」と
言っている間に、「ぼく」「きみ」という言葉が生まれたという。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも欧米
人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と答えた。

中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは一人もいなかった(約
五〇名について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。アフリ
カの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。一人の小学生が、「ぼくたちはアジ
ア人ではない。日本人だ!」と。

そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色ではないか」とたたきかけると、その小学生はこ
う言った。「ぼくの肌は黄色ではない。肌色だ!」と。

二〇〇一年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国から
は特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、日本が島
国意識から抜け出ることはない。

+++++++++++++++++

もう一作、こんな原稿を書いたことも
あります。
少し過激な内容ですが……。

+++++++++++++++++

人間の誇りとは……

●私はユネスコの交換学生だった

 一九六七年の夏。私たちはユネスコの交換学生として、九州の博多からプサンへと渡った。
日韓の間にまだ国交のない時代で、私たちはプサン港へ着くと、ブラスバンドで迎えられた。
が、歓迎されたのはその日、一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされ
た。

私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏だったこともある。韓国を代表する文化学者であ
る。私たちは氏の指導を受けるうち、日本の教科書はまちがってはいないが、しかしすべてを
教えていないことを実感した。そしてそんなある日、氏はこんなことを話してくれた。

●奈良は韓国人が建てた?

 「日本の奈良は、韓国人がつくった都だよ」と。「奈良」というのは、「韓国から見て奈落の果て
にある国」という意味で、「奈良」になった、と。

昔は「奈落」と書いていたが、「奈良」という文字に変えた、とも。

現在の今でも、韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もちろんこれは一つの説に過ぎな
い。偶然の一致ということもある。しかし結論から先に言えば、日本史が日本史にこだわってい
る限り、日本史はいつまでたっても、世界の、あるいはアジアの異端児でしかない。

日本も、もう少しワクを広げて、東洋史という観点から日本史を見る必要があるのではないの
か。ちなみにフランスでは、日本学科は、韓国学部の一部に組み込まれている。またオースト
ラリアでもアメリカでも東洋学部というときは、基本的には中国研究をさし、日本はその一部で
しかない。

●藤木Sの捏造事件

 一方こんなこともある。藤木Sという、これまたえらいインチキな考古学者がいた。彼が発掘し
たという石器のほとんどが捏造(ねつぞう)によるものだというから、すごい。しかも、だ。そうい
うインチキをインチキと見抜けず、高校の教科書すら書き換えてしまった人たちがいるというか
ら、これまたすごい。

たまたまその事件が発覚したとき、ユネスコの交換学生の同窓会がソウルであった(一九九九
年終わり)。日本側のOBはともかくも、韓国側のOBは、ほとんどが今、大企業の社長や国会
議員をしている。

その会に主席した友人のM氏は帰ってきてから私の家に寄り、こう話してくれた。「韓国人は
皆、笑っていたよ。中国や韓国より古い歴史が日本にあるわけがないとね」と。当時の韓国の
マスコミは、この捏造事件を大きく取りあげ、「そら見ろ」と言わんばかりに、日本をはげしく攻
撃した。M氏は、「これで日本の信用は地に落ちた」と嘆いていた。

●常識と非常識

 私はしかしこの捏造事件を別の目で見ていた。一見金素雲氏が話してくれた奈良の話と、こ
の捏造事件はまったく異質のように見える。

奈良の話は、日本人にしてみれば、信じたくもない風説に過ぎない。いや、一度、私が金素雲
氏に、「証拠があるか?」と問いただすと、「証拠は仁徳天皇の墓の中にあるでしょう」と笑った
のを思えている。

しかし確たる証拠がない以上、やはり風説に過ぎない。これに対して、石器捏造事件のほう
は、日本人にしてみれば、信じたい話だった。「石器」という証拠が出てきたのだから、これは
たまらない。事実、石器発掘を村おこしに利用して、祭りまで始めた自治体がある。

が、よく考えてみると、これら二つの話は、その底流でつながっているのがわかる。金素雲氏
の話してくれたことは、日本以外の、いわば世界の常識。一方、石器捏造は、日本でしか通用
しない世界の非常識。世界の常識に背を向ける態度も、同じく世界の非常識にしがみつく態度
も、基本的には同じとみてよい。

●お前は日本人のくせに!

 ……こう書くと、「お前は日本人のくせに、日本の歴史を否定するのか」と言う人がいる。事
実、手紙でそう言ってきた人がいる。「あんたはそれでも日本人か!」と。

しかし私は何も日本の歴史を否定しているわけではない。また日本人かどうかと聞かれれば、
私は一〇〇%、日本人だ。日本の政治や体制はいつも批判しているが、この日本という国土、
文化、人々は、ふつうの人以上に愛している。

このことと、事実は事実として認めるということは別である。えてしてゆがんだ民族意識は、ゆ
がんだ歴史観に基づく。そしてゆがんだ民族主義は、国が進むべき方向そのものをゆがめ
る。これは危険な思想といってもよい。

仮に百歩譲って、「日本民族は、誇り高い大和民族である」と主張したところで、少なくとも中国
の人には通用しない。何といっても、中国には黄帝(司馬遷の「史記」)の時代から五五〇〇年
の歴史がある。日本の文字はもちろんのこと、文化のほとんどは、その中国からきたものだ。

その中国の人たちが、「中国人こそ、アジアでは最高の民族である」と主張して、日本人を「下」
に見るようなことがあったら、あなたはそれに納得するだろうか。民族主義というのは、もともと
そういうレベルのものでしかない。

●驚天動地の発見!

 さて日本人も、そろそろ事実を受け入れるべき時期にきているのではないだろうか。これは
私の意見というより、日本が今進みつつある大きな流れといってもよい。

たとえば二〇〇二年のはじめ、日本の天皇ですらはじめて皇室と韓国の関係にふれ、「ゆか
り」という言葉を使った。「天皇家と韓国は、歴史的に関係がある」という意味で、天皇は、そう
言った。これに対して韓国の金大統領(当時)は、「勇気ある発言」(報道)とたたえた(一月)。

さらに同じ月、研究者をして「驚天動地」(毎日新聞大見出し)させるような発見が奈良県明日
香村でなされた。明日香村のキトラ古墳で、獣頭人身像(頭が獣で、体が人間)の絵が見つか
ったというのだ。詳しい話はさておき、毎日新聞はさらに大きな文字で、こう書いている。

「百済王族か、弓削(ゆげ)皇子か」と。京都女子大学の猪熊兼勝教授は、「天文図、四神、十
二支の時と方角という貴人に使われる『ローヤルマーク』をいくつも重ねている」とコメントを寄
せている。

これはどうやらふつうの発掘ではないようだ。それはそれとして、が、ここでもし、「百済王族
か、弓削(ゆげ)皇子か」の部分を、「百済王族イコール、弓削(ゆげ)皇子」と解釈したらどうな
るか。弓削皇子は、天武天皇の皇子である。もっと言えば、天武天皇自身が、百済王族の一
族ということになる。だから毎日新聞は、「研究者ら驚天動地」という大見出しを載せた。

●人間を原点に

 話はぐんと現実的になるが、私は日本人のルーツが、中国や韓国にあったとしても、驚かな
い。まただからといって、それで日本人のルーツが否定されたとも思わない。

先日愛知万博の会議に出たとき、東大の松井孝典教授(宇宙学)は、こう言った。「宇宙から
見たら、地球には人間など見えないのだ。あるのは人間を含めた生物圏だけだ」(二〇〇〇年
一月一六日、東京)と。

これは宇宙というマクロの世界から見た人間観だが、ミクロの世界から見ても同じことが言え
る。今どき東京あたりで、「私は遠州人だ」とか「私は薩摩人だ」とか言っても、笑いものになる
だけだ。いわんや「私は松前藩の末裔だ」とか「旧前田藩の子孫だ」とか言っても、笑いものに
なるだけ。

日本人は皆、同じ。アジア人は皆、同じ。人間は皆、同じ。ちがうと考えるほうがおかしい。私た
ちが生きる誇りをもつとしたら、日本人であるからとか、アジア人であるからということではなく、
人間であることによる。もっと言えば、パスカルが「パンセ」の中で書いたように、「考える」こと
による。松井教授の言葉を借りるなら、「知的生命体」(同会議)であることによる。

●非常識と常識

 いつか日本の歴史も東洋史の中に組み込まれ、日本や日本人のルーツが明るみに出る日
がくるだろう。そのとき、現在という「過去」を振り返り、今、ここで私が書いていることが正しい
と証明されるだろう。そしてそのとき、多くの人はこう言うに違いない。

「なぜ日本の考古学者は、藤木Sの捏造という非常識にしがみついたのか。なぜ日本の歴史
学者は、東洋史という常識に背を向けたのか」と。

繰り返すが一見異質とも思われるこれら二つの事実は、その底流で深く結びついている。(20
02・1・23)

++++++++++++++++++++

 この原稿は、私がちょうど2年前に書いたもの。今、読みかえしてみると、「かなり過激なこと
を書いたな」と思わないわけでもない。

 しかしものごとは、常識で考えるべきではないのか。世界の歴史学者は、みな、こう言ってい
る。「日本が、日本史にこだわっているかぎり、日本は、いつまでたっても、アジアの孤児でしか
ないだろう。日本も、日本史を、東洋史の中の一部としてみるべきではないのか」と。

 日本や、日本人だけが、特別な民族だと思いたいという気持はよくわかる。世界の、どの民
族だって、多かれ、少なかれ、そう思っている。しかしそういう思いにこだわればこだわるほど、
日本や日本人は、世界の孤児になってしまう。

 それでよいのか。それとも、それとも、それではよくないのか。程度の問題もあるかもしれな
い。だから白黒はっきりする必要もないかもしれない。

「まあ、そういう意見もあるのか」程度にとらえてもらってもよい。私自身、それほど、深刻にこ
の問題を考えているわけではない。あとは、読者のみなさんの判断ということになる。
(はやし浩司 日本人 日本語 民族)
(040421)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【アメリカに住む、二男より……】

●人質となった、日本人

日本人3人の誘拐のニュースをずっと見てきたのだが、「どうして?」と思うことが多々ある。特
に、政府の対応の仕方、3人の親族の対応の仕方にはどうしても理解ができない。「自業自
得」という言葉や、考え方自体理解に苦しむのだけれど、どうしてみんな大きなものの見方がで
きないのだろうか? 

残虐な犯罪者からやっと開放された3人に、「世界を百回って謝れ」などというのはどういうこと
なんだろうか? 「世界に感謝させます。」とはどうことなんだろうか? 世界がいったい何をし
たのだろうか?

彼らが解放されたのは「世界」でも小泉のおかげでもなんでもない。イスラム教リーダーが、誘
拐した犯罪者を説得できたから開放されたのではないのだろうか? 

自分の身を危険にさらして自由社会のために貢献しようとしたのは彼ら3人や、自衛隊、世界
各国の民間、軍人、などイラクにいる僕たち民主主義的国家の人間なんじゃないのか?

そんなことは全く無視して、「自業自得」とは何なのか? 今のところテロリストが日本を攻撃し
ていないから、テロリストを怒らせるようなことはするな、という魂胆なんだと思うけれど、これが
暴走族や暴力団がいまだに日本に公然と存在する理由だと思う。 

「どうしたらとりあえず自分の身の危険を守れるか。」という発想はやめて、「何をするのが正し
いのか?」という考え方をするべきだと思う。テロリストなんてのを暴力団と同じように、野放し
にして、「自分にさえ危害を加えなければいいや。」なんて認めてしまったら、やがては世界全
体が重苦しく、不自由で、結局は自分の生活の質が低下することになる。

スペインの列車爆破事件で殺された300人には、「テロリストが人を殺すのはあたりまえでしょ
う。馬鹿なスペイン人、自業自得、お気の毒様。」といっているのと同じだ。 

「世界中を混乱に導いた」(親族)のはテロリストの方じゃないのか? 外国人はイラクから出て
行け!といっているのはイラク人ではなくて、イラク人にまぎれて存在する一部のイスラム教原
理主義者や、テロリストたちがいっていることであって、大半のイラク人はイラクに平和と繁栄
のために努力している人たちを歓迎していることを忘れるべきではない。 

3人は誰にも謝る必要はないし、世界のおかげでもない。3人に意志があるのならこのままイラ
クに残って、正しいと信じる活動をやり遂げるように、心から切望する。

++++++++++++++++++

【二男へ】

 かなり情報不足のようだね。

 彼らは、正しいことをしたのではないよ。「独善的なボランティ活動」(Y新聞)をしたにすぎない
よ。

 日本政府は、14〜6回にわたって、渡航自粛の勧告を出しているよ。それを無視して、ヨル
ダンからイラクに入った。おかげで、日本は、えらい迷惑をすることになってしまった。

 人質の家族からは、「イラクから自衛隊を撤退させろ」と怒鳴られるしまつ。本当かどうかは
知らないが、外務省の役人たちは、「寝食を忘れて救出活動をした」そうだ。かかった費用が、
20億円程度だったという話も、伝わってきている(週刊「S」)。

 最初は、ぼくたちも、人質の心配をした。しかしね、時間がたつと、「どうもそうではないので
はないのか」という考え方に変ってきた。ある国会議員は、「遊泳禁止の旗が出ている海で、泳
ぐようなもの」と表現していたが、そんな感じがしてきた。

 だから今(4・21)は、「自己責任」という言葉が、さかんに使われている。この人質の問題
は、K国による拉致(らち)事件とは、まったく異質のものだよ。それに人質となった一人の青年
は、アメリカ軍による劣化ウラン弾を糾弾するため、その証拠集めに、イラクへ入ったというこ
とらしい(週刊「S」)。アラビア語はもちろん、英語も、満足に話せなかったという話も、伝わって
きている。

 彼らの行動は、カルト教団に走った、狂信的な若者の姿に、どこか似ていると、思わないか。
つまり、これがおおかたの日本人の意見だと思うよ。

 もう二人、同じ時期、日本人のカメラマンが人質になったよ。その中の一人は、こう言った。

 「ひどいめには、あわなかった。最初、人質にされるとき、相手のイラク人が、『アイ・アム。ソ
ーリー』(すまん)と言った」と。

 お前にはわかると思うが、これはつくり話だよ。こんなとき、英語では、絶対に、「アイ・アム・
ソーリー」とは、言わないよね。エレベーターに乗るとき、中にいる人に、「アイ・アム・ソーリー」
と言う人は、いないだろ。それと同じだね。つまり、完全なジャパニーズ・イングリッシュ!

(ぼくも、一度、英語で失敗したことがある。日本では、どこかの店に入っていくとき、「ごめんく
ださい」と言うだろ。だからあるとき、オーストラリアの店に入るとき、「アイ・アム・ソーリー!」と
言いながら、入ってしまった。頭の中で、直訳したんだね。

 そしたらその店の人が、おかしな顔をして、「君は、私たちに、どんな悪いことをしたのか?」
って、言ったよ。)

 今回の事件は、どこかスッキリしない。全体としてみれば、無謀で、思慮のない若者たちが、
ひとりよがりな独善で引き起こした事件のように思う。「甘い」というよりは、「世界をなめてい
る」といった感じ。一人の若者は、こう言ったという。

 「イラクのために活動しているのだから、人質になるとは思っていなかった」と。

 今は、日本の自衛隊が、命がけで、復興支援活動をしている。そういう人たちの思いも理解
するなら、こうした独善的な思想にかぶれた若者は、イラクへは行くべきではないよ。たぶん、
ほとんどの日本人も、ぼくと、同じ意見だと思うよ。今日、何冊か、週刊誌を買って、送っておく
よ。

パパより



 




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児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐
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